筆敬さんのご指摘により「神功皇后の神懸り」について書いてみます。
【その1】
三韓征伐への出発は秋九月十日ですが、その年の春四月三日。皇后は肥前国「松浦縣」にいました、玉島里の小川のほとりで食事をされます。皇后は針を曲げて釣り針をつくり、飯粒を餌にして、裳の糸を取って釣り糸にして、それを垂れて神意を伺います。
”朕、西欲求財國。若有成事者、河魚飲鉤。”(私は西方の財の国を求めています。もし事が成功するなら、河の魚よ釣針を食え)
と。そして竿を挙げると、”乃獲細鱗魚”(細い鱗魚がかかっていた)。それを見て皇后は大変珍しい魚だ”梅豆邏志<メズラシ>と言われたのだそうです。それを聞いた人々がその辺りを「梅豆羅國<メズラノクニ>と言った。それが訛って、今の「松浦」になったのだと言うのです。 この結果を見て、事が成ると言う神のお告げをいただき、皇后は西の国を目指すのです。
なお、この時代の釣り針と言えば「鉄製」のものではなく、大方は動物の角や骨で作られたものだったのではないかと思えるのですが、皇后は食事の時の針ですから、これは「針」ではなく「箸」だと考えられます。だから、当然、木製です。それを曲げて釣り針を作ったのだろうと想像がつきますが、どうでしょうかね????そう考えるとその針の大きさはと言うと、現在にあるような小さな釣り針ではなく、相当大きな釣り針です。それにもかかわらず、釣れた魚は“細鱗魚”です。ここら辺りにも神の行う行為だと言うことが分かります。
これなどの記事を通して、当時は弥生時代ですが、魚釣りも盛んに行われていたということもわかります。
縄文時代の釣り針です。是は動物の骨製です