八上比売はその子を木の股に挟んで、そのまま伯耆の国に帰ってしまわれました。この比売については、これだけしか書かれてはいません。それ以後、比売がどうなったかは書かれていません。、その子については、ただ、
“木俣神<キノmタノカミ>御井神<ミイノカミ>”
という名が付けられたと。「古事記伝」では
“御井神(ミイノカミ)とは、此ノ神処々に井を作りて、民の利(クボサ)をなし賜へる御功ありしに因りて称奉れるなるべし・・・・・・”
と説明がしてあり、そして、この神は出雲の国を始め、大和の国や美濃の国など、所々の神社にに祭られていると。
それにしても「本居宣長」という人は、何処でどのような方法でこのような歴史的な資料を収集したのでしょうかね。その調査方法までは、何も伝えられてないように思うのですが、物事をこれほどまでに、ものすごく広く、しかも、深く徹底的に追求した人は他にはいないのではないかと思い、その偉大さが今更のように感じられるのですが!!!!!それも、今の世の中ではないのですよ。ノーベル賞がどうのこうのと言って、今、頻りにマスコミ社会では騒いでいるようですが、それを知ったら宣長は何と云うでしょうかね???
そんなことが、ふと頭をついて出てきた秋です。