オホクニは噂に聞いた「賢くて麗しい女性」を覓(もと)めて越国まできたのです。それを次のように書いております。
“佐用婆比爾阿理多多斯。用婆比爾阿理加用婆勢”
と。<サヨバヒニ アリタタシ。ヨバイニ アリカヨハシ>です。結婚を申し込もうと、あなた様の家の前に立っております。こうして家の前まで来ております。そして更に。
「腰に差している刀もそのままに、顔を覆っている頭巾もそのままで・・・・」
と歌います。この「頭巾」ですが、太古の日本では「男性」も「女性」も何か宗教的な呪術的な風習として、顔は人には見られないように頭巾などを付けて押し隠していたのだそうです。その習慣が後になると女性だけの風習として、日本では平安期まで残っていたのだそうです。アイヌの婦人がしていた顔への入れ墨もその習慣の名残りなのだそうです。
太古にはその様な風習が男女ともにあったということ分かる貴重な資料が「古事記」のこの部分なのだそうです。それを
“淤須比遠母”
と書いて、<オスヒヲモ>と読ましております。頭に被る頭巾のようなものです。