“ただたのめ ほそ谷河の まろ木ばし
ふみかえしては おちざらめやは”
上西門院が小宰相の為に代筆して通盛に手紙を書いてやります。その歌ですが、「まる木をふみはずしても、落ちたりはしませんよ。おきらめないで待っていてくださいね。」と、いう内容の歌なのです。細かく云うと、「ざら」は「ず」(否定の助動詞)の已然形で、「やは」は「め」を伴った助詞で、反語になり、「落ちることがあろうか、いや決して、落ちることなんてありませんよ」で、《文を返したからといって、あなたを無視したなんてことではないのですよ}と云う事を言い表わした歌なのです。
ところが、長門本には
”・・・・・・・思ひ直りて人の心を休め給へ、この返事をばわがせんとて、御硯引き寄せて
谷水の 下にながれて まろきばし
ふみみて後ぞ くやしかりける
かくぞ遊ばして遣はさせ給かれば、小宰相殿力及び給はず、終になびき給にけり。・・・・”
と書かれてあります。「くやしい」は「後悔している」と云う意味で、「あなたから頂いたこの手紙を見てから後は、どうして、今まで、そんなにつれない事をしたのか残念に思っております。」です。念のために、これも。
いずかたにしても、この時代の人々の思いを込めた文には感嘆の声をあげずにはいられませんよね!!!!!!