「ぬばたまの 夜は出でなむ。(夜がやってきます)」と、高らかにお側の人はオホクに歌いかけ、更に続けて
“阿佐比能 恵美佐迦延岐弖”
と。<アサヒノ エミサカヘキテ>です。「夜がやってきてから」と呼びかけたのに、そこに、突然、“阿佐比能”(朝日)がきます。おかしいでしょう???。それを少しばかり。
この「朝日の」は「むばたま」と同じで、次に在る恵美<エミ>、そうです「笑み」にかかる枕詞なのです。
「人が大変うれしそうに笑い顔をする様子が、あたかも朝日が山の端から顔を覗けたかのような明るい表情と似ている。」ことから派生した枕詞なのだそうです。これもちょっと宣長の説明を借りました。
「夜が来たならば、あなたは嬉しそうな顔で家にお入りください」
と呼びかけたのです。
これだったら、さしものオホクニも、何も言うことが無く、そのままじっと夜が明けるまでもなく、永遠でも、じっとその場で戸を開けてくれるのを待つだろうと思われます。更に、母親か誰かが、そのオホクニを、女性の持つ艶麗さでもって、誘い込むかのような滑らかなることばで呼びかけております。処女の乙女が口にするような言葉ではありませんが。
“多久豆怒能 斯路岐 多陀牟岐” <タクヅヌノ シロキ タダムキ>
と。何のことかお分かりになられますか????