あまりにも長ったらしい歌ですのでそ、の要点だけ書いてみます。
「私、八千矛は日本全国に美しい女性がいないかと探しております。」と、沼河比売の家の前で歌います。
”都麻麻岐迦泥弖<ツマ マギカネテ>”
都麻=妻なる人を(マギ=覓です。求めて。探しに。)遠くまで行ったのですが、そなん女性に会うことができませんでした。しかし、その途中で、越国に
“佐加斯売遠。阿理登岐加志弖<サカシメヲ アリト キかシテ>”
大層賢い。これを宣長は「ただ賢い女性ではなく、「智(さとり)深くかしこきなり」と説明があります。「心映えが優れている」と訳している人もいますが。出雲の国を治める人の婦人になるのです。人々からも尊敬の的になるような美貌と知性を兼ね備えているような女性を求めているのだと、歌ったのです。それだけではありません。オホクニは、更に、付け加えて歌うのです。これもまた洒落ています。
“久波志売遠<クハシメヲ>”
と。「クハシ」とは「麗しい」と言う意味です。
「まあ、何と欲の深いこと。」と感心します。大変な美人をです。ただの美人ではないのです。麗しい女性をです。その上、心根もやさしくて、人々に尊敬される様な品格のある女性を追い求めて旅したのですよ。そんなんことをしなくても、須世理毘売だって、八十比売だって相当な麗婦人であったはずですが。そなん女性探しの旅なんかに出ないで、もっと他に何かすることがあっただろうと思うのですが????。例によって続きはまた・・・・