ニニギやサクヤヒメはその後どうなったか??古事記での報告はありません。どなたかご存知ですか???
さて、その事はそれとして、古事記では、話がその御子達に飛んで行きます。それが「海彦山彦の話」になっております。ここでも、また、話の筋道が一体どうなっているのか?分からないに事が起こって来ます。それは「サクヤヒメ」がお生みになった第2子
“火須勢理命<ホスセリノミコト>”
のことです。この神様は、どうした訳ですか、その後の話の中には顔を覗けません。古事記などの日本神話の、その後の中心と言いましょうか、主役になるのが、サクヤヒメが生んだ第一子と第三子だけなのです。第二子は姿が見えません。何処へ行ってしまったのでしょうかね
そこらあたりの事情も何も書いてありません。皆目見当すら立ちません。「宣長先生は、もしかして」と、目を通しますがありません。でも、先生も無言です。
「書いてある通りの事だけろ読みなさい。それが古事記の読み方だ。どうして、どうして、などと読んではだめだよ。」
と、教えてくれているような気分になりますが、でも、凡人である私には気になって仕方ありません。つい、不要なお節介を焼いてみたくなり、それを少々書いてみますので、無視してください。
私見です。
サクヤヒメの第一子は
「火照命<ホデリノミコト>」
最初に火が燃え始めて、辺りが、急に、照り明るくなった時にうまれた御子
第三子は
「火遠理命<ホヲリノミコト>」
その火が次第に火の勢いが弱くなって生まれた御子
それに対して第二子は
「火須勢里命」
火が一番<スサマシ>く燃え盛っている時に生まれた御子ですから、あの「スサノヲ」のように気が荒くは、早くから人々に迷惑ばかりかけており、この世から排除されていて、もうこの世の人ではなかったのではと思うのでが?????それに対して、ホデリとホエオリは火が燃え始めの時と終わりごろの火力が弱まった時に生まれたのですから、気分も弱々しく、第二子「スセリ」より随分と柔らかく、温和で温厚な御子だったのではないでしょうか。
どうでしょうかね????
さて、その事はそれとして、古事記では、話がその御子達に飛んで行きます。それが「海彦山彦の話」になっております。ここでも、また、話の筋道が一体どうなっているのか?分からないに事が起こって来ます。それは「サクヤヒメ」がお生みになった第2子
“火須勢理命<ホスセリノミコト>”
のことです。この神様は、どうした訳ですか、その後の話の中には顔を覗けません。古事記などの日本神話の、その後の中心と言いましょうか、主役になるのが、サクヤヒメが生んだ第一子と第三子だけなのです。第二子は姿が見えません。何処へ行ってしまったのでしょうかね
そこらあたりの事情も何も書いてありません。皆目見当すら立ちません。「宣長先生は、もしかして」と、目を通しますがありません。でも、先生も無言です。
「書いてある通りの事だけろ読みなさい。それが古事記の読み方だ。どうして、どうして、などと読んではだめだよ。」
と、教えてくれているような気分になりますが、でも、凡人である私には気になって仕方ありません。つい、不要なお節介を焼いてみたくなり、それを少々書いてみますので、無視してください。
私見です。
サクヤヒメの第一子は
「火照命<ホデリノミコト>」
最初に火が燃え始めて、辺りが、急に、照り明るくなった時にうまれた御子
第三子は
「火遠理命<ホヲリノミコト>」
その火が次第に火の勢いが弱くなって生まれた御子
それに対して第二子は
「火須勢里命」
火が一番<スサマシ>く燃え盛っている時に生まれた御子ですから、あの「スサノヲ」のように気が荒くは、早くから人々に迷惑ばかりかけており、この世から排除されていて、もうこの世の人ではなかったのではと思うのでが?????それに対して、ホデリとホエオリは火が燃え始めの時と終わりごろの火力が弱まった時に生まれたのですから、気分も弱々しく、第二子「スセリ」より随分と柔らかく、温和で温厚な御子だったのではないでしょうか。
どうでしょうかね????