塩椎神<シホツチノカミ>はウミベタで泣く人が誰だか知っていました。
“虚空津日高<ソラツヒタカ>”
と呼びかけていることから分かります。しかし、この「火遠理命」は、古事記には“亦名<マタノナ>”として
“天津日高日子穂穂手見命<アマツヒダカヒコ ホホデミノミコト>”
と出ていますが、此処ではどうして「虚空津」なのでしょうか???よく分かりません。そこで、またまたですが、宣長先生です。
「古事記伝」によると、「天津日高」とは「天子」の事で、その時は、まだ泣いていた「火遠理命」は「天子」でもなく、また、「皇太子」でもないと言うことから、ただ、ニニギの皇子であるという意味で「天」と「地」の中間あたりにあるのが「虚空」ですから、それを使って此の時の火遠理命を「虚空津日高」と命名したのだそうです。
でも、よく考えてみると、その後の世に、この人が「天子」になるのだと言う事を読者に予言させるためにわざわざ造った言葉ではないでしょうか・・・
「よく考えたなあ」と感心が先に立ちます。太安万侶の苦労が推察できます。
面白いですよね!!!!!!
“虚空津日高<ソラツヒタカ>”
と呼びかけていることから分かります。しかし、この「火遠理命」は、古事記には“亦名<マタノナ>”として
“天津日高日子穂穂手見命<アマツヒダカヒコ ホホデミノミコト>”
と出ていますが、此処ではどうして「虚空津」なのでしょうか???よく分かりません。そこで、またまたですが、宣長先生です。
「古事記伝」によると、「天津日高」とは「天子」の事で、その時は、まだ泣いていた「火遠理命」は「天子」でもなく、また、「皇太子」でもないと言うことから、ただ、ニニギの皇子であるという意味で「天」と「地」の中間あたりにあるのが「虚空」ですから、それを使って此の時の火遠理命を「虚空津日高」と命名したのだそうです。
でも、よく考えてみると、その後の世に、この人が「天子」になるのだと言う事を読者に予言させるためにわざわざ造った言葉ではないでしょうか・・・
「よく考えたなあ」と感心が先に立ちます。太安万侶の苦労が推察できます。
面白いですよね!!!!!!