「山彦」が、三度、兄「海彦」に、お互い使っている道具を取り換えっこしてくださいと願い出たのですが、どうしても兄は
<ミタビ コハシシカドモ ユルサザリキ>
です。兄は昨日も言ったように非常に保守的な男性だったのです。何で、今更、知りもしない道具を使って仕事をしなくてはならないのか分かりません。もし、うまくいかなかったらと云う考えが先に立って、なかなか賛成が得られません。山彦のように野山を駆け回って、やっと、獲物に遭遇出来たとしても、それがうまく捕まえられるかどうかも分かりません。又、危険度も魚を釣るよりものすごく大きいのです。難易度に大差がある交換なんていくら弟からの申し出だとしても出来っこありません。結局、三度も頑として拒絶して断ります。しかし、弟彦は、それでもまだまだ、あきらめきれずに、不服そうに、じっと兄の顔を眺めて、無言で、目には一杯涙さへ浮かべていたのでしょうか、それを見た兄彦は、「そんなに言うなら」とばかりに交換を承諾して、いやいやながら言います。
そのような兄弟二人の会話が、目の中に飛び出してくるような生き生きした言葉を使って古事記はその場を説明しております。それも
“然遂纔得相易”
という、たった六字の言葉です・・・・・
<シカレドモ ツイニ ワズカニ エカヘタマヒキ>
「纔<ワズカニ>」と言う言葉が使ってあります。「僅か」ではありません。「かろうじて」「ほんの少し」という意味です。いやいやながら、仕方がない、可愛い弟の言う事を一度だけだが聞いたやってもいいかなと言うくらいの軽い承諾をするのです。
それにしても、その場の雰囲気と言うかそこに流れ出ている二人の心情を、意味を十分に受け止めて言葉を慎重に選んで書き綴った太安万侶の苦悩一杯の凄さが分かるような気がするのでうがどうでしょうか???
<ミタビ コハシシカドモ ユルサザリキ>
です。兄は昨日も言ったように非常に保守的な男性だったのです。何で、今更、知りもしない道具を使って仕事をしなくてはならないのか分かりません。もし、うまくいかなかったらと云う考えが先に立って、なかなか賛成が得られません。山彦のように野山を駆け回って、やっと、獲物に遭遇出来たとしても、それがうまく捕まえられるかどうかも分かりません。又、危険度も魚を釣るよりものすごく大きいのです。難易度に大差がある交換なんていくら弟からの申し出だとしても出来っこありません。結局、三度も頑として拒絶して断ります。しかし、弟彦は、それでもまだまだ、あきらめきれずに、不服そうに、じっと兄の顔を眺めて、無言で、目には一杯涙さへ浮かべていたのでしょうか、それを見た兄彦は、「そんなに言うなら」とばかりに交換を承諾して、いやいやながら言います。
そのような兄弟二人の会話が、目の中に飛び出してくるような生き生きした言葉を使って古事記はその場を説明しております。それも
“然遂纔得相易”
という、たった六字の言葉です・・・・・
<シカレドモ ツイニ ワズカニ エカヘタマヒキ>
「纔<ワズカニ>」と言う言葉が使ってあります。「僅か」ではありません。「かろうじて」「ほんの少し」という意味です。いやいやながら、仕方がない、可愛い弟の言う事を一度だけだが聞いたやってもいいかなと言うくらいの軽い承諾をするのです。
それにしても、その場の雰囲気と言うかそこに流れ出ている二人の心情を、意味を十分に受け止めて言葉を慎重に選んで書き綴った太安万侶の苦悩一杯の凄さが分かるような気がするのでうがどうでしょうか???