自分の作った「押機<オシ>」に打たれて遭えない最期を遂げた「兄宇迦斯」です。余りにも残虐な計画の元にジンムを亡き者にしようと企んだ事を大層恨みに思ったのでしょうか、道臣命は押しつぶされて死んだエウガシを
“爾即控出斬散”
<スナワチ ヒキダシテ キリハフリキ>
です。押しつぶされて死んでしまっているにも関らず、その死体を引きずり出して、粉々に切り刻みます。さらに、それをその辺り一帯へ撒き散らしたのです。余りにも惨い仕内ではないでしょうか。
でも、これには、古事記にも書かれてはないのですが、もっと何か深い深い思惑があったからの処置ではないでしょうか。
誰もこのような解釈はしてはいないのですが、この「兄宇迦斯」は、それまで宇陀に於いて大変な仁政を敷いていた支配者だったのではないでしょうか。その死体をそのままそこに残してその地を立ち去れば、宇陀の人々は、亡骸を大切に埋葬して、半ジンム勢力のシンボルとしてお墓が何かを造り、大切に祭り上げ、これ以後のジンムの政治に支障が出るのではないかと考え、将来に禍根が残らないように、死体を細かく切り刻み、それを撒き散らして、兄宇迦斯の痕跡の総てのものをその地から完全に消し去ったのではないでしょうか????そして、その地名も
“血原<チハラ>”
と、一般に人々が忌み嫌う「血」という字を添え、敢て、命名したのではと思われますが?????
このような例は我が町吉備津でも見ることができます。吉備津彦命と温羅<ウラ>の戦いでもその様な処置が取られておます。
“爾即控出斬散”
<スナワチ ヒキダシテ キリハフリキ>
です。押しつぶされて死んでしまっているにも関らず、その死体を引きずり出して、粉々に切り刻みます。さらに、それをその辺り一帯へ撒き散らしたのです。余りにも惨い仕内ではないでしょうか。
でも、これには、古事記にも書かれてはないのですが、もっと何か深い深い思惑があったからの処置ではないでしょうか。
誰もこのような解釈はしてはいないのですが、この「兄宇迦斯」は、それまで宇陀に於いて大変な仁政を敷いていた支配者だったのではないでしょうか。その死体をそのままそこに残してその地を立ち去れば、宇陀の人々は、亡骸を大切に埋葬して、半ジンム勢力のシンボルとしてお墓が何かを造り、大切に祭り上げ、これ以後のジンムの政治に支障が出るのではないかと考え、将来に禍根が残らないように、死体を細かく切り刻み、それを撒き散らして、兄宇迦斯の痕跡の総てのものをその地から完全に消し去ったのではないでしょうか????そして、その地名も
“血原<チハラ>”
と、一般に人々が忌み嫌う「血」という字を添え、敢て、命名したのではと思われますが?????
このような例は我が町吉備津でも見ることができます。吉備津彦命と温羅<ウラ>の戦いでもその様な処置が取られておます。