古事記には
[兄宇迦斯の“欺陽仕奉<ツカエマツラント イツハリテ>”の策略をジンムに
“顕白<アラワシモウス>”した
“弟宇迦斯”
は兄宇迦斯の死後、ジンムに
“大饗<オホミアヘ>”
を奉ります。」
と書かれてあります。
また、話が飛びますが、「私の町吉備津」の近くにあった所だと思うのですが、古事記によりますと仁徳天皇が、例の“黒日売<クロヒメ>”を訪ねて吉備の“山方<ヤマガタ>に行幸しますが、その時、天皇に
“献大御飯<オホミケ タテマツリキ>”
とあり、<オホミアヘ><オホミケ>と読み方は違うのですが、「饗」と「御飯」ともに、天皇を饗応したの事を意味します。
また、日本書紀には、応神天皇が兄媛を訪ねて吉備に行幸した時、兄「御友別」が天皇に
“饗<ミアヘ>奉る”
とあります。
これらは何れも天皇に恭順の意を表した事を意味しているのです。
という事は、この時、「宇迦斯」兄弟、二人はお互いに考えが違い、仲違いをして対立していたのでしょうね。異母兄弟だったのかも知れませんね???
[兄宇迦斯の“欺陽仕奉<ツカエマツラント イツハリテ>”の策略をジンムに
“顕白<アラワシモウス>”した
“弟宇迦斯”
は兄宇迦斯の死後、ジンムに
“大饗<オホミアヘ>”
を奉ります。」
と書かれてあります。
また、話が飛びますが、「私の町吉備津」の近くにあった所だと思うのですが、古事記によりますと仁徳天皇が、例の“黒日売<クロヒメ>”を訪ねて吉備の“山方<ヤマガタ>に行幸しますが、その時、天皇に
“献大御飯<オホミケ タテマツリキ>”
とあり、<オホミアヘ><オホミケ>と読み方は違うのですが、「饗」と「御飯」ともに、天皇を饗応したの事を意味します。
また、日本書紀には、応神天皇が兄媛を訪ねて吉備に行幸した時、兄「御友別」が天皇に
“饗<ミアヘ>奉る”
とあります。
これらは何れも天皇に恭順の意を表した事を意味しているのです。
という事は、この時、「宇迦斯」兄弟、二人はお互いに考えが違い、仲違いをして対立していたのでしょうね。異母兄弟だったのかも知れませんね???