さて、皆さんは
“つみ”
と聞けば何を思い浮かべますか??
昨日、“志多美<シタダミ>”について、「イシダタミ」と書いたのですが、又、例のお人から「それではなく<ガンガラ>ではないか??」と教えてくださいました。「
この「ガンガラ」は、岡山(瀬戸内沿岸部)では「ツブ」と呼ばれている「イシダタミ」より小粒な巻貝で、今では、誰も見向きもしないような貝ですが、戦前には、子供たちが、海岸に行っては、岩にへばりついているその「ツブ」を取って来て、それを鍋に入れて炊いて、マチバリや爪楊枝などでほぜくりだして、おやつにしてた食べていました。
今では、そのようなその姿は何処に行っても見かけることはできなくなってしまっているのですが、何時頃からったかと云うと、歴史的にそのような風景を画いているものがあります。ご存じ平安末期の西行の
“山家集”
に出ております。「ツブ」が「ツミ」と云う言葉に代わって。
それを少々・・・
“ 日比・渋川と申す方へまはりて、四国の方へ渡らんとしけるに、
風あしくて、ほど経けり。渋川の浦と申す所に、幼き者どもの
あまた物を拾ひけるを、問ひければ、つみと申すもの拾ふなり
と申しけるを聞きて
下り立ちて浦田に拾う海士の子は
つみより罪をならうなりけれ ”
とあり、平安以前の昔からの、この地方における子供たちのに日常の生活の一部になったいたことの証明になります。
その「つみ」の見える風景は、更に、有史以前から日本人の生活の中に見らたものだということを、このジンムの歴史が物語っておるのです。「つみ」ではなく「シタダミ」と云う言葉で・・・
どうでしょうか。わたしは一日に1時間程度ですが、読書の「おもしろさ、楽しさ」を一杯味わっております。原稿用紙一枚程度の楽しさを・・・・
“つみ”
と聞けば何を思い浮かべますか??
昨日、“志多美<シタダミ>”について、「イシダタミ」と書いたのですが、又、例のお人から「それではなく<ガンガラ>ではないか??」と教えてくださいました。「
この「ガンガラ」は、岡山(瀬戸内沿岸部)では「ツブ」と呼ばれている「イシダタミ」より小粒な巻貝で、今では、誰も見向きもしないような貝ですが、戦前には、子供たちが、海岸に行っては、岩にへばりついているその「ツブ」を取って来て、それを鍋に入れて炊いて、マチバリや爪楊枝などでほぜくりだして、おやつにしてた食べていました。
今では、そのようなその姿は何処に行っても見かけることはできなくなってしまっているのですが、何時頃からったかと云うと、歴史的にそのような風景を画いているものがあります。ご存じ平安末期の西行の
“山家集”
に出ております。「ツブ」が「ツミ」と云う言葉に代わって。
それを少々・・・
“ 日比・渋川と申す方へまはりて、四国の方へ渡らんとしけるに、
風あしくて、ほど経けり。渋川の浦と申す所に、幼き者どもの
あまた物を拾ひけるを、問ひければ、つみと申すもの拾ふなり
と申しけるを聞きて
下り立ちて浦田に拾う海士の子は
つみより罪をならうなりけれ ”
とあり、平安以前の昔からの、この地方における子供たちのに日常の生活の一部になったいたことの証明になります。
その「つみ」の見える風景は、更に、有史以前から日本人の生活の中に見らたものだということを、このジンムの歴史が物語っておるのです。「つみ」ではなく「シタダミ」と云う言葉で・・・
どうでしょうか。わたしは一日に1時間程度ですが、読書の「おもしろさ、楽しさ」を一杯味わっております。原稿用紙一枚程度の楽しさを・・・・