この「八十建」は人の名前かと思いきや、さに非ずで、宣長も
“人の名に非ず、八十とは数多<アマタ>の建<タケル>どもをいうなり・・・・・・ さて建<タケル>とは、定まれる名にあらず、威勢<イキホヒ>ありて猛勇<タケ> き者をいふなり”
とあり、続いて
“八十建在其室待伊那流”
<ヤソタケル ソノムロニアリテ マチイナル>
に付いても、この“伊那流<イナル>”ですが、その意味する所は分からないのだそうですが、
“若<モシ>は獣の怒るりて吼るを宇那流と云に通ひて聞ゆれば、其意にて、皇軍来たら ば戦はむと、忿り誥<タケ>びて待居るを云にやあらむ。猶考べし”
と説明があり、
「土雲<ツチグモ>と呼ばれていた土着の一族の兵を八十人を率いてジンムを攻撃しようとその室で待ち構えていた。」
と云う意味になるのだと。
さて、ジンム達一行は、此処でも、この事態に対処するために、難敵なる恐ろしい「土雲」に対処するために、事前に綿密なる戦略を練り、彼らとの戦いに臨むのです。
その第一の戦術は、
“饗賜八十建<ヤソタケルニ ミアヘ タマヒキ>”
です。
「饗<ミアへ>」食ベ物ですから、縄文人の土雲ですから、まだ、米作りの技術は持ってなかったと思いますから、多分、これは宣長先生も誰も、言及してはいないのですが、私は、敢て、推論しますが、この時、ジンムが御馳走したのは、「お米のご飯」だったのではないでしょうか????生まれて初めて口にするお米のご飯が、余りにもおいしくびっくりして戦う意欲が失われてしまっていたのではないでしょうか。
“人の名に非ず、八十とは数多<アマタ>の建<タケル>どもをいうなり・・・・・・ さて建<タケル>とは、定まれる名にあらず、威勢<イキホヒ>ありて猛勇<タケ> き者をいふなり”
とあり、続いて
“八十建在其室待伊那流”
<ヤソタケル ソノムロニアリテ マチイナル>
に付いても、この“伊那流<イナル>”ですが、その意味する所は分からないのだそうですが、
“若<モシ>は獣の怒るりて吼るを宇那流と云に通ひて聞ゆれば、其意にて、皇軍来たら ば戦はむと、忿り誥<タケ>びて待居るを云にやあらむ。猶考べし”
と説明があり、
「土雲<ツチグモ>と呼ばれていた土着の一族の兵を八十人を率いてジンムを攻撃しようとその室で待ち構えていた。」
と云う意味になるのだと。
さて、ジンム達一行は、此処でも、この事態に対処するために、難敵なる恐ろしい「土雲」に対処するために、事前に綿密なる戦略を練り、彼らとの戦いに臨むのです。
その第一の戦術は、
“饗賜八十建<ヤソタケルニ ミアヘ タマヒキ>”
です。
「饗<ミアへ>」食ベ物ですから、縄文人の土雲ですから、まだ、米作りの技術は持ってなかったと思いますから、多分、これは宣長先生も誰も、言及してはいないのですが、私は、敢て、推論しますが、この時、ジンムが御馳走したのは、「お米のご飯」だったのではないでしょうか????生まれて初めて口にするお米のご飯が、余りにもおいしくびっくりして戦う意欲が失われてしまっていたのではないでしょうか。