私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“土雲”が現れます・・・・・

2019-07-21 05:44:46 | 日記
       “土雲<ツチグモ>”

 です。宇陀でジンム一行がその勢力を増して、さらに、進みます。そして着いた所が

            “忍阪大室<オサカノオホムロ>”

 です。
 「大室」ですから大変大きな「むろ」です。山裾辺りに大きな穴を掘ってその中に住んでいた人がいる場所です。その人達の住まいは、まだ、竪穴式住居の様な家で無く、山裾の土の中に穴を掘って其中を住居にしていたのです。そんな人達がまだいた事の証明になります。
 だから、ジンムたちは、その人々の事を
             “土雲<ツチグモ>”
 と呼んだのです。
 この土の中に住んでいる人達は身長が低くて、手足がやけに長く、全身に髭ぼうぼうの縄文人では???あたかも「蜘蛛」のごとくに気味のわるい獰猛な野蛮人に見え、ジンム達に敵対しているように見えたのでしょうか、言葉も通じなかたのでしょう、ジンム達は彼等を総て殺害してしまいます。
 この事は縄文人と弥生人の戦いをそれとなく言い表しているように思われて仕方ありません。ということは、まだ、近畿地方以東の国々には「縄文人」が沢山住んでいたと云うことでしょうか???当時、吉備国等西の国々は、既に、縄文人は姿を消しており、そこに住んでおる人達は、総て、弥生人で、ジンムと同族の人達であり、言葉も同じで、意志が通じ合い、戦う必要がなかったから、スムースにその場所を進む事が出来たのでしょう。筑紫にしても安芸にしても吉備にしてもそうだったのでしょうか。「戦い」は出ていません。でも、近畿に入ると途端に、先に見て来たように「那賀須泥毘古<ナガスネヒコ>」や「兄宇迦斯」との戦いがしばしばおこるのです。

 まあ、そんな根も葉もない様な事をあれこれと思い浮かべながら古事記を読んでいくと面白さも倍増しますよね???