私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

兄弟たちはオオクニに言明します

2017-07-26 06:57:13 | 日記

 オオクニの兄弟は云います。

             ”汝待取<イマシ マチ トレ>”

と。それは

 「“伯伎、ハハキ>の国の手間山”に赤猪かいる。それを我々で追い出してくるからここで待っておりなさい。その猪をあなたがここで殺してしまいなさい。もし失敗したらその責任はあなたにあります。、我々はすぐにあなたを殺しますからよろしいですね。絶対に失敗しないように。」

 と命令を下します。邪魔者は殺せです
 

 ここで、また、また少々横道へ????と云うのも、この「邪魔者は殺せ」という太古にもあった発想は、今でも一部の人々の心の中に潜んで、突如として世の中に現れ出でてきます。
 今日が、丁度、相模原の「津久井やまゆり園」事件から一年になります。「どうしてこのようなことを????」と人々を震撼たらしめたそれこそ怪事件でした。「役に立たないから不要だ。だから、殺せ」と云う何とも理解しがたい独断で、その人しか持ちえない偏見としか言いようのない事件でした。でも、犯人の気持ちを、「分かる」とする人も、この世には、沢山、まだいるように思えます。「人とは」ということが何を意味するのか、「社会」や「共生」と云う仕組みは一体何か?を考えない人がいるのです。単に「社会の邪魔者は殺せ」と云うただそれだけの思いから、そうです、人間のと云うよりか人間社会の存在の基本を考えない人はいっぱいいる社会です。残念ですが、その考え方は、今私は書いているオオクニの時代にから、既に、存在しており、未だにその対策が見つからないままに社会は進展しているのです。進展していると言う言葉はこの場で適切か適切でないかは分かりかねますが。

 まあ、この事件を、もう一度みんなして、その意味を考えてみる必要があるようう思われます。「カケイ」だとか「カイテナカッタ」だとか訳のわからんことばかり云い張らないで。国会でも此の事件のもつ社会的意味をもう少し討論してみてはいかがでしょうか???


「オホクニを殺せ!!!!!」

2017-07-25 07:06:18 | 日記

 「私はオホクニと結婚します」
 と、いうショッキングな言葉を聞いたオホクニの兄弟神たちは、その場で誰が主導したのかは分かりませんが

                “欲殺大穴牟遅神共議<オホナムチナノカミヲ コロサム アヒタバカリ>”

 します。まさに、「邪魔者は殺せ」です。これも「神の世」にあった出来事ですよ。昨日も書いたのですが、80人も神様が、それも兄弟たちですよ。平気でよくもそのような計画を立てることができたものですね。たかが女神のためにです。どうしてそのようにオホクニをみんなして毛嫌いしたのでしょうか。その血筋はスサノヲの孫です。何も文句を付けられる筋合いはないはずですが???
 そこで、又、推理をしてみました。そこには祖父である足名椎神達の出雲側の勢力が高天原から降臨してきた(大和の勢力)神達がより強くなり、出雲に於いて、この2つの派閥が生まれ、お互いに相反目していたのではないでしょうか。その出雲側の勢力の代表が櫛名田比売の孫の「オホクニ」だったと思うのです。だから、その出雲側の勢力を、此の機に一機に押しつぶそうとして大和側の勢力が挑んだ戦いではなかったかと思われます。最近、経済新聞紙をにぎわした何処かの会社のような創業家と外部から来た新しい勢力とのあの権力闘争以外の何ものでもありません。
 

 こう考えると、神様もやっぱり人間の一部なのでしょうか、まるで人様と同じことを考えるものですね???

 さて オホクニの命は?????明日にでも

 


「誤る」と「謝る」と・・・

2017-07-24 07:03:19 | 日記

 今朝の朝刊ノコラム「折々のことば」に
          「怪しんで殺める前に、誤りを避けるこそ、大事でなないか。」
 と言う中西進先生の言葉を取り上げて解説しておられました。その中に「誤る」と「謝る」とに付いて、このどちらにも「あや」(綾)がふくまれ、、ものの筋目が歪むという危うい事態、もしくはその解消を意味する、と。

 昨今の国内外で起きている色々な政治的な事件を見ていると、どうも、見る人の目によって、その「あや」が色々と違って見え、誤りが誤りと見えず、「怪文章だ」なんて、平気で大声でどなり散らすような人がうようよと大手を振って闊歩しております。常に自分のする事が正しいのだとして、大勢の人は、当然、誤らなくてはと思っているような事でも、それが「誤り」とは見えず、だから「謝らない」人達が目の前にうようよと動き回っているように思われます。

 最近の此の一連の出来事を、歴史的に見るとどうでしょうか。今、私が読んでいる「神様の世界」でも、日常茶飯事のように起きていたと書かれています???弟であるオオクニでも、邪魔だから殺してしまおうと計略を平気で立てます。80人もいる兄弟の中、誰一人としてそれに異議を申し立てる様な神様がいなかったということは、誠に、不可思議な現在の自民党の世界と同じだったのでしょうかね??自分たちがやりたいことに反対する人が全部敵で

     「そんな人達は・・・・・・」

と云うような発言も飛び出すのです。「誤れば謝る」と云う当り前のことが、当たり前ようになされるような社会の実現は人間社会が続く限り不可能なことではないのでしょうか???神様の世界でだってあったのですから。


もうすこしオオクニの事を・・・

2017-07-23 08:39:57 | 日記

 大国主命のおとぎ話はこれにて終了しておりますが。古事記には、まだまだ、沢山の続き話しが載っております。時間がありますのでご存じとは思いますが、もう少々そのお話を書き綴っていきたいと思います。

 さて、オホクニの兄弟は八十神<ヤソガミ>もいたのです。その兄弟(これを古事記では<ミアニ オト>と)たちは

                     “稲羽之八上比売<イナバノヤガミヒメ>”

 を娶るために、その従者としてオホクニを連れて旅していたのです。だから、その兄弟達の荷物を全部

                     “負帒<フクロヲオホセ>”

 させて旅します。だから、オホクニが兄たちの荷物が重く多いため、兄たちと歩調が合わず遅れて歩いていたのです。でも、多くにより一足速く着いた八十神達がその比売<ヒメ>に逢って「私と結婚してください」と云いいます。でも、彼女は、あの菟神<ウサギガミ>が言ったとおりにきっぱりと言い放ちます。

                    “将嫁大穴牟遅神<オホアナノムチノカミニ アハナ>”  

 「イエ、私はあなたたちとは結婚しません。オホクニと結婚します」と。これを聞いた兄たちは、驚くやら怒るやらです。そして相談して弟であるオホクニを殺してしまおうと決め、その手筈まで相談します。 計画的殺人行為です。あのスサノヲの孫たちです。そのDNAには、まだ、その心の奥底には「清明」な心ではない「悪態不止<アシキワザヤマズ>」心が残っていたのです。それがこの殺人計画に繋がっておるのです。

    


兔と海和邇

2017-07-22 07:40:14 | 日記

  因幡の白ウサギのお話は、私は、当時の出雲地方における海人<アマ>族と山辺族が覇権を争った戦争ではないかと思います。最初はお互いに自分たちの領域内で生活が維持できたのですが、生産手段の進歩により、特に、山辺族の人口増加に伴い、海人族の領地にまで侵略してきたのです。干拓か何かの問題で、両者に行き違いが生じ戦いになり、海人族は山辺族を、徹底的に、完膚なきまでに打ち負かしたのです。

 ちょっと又横道ですが、この「完膚」とは、まさに、因幡の白ウサギの故事からできたのかと思えるような漢語ですよね????。

 それはそうとして、戦いに負けた「兎族」、山辺一族ですが、行き場がありんせん。山奥に逃げ隠れするしか方法はありません。その将来を心配してわいわいがやがやと相談している所に、たまたま。オオクニの兄たち「八十神が通りかかります。兄たちは兎の話を聞き
 「塩水を浴びて寝ろ。」」
 と教えます。と云うことは、海人族の支配に入れと言うことです。「奴隷となれ」と言うのです。仕方なくその支配下になりますが、誠に厳しい生活を強いられます。死ぬほど辛い仕打ちです。そこに遅れてきたオオクニがその話を聞きます。
 「ガマの穂綿に体を包めよ」です。これはオオクが、対海人族との戦いに使う山辺族独特の戦法「ゲリラ戦法」を教示したことを意味します。あのヤマタノオロチとの戦いに使った戦法です。その作戦により山辺族は、ようやく海人族を倒し、出雲の国を統一し平和をもたらします。と云うことは、相当、オオクニ方、即ち、大和方の援助が働いたと思うのですが・・・・

 このようにして出雲も大和に与されます。大和が目指すのは、後は、吉備と筑紫を残すだけとなります。