オオクニの兄弟は云います。
”汝待取<イマシ マチ トレ>”
と。それは
「“伯伎、ハハキ>の国の手間山”に赤猪かいる。それを我々で追い出してくるからここで待っておりなさい。その猪をあなたがここで殺してしまいなさい。もし失敗したらその責任はあなたにあります。、我々はすぐにあなたを殺しますからよろしいですね。絶対に失敗しないように。」
と命令を下します。邪魔者は殺せです
ここで、また、また少々横道へ????と云うのも、この「邪魔者は殺せ」という太古にもあった発想は、今でも一部の人々の心の中に潜んで、突如として世の中に現れ出でてきます。
今日が、丁度、相模原の「津久井やまゆり園」事件から一年になります。「どうしてこのようなことを????」と人々を震撼たらしめたそれこそ怪事件でした。「役に立たないから不要だ。だから、殺せ」と云う何とも理解しがたい独断で、その人しか持ちえない偏見としか言いようのない事件でした。でも、犯人の気持ちを、「分かる」とする人も、この世には、沢山、まだいるように思えます。「人とは」ということが何を意味するのか、「社会」や「共生」と云う仕組みは一体何か?を考えない人がいるのです。単に「社会の邪魔者は殺せ」と云うただそれだけの思いから、そうです、人間のと云うよりか人間社会の存在の基本を考えない人はいっぱいいる社会です。残念ですが、その考え方は、今私は書いているオオクニの時代にから、既に、存在しており、未だにその対策が見つからないままに社会は進展しているのです。進展していると言う言葉はこの場で適切か適切でないかは分かりかねますが。
まあ、この事件を、もう一度みんなして、その意味を考えてみる必要があるようう思われます。「カケイ」だとか「カイテナカッタ」だとか訳のわからんことばかり云い張らないで。国会でも此の事件のもつ社会的意味をもう少し討論してみてはいかがでしょうか???