私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「十拳剱」・・・そんなものでオロチが切れる???

2017-07-05 06:40:35 | 日記

スサノヲは酔い寝てしまったオロチを十拳剱で

                           “切散其蛇者<ソノオロチヲ キリ ハフリ タマイシカバ>”

 いくら腰に“御佩<ミハカセル>”刀であってしても、杉や檜の大木が生えているような大きな山のような体が切れるのでしょうかね。そこら辺りにいる蛇(くちなわ)を切り殺すのではありません。あたかも、蛇に立ち向かう縫い針のごときの小さな刀です、そんなものでオロチが切れるでしょうか、宣長もそこら辺りの説明は何もしておりません。推量してみるに「十拳」ですから幅が手を十握りした位の大きさでしょうか、すると50cmぐらいはあったのでしょうか。第一、当時は日本の弥生時代の初め頃です、「鉄」など日本にはなかった時代です。漸く青銅の剣が出来たぐらいの時ですから??????
 まあ、それは兎も角として、朝、酒をたらふくに飲み、良い機嫌になって酔い寝てしまっているオロチをスサノヲは切り殺してしまいます。どのような方法で、また、どれだけの血が流れ出たのでしょうか。

                           “肥河変血而流<ヒノカワハ チニナリテ ナガレキ>”

 その説明は、たったのこれだけです。川が流れ出る血によって真っ赤なったという話は、吉備の国にもあります。

 「吉備の国に百済から鬼がやってきて、住民に危害を加えます。その鬼を退治しに中央から来たのが「桃太郎」事「吉備津彦命」です。鬼と弓矢で闘いますが、二人の力は同じで、なかなか、決着がつきません。それは、二人のそれぞに放つ矢が、その中間地点で衝突して海の中に落ちてしまうからです。それを知った命は、一度に二本の矢を放します。すると、一本の矢は向こうから飛んできた鬼の矢に当たり海に落ちますが、もう一本の矢は突き進んで、鬼の目に突き当たります。すると、鬼の眼からはものすごい血が流れだし、辺りを流れる川は、たちまちに血で真っ赤になります。」

 こんなお話です。でも、出雲のオロチから出た血は吉備の鬼どころの騒ぎではありません。何せ、山のような体から流れ出る多量の血ちです???。今、テレビでは、島根県の昨夜からの大雨の被害情報が流れていますが、この「オロチ」の血による被害はそれよりももっと大きなものでは無かったかと思われますが、何も書かれておりません。なお、吉備では、流れ出た後の話も次々と書かれておりますが・・・・・


高松地域協働学校って???

2017-07-04 10:01:08 | 日記

 「高松地域協働学校ー高松歴史を教室~高松地域に学ぶ~」というのは、高松地域に住む中学生を含め、人々が、自分たちの地域にある歴史的文化財を深く理解して、その保存と維持のために積極的に働く意識を育ることを目的とした地域活動を云うのです。その学校が3日に高松中学校で開かれました。中学生や地域の人達60~70人の1時間30分にも及ぶ勉強会でした。

 今回は吉備津地区にある旧石器・縄文時代の石器が出土した「吉備津西杉尾遺跡」の説明です。私が持っている石器(これはこの地域から出土したものではありませんが)を実際に手にして、それら石器の感触に触れながら、当時の、この地域の先人の思いにまでその思いを馳せてくれたらばとお話させていただきまし。30度近い教室で興味を持って熱心に私の話を聞いてくれました。若い彼等の感想と思ったのですが、予定していた時間をオーバーして話が半端になってしまい、今日の歴史教室終えました。
 なお、用意していた「勾玉」を中学生の参加者全員にと思っていましたが、予定参加人数を大幅に越して、1年生から参加ししてくれた人には残念ですが渡してやることがで見ませんでした。亦の時に渡してやることを約束して今日の会を閉じました。

 なお、時間の関係で、十分ではなかったのですが、私が持っている例の石の利用方法も考えてもらい、実際に「縄文の火起し」も体験させました。

              


アメリカからの留学生が吉備津神社に

2017-07-03 05:56:08 | 日記

 昨日、アメリカ等からの岡山大学へ来ておる6名の留学生が、「地域住民と地域文化との係りについて」と云う事をテーマに、高松城・造山古墳・吉備津神社を視察しました。
 先ず、公民館で岡山の文化や高松地域の文化活動に付いて説明を受け、地域の概要を理解したうえで、夫々の場所を見学しました。高松城跡では、自分達の持っている「城」のイメージとは随分違っていて、「こんな場所が??」と、大変驚いていました。次に行った「造山古墳」では、「どうしてこのようなものがここに」という、この存在意義までに考えが至らなかったのが現実ではないかと思います。最後に、吉備津神社です。三味線餅つき保存会の実演を見学して、その威勢のよさに驚き、出来上がったお餅に舌鼓を打ちながら、此の独特のこの地域にしかない伝統行事の面白さをじっくりと味わっておりました。その後、藤井宮司の神社の説明を受け、お祓いを受け神殿まで登壇して、この神社に伝わる不思議な参拝の作法を体験しました。最後に、お釜殿の見学でしたが、鳴釜の不思議な現象までは理解が得られなかったように思われました。

 約六時間の、彼等にとっては意義があったのか、それともなかったのかは分かりませんが、留学生らしい真摯な態度での視察ではなかったかと思いました。

   

                     


“飲其酒<ソノサケヲ ノム>

2017-07-02 07:31:26 | 日記

  “八佐受岐<ヤツノ サズキ>を設えて、夫々に酒樽を置いておきます。二日酔いを覚ます為の朝の迎え酒がちゃんとそこに御親切にも置いてくれてあるのです。誰だって「飲まずにおれようか」とばかりに、「何はともあれ、まずは」と、その酒に飛び付きます。昨夜の戦勝祈願のための深酒の上に、それも八つ総ての頭を、同時に、酒樽に突っ込んでです。
    「出雲にも、こんなうまい酒があったのか」
 とばかりに、一機に揉み干してしまいます。植木等ではないのですが、体にいい分けがありません。酔いが急に体じゅうを襲い、体中の力が抜けます。すると、どうなると思われます。オロチも人と同じです。まず、

                  “於是飲酔死由伏寝<ココニ ノミエヒテ ミナ フシネタリ>” 

 と、寝てしまいます。全く人間と同じです。それだけオロチが酒に強かったのです。スサノヲが、かって、アマテラスの神殿で酔った時は、眠らないで、お酒を神殿中に嘔吐したとありますから、オロチは相当に酒が強かったのでしょうね????それでも、その伏寝する様子が「死由」なのです。あたかも死んだように正体不明の如くにという事を云い現わしているのでは???????宣長は、これを<ミナ>と読まして、「死んだように」ではなく、八つの頭総てが「皆」だと説明がありますが。
 「動かざること山の如し」のような、そんな巨体を「速須佐之男命<ハヤスサノヲノミコト>」は、いったいどうやって退治したのでしょうかね。八っも頭や尾があるようなオロチをです。


 吉備であろうが出雲であろうが??

2017-07-01 06:30:44 | 日記

 それだけ綿密な計画を立てた所に、「遠呂智」は堂々とやってきます。

                   “信如言来”

 と、その様子を、たった4文字で、いとも簡単に古事記には書いてあります。「本当にアシナズチが言ったようにくる」。読んで字のごとくです。これを<マコトニ イヒシガ ゴト キツ>と読んでいます。「如」だから翁が言ったような形をして現れたのです。スサノヲは始めは頭と尾が八つもあるような、そんなオロチがいるなどと云う事を余り信じてはいなかったのではないだろうかと、この四文字から読み取ることができます。それくらい非現実的な場面への遭遇です。しかし、そんなオロチが目の前に現れたのですから、スサノヲの驚きはいくばかりだったでしょうか。でも、「よし、待っておれよ。今に退治してたやるから」と云う強い信念さへ、このたったの4字の中には伺えるような気もします。
 そのように満を持して待っております。一方、オロチはと云いますと娘を食べるどころではありません。そこら辺りから来る何とも言えない香ばしいような甘ったるいような匂い。何にましてもその風の誘いにはかないません。ずるずると、その匂いのしてくる方に頭が向来ます。

                 “毎船埀入己頭飲其酒”

 <フネゴトニ オノモオノモ カシラヲ タラシテ>と読んでいます。「埀」は酒を入れた樽(船)にすべての事を優先して突っ込むという意味があります。オロチはそれくらいお酒が好きだったのでしょうか。・・・酒を供えると言うことは、そうではなくて、古来から、酒を神に捧げ、戦勝祈願の神事が、常に、行っていたのです。そのことを大げさにここでは書き現わしているだけの事です。現在、神社にお参りした後に見られるの直会(なおらい)裳この習慣が残り伝えられたものだと言われております。これはスサノヲ側の神事なのです。オロチが法は昨夜その神事は済ましておったと私は思われます。オロチは昨日の酔い覚ましのためにと思ってそこにあった酒を飲んだだけだと私は思うのですが???

 以上、こじ付け談義です。お笑いください。