私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「オロチ退治の場所は、出雲でなく、備前だ。」

2017-07-11 06:36:27 | 日記

 安永年間(1780年ごろ)岡山藩の上級武士で、早くから隠居して気ままに自分の趣味に打つこんだ「

                           “土肥経平<ドヒツネヒラ>”

 と云う人がおられました。著書に

                         「寸簸之塵<キビノチリ>」

 があります。「キビノチリ」、即ち、吉備の地理の事をいろいろと書いた本です。
 此の中の最初に「石上韴霊社」や「簸川」についての記事が見られます。此の中で、彼は「スサノヲ」(素盞鳴命)が葦原中国に降り給う場所、かの脚摩乳手摩乳に合った場所、を「出雲」ではなく、「備前」であったと、古事記にはない説を書いたのです。この説に付いて、本居宣長も知っていたのでしょう 次のように書いております。

 “「此の剱吉備邇在る」とあるにつきて、須佐之男命の蛇を斬たまひしも、実は備前ノ国なり。故に簸ノ川といふも備前にあり、出雲の斐ノ川にあらず、と云う説もあれど、信<ウケ>られず”

 と。きっぱりと此の土肥経平の説を否定しています。私もそれでいいのではと思っておるのですが、どなたかご意見はございませんか???

 


都牟刈之大刀は片刃あk???

2017-07-10 08:41:13 | 日記

 スサノヲの剣を毀したオロチの中の尾からとりだした大刀をスサノヲは

                   ”此大刀思異物<コノタチヲ アヤシキモノト オモホシテ>”

 「異物」を<アヤシキモノ>と読ましております。大変な奇異にな物です。不思議な大刀です。スサノヲは自分の携えている刀が他の誰よりも一番上等な物と思っていたのですが、それ以上の刀が出てきたのです。驚くやら感心するやらです。早速、それを高天原の姉「アマテラス」の元へ送り届けます。ということは、オロチとの戦いでの戦勝品として、報告かたがた送り届けたのです。これを、史実に基ずいた話にもどすと、本当は、大和の国王に、吉備国を征服して、そこで作られる鉄迄も完全に掌握したことを得意になって、その刀を添えて報告したと云う事を物語っているのだろうと私は思うのですが??????
 この大刀こそ

                  “草那藝之大刀<クサナギノタチ>”

 です。書紀の“草薙剱<クサナギノツルギ>”です。

 なお、この大刀<タチ>とは「物を断ち切る」の「タチ」で、両刃のものを呼び、一方「カタナ」は片方だけに刃は付いているから、片薙<カタナギ>で、それが「カタナ」になたっと宣長の説です。では、「大刀」と「剱」とはどのような違いがあるのでしょうかね。

 

    


“都牟刈之大刀”は、最新の科学力を駆使して作り上げた古代の吉備の刀では

2017-07-09 09:17:05 | 日記

 <ツムガリノタチ>と読みます。オロチの中尾から取り出したタチ[大刀]です。この刀はスサノヲの十拳剱<トツカツルギ>とどう違うのでしょうか???これも何も説明がありませんので分かりかねるのですが、一つだけ分かることがあります。それは

                       “御刀之刃毀<ミハカシノ ハ カケキ>”

 です。スサノヲが使った十拳剱の刃が欠けていたのです。ということは、オロチの尾に有った剱の方が堅く強く、その上、良く切れる刀だと言うことを証明しております。常識的に考えられることは、スサノウの剱は写真のような青銅製の刀で 

                          

 一方、オロチから出てきたのは

                        

 のような鉄製の刀だったのではないかと想像していますが????
 そのようなことから、更に、頭を廻らすと、このオロチ、益々、当時の吉備人でという思いが深く心を横切ります???その吉備の強くて切れ味のいい鉄剱、更にその元となった鉄を得たいがばっかりに、大和の勢力が出雲の勢力と協力して、吉備を征服したと言う事を物語っているように思えるのですが????

 そんなことをつらつら考えておりますと、このオロチ、吉備に伝わる物語「温羅<ウラ>」ではないかなとも考えられます???雄大な一ロマンを含んだ物語にも展開することが出来るように、密かに、私はニヤニヤしながら思っております。


十拳剣の形は???

2017-07-07 13:22:42 | 日記

 オロチの“中尾”を切り裂いていた時、何かに当ったのでしょうか、「かちん」と音がします。怪しみてスサノヲは、ご自分の十拳剱を見ます。すると、刃が欠けております。どうして欠けたのかと、更に、その辺りを刀の前で裂いて見てみます。それを

                          “以御刀之前刺割而<ミハカシノ サキモチテ サシサキテ>”

 と書いております。「御刀之前」ですから「切っ先です。鋭い切れ味があるだろうと想像するのですが、昨日ご覧いただいたような石剣であるならば、そんなにうまくは切り裂くことはできないと思います。結局、少々は時代的な差異はありますが、この場合の剣は五世紀の終わりごろに造られたあの稲荷山鉄剣のような刀ではなかったのでしょうかん???

 その刀の写真を

                            

 これだったら、切っ先で十分オロチを切り裂く事が出来ます。昨日の石刀ではどうもね

                          


上古の刀って

2017-07-06 07:54:39 | 日記

 スサノヲがオロチを“切散<キリ ハウル>”です。退治しますが、その刀が

                    “十拳剱<トツカツルギ>”

 です。此の刃はどんな形をしていたのでしょうか???先ずは、弥生時代の青銅製の銅剣です。

                     

 総て両刃で、このような剣では、とてもオロチは切れないのではと思いますが???むしろ、それより古い時代に、縄文時代にです。何か呪術の道具として使われたのではないかと言われている石剣のような刀ではなかったのではと思っております。その石剣を持っておりますので、写真でどうぞ。

         

 右の写真はその石剣の「切っ先」です。日本刀の「切っ先」とは随分形が異なりますが??血抜きの細い溝まで付けられています

 まあ、それは兎も角として、スサノヲはオロチを退治します。所がです。その「中尾<ナカノヲ>」ですから、何番目の尾でしょうかね。八つある尾ですから???まあ、そこら辺りの尾を”切散”った時にそこにあった剣に触れて

                 “御刀刃毀<ミハカシノ ハ カケキ>”

 です。刀が毀けていたのです。