私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

上西門院のおさとし

2017-10-26 07:35:13 | 日記

 何処ぞに穴があったら入りたい気持ちの小宰相のことを慮って「・・・ふみかえされてぬるる袖かな」と、我が思いを切実に書き綴った通盛からの文をお読みになった後で、誰に云うともなくおっしゃいます。

 「これは、会わぬのを恨んだ文じゃ。あまりに情の強さも、かえってあだとなるものですよ。」

 と、その後は、先年の小野小町の話を例にひきながら、汲々と身をちぢ込ませている小宰相に、特に、申されます。

 「この小町と云う人は余りにも情が強く、人になびかず、人に思いをつもらせたあまり、その報いで、ついには雨風さへしのげぬあばら家の中で、ひとり涙にぬれて夜を明かし、かろうじて露命をつないだのよ」

とお話になり、
 「さればこのような返事を}
と、かたじけなくも硯を引き寄せ、自らご返事をお書きあそばされたのです。その文の最後に認められた歌が

         “ただたのめ ほそ谷河の まろ木ばし
                              ふみかえしては おちざらめやは”

  です。恋文の代筆をその場で書かれたのです。それぐらい女院は小宰相を可愛く思われていたのでしょう。


“ふみかえされて”と京マチ子

2017-10-25 07:17:42 | 日記

 懸け詞です。「ふみ」、手紙を返されて、私の涙で袖はいつも濡れていますよ。どうぞ私の気持ちをお察しくくださって、何とかご返事ください。と云う意味を込めた歌です。もう一回その歌を

       ”我が恋は ほそ谷河の まろ木ばし
                            ふみかへされて ぬるヽそでかな”

 です。しかし、ご存じでしょうが、今、普通に我々が読んでいる平家物語とは、少しばかりその内容の異なる「長門本」があります。それに書かれている通盛の歌は

       “踏みかへす 谷の浮橋 うき世ぞと
                           思ひしりても ぬるヽそでかな”

 です。この歌には「ほそ谷河」と云う名前はありませんが???

 このようにそこに書かれている歌の内容は、聊か、違いがるものの、兎も角、「この落とし主は誰ぞ」と、女院はお尋ねになられます。しかし、女房達からの返事はありません。しかたなく、心の中では、薄々とは察しておられたのでしょうが、そのお文を声に出してみんなの前で御読みになられます。その時の小宰相の気持ちはいかほどだったでしょうか、平家物語には何も書いてありませんが、お察しください。

 これ又、この場を演じるとしたらいかなる所作で、十二単衣の女優さんは演じるでしょうか。考えても楽しくなる場面ではないでしょうか。登場人物の心のありようを写し取る難しさが分かるような気がします、私はあの大女優の京マチ子の姿を思い浮かべながらこの文を書いております。

 、


拾われたラブレター???

2017-10-24 11:43:55 | 日記

 小宰相は平通盛からの玉章、<ラブレター>の置き場が無かったものですがら、袴の腰に挟んでいたのですが、その挟んでいることも忘れて、それだけ真剣でなく無視していたのでしょうか??上西門院のお側で何やかやとお仕えしておりました。その途中で、腰に挟さんでおいた手紙がどうしたことか落ちてしまいます。それを見つけたのが女院なのです。女院は

 「これはよい物を拾うた。此の持ち主は誰かしら??」

 と、大勢の女房の前で、嬉しそうにお尋ねになります。みんなは「知りません」と。ただ、小宰相だけは顔を真っ赤にして、うつむいたまま、何も言いません。でも、女院は、かねてから平通盛が小宰相に思いを通わ、せしきりに手紙を送っていると言う噂を聞いておりました。誰も「私のでございます。」と、名乗らないものでえすからその文をおあけになられます。その手紙には香がたきこめられ、筆の跡も見事で、
  「やすく人になびかぬあなたの心強さも、今はかえってたのもしく覚えて・・・」
 と、こまごまと情を述べたものでした。そして、その最後に一首の歌が認めてありました。

                    “我が恋は ほそ谷河の まろ木ばし
                                                                   ふみかへされて ぬるるそでかな”

 この歌に詠み込まれている「ほそ谷河」が、我が町吉備津にある
                      
                     ”細谷川”

 です。どんな川だとご想像されますか。写真をどうぞ!!!誠にちっぽけな字にある通りの細い谷川です

 

                   


通盛の一目ぼれ以来3年が立ちます。

2017-10-23 08:06:45 | 日記

  その間、ただ空しく通盛の玉章(たまずさ)が増えるだけです。相手小宰相からは、梨の飛礫(つぶて)です。それでも、これでもか、これでもかとばかりにラブレターを毎日のように送り続けます。それも3年の間に彼女一人にせっせとですよ。此の通盛の執念に近い思いをあなたは如何に思われますか???。殆どの男なら、
 「もうええかげんにせいや。これだけ誠意を尽くしてもまだ何にも返答すらしない女性って、あれはなんだ。自分の美貌を笠に着て、つんと澄ましている京人形のような血の通っていない木偶の坊ではないか。もう諦めた・・・・・。」
 とばかりに、他の女性に秋波を送るのではないでしょうか???でも、通盛は、3年間、ただ一人のこの女性に思いを投げ続けたのです。それでも一向に埒が明きません。とうとう。「これで、彼女から返事がもらえないなら諦めるより仕方ない。これを最後にしよう。」と思い、最後のラブレターを書いて使いの物をして彼女の家に届けさせるのです。まんの悪い時には悪いものです、生憎と、何時も手渡している小間使いの女性が居ず、手紙を手渡すことができません。、使いの者は致し方なく、
 「これで総て主人の3年間の恋は終わりだなあ・・・・・・」
 と、独り言をつぶやきながら帰路に着きます。するとどうでしょう、。大通りにさしかかった所で、小宰相の乗った牛車が目の前を通っているではありませんか。それを目ざとく見つけた使いの者は、してやったりとばかりに、その車の傍を通り抜けるような格好をして近ずき、主人通盛からの恋の手紙を、その車の御簾の間から差し込むように投げ入れます。それから暫らくして車が上西門院の御殿に到着します。降りようとすると、白い紙きれが御簾の傍に落ちているではありませんか。

 「おや??何だろう」

 と小宰相は思いながら拾い上げます。供の者に尋ねますが、分かりません。そこで、その紙きれを開き、目を通すと、例のいつもの通りの通盛卿からの玉章です。「またこんなものを。・・・」と思いながら、大路に捨ておくことも出来ず、仕方なく、ご自分の袴の腰にはさんで女院のお側に上がります。そして、何時ものように女院の前で宮仕えをしておりました。

 さてこの結末は???また


「ぬばたまの 夜はいでなむ」

2017-10-22 08:20:03 | 日記

 「今すぐではありませんよ。夜が明けて、そして、やがて夜になるでしょう。そうしたら」

         “用波伊伝那牟<ヨハ イデナム>”

 「夜になったら、戸を開けて待っていますから出ていらっしゃい。それまでの間にそんなに騒がしく声を荒げないで待っていてくださいね」と諭すように沼河比売は歌います。
 ちょっと冷やかし半分に歌った第一章のヒメの歌の内容とは随分な違いがあるように私には感じられてなりません。どうしてこんなにも、その歌の内容がちがたのでしょうかね???私は、此のヒメの後ろに、誰か姥みたいな人は付いて、どう歌えばよいか入れ知恵をしていたのではないかと思われるのですが?????

 此処で又、チョット???話が飛ぶのですが、「私の町吉備津」には、古今集に「・・・・吉備の中山帯にせる 細谷川の音のさやけさ」の歌がある小川が流れております。その川に関した面白い話が平家物語にあります。そこに出ている話が、この沼河比売のお話とまんざら関係が無いとも思われませんので、横道へそれるのですが、少々長くなりますが、お聞きください。

 古事記を離れて、平家物語は語ります。
 
 時は安元の春のころ、まだ平氏に勢いがあった時です。上西門院の女房で、禁中第一の美女と歌われていた小宰相と云う人がいました。まだ16歳です。上西門院のお伴をして法勝寺に花見に行った時のことです。たまたま、そのお花見の警護をしていたのが平家の若武者「平通盛卿」でした。この人が小宰相を一目見て、その美しさにたちまちトリコになり、下世話に言う「ほれた」たのです。それからというもの、平家物語には、次のように書かれております。

    “・・・初めは歌を詠み、頻繁に文を通わせたが、玉章の数が増すばかりで、うけいれられる気配はさらになかった。・・・・」

これが、この話の「はしり」です。もう少々、ちょっとばかりお付き合い下さいな。なお、玉章(たまずさ)とはラブレターの事です。老婆心ながら・・・