私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“那古斐伎許志”は「な恋詔ひそ」です。

2017-11-24 09:05:18 | 日記

早く早くとじれったく思っているオホクニに対して、 “阿夜爾<アヤニ>”です。「そんなに甚だしく、急かせないで」とです。ゆったりと「オホクニ」の逸る心を落ち着かせようと家の中から声が響いてきます。その言葉が

                    “那古斐伎許志<ナコヒ キコシ>”

 です。「な・・・そ」で、「決してキコ(詔)すな」です。あなたが今しているような無遠慮な、格好の悪い「、あなたを恋こがれている」等と、そんな大きな声を上げないで、暫くの間、冷静に待っていてくださいな。ことらにはこちらの都合もありますからね。 
 と云うぐらいな意味になります。それにしても冷静でしょう!!!うら若い乙女では決して考えつかないような内容の歌です。                       

                  

 


“多麻傳佐斯麻岐<タマデ サシ マギ>”とは

2017-11-23 09:44:23 | 日記

 玉手差纏(たまでさしまき)で、 「玉のようなあなたのその白くて強い手を私の頭に挿しこんで」と云う位の意味だと思います。その後は

                “毛毛那賀爾。伊波那佐牟遠<モモナガニ イハナサムヲ>”

とあります。遊仙窟では“摩挲髀子上。一齧一快意”のような卑猥な表現はありませんが、でも、これは、そのことを強く印象づける「股を長々と伸ばして、一緒に寝ましょう」という意味になります。

 なお、ここで言う「伊<イ>」とは「寐<イ>」で、「寝る」と云う意味です。随分と相手の人の気を引くことばではないでしょうか。それを聞いているだけで、いくらしても開けてくれない戸の外で待っているオホクニはどんな気持ちでいたのでしょうかね??????それこそ、遊仙窟では、朝を告げる鳥の声を聞いて”薄媚狂鶏<ナサケナキクルイドリ”と男を歎かしたのとは違って、早く夜が明けてくれないか「鶏よ。早く早く鳴いてくれ・・・・」と、ため息交じりで待っていたのだろうと想像します。、あの大黒様でさへ、そんなせつない体験をしたのですよ。神様の恋も、なかなかおつなもんだと思われませんか???特に、このオホクニの恋は大変面白いですよ。神様の中では飛びぬけております。このように恋の仕方を熟知していたオホクニをお祭している出雲大社ですから、このお社が「縁結びの神」と云われている所以なのですよ???


曾陀伎<ソダタキ>

2017-11-22 08:31:52 | 日記

                    “和加夜流牟泥<ワカヤル ムネヲ>曾陀多伎<ソダタキ>”

 この「曾」ですが、例によって、宣長の説から、彼は言います。

 「曾<ソ>」とは、曾と叩くと言う云ことなり。凡て事を緩く和やかにするを、曾登<ソト>とも、曾々登<ソツソツト>とも、曾呂理登<ソロリト>とも云うは、みな此の「曾」なり」と。

 これが「遊仙窟」に書かれている“「拍榒奶房間」とよく似たることぞ”と書かれているその通りのことだと説明があります。そして、家の中から

                ”多多岐麻那賀理<タタキ マナガリ>”

 と、続いて歌が響きます。「胸を叩きながら、お互いに抱き合いましょう」です。随分と思い切った歌の内容です。どう思っても、これらの歌は乙女の言葉ではないと思います。誰ぞ側に姥などの人がいて、比売に替って云ったのではないかと思うのですが、どうでしょうかね????

 この部分も、「古事記」きっての、かの遊仙窟と同様に、随分と怪しげな秘め事を巧みな言葉で言い表わししていると思われます。あまり一般には言い伝えられてはいないのですが???


再び「沼河比売」の歌に・・・・

2017-11-21 09:27:05 | 日記

 少しばかり道草が長くなりましたが、再び、古事記へ戻ります。

 オホクニは越の国に大変美しい乙女がいると聞いて、妻にと出雲からはるばるやってきて、その家の前で、「君恋し」と大声で歌います。あまりにもその方法が強引過ぎたのでしょうか、比売はなかなかその戸を開けようとはしません。その時に、二人が互いに詠みあった歌が残っております。比売が歌ったその二番目の歌が、少々、乙女らしからぬ少々卑猥な感じさえするものですから、誰かの入れ知恵だったのではないかと私は思っておりますが????その歌は

            ”多久豆怒能 斯路伎 多陀牟岐<タクズヌノ シロキ タダムキ>”

 「あの力強い栲綱(たくつな)のような強くて真っ白な腕」をです。その腕で

            “阿和由岐能 和加夜流 牟泥遠<アワユキノ ワカヤル ムネヲ> 

 「淡雪のようなふんわりとしたやわらかな私の胸を」と云う意味です。なんと洒落たことばではないでしょうか、こんな言葉が一杯にちりばめられているのですよ、古事記には。改めて「素晴らしい名著だ」と、何回でも書いておりますが・・・

 さて、宣長は、、この<タダムキ>腕についてですが、この腕は、沼河比売の腕ではなく、オホクニの腕でだと解説しております。

まあ、久しぶりですので記憶が薄れてしまわれたお方もおられるかもと、”曾陀多岐<ソダタキ>”の前の状況を蛇足的に書いておきます。


“俄頃中間。数廻相接”

2017-11-20 10:37:11 | 日記

 二人は、それからしばらくの間に(俄頃<カケイ>とは「しばらく」と云う意味です)数廻<アマタタビ>、それが

                   “難逢難見可貴可重”

 な体験だったので、

              ”相接<ミシハル>”

 「アイマジエタリ」と説明がしてあります。
 
 さて、随分と遠回りしましたが、「遊仙窟」のお話はここで打ち切り、明日からは、また、オホクニと沼河日売のお話に戻しますのでご期待?????ください。