私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“始知難逢難見 可貴可重”

2017-11-18 09:55:39 | 日記

 「小間切れだね。」と嘲笑は覚悟しておりますが、今日も、又、その時のえもいわれぬ快感を書き表している文をご紹介しますか、その前に、今までの大変淫乱な文章をまとめて書いておきますので目を通してください。

            “摩挲髀子上。一齧一快意。一勒一傷心。鼻裏痠虎。心裏結繚。少時眼華耳熱。、脈脹筋舒。”

 <モモノアタリヲ ナデナスリ。 ヒトタビクチスヒ ヒトタビココロ ココロヨキ。 ヒトタヒイタキ ヒトタヒココロイタマシ。 ハナノウチ シュンセイト。ココロノウチ ケツリヤウト。シバラクアリテ メカガヤキ ミミアツク。 チノミチノヒ スチユルフ>

 「ルビ」を書いておきますので、もう一度通してお読みいただけると、大変意味深な文だとお分かり頂けると思います。

 さて、此の続きですが、

                  ”始知難逢難見可貴可重<ハシメテシンス アヒカタク ミカタク タツトムヘク オモンスヘシ>”

 と。要するに、このような文政の体験は、生まれて初めて知ったことで、もう二度と逢うことができないようなの大変有難い重々しく貴い体験だったと言っているのです。
 たった十文字の中に込められた、これ以上のない最高な男の欣喜雀躍の心が十分にお読みとり頂ける文章だと思います。


男女の性的昂奮は

2017-11-17 08:54:07 | 日記

 その時、鼻が痛く感じられ心も大変気持ちよくなり、更に文政は

                     “少時眼華耳熱、脈脹筋舒<シバラクアリテ メ ガガヤキ ミミ アツキ ミャクチョウ”

 と、身も心の高揚していきます。目も耳もさらに体を通っているの血管迄もが浮きあがるほど昂奮します。それを、次のように解説しております。

 「文政ノ心ソノアリガタク、メデタキコト アイガタク ミカタク タットビ オモンズベキコトニ オモヘリ」とあります。初めての経験だったのでしょうか、それとも、十娘の体が素晴らしかったのでしょうか、それこそ天女との交わりです。人の世では味わう事が出来ないような絶好感だったのでしょうか、遊仙窟の作者はその気持ちを、これでもかこれでもかと云わんがかりに細密に巧みな言葉で以って書き表しているのです。この場面を、私が、今、書いているように小間切れで書き表して行きますと、その本来の持つ誠に淫乱な二人の行為が、なんだかごく普通の何でもない書物を読んでいるようにしか思われないのではと思いますがどうでしょうかね。字の持つ不思議さが感じられる名著だと思うのです・・・・


鼻裏痠虎、心裏結繚

2017-11-16 07:39:01 | 日記

 「一勒一心傷」の後には

                  “鼻裏痠虎、心裏結繚”

 と書かれてあります。<ハナノウチ シュンセイ> なお、「虎」ですが、遊仙窟には「疒」+「鬼」になっており、、右に<セイ>と、左には<イキタハシク>とルビがふってあり、「鼻の息が荒くなている」と言う意味です。そして、息が荒くなっただけではありません。その上、心まで「結繚<ケツリョウ>するのです。これは「心まで何か急に硬く結ばれたような感じになり、大変な心地よい気分を云います。最高の歓びに達した後の、何とも言われない、何かむなしいようであり、満ち足りた様でもあり、嬉しいようで、何か和っびしい侘びしいような、どのように言い表したらいいか分からないような誠に快感を云い表す言葉だと説明がしてあります。

                  “鼻裏痠虎、心裏結繚”

 <ココロノウチ ケツリョウト>です。


“一勒一心傷”

2017-11-15 07:49:02 | 日記

 [勒]を「イタキ」とよましております。この歓びをどう云い表していいか分からに程の歓楽を<イタキ>言い表わしております。「生々不窮」です。それが「意快<ココロ ココロヨク>」です。と云うことは何を意味するのか???言わずもがなですが、「陰陽ノ交合」と説明してあります。それが、また、男のこころ、女こころのかもしれませんが、

                 “一勒一心傷<ヒトタビ イタキ ヒトタビ ココロイタマシ>”

 へと変じて行くのです。これを、また、どう解釈すればいいのでしょうか???       身から湧き上げるうずくような嬉しさと言うより、どちらかと云うと人の心の感情を越えた、いいのか悪いのか、嬉しいのか悲しいのか、何かこころが締め付けられ、一瞬の何とも言えないような陶酔境に陥ったようなあの気分に陥る状態を云うのです。それが「心傷」なのです。「痛い」????どうでしょうかね。その時、心に湧きあがったその陶酔感が何か心を締め付け、痛めつけるように思われたからだ、と解説がしてあります。これを読んで、私には、さらに、「勒」と「心傷」の前に付けている「一」と云う字の持つ特色が文全体をものすごく文学的に高める効果があるように思え、エロチシズムと云うよりも何か崇高な文学作品の中に自然と引きずり込まれるようにさへ感じるのですが。

 まあ、81歳の老体が読む本です。そんなエログロなんて感情は、とっくの昔に何処かへ吹き飛んでしまっておる耄碌爺さんの思うことかもしれませんが。どうお思いでしょうかね????そんな人ではない枯れ木同然の者が書いておりますが、後数回、此の続きを臆面もなく書く綴ってまいります、お暇ならお読みください。


一意快

2017-11-14 07:20:30 | 日記

 何処の辺りかは不明ですが、きっとあそこ辺りではない思うのですが、「噛」だ後の心地を

                        “一意快”

 と書いてあります、。<ヒトタビ ココロ ココロヨク>この場合も、“一”<ヒトタビ>と、昨日も書いたのですが「珍しく思う心」と云うのだそうです。「意」とは文政の心に感じる自然に沸き上がりに上がる思いです。その思いが<ココロヨク>なのです。その気持ちが更に高まるのです。その時の様子を解説書には次のように書いております。

 “陰陽ノ交合ハ、イハズトモ生々不窮<メデタキ>コトハ、シンヌベシ。文政ガ生ノ歓楽ココニアリ。誠ニ絵にカクトモカウノゴトクウツスコトアタハジ”

 「生々不窮」です、男として生まれて来てから、これまで体験したことのない最高の窮まりが無いくらいの歓楽が生まれてくる、それが、「一意快」なのです。それは、更に

                      “一勒一心傷<ヒトタビ イタキ ヒトタビ ココロイタマシ>”

 となるのです。