現代は 高齢化社会。
一般的人口統計では、高齢者 を 65歳以上 と定義することが多いようですが、
今や その割合が 4人に1人 となっている というから 驚きです。
先日、67歳だという 顔見知りの女性が
「私、初めて 優先席デビュー しちゃったのよ! 悪いから座ったけど ショックだったわ~!」 と
おっしゃっていました。
お顔は歳相応でも シャキッと していて、とても 譲ってあげようなんて思えるタイプではない。
もちろん ご自分でも まだまだと思っていたのでしょう。
こういう時は 座れた嬉 しさよりも ショックのほうが大きいようです。
確かに、今の65歳 って 高齢者に入るの!? って思いません?
本人もまだそんな意識はなく、周りの人だってそんな風には思っていない。
だから、普通に座れる時は別として 席を譲ってもらったりしたら けっこうショックかも~!
もっと高齢の方だって、最初は やっぱり同 じだったんでしょうね。
それが いつしか慣れてしまうというか 普通のことのようになってしまうのかな~!?
1970年代、<お年寄りに優 しく> ということで (専用席マーク(シルバーマーク) )
電車やバスに <シルバーシート> が設けられました。
1990年代になると 優先されるべきは <お年寄り> ばかりではないだろうということから、
対象者を <乳幼児連れ> <妊婦> <からだの不自由な方> などにまで広め、
<優先席> という名に改称されました。
<身体外部に障害がある方> と <身体内部に障害を持つ方> に分けているところもあるようですし、
その付近では 携帯電話の電源をOFFにするよう 協力を求めたり、
広く知らしめたいマーク は バッチ や バッグ用のストラップ にもなるなど 工夫も見られるようになりました。
その後、
優先席利用対象者が 事業者により 設定された場所に追いやられる という形は好ましくない。
本当に必要な人が 間近の席でも利用できる ように すべき。
などの 性善説 により、思考を転換。 (※ 性善説=人間の本性を <善> とみる説。)
<優先席> という区分を廃止 して、<全席優先席> という考えかたで
取り組むところが出てきました。
誰もが どこに座っていても 気持ちよく譲れるようになりたいものです。
しかし、
<優先席> があっても、<譲ってくれない!>
<全席が優先席> になったら、さらに <譲ってくれない!>
そんな苦情は増える一方!
そこで
<優先席を増やす> とか、
再度 <優先席> を設け直すとか、
<全席優先席> という考えは残 しつつ <特別優先席> を設けるとか、
そんなお話が出ているようです。
良かれと思って しても いろいろ考えても うまくいかず、何だか変なことになっているような …。
<全席優先席> って モラル(道徳)の問題から したら
改めて云わなきゃならないようなことじゃないような気が します。
日本は 礼儀 を重んじる国。
(※ 礼儀=人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。
特に、敬意を表す作法。)
<譲り合いの精神> も 以前は 誰もが持っていたはずなのに、
そういった優 しさが どんどんと失われてきているように思えることは この先に不安を募らせます。
多くの外国では <優先席> を設けること自体が ナンセンス だといいます。
その理由は、弱者に優 しくすることは <国民性> と云えるくらい 普通のことだからなんです。
それなのに 今の日本では <優先席> を設け、
そこでさえ <譲らない>、<譲らなければいけない!> なんて場所になって しまっている!
どこであっても、 率先 して行えることが大切だと思うのに …!
だけど …、
<設定された場所に追いやられる> って なんか嫌な考えかたじゃないですか!?
<席が限定される> ということを云いたいのだとは思いますが、
この言いかたからは 被害者意識が感 じられるようで、性善説 の <善> も霞んで しまいそう!
<どの席も優先席> という考えかたは持ちつつも、それはそれで
〔 乗り降りがしやすい所に作ってくれたんだな! 〕
〔 どこからどこまで? なんて考えなくて済む わかりやすい所に作ってくれたんだな! 〕
と考えれば いいんじゃないので しょうか!?
また、<譲ってくれない!> という言葉も、どうも好きには なれないんです。
確かに、健康そうな若者が われ先に座る とか、ずっと携帯を いじっている なんて姿や、
寝た振りをする、お年寄りを目に しても 堂々と座っている などという人を見かけると、
たとえ優先席では なくたって 〔 換わってあげればいいのに …! 〕 と思うことはあります。
だけどね~!
<フーテンの寅さん> の言葉を引用させていただくなら、
<譲ってくれない!> なんて、
自らが それを言っちゃ~ おしまいよ!
と思ってしまうんです。
他人が口にするのと 自分から言うのとの違い って けっこう大きいもので、
<譲ってくれない!> も 被害者意識!
<譲ってもらうのが あたり前!> という思いがあるから出る言葉だと思うんです。
<当然の権利> みたいなものに <胡坐(あぐら)を掻く> より、
ちょっと <謙虚> でいるほうが 良いと思うんですけどね~!
以前にも書いたことがあるような気がするんですが、
高齢者の方の中には <普段は年寄りとは思われたくない> と思っていらして
実際にも とても お元気で若々しくいらっしゃるのに
そういう時だけ <当然> を 主張なさる方がいらっしゃいます。
「私は年寄りよ! だから席を換わるのは当然のことでしょう!」
はっきり口に出 して言われるかたも いらっしゃいますし、
ため息をついたり、咳ばらいを したり、わざと足にぶつかったり と 気づかせようとする方、
黙ってはいても 座りたいオーラを 前面 に出 して立たれている方も いらっしゃいます。
少し離れた位置にいるほうが あんがい しっかりと見えてしまったりするものです。
そんな風に しないほうがいいのに …!
そんな風に しないほうが 素直な気持ちで それを してあげられるのに …!
そう思うことって ありませんか?
そういう方々は 逆に
〔 もしかしたら相手には <見た目では判断できない 具合の悪さ> があるんじゃないかな!? 〕
〔 自分自身の発する <当たり前オーラ> が
それを し難く している ということはないのかな!? 〕
そんな風に思ってみることはないのかしら!? と、ちょっと残念な思いが します。
人に要求する気持ちばかりが感 じられると 気分がいいものではありません。
<当然> という言葉を <相手に向けて発する> と、どうしても自分が強くなり、
<するべきだ!> という考えかたになってしまいます。
自分では当然かなと思うようなことでも、ちょっと引いて 見たり考えたりすることが出来たら、
大きくて 丸い自分になることが出来るかも しれません。
もっと云うなら、
<当然> という言葉を使うなら <自分に向けて発信> してみたら どうでしょう!?
〔 混んでいるんだから、 座れなくて当然! 〕
〔 後から来たんだから、 座れなくて当然! 〕
そして、寛大になれた自分に
〔 私、やるじゃん! 私だってまだまだ頑張れるんだから! 〕 と 誉め言葉。
そう考えれば、譲ってもらえなくても 腹は立たない!
譲ってもらえた時には 嬉 しさが倍増 します。
座っている方だって、
〔 譲ってあげるのが 当然! 〕
〔 弱いものに優 しくするのが当然! 〕
あたり前だと思うことでも それが自然に出来た時には 嬉 しいという気持ちにはなるものです。
そしてそれに対 して 「ありがとう!」 の言葉が聞けたなら、幸せ!
もちろん これらのことは 高齢でも お元気そうな方などに
頭の片隅に留めておいていただきたいと思うことであって、 気持ちの問題 。
健常者が自然に、お年寄り(優先席利用対象者)に
そんなことを思わせないうちに換わってあげられるのが理想的(普通のこと)であり
立っているのも辛そうな方については 別格ということになります。
人は 逃げるために、また 復興のため、生きるために、 本当に頑張りました。
そのくらいの力が 人間にはあります。
優 しさだって たくさん感 じたはずです。
その時のような気持ちをお互いに持つことが出来たなら、
優先席対象者は
<譲ってくれない>、<譲ってくれるのが当然なのに …> という文句ではなく、
<これも ちょっとした訓練!> <小さな試練!> と思えられるのではないでしょうか!?
〔 どうやったら フラつかずに立っていられるか!?! 〕
〔 どうやったら 苦痛を緩和できるか!?! 〕
そして
〔 私は出かけられるくらい元気なんだから 座れなくたっていいじゃない! 〕
〔 病院に行ったら座れる! 病院でずっと座ってたんだから 立っているのもいいんじゃない! 〕
〔 家に帰ったらすぐ 横になれば いいわ! 〕
〔 この人たちだって、これから疲れることがあるとか 疲れて帰って来ているのかもしれない! 〕
いろんな状況を考えてみること。 [負]と思うことを [吉]や[良]に替えるよう心がけること。
強くなれるよう頑張ってみること。
そういうことって 自分にとっても プラスになるんじゃないでしょうか!?
また 座っている人のほうは、
〔 自分が困った時に助けてもらうことだってあるはず。 〕
〔 良いことを したと思えば 一日が笑顔で過ごせる。 〕
〔 人に優 しく出来れば、自分の得(徳)になる。 〕
相身互い、相互扶助(そうごふじょ)。 <助け合いの精神> は 地震の時に充分学んだはず。
優 しい気持ちで率先 して換わってあげられたら、その笑顔は 何よりの健康法でもあります。
笑顔は [表情筋] を鍛え、それが [若返り効果] となり、
立って揺れに耐えることは [ダイエット] にも繋がる。
<小さな一善> を しながら <自分を鍛える> ことにもなります。
率先 して <譲ってあげよう!> という気持ちにならないのは
<心が育っていない> か <衰退 してしまった> か !?
〔 立っているのは大変かな!? 〕
〔 フラついて怪我でも したら 大ごとになっちゃうよね! 〕
そんな風に 相手を思う気持ちがあれば、身体は自然に動くもの。
以前 自分がそんな気持ちで 勇気を持って したのに
「私は そんな歳 ゃないわよ!」 なんて 怒られることになってしまったり、
「いいです、すぐに降りますから …」 なんて断られてしまったり して
それが トラウマのようになり、
〔 もう 恥(?)は掻きたくない! 〕 と 自分に歯止めをかけてしまうことがありますが、
それを克服するのも ちょっとした勇気だと思います。
たとえ 2つ先の駅やバス停で降りるとしても
「ありがとうございます! すぐ降りるんですけど、ご好意に甘えて!」
なんて言って座ってくださったら とっても嬉 しいです。
もしそこまで したくなかったとしても、
「ありがとう! 次の次で降りるから大丈夫よ!」
「すぐ降りるから立ってたほうが楽なの! でも気を遣ってくれてありがとうね!」
そんなひと言があったなら、譲ったほうも気持ち良く、次に繋げることが出来ると思うんです。
先日、あるおばあさんを目にしました。 これで4度目です。
この方を見かける時は なぜか娘(次女=チッチ)と一緒にいる時ばかり!
娘と一緒なんて そんなに多いわけではなく、時間もバラバラなのに
何故だか かなりの確立で会うというのが 何とも不思議!
このおばあさんは よく出歩いている方なのだろうということが推測されます。
この方は いつも 大きな手提げ袋をぶら下げて 元気よくバス停まで歩いて来ます。
そして、人が並んでいても構わずに 先頭付近にいて、
バスが来れば 当然のごとく、悪びれる様子も無く、先に乗り込んで行きます。
しかも、出口すぐ後ろの二人掛けの椅子をひとりで占領 して、誰も座らせない!
かなり性質(たち)が悪い常習者ですが、お年寄りなので 文句を言う人はいません。
だから、よけいに大胆になってしまっているのでしょう。
娘の話によると、ある時、たぶん何度もそんな姿を見かけていたのだろうと思われる中年男性が
「みんな並んでいるんですよ!」 と注意 したらしいんですが、
その時だけは スゴスゴと列の後ろに並んだものの、
反省する様子は無く、今も <横入り> は続いているようです。
この日、この方より先に もうひとりのおばあさんが、私たちより数人 後から来て
「すみません。 ちょっと掛けさせてもらってて いいですか?」 と 丁寧な感 じで、
立って並んでいた私たちより前のほう、先頭付近のベンチに座りました。
そして この方も、意外なほど悪びれる様子も無く、先に乗り込んで行かれて、
常習のおばあさんと同じように、
反対側の二人掛けの椅子をひとりで占領 して、誰も座らせてあげることはなかったんです。
こんな方は おじいさんにもいるようで、
荷物を先頭の辺りに置いて 一応列には並ぶらしいのだけれど、
バスが来ると その荷物を取りに行くような振りをして先に乗り込む という手を使われるようです。
こういうこといって 伝染するんで しょうか!?
たとえば、普通に並んでいた おじいちゃんおばあちゃんが
誰も何も言わないこんな状況を目撃 して
〔 これって許されるんだ! 〕 と思ってしまうとしたら 怖いです。
残念な後日談。
このお話を投稿 して2週間ほど経った ある土曜日、
娘と一緒に 彼女の誕生日プレゼントを買いに行った帰り、
また 別のおばあさんに遭遇 してしまいました。
この方は 私達の後ろに並んでいら したおばあさんに声をかけ、
「このバス、○○○(バス停名) に止まりますか?」 と聞きました。
聞かれたおばあさんは バス停の名前がわからない様子。
すると 「バーミアンの角を曲がったところなんですけど …」 と。
それでも 聞かれたおばあさんは わからない。
そこで 私が 「止まりますよ。」 とお教え しました。
すると このおばあさんは 「あっ、止まりますか!」 と 言った後
話 しかけたおばあさんに 「よくわからなくてね~!」 などと さらに話 しかけ、
「混んでるから ここに一緒 にいて いいわよね?」 と言い出 しました。
〔 あ~ そういうことだったのね! 〕
狙いがやっと飲み込めました。 この方も常連さんです。
ずっと以前、こんな人に話しかけられたことがあることも思い出 しました。
(同 じ人なのかは不明!)
この方は 声をかけたおばあさんに変に思われないよう 親 しげに話 しかけ続け、
バスが来たら 先に乗り込んで、
「場所、取っといたわよ~!」 なんて 良い人を演出 していたから 凄すぎる!
元気バリバリなのに、そこまで してでも 座りたいの!? と 呆れます。
それに しても、どう して娘と一緒の時に こういった方に会うのか、
どう して こんな 非常識な方が多いのか、 本当に不思議でなりません!
ちゃんと並んでいる方のことを思うと、なんだかとっても嫌な気分!
後から乗ったって 優先席には座れるはずなのに、何故 そこまでするのでしょう!?
何故 そうなってしまうんでしょうか???
いつから こんなことが 普通に 出来てしまうようになるのでしょう!?
<お年寄り> は <弱者> だから、何でも許されると思ってしまうんでしょうか?
歳を取ると、昔より鈍感になるというか 図々 しくなってしまうところがあるのかも しれませんが、
<開き直り> みたいな行動は 見ていて良い気分は しないものです。
私たちがすぐに換わってあげられなかったから こうなってしまったのかしら!?
だけど こういう方たちの特徴って、
ホントに換わってあげたい と思うようなお年寄りより シャンシャン していて とっても元気そう!
だから、余計に 〔 なんだかな~!〕 という気が してしまうんです。
それに バスの優先席は特に、
座っていて換わってあげない人って そんなにはいないと思うんです。
だったら 何?
優先席に座りたくないの?
それだって、ちゃんと順番を守った上で 空いている席に座るのが常識でしょう。
どんなに高齢者でも みなさん そうしていらっしゃるんです。
どうしても座りたい場所があるなら 一台待つくらいの気持ちでいたほうがいいのでは …?
自分はズルをしておいて人を座らせないって、どれだけ 常識からはずれちゃってるんでしょうか!?
それが毎度ともなると <感 じ悪い> のを通り越 して <不快> な気分になってしまいます。
こういう姿を見ると、
いつ頃から <良識> というものが 無くなってしまうのか!?
どこから 切り替わってしまうのか!? と 不安になります。
もちろん、常識のある人のほうが多いというのはわかるんですが、
<高齢者だから労わってもらえて当たり前> みたいな考え方を 自らが してしまうと
<可愛くないお年寄り> になってしまって、
返って 労わってもらえなくなってしまうのではないかと気になります。
これでは 若者のことなんて言えませんし、云う資格もないでしょう。
高齢者は 譲り合い、助け合ってきた時代に生きて来た人たちのはず!
そういったものを持ち続けて 若い人たちのお手本 でいてほしいのに、
いつの間にか 自分にだけ都合の良い <甘え> が強くなってしまっている人がいることが
なんとも切ない!
<時代> が そうしてしまったのか!? と思ってみたりするのだけれど、
そんな人ばかりではないのだから、
やっぱり <生きて来た過程> や <性格> の問題 なのかも しれません。
電車やバスに乗ると、いろいろな場面に遭遇するものですが、
歳を取っても こうはなりたくない という見本 のようで、
気をつけなければ と 考えさせられる出来事でした。
本当は 良識のある人のほうが多いはずなのに、目立つのは そういったものが欠けている人のほう!
そっちが それぞれの代表のように思われたら 悲しいわよね~!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
まだまだ頑張って行きましょうよ … ということで
2007(平成19)年 1月24日発売、
南部直登 さん の 『盛春歌(せいしゅんか)』
(作詞 = 克舟 さん /作曲 = 南部直登 さん)
「気がついたら こんな年になっていた
力道山の空手チョップをまねして 長嶋野球にあこがれた ほんの少し前だったのに」
「今じゃ可愛い孫もいて おじいちゃんと呼ばれてる
でも 老け込む年じゃない 今が盛りよ 人生は 唄ってみせるぜ 盛春歌」
「気がついたら こんなおなかになっていた
テケテケエレキや若大将にシビレ 反戦歌唄い スクラム組んだ ほんの少し前だったのに」
いつの間にか年齢を重ね、若い時とは明らかに違うものが …!
それでも、それを当然と思わず、いつまでも 何か したい、何か出来ると思っていたいものです。
<年寄り> だなんて諦めずに頑張っているうちは ずっと 盛年! ずっと 盛春!
(※ ブログ内容や 歌詞から、その時 感じたことを書いています。)
懐かしい方々の名前が出てきて、思い当たることもいろいろ。
男の方なら なおさらではないでしょうか。
さらに、こんなセリフが …
青春?
青い年だけが青春ではない
今が盛りの 盛んな年も盛年だ
夢を持って働いているうちはずーっと盛年だ
シルバーシートが空く
座らずじっと立っている これも盛年だ
若いモンに負けるもんか
頑張ってやる!
ハイセイコーのように頑張ってやる!
でもなぁ でも 若いもんの
邪魔にならない程度にな!
働いていなくたって、
動けているうちは、行動 しようという思いがあるうちは 盛年でしょう!
南部さんとは 何度かご一緒 したことがあります。
彼も この歌のように 元気な団塊世代。
正確にいうと、団塊世代とは、1947(S.22)年~1949(S.24)年に生まれた 約 810万人を指 し、
「第一次ベビーブーム世代」 と呼ばれて、非常に突出 した人口ボリュームをもっています。
南部さんは翌年の生まれですが、ここまでくれば振り幅は少し大きめにとっても大差はないでしょう。
ベンチャーズに影響されてギターを始め、
ジャズの魅力にはまってジャズバンドに入り、
1976(S.51)年、「南部直人とラブロマンス」を結成 してデビューするも売れずに解散。
1982(H.57)年には ジャズコーラスグループを結成するも やはり売れずに解散。
以後、保険会社で営業マンを しながら 夜には ギターを抱えたミュージシャン という生活が続き、
その保険会社の取引先社長から この歌の歌詞を送られて感動 し、作曲。
これが好評だったため デモテープを送り、3度目の正直 で デビューへと繋がったそうです。
翌年には 故郷である福井を流れる清流と人生を重ね合わせた『九頭竜の流れ』を発売。
オリコンヒットチャート30位、46000枚の売り上げを記録 したそうです。
団塊世代でも もっと上の方々でも、
〔 これからも ずーっと頑張り続けなければならない! 〕 と思えば 辛いものです。
だけど、時々でもいいから 頑張ってみたら、楽 しみながら出来ることを見つけられたら、
〔 けっこういける! 〕 と思うんじゃないでしょうか!?
正 しさの主張も必要でしょうが、良識の範囲で しつこくならないよう心がけ、
開き直ったような図々しさは控えめに しつつ、
幾つになっても ちょっとの可愛ら しさと 大人としての自覚を持って
若者たちのお手本になれるよう 頑張りたいものです。
急がず、楽 しみつつ、まだ まだ 学びなが ら 歩いて行きましょう!
お読みいただきましてありがとうございます。
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