JALが会社更生法の適用申請し経営破綻した。
バブル崩壊後も経済大国としての過去の遺産を引きずってきた事例ではないか。
栄光のフラッグキャリアがまさかここまでくるとは、日本経済を象徴していたJALは、日の丸を背負ったエアラインで、日本を象徴する企業だった。
私は県庁の交通政策課勤務時代に国際航空路線の担当を6年間やったことがあります。その当時は、鹿児島空港の国際路線を担っていたのはJALだった。
地方空港の国際路線をJALがひとえに守ってきた時代があるのは事実であり、またその頃のJALは日本政府に替わり国際観光や貿易面を担ってきたといっても過言ではなかったと思う。
ところが、どういう訳かJALの体質が老化し、決断力が欠如し、過去の遺産を食いつぶして生き延びてきたという感じであり、時代に対応したスピードある経営方針を確立できずに、後手後手の経営手法でこのような事態を引き起こしたのではないだろうか。
鹿児島空港の溝辺での開港時、国際線を担ってきたJAL。JALの凋落は、戦後の日本の経済を支えてきた大企業の象徴的な姿に見えてならない。
何とか日本再生のためにも、新たなJALのトップになった稲盛会長の経営手腕に期待してやまない。
かごしま企業家交流協会
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