3分の1ほど読んだところといわれた。「情況への発言」の文体とはまったく違ったゆっくりとした口調だった。関心をもたれていると感じることができた。それは「周期律の形成について」も読んでみたいといわれたことからも分かった。10年ほど前に送っている旨を伝えると記憶になく、もう一度送ることになった。私家版「もうひとつのパスカルの原理」については一定のレベルにあれば「試行」に掲載してもよいといわれた。わたしは原稿を見直して訂正すべき箇所を送付した。これが1990年の秋である。
平成3年(1991年)5月に冊子の入った封筒が届いた。試行70号が2冊入っていた。「もうひとつのパスカルの原理」(1)は私家版と同じ内容なのだが、魅力的な論考にみえるのだった。次の71号(1992.5)に「もうひとつのパスカルの原理」(2)が載った。次も期待した。しかし、「試行」はそのあと74号(終刊号)まで3号発行されたが、わたしの名前はなかった。ふりかえってみると、掲載された分が私家版の3分の1ほどにあたる。ここまでが「試行」のレベルと判断されたのだろう。残り3分の2の書き直しが次の課題となった。
平成3年(1991年)5月に冊子の入った封筒が届いた。試行70号が2冊入っていた。「もうひとつのパスカルの原理」(1)は私家版と同じ内容なのだが、魅力的な論考にみえるのだった。次の71号(1992.5)に「もうひとつのパスカルの原理」(2)が載った。次も期待した。しかし、「試行」はそのあと74号(終刊号)まで3号発行されたが、わたしの名前はなかった。ふりかえってみると、掲載された分が私家版の3分の1ほどにあたる。ここまでが「試行」のレベルと判断されたのだろう。残り3分の2の書き直しが次の課題となった。
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