宿泊したホテルは、”ホテルメトロポリタン丸の内”です。
新幹線を降りた出口のすぐ近くでした。
15時チェックインなので、荷物を預けて義母が入ってる施設へ・・・・
国分寺からタクシーで30分。東京駅から1時間掛かりました。
義母は、朝から待ち通しくて、今来るか、今来るか・・・と思って待っていたようでした。
積もる話もあったはずだが、会えば、会えただけで嬉しくて・・・・胸いっぱいに・・・・それでも
色々と話して、帰るエレベーターのところで、義母が、泣き出してしまって・・・エレベーターをなかなか動かせませんでした。
エレベーターは、パスワードを入れないと、動かせないようになっているのです。
中には痴呆の方もいらして、・・・勝手にエレベーターに乗って、どこかへ行ってしまったら困るからでしょう。
でも、義母は、富山の施設より、小平の施設のほうが、気に入ってるようでした。
今年のお盆にもう一度、富山に帰りたい、と言うって居られました。
お母さんは、
「わたしが死んだら、小平で家族葬をして、お骨だけを、(うちの主人)に預かってもらって、富山の義父が入ってる墓に入れて欲しい、長男と不仲になっているけど、死んでしまえばそれも消えてしまう、諦めてくれるでしょう、それだけお願いします。」と。
主人は了承していました。
お母さんに、「母の日」プレゼントとして、カーデガンとブラウスを買い求めて持参したので、それを見せると、喜んでいました。
それと、お母さんの好きな「月世界」というお菓子と、施設の方に渡して欲しいというお菓子といつも世話してもらっている、義妹に渡して欲しいというお菓子を預けました。
娘と孫は、立川の駅で別れて、娘の友人が蒲田に住んでいて、小さな赤ちゃんもいるからアパートへきてもらえば、何か料理を作るから、家に来てもらったほうが有り難い、と言われて、立川のデパートで、お菓子を手土産に買い、そこで分かれて、私達は、東京駅のホテルへ。
立川駅は、次女が短大に行ってる時に、時々、来た事があって、懐かしいかったが、今となれば、この駅からどっち方面に行ったか・・・・・思い出さない。画廊があって、来た時にいつも覗いていた思い出があるが、それが、どこだったか、さえ・・・・思い出さない。(ボケたかな)
東京駅のホテルの周辺に足ツボマッサージの店があったので、ホテルに着いて一段落したら出かけてみよう、と思ってたのだが、部屋に入ると、疲れが出て・・・・結局、お風呂に入ってベットイン。主人は、疲れたのか・・・・・テレビを見ながら寝ていってしまった。
だが、私達の部屋に娘の荷物が置いてあるので、娘が帰って来るまで寝るわけにいかず・・・私は、本を読んでいました。
ホテルの部屋は、壁地面がガラス張りになってて、明るく、お台場の方まで見渡せて景色もとても綺麗でした。
綺麗な部屋で、普段より、大きい部屋を用意してくださったようです。
娘らは、22時半ごろに帰ってきました。孫は、小さい頃からホテルで泊まることが多かったからか、ホテルが大好きで・・・部屋の調度品をあっちっこっちいじって、操作を覚えてしまうのです。私など、ルームランプの下にある引き出しが、金庫 になってる事さえ知りませんでした。
朝は、バイキングで・・・・東日本災害のため、食品が品薄になっていますが、ご了承ねがいます、と書かれていましたが、沢山のメニューが並んでいました。
娘は、食べきれないほど、取ってきて・・・・・結局、パンを2個ぐらい残していました。
ホテルのチェックアウトのとき、フロントの前のロビーに、東京駅の模型があり、電車が走っていました。
フロントに荷物を預けて、大丸デパートへ、お土産を求めて・・・・・・
こういう時、旦那は、”女がデパートを歩き回るのを嫌がります”・・・・・シャネルの香水を買い求めていたら、旦那が、自分の香水も買って、わたしの香水の支払いもやってくれました。
娘がハーブの香りの化粧品を買っているのも、支払ってやると言うってました。
(自分の母のために、同行してくれた、お礼なのか?)
朝食が遅かった(8時~9時)せいもあり、お昼は食べれなく・・・・・13時半ごろ、大丸デパートの中の、香港料理店で、お茶 しました。
2時半ごろ、ホテルに戻って、預けてあった荷物をもらって、新幹線のホームへ。ホームで
私達は、春小町弁当。孫は、サンドイッチ。
主人は、牛丼弁当でした。画像はありません。
しかし、JRの中でも、食べられず(お腹がすかない)・・・・・結局、帰宅してから、家で食べました。
お疲れ様・・・・・・・・・・
今の時期に行ってきて、良かった・・・・・と思いました。
義母も90歳。今年のお盆にもう一度、富山へ来たい・・・・と言うっておられたけど、いつまで今の健康が続くか、分からないので・・・・
行って、顔をみたことで、自分達は、"親孝行”したつもりで・・・・・満足しました。