西穂高独標に登ると7~8人がすでに登っており、おのおの標柱を背景に写真を写している。こちらも周囲の風景を撮ったりしていると一人のおばちゃんが「はいはい、写真を撮ったげるから2人並んで」と申し出てくださった。せっかくなので撮ってもらい、こちらもおばちゃんの写真を撮ってあげたのだが、どうやらその人は単独行らしくとても明るい人で、あちこちの人たちに誰彼なく話しかけている。さてとりあえずの目標地点には到達したので、では引き返すかどうするかと相談していると、そのおばちゃんが「頂上までいくんやろう? 若いんやから元気出して行きー」と再び声をかけてきた。「いやあ、ここから先は結構きつそうなのでもう引き上げようかと思ってるんです」というと「まあ、せっかっく来たんやから行かなあ。今度はいつ来れるかわからんよ。じゃあ、先に行ってまってるわ」とおっしゃる。そのうちにほとんどの人がどんどん先へ登って行くので、結局、じゃあ、行けるとこまで行ってみるかということで、われわれも出発することにした。
次に目指すはピラミッドピークと呼ばれる地点。すぐ目の前に見えるので、どうということはなさそうなのだが、いきなり垂直に近い下降から始まる。両サイドが谷になっている場所が何ヵ所かあり、鎖場もあったが何とかいくつかの岩峰を巻いたりしながら登っていく。山小屋への荷物搬送用なのか、遠くに聞こえていたヘリコプターの音が急に近づいてきた。どんどんどんどん近づいてきてなんと、頭上を旋回し始めたではないか。遊覧飛行なのか、撮影飛行なのかわからないが、手を振ってみる。ヘリコプターはやがて今度は独標のすぐ近くまで行き、しばらく停止状態を続けていた。その間、独標の人たちも手をしきりに振っている。先ほどよりもたくさんの人たちがいるのでそのほうが絵になるのかと思いながら眺めていると、そのうちに新穂高温泉方面に去っていった。そうこうして登っているうちに、第2の頂上、ピラミッドピークに到達した。ここからの景色は先ほどの独標よりも高度が増している分さらにいい。
しばし休憩して西穂高頂上に向かうルートを見ると、先ほどのおばちゃんが元気に登っているのが見える。ではわれわれも出発するかということで、いよいよ頂上へ向けての最後の登りを再開する。目の前に頂上は見えているのだが、なかなか近づかないという感覚を持ちながら登っていく。独標―ピラミッドピーク間よりは危険箇所は少ないようだ。独標を出発して1時間半、ついに西穂高頂上にたどり着く。妻にとっては初めての穂高連峰初登頂だ。標高2909m、周囲360度の眺め、そして完璧な晴天。北東方向に槍ヶ岳がよく見える。もちろん、奥穂高や前穂高、明神岳、ジャンダルムなども。先に到着していたおばちゃんに「来ましたよ~」と挨拶。「なあ、来てよかったやろう」とおばちゃん。とりあえず写真を撮り、気分も落ち着いたので朝ごはんの弁当を食べることにした。
食べ終わるとおばちゃんが「これ食べー」と梅漬けを差し出してくれた。口に入れると甘酸っぱくてなかなか美味い。「箕面の名物やゆうて、友だちがくれてん。うまいやろ?」。確かに美味い。そうやって食べながら話をしているうちに、このご婦人が枚方の人だということがわかっってきた。とにかく山が大好き、という感じの人で、最初に友だちに誘われて立山の剣山に登ったことから山が好きになったという。でも旦那さんが山に登らないので、行く時はいつも何かのツアーに参加して登っていたが、その場合でも自分だけが楽しい思いをするわけにはいかないので、事前に旦那さんを車に載せて、今度登る予定の山の近くの温泉などにわざわざ旅行に行き、今度あの山に登るからね、とあらかじめ確認させておいた上で登っていたそうだ。でも今は旦那さんが亡くなったので自由に自分の好きな時に、ツアーには参加しない単独行で登っているとのことである。
そんな話を聞いていると時間がすぐに経ってしまった。ここから先、奥穂高方面は危険箇所が多いので、たいていの人はここから引き返すのだが、登っていく人も何人かはいる。さて帰りの時間もあるので、おばちゃんと別れて先に下っていくことにする。振り返れば、このおばちゃんのおかげで頂上に立つことができたようなもので、実にありがたいことであった。感謝、感謝!!