■学生がショック
この間、沖縄、北海道、石川、岐阜、高知と立て続けに学童保育の集会で講演をさせていただきました。とりたてておもろいイベントでもないのに、なぜこんなにどこも人が集まるのか不思議です。いえ、もっと言うと集まった人たちが一緒に大笑いもすれば、ボロボロ涙も長し、会場が響き合うのです。素の自分でいられる安心の空気があり、わかり合える人と人とのつながりを感じるからなのでしょう。
学童保育のことを知らない大学生に、学童保育の全国大会に立命館大学へ明日行ってくる、と話したことがありました。
なんと当日、その学生たちがやって来て言うのです。「オレ、ショックやった! めっちゃいっぱい集まっていて(約5千人)、ワーと笑い合ったり泣いたりしていて、あんな人間の集まり初めて見ました。みんな友人みたいですね。何なんでしょうね」と。
■親の人間回復の場
働きながら子育てをする親たちが、安心して仕事をし、同時に子どもたちに豊かな放課後をと手弁当で作り上げてきた学童保育が今日、1593市町村に約2万ヵ所できたのです。行政にも働きかけながら、歴史を重ね、人間の心と手でワイワイみんなで作り上げてきた運動なのです。
その中で親たちは、生活の大変さ、子育ての悩みをエエカッコ抜きに吐き出し、語り合ってきたのです。みんな一緒なんやと安心もし、子育ての知恵を学び合い、励まし合って生き抜いてきました。
今年の成人式の日のアンケート、今一番不安なことはと尋ねられて、最も多かったのがなんと「人間関係の不安」でした。就職難以上にです。
あの秋葉原の事件の青年はインターネットに「死ぬまで一人、死んでも一人、幸せになりたかった」と書き込んで事件を起こしました。あの世に行ってもなお孤独だと思う青年の心の中に、人とつながりたかった、人の温もりに触れたかったという深い叫びを感じないではいられません。
人は、人とつながり、他者の存在があってこそ人間になりえたのです。信州に、子育ては人を人になす営みだとして「人なす」という言葉があるようです。人を人になす子育ては、地域の人間に支えられ、家族の温もりの中でなされてきたのです。今日、その当たり前のことが崩されているのです。
笑わない赤ちゃんがいます。母親の胸に抱かれ、優しいまなざしでほほえみかけてもらえなかった赤ちゃんには、ほほえみは生まれません。赤ちゃんは、あやしてもらい笑うことで、人と人との関係をわがものにしていくのです。
今日、子育てで求められているのはほほえみかけられないお母さんが笑顔を取り戻すことなのです。親同士が、子育ての悩みを語り合える人間関係こそ求められています。その人間の関係が、今日の学童保育運動にあるからこそ、人が集まり元気があるのです。
■親同士励まし合って
仕事に余裕がますますなくなるなか、子育てとの両立は本当に難しいです。仕事を辞められるものなら辞めたいと揺れる時もあります。
そんな時、学童の仲間が「子育てはね、長い時間、子どもとベタッとおらなくても、短い時間でも親子が濃い時間持ったら大丈夫や。うちはね、夕食の後、片付けは置いといて30分くらいは親子で楽しくしゃべったり、一緒に遊んだり、本読んでやったりしてるよ」と教えてくれるのです。「100回勉強せえ言うよりもおいしいごはん作った方が大切やで」「そりゃ親が働いて、帰りも遅いと子らも淋しい時もあるよね。でも子どもは100パーセント充たされるより、
寂しさも知ってる方が自分で自分を充たす工夫をするんやで」とアドバイスをくれます。
親同士こうして励まし合ってきたからこそ、働きながらの子育てをなんとかやって来れたのです。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)