まいど、日本機関紙出版です。

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最近の読者ハガキから~ありがとうございました。

2009年03月10日 | 読者はがきから

●子どもたちに表現のよろこびと生きる希望を

 先日、著者の土佐いく子先生の講演を聞き、もっと学びたい、知りたい!という思いで購入しました。とても読みやすくどんどん読み進められる本です。また、教師としての視点や大切にしたいことなどもたくさん書かれてあり、ハッとさせれらます。

 昨年で定年退職されたそうですが、ベテラン教師の若手教師に対する「教え」という押し付けがましさはまったくなく、しんどい毎日の中で自分を責めたり反省したりする現状もわかってもらえているということが、この本のいろいろなところに散りばめられていて、安心できます。もっとこれからたくさんの人に紹介していこうと思います。(東近江市・25歳・女性・小学校教員)


●パソコン〈新聞&ビラ・チラシ〉編集入門

 使えそうななのでさっそくソフトを注文しました。勤めていたころ機関紙協会にはお世話になっていました。久しぶりに電話して注文しました。これからもよろしくお願いします。(高崎市・男性・67歳)

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川上貫一さんが国会でたたかっていた時、わが父たちは・・・

2009年03月09日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

「今も輝く川上貫一不屈のたたかい―国会議員除名の暴挙とその時代背景― 橋本敦」を読んで

「白髪の青年、憂国の名演説」と大阪府民に親しまれた川上貫一さんについて知るようになったのは今から5年前、雑誌『宣伝研究』に小森孝児さん(現・機関紙協会大阪顧問)が機関紙編集者としての川上貫一像を取材・執筆されたことがきっかけでした。

 私は取材を補佐する役目で川上貫一さんゆかりの地、出生地の岡山県阿哲郡哲西町の生木、出所後戦争が終わるのを待ち続けた疎開先山形県月山麓の大井沢村、さらに東京へと足を延ばしたものです。ただ川上貫一さんと同じ空気を吸ったことはありませんが、そんな取材行の中でその人となりを少しずつ知ることとなりました。

 さて本題の橋本さんの講演についてですが、やはり何と言っても印象的なのは1951年の衆議院本会議での単独講和反対・日本の再軍備反対演説です。朝鮮戦争真っ最中で、レッドパージが吹き荒れる中での反戦、そして平和の演説。米軍に睨まれたら終わりといいう時代だったのでしょう、マスコミも一切報道しなかった。想像するしかありませんが、とてつもない勇気と気概溢れる演説だったに違いありません。

 その背後には戦争で無限の悲惨を体験した人々の熱くて強い平和希求への思いがあったからでしょう。その人々の願いに応えようとした川上貫一さんの姿を、今日に生きたたかう私たちは自分のこととしてイメージすることがとても大事だと感じました。

 もう1つ、私たちは本当に歴史を作るその渦中をまさに生きているんだということも強く感じました。私事ですが、実は川上貫一さんが朝鮮戦争反対を主張し国会でたたかっているその時に、私の父は中国軍の兵器工場でまさに朝鮮戦争で米軍に対して使われる砲弾を作る仕事に従事していました。さらに驚くべきことは妻の父親(義父)は当時船舶に乗っており、なんと米軍の朝鮮戦争用物資を運搬して釜山に運んでいたというのです。

 もちろん私はまだこの世には存在していませんでしたが、今こうして川上さんに関する原稿を書きながら、身近な歴史の不思議さを感じています。

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『暮らしといのちと笑顔を守る相談活動ハンドブック2009年版』(大阪社保協)は私たちの救世主である!

2009年03月08日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 どうしようもない政治のおかげで私たちはとても生きづらい思いをしながら毎日を過ごしています。その生き辛さは特に弱い立場の人たちには絶望的な苦しみを伴って押し寄せているように思うのです。暮らし、医療、福祉、教育などそのどれをとっても決して安穏とはしておられない状況が全国に広がっています。まさにどうすることもできないといっても言い過ぎではありません。

 でもこの国には憲法9条があり、25条があります。これがある限り、いくらどんなに政治が酷くても、最低限のことは守られている、そう思いたい、あるいはそこに希望を見出して生きていきたいと強く思います。

 大阪社会保障推進協議会がこのほど発行した『暮らしといのちと笑顔を守る相談活動ハンドブック2009年版』(A5判36ページ)にはなにかそんな思いが込められているんじゃないかと読んでいて思いました。


頒布価格 100円

 この『ハンドブック』には、実は私たちが普段あまり知っていない、あるいは正確には知らされていないと表現したほうがいいかもしれないような、生きるための手立てがさまざまな制度として具体的に、今すぐに役立つように書かれています。これを利用しない手はありません。こんなことがあったんだ! こんなことができるんだ! もっと早くに知っておけばよかったのに…と思うようなことがいっぱい紹介されています。

『ハンドブック』の前文にはこうあります。

 この1冊で救える命があるかもしれません。
 この1冊で守れる笑顔があるかもしれません。

 まさに救世主と表現してもいいでしょう。その内容は宝です。しかし使わなければ、利用しなければ宝の持ち腐れになります。お役所はこうしたことは自らはほとんど知らせてはくれません。だからまず何ができるのか制度を知る、そして申請する、さらにより良いものに運動の力で変えていくことが普段から必要なのですね。

 まずあなた自身を、あなたの大切な家族を、あなたの友人・知人を、そして日本中の苦しむ人たちを救うためにぜひ活用してください。

 お申し込み・お問い合わせ・詳しい内容についてはコチラをご覧ください。

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空襲体験の継承に取り組む恐るべし女子大生たち、がんばれ! おじさんは嬉しいです。

2009年03月07日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 来る3月13日は大阪大空襲の記念日です。今日はピースおおさかで行われた「空襲体験の継承―体験者と若者のリレートーク」に急遽出席してきました。

 大阪大空襲は3月13日をはじめ50数回の空襲に見舞われ、約15000人以上の犠牲者と多大な被害を生じました。戦争体験者・空襲体験者の高齢化が進み、一人ひとりの鮮烈な「記憶」を「記録」しておくことがとても急がれています。ではその「記憶」を戦争体験者はどのように次の世代に伝え、一方の若者たちはどのように聞きとり、学んでいけばいいのでしょうか。

 リレートークには実際に聞きとりを行っている関西大学社会学部ジャーナリズム専攻科の学生たち4人と彼女たちに自身の体験を語った3人の戦争体験者が登壇しました。コーディネーターは矢野宏さん(関西大学非常勤講師)でした。

 疎開体験をはじめ、何人もの家族が犠牲になり荼毘にした体験など60年以上もたったのに体験者の記憶は実に鮮明です。まるで昨日のことのように語られます。
 一方それを聞きとる学生たち。「戦争のことなど考えたこともなかった」「出来れば避けて通りたかった」「聞きに行って本当にお話してもらえるのだろうか」「追い返されたりはしないだろうか」など時には不安感に襲われながら事前準備をし体験者たちを訪問しました。
 
 時に激しく、時に涙を流しながら話される内容とその姿は、わずか20歳の若き女子大生たちの心を大きく揺さぶるには余りにも衝撃が大きすぎたこともあったようです。聞きとりを終えて梅田の街を歩きながら、通りを楽しそうに行き交う同年代の人たちの姿と戦争のリアルな話を今しがた聞いたばかりの自身の感覚との落差に驚きもしました。が、しっかりと受け止め文字に記し、わが脳裏に刻み込む作業に挑戦しています。

 会場からある女性の体験者の方が発言されました。

「私もずっと長い間あの空襲体験を語ることはとても辛かった。でも努力し少しずつ話すことで自分自身がとても気が楽になる、癒されるようになってきた。それができるまでに60年間かかった」
 
 そうなんですね。矢野さんも話されましが、1945年8月15日で戦争が終わったからと言って、本当に戦争が終わったわけではないんです。そこから戦争が生んだ苦しみが、それこそ一人ひとりに戦争が襲ってきた60年だったんですね。

 今、大阪大空襲の犠牲者や遺族の方たちが、国家賠償を求めて立ち上がっておられます。戦争が終わった今日まで空襲被害者の人たちはまさにほったらかし状態でした。でもいつまでも黙っているわけにはいきません。空襲を引き起こした原因を作った国は犠牲者の人々に謝罪をするべきです。黙っていてはまたいつの間にか、気がついたら戦争をしていた―、そんなことを二度と繰り返してはならないのです。

 それに関して戦争時のマスコミの姿についても発言がありました。

「東京大空襲の次の日、新聞は犠牲者のことなど何も触れなかったかわりに米軍機を何機撃墜したなどと、嘘ばっかり報道し、そういうニュースが大阪にも届いていた。だから大阪の人たちは米軍など大したことはないと高をくくっていたところにとんでもない空襲が襲ってきたんです」

 そう、戦争時のマスコミはジャーナリズムとは無縁な存在だったのです。

 そして今思うのですが、この間、硬派ジャーナリズムといわれた雑誌、たとえば『論座』とか『現代』とかが休刊(実質は廃刊でしょう)しました。ある人が書かれていましたが、何でこのままおめおめと廃刊にしてしまうのかということです。確かに経営問題、出版不況、売れない、赤字というような現実が数字として目の前に突きつけられたのでしょうが、それがどうしたと言い返せるような編集者、あるいは記者はいなかったのでしょうか。

 別に戦前のような言論弾圧や攻撃があるわけでもない、命が奪われるわけでもない、でも売れなくなったからもうおしまい!って自分から進んで旗を下してしまう、それでジャーナリズムと言えるのでしょうかね。

 わが零細弱小地方出版社など足元にも及ばないような立派な器と労働条件に恵まれ何でもできそうに思える場所が与えられているだろうに、とても残念なのです。

 オッと、話がかなり逸れてしまいましたが、戦争体験をいかに語り、継承していくかはホントに大切なことだと思いました。かつて国連のアナン事務総長は国際高齢化問題世界会議の中で次のように述べました。

「一人の高齢者が死ぬと一つの図書館がなくなる」

 今の日本で考えると戦争体験にも同様のことが言えるのではないかと思います。

 戦争を体験されたみなさん、どうかまず、あなたの子どもさんに、お孫さんにお話してあげてください。そして見知らぬ若い人が訪ねてきたら暖かく迎えいれて、話してやってくださいな。それはあなた方があの日感じたであろう「戦争がやっと終わった。これからは平和な日々がやってくる」という思いの真の実現に一歩でも近づくことだと思うからです。

 うーむ、それにしても恐るべし女子大生(正確には女子大ではありませんが)たちです。時代はまさに変わっていっていますよ、お父さん。

 ところで4年制男女共学大学に通う女子を女子大生とは呼んではいけないのだろうか?

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天王寺から堺東へ著者巡りの日となる

2009年03月07日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日の日中は雨の中納品に行き、その後は原稿整理&会議で終わりました。

 夕方は天王寺駅で土佐いく子先生から加筆修正原稿を受けとり、タイトルなど確認、またイラストを描いてもらう方との打ち合わせを確認しました。土佐先生ファンの方から強く次の本をと、要望があったものがようやく形になっていきそうです。

 その後は堺東へ。以前に出した『窓をあけると虹の空』の葛目先生と記者&シンガーのK・シュガーさんと韓国料理です。3人で会うのはかなり久し振りです。集まった名目は葛目先生の今後の進路問題(?)でしたが、すでにご本人は決めておられて、まあ、集まって呑もうではないか・・・というものでした。

 葛目先生は子どもたちに会わないと元気がなくなる方です。とにかく学校現場で子どもたちと一緒に過ごすのが大好きな方です。そのことは本を読んでもらえれば強く納得頂けます。まだまだお元気で、昨夜もまさに立て板に水の如く、ずっと語り続け、私はただただ相槌をうつばかりで、気がつくと7時の待ち合わせから4時間が経過、京都に帰るシュガーさんの「あっ、終電が」という声であわてて店を飛び出したのでした。

 とにもかくにも、これからもますますお元気で活躍されることを確認してお別れしました。帰りの電車の中でお話されたことを思い出しながら、いくつかの出版企画のヒントも浮かんできました。まあ、とにかくパワフルな方です。

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大阪中央郵便局よ、お前もか・・・ 

2009年03月05日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 突然ですが、東京中央郵便局の建て替え問題に関連して、そういえばよく利用する大阪中央郵便局もそうだったのだということを思い出しました。

 大阪中央郵便局は1939年に竣工、近代建築を脱した現代建築物として多くの建築家から評価の高い建物です。実は以前に『近代名建築浪花写真館』(福島明博著)という本を出版し、その中に載っていました。ついこの前まではその郵便局の真向かいに阪急百貨店のモダンな姿がありましたが、今はもうありません。だんだんと古き良き建物が消えていきます。

 大阪中央郵便局は地上40階、地下3階、高さ187mの高層ビルとして2012年に竣工するそうですが、以前から日本建築学会などが保存要望をしたため、それを受けて、建物の一部が新ビル内に保存されるようです。まあ、それにしてもこの間の一連のニュースを見ると、日本郵政の金儲け主義はなんかものすごいものがありますね。これがあの郵政民営化の結果なんですね。なんかおかしいです。

 あっ、この本はもう絶版になっています。もっと刷っておけばよかった。残念!!

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沖縄料理と岩上本の夜

2009年03月05日 | 編集・営業ふらふら雑記

 花粉症は若干マシ気味の昨日、夜は神戸三宮へ岩上愛本の出版相談会へ出向きました。岩上愛さんについてはBaby争議でよくご存じの人も多いと思います。彼女のブログはコチラですのでどんな人か知りたい方はぜひご覧ください。

 以前に、岩上さんの話を聞き、その発する言葉の力に強く魅せられました。その時はI川ゼミの学生たちと話をしていたのですが、さまざまなことをゼミ生たちはとても衝撃的に受け止めていました。その後、I川先生とぜひ彼女のことを本にしようと相談して昨日に至ったわけです。

 昨夜は「兵庫県政の会」事務局長K部さんもご一緒され、岩上さんと初対面ながらもその魅力に引き込まれてしまったようです。「岩上教」の信者を自認する2人のゼミ生を交えて6人でああでもない、こうでもない、ああしたらどうか、いや、それはここがいい・・・など沖縄料理をつまみながらボソボソ相談、出版に向けて当面の実行企画を「若い人たちを励ましたがるおっちゃん、おばちゃん、お姉ちゃんたち」がバックアップするから大丈夫との力強いI川先生のまとめで当面の具体企画を衆議一決しました。

 ということで「若い人たちを励ましたがるおっちゃん、おばちゃんたち」と自覚されている方々よ、その時が来たらぜひよろしくお願いしま~す。ハイ!



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花粉症に苦しむ日々・・・(泣)

2009年03月02日 | 丸ちゃんの私的時間

 今年は花粉が多いのでしょうか? どうも昨日の散歩がよくなかったみたいです。一応マスクもして出かけたのですが、約2時間ばかりの好天で風もある中での散歩で、相当の花粉を体内に吸収したかなあ・・・。家に帰ると眼は充血して真っ赤になり、鼻は完全に詰まって呼吸困難状態に。さすがの薬も効きが悪いようで、参りました。眠っていても目がかゆくて何度も目覚めてしまいました。

 ヤレヤレという感じで今日になり、今日は今日で好天、風もビュンビュン吹いて花粉もよく飛んだでしょう。まあ、昨日よりは室内にいる時間が多かったので少しはマシでしたが、充血した目の周りは皺皺になり、顔は完全にカサカサ状態です。外から帰ってくるたびに洗顔とうがいを繰り返していました。うーむ、あと1カ月以上は辛抱の日々ですね。

 おまけに困ったことは、20日に家の給湯器が壊れてしまって、お湯が出ません。なので冷たい水で顔を洗っています。炊事ももちろん。春は近そうですが、まだまだ水はホントに冷たいです。大阪ガスの吹田サービスセンターから来てもらって見てもらうと、まあ18年ぐらいたっているのでもう限界なのでしょうかね、すべて交換ということになりました。復旧は明日です。予期せぬ36万円の出費になります。ああ、痛い・・・。うーん、と唸っています。

 そのおかげというかなんというか、土曜日は初めてJR岸部駅前の「極楽湯」という所に行ってきました。数年前にできてた宴会・食事などができるやつですね。入湯料750円。いろいろなお風呂が屋根付きの外にあって、まあ楽しめました。人が多く、あれ食べろ、これ食べろという感じでそこらじゅうに食事の宣伝物が目について余り落ち着けませんでしたが・・・。今夜は日の出町の銭湯に行くつもりです。

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高学費問題&奨学金問題の続編

2009年03月01日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 高学費と奨学金返還に関して京都府学生自治会連合のWEBが学生たちの取り組みを報告しています。

 1.立命館大学に昨年新設された薬学部に通う学生の発言。

 2.MBSのニュース番組で取り上げられた奨学金滞納問題。

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恐ろしや高学費! 奨学金返還滞納者はブラックリストへ!

2009年03月01日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 次男の大学受験、長男の専門学校入り・・・など我が家ではこの春はなにかと学費問題が話題にあがっています。たいへんな高学費です。130万~150万の初年度納入額です。来年は三男も大学受験なのでそれを考えると・・・まさに悲惨なことになりそうです。150万×3人=450万。まあすべて家計から出すことは不可能なので、そこで奨学金があるではないか、と思い立ち調べてみました。が、これも借りれば借りたで後がしんどくなります。

 私が学生時代に借りていた日本育英会の奨学金は利息はなかったのですが、最近は利息が付くようになっています。年率2.4%~3%はついてます。返済期間にもよりますが、だいたい借りた額の1.5倍は覚悟しておいた方がよさそうです。はあ~? 何これ?という感じです。

 日本学生支援機構(旧日本育英会)では最近、奨学金の返還が遅れると、全国の金融機関で作る「個人信用情報機関」に不良債権債務者、つまりブラックリストとして登録する準備をしているそうです。この個人信用情報機関には1400の金融機関が参加しており、これに登録されると以後ローンやクレジットの利用が難しくなります。

 大学を卒業しても正規雇用や安定した収入を得る道が厳しくなっているので大学側はこのやり方に反対しているらしいですが、それにしても無償教育制度の追求が世界の流れの中にあるのに、なんともとことん個人責任を推し進めようとする日本の教育って何なんでしょうかね。このモデルは勿論アメリカで、あちらの教育ローン会社は返還状況の悪い大学には融資をしないようになっているそうです。

 そんな中、わが吹田市議会はエライ!と感心するニュースを教えてもらいました。日本でこのような意見書を上げた議会はまだ吹田市だけだそうです。以下、詳細です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 吹田市議会で12月24日、「大学における高学費問題の改善を求める意見書」(日本共産党、民主市民連合提案)が全会一致で採択されました。

 これは吹田市にある大阪大学の学生を中心に活動している学費ゼロネットOSAKAが提出した陳情にもとづくものです。学費ゼロネットOSAKAは、10月、300人近い学生からアンケートを集めて吹田市に要請行動を行っていました。学生の声が実際に政治を動かした画期的なできごとです。

 以下、意見書全文を紹介します。


大学における高学費問題の改善を求める意見書

 今日、大学の初年度の平均納付金は、国立で約80万円、私立で約130万円であり、こうした高学費の下で学生は苦しんでいる。また、学費負担が困難であることを理由に、大学で学ぶ機会そのものを奪われてしまうという事態が起こっている。大学の高学費の原因は、国の高等教育予算が低いことにある。日本の高等教育予算はOECD加盟国中最低である。さらに、2009年度(平成21年度)の国の概算要求基準では、国立大学の運営費交付金と私学助成費などの削減幅が3%に拡大されようとしている。

 現在の高学費問題を放置することは、ますます学生の大学における学びと成長が経済的状況によって制限されることになる。これは学生個々人にとっての問題であるばかりでなく、将来の社会を担っていくという学生の位置付けから、社会的にも重大な問題である。

 誰もがお金の心配をせず、学ぶことができるように、この問題の解決が強く望まれる。


 よって、本市議会は政府に対し、現在の大学の高学費を改善し、学生の学費負担を軽減するため、下記の事項を強く要望する。

1 国立大学の運営費交付金を増やし、授業料と入学金の標準額を値上げせず、値下げに踏み出すことと。

2 私学助成、特に経常費一般補助を増やし、学費値下げの条件を整えること。

3 学費減免制度や無利子奨学金枠を拡充し、給付制奨学金を導入すること。

4 以上の項目を実現するために、大学予算の削減をやめて増額をすること。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

 平成20年12月24日

 吹田市議会


 

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