・・・「天上天下唯我独尊」・・・我は世界のうちで最もすぐれた者であるの意。釈迦が誕生するとすぐに、四方に七歩歩み、右手で天を指し、左手で地を指して唱えたといわれる詩句・・・釈尊は、生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言われた・・・
ーー
「唯我独尊」とは、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」
Holy am I alone throughout heaven and earth.
I am my own Lord throughout heaven and earth.
I consider myself as self-righteous.
(自分は唯我独尊タイプの人間である)
Throughout heaven and earth, I alone am the honored one.
In Heaven and Earth, only I am the one to be respected.
ーー
ウイッキペデア
↓
唯我独尊
釈迦が誕生した時に言った、とされる言葉
釈迦は
摩耶夫人の
右脇から生まれたとされるが、その直後に
七歩歩いて
右手で天を指し、
左手で地をさして
「天上天下唯我独尊」
と言った、という伝説
ーー
「天上天下唯我独尊」は、
釈迦が言ったのではない。
釈迦以前に出世したといわれる
過去七仏の
第一仏である
毘婆尸仏(びばし)が
誕生した際に言ったとされる
『大唐西域記』(646年成立)
の中に記載されている、
釈迦の誕生当時を伝える
誕生偈と呼ばれる偈文には、
↓
天上天下唯我独尊
今茲而往生分已尽
という一節が記されている。現代語に訳すと
「全世界で私が一番尊い」という意味である。
↓
釈迦の誕生を伝える仏典には、
『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、
『佛説太子瑞應本起経』卷上
などがあるが、代表的な
『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、
↓
天上天下唯我為尊
三界皆苦吾当安之
とあり、
欲界・色界・無色界の
三界の迷界にある
衆生はすべて苦に悩んでいる。
私はこの苦の衆生を
安んずるために誕生したのだから、
尊いのであると言う。
ところが残存する
パーリ仏典はやはり
大乗仏教の影響を受けており、
『大唐西域記』と同じように、
釈迦自身の解脱という点で尊いとしている。
この
「利他」の面で尊いとするのか、
解脱という
「利自」の面で尊いとするのかに、
時代による釈迦観の違いが現れている。
↓↑
「毗婆尸菩薩當其生時
從右脇出 專念不亂
從右脇出 墮地行七歩
無人扶侍 遍觀四方
擧手而言 天上天下唯我爲尊」
(『長阿含経』)
↓↑
「到四月八日夜明星出時。
化從右脇生墮地。
即行七歩。
擧右手住而言。
天上天下。唯我爲尊。」
(『仏説太子瑞応本起経』)
などにおいては、
明らかに
釈迦の誕生譚となっている
ーー
「自分という存在は
誰にも
変わることのできない人間として、
生まれており、
この命のまま
尊い」
ーーーーー
・・・「唯、我、独、尊」・・・ただ、我、独逸を尊ぶ・・・