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コジキジゲン

第三「図南丸」は「花魁船」と言われた・・・?

2024-12-24 02:27:00 | 古事記字源
 前回からのツヅキ
 ↓↑
 惨(むご)いイクサ・・・

 馬子は皇太后
 「炊屋姫」
 を
 「推古天皇」
 とし即位させ
 「厩戸皇子(聖徳太子)」
 を皇太子とし
 摂政とした

 推古天皇四年(596年)
 馬子は
 蘇我氏の氏寺
 「飛鳥寺」を建立
ー↓↑ーー↓↑
  ・・・明日香=あすか
        =飛鳥(ヒチョウ)
        =安宿(アンシュク)
        =阿須賀(アスカ)
         阿=阝+可(口+丁)
         須=彡+頁(丆+目+八=捌)
         賀=加+貝(目+八=捌)
        =阿諏化?
  「寺(ジ・てら)=土+寸=十+一+寸」
            寸=ー+亅+丶
    寺院=ジイン=字音(韻)
       字印
        イン=陰・寅  ・尹 ・殷
        吉田松陰・寅次郎・監督・咆哮
   ↓↑
   而(ジ)=丆+⺵・・・形而上・形而下
             観念・実存在
   而=丆(丆)+⺵
    「而」は
    「刷毛(はけ)」
     or
     髪を梳(と)く
    「櫛(くし)・笄(こうがい)」
     の形象だろう・・・
     ↓↑
     丆=面(丆+)の略字・・・?
       面=丆+囬(回・囘)
         一+丿+囗+丨+ = + l
         回帰=囬帰=囘(冂+巳)帰
         回船=廻船・・・海戦・改選
            菱垣廻船
            樽廻船
            西廻り航路 (北前船)
            東廻り航路
            北国廻船
            尾州廻船
       顔面の上は
       頭の「髪の毛」だが
      「丆」は
       結(ゆ)った
      「丁髷(ちょんまげ)」だろう・・・
   ↓↑
   而=一+ノ+冂+‖(l+l)
     ジ
     しかして
     しこうして
     そして
     すなわち
    「・・・である・・・」
     順接助字
     ↓↑
     しかも
     しかるに・しかれども
    「・・・ではない・・・」
     逆接助字
     ↓↑
     なんじ(汝)
     あなた(貴方)・あんた
     きさま(貴様)
     てめい(弖名)
     お前・おぬし
     自分=関西弁
     相手をさすことば
     二人称(you=ユウ)
         ・・・有・結・邑・猷
          ・・・ヨウ=要・用
   ↓↑
   而=ひげ(髯=髟+冉
        鬚=髟+須
        鬍=髟+胡
        髭=髟+此
        須=彡+頁)
     あごひげ(顎鬚)
     口 ひげ(口髭)
     ↓↑
     丆→䂖=丆+ヽ+口=石(セキ・いし)
     丆→不=丆+ト(ボク・うらない)
     丆→呑=丆+大+口
   ↓↑
   名字
   而摩=しかま・しま・じま・・・揣摩
   ↓↑
   追而書き・追って書き(おってがき)
   しかも・然も・而も(しかも)
   而して(しこうして)
   而立(ジリツ)
   形而下(ケイジカ)
   形而上(ケイジジョウ)
   然して・而して(しかして)
   然り而して(しかりこうして)
   ↓↑
   引而不発(インジフハツ)
   温潤而沢(オンジュンジタク)
   渇而穿井(カツジセンセイ)
   群而不党(グンジフトウ)
   激而行之(ゲキジコウシ)
   三十而立(サンジュウジリツ)
   秀而不実(シュウジフジツ)
   而今以後(ジコンイゴ)
   而今而後(ジコンジゴ)
ー↓↑ー
 「白村江海戦の敗北前夜」
   
 推古天皇十八年(610年)
 新羅使が
 小墾田宮で拝謁の儀を行った際に
 庭中において

 大伴 咋 (くう・くらう)・・・サク
    咋=口+乍(ながら)
 蘇我 蝦夷(えみし・えぞ)・・・カイ
    蝦=虫+
 坂本 糠手(ぬかで)・・・・・・コウシュ
 阿倍 鳥 (とり)・・・・・・・チョウ

 という
 「四の大夫」
 が使の旨を聞いて
 馬子に啓上しており
 有力氏族から代表を1人出すという
 マヘツキミ制の原則を破り
 蘇我氏は
 大臣と大夫を各1人出すという、
 他の氏族とは異なる地位を獲得した
 馬子はこのとき政庁の前に立ち
 啓上を聴き
 新羅使に物を下賜し
 馬子が外交を掌握していた
 ↓↑
 推古天皇二十年(612年)
 堅塩媛を
 欽明天皇陵に合葬
 安閑・宣化と欽明の勢力を統一した
 「石姫皇女」
 ではなく
 「堅塩媛」
 が欽明陵に合葬されたのは
 倭王権の正統性を
 蘇我氏と欽明との結合に求め
 推古及び馬子の認識を
 象徴的かつ可視的に大規模にしめした
 堅塩媛は
 「皇太夫人」
 と尊称され
 諸皇子、群臣が誄したが
 その順番は
 推古→諸皇子→馬子→蘇我系諸氏族で
 あり
「欽明」天皇
 と
「蘇我稲目」
 に始まる王権の再確認を行った
 ↓↑
 推古天皇二十八年(620年)
 聖徳太子と共に
 「天皇記」
 「国記」
 「臣連伴造
  国造百八十部
  并
  公民等本記」
 を記す
 ↓↑
 推古天皇三十年(622年)
 聖徳太子死去
 馬子は聖徳太子と協調したが
 聖徳太子の天皇権力の強化を警戒
 ↓↑
 推古天皇三十一年(623年)
 新羅からの調を催促するため
 馬子は
 境部雄摩侶
 を大将軍とする数万の軍を派遣
 新羅は戦わずに朝貢
 ↓↑
 推古天皇三十二年(624年)
 馬子は
 元は蘇我氏の本居で
 皇室の領地となっていた
 葛城県
 円大臣が
 雄略天皇に滅ぼされた際に献上した
 「葛城の五村」
 「葛城の宅七区」
 蘇我稲目の代に
 その経営権、管理権は
 蘇我氏が掌握していた
 の割譲を
 推古天皇に要求したが
 推古天皇に拒否された
 ↓↑
 推古天皇三十四年(626年)
 馬子死去
 桃原墓に葬られた
 奈良県
 明日香村
 島之庄
 石舞台古墳・・・
 同古墳の西数百mの位置の
 「島庄」遺跡
 は邸宅の一部・・・説
 ↓↑
 推古天皇時代の
 冠位十二階制度
 十七条憲法
 遣隋使派遣
 を主導した
 馬子の功績を
 厩戸皇子(聖徳太子)
 が行った・・・
 「聖徳太子=蘇我馬子」・・・説
 ↓↑

 大化の改新(645年・乙亥の変~)
       ムシゴロシ=虫・殺し・蒸殺し
       🐞・🐜・🐛・🐝
       夢詞語呂乨(始)
       無視・無死・無私
       無史
 馬子の子と孫の
 蘇我蝦夷
 蘇我入鹿
 親子は
 律令体制への移行を推し進め
 外交面では
 朝鮮半島への
 派兵計画に反対・・・?
 ↓↑
 天皇即位を目論んでいた・・・?
 「軽皇子=孝徳天皇」
  は
 「乙巳の変(645年)」
 ↓↑
  ・・・皇極天皇四年(645年)六月十二日
     飛鳥
     板蓋宮でのクーデター
     蘇我入鹿の暗殺
     に始まる
     大化年間(645年~650年)の改革
     ~
     大宝元年(701年)の大宝律令完成まで
     の一連の改革・・・

     663年は
    「白村江(白馬・白口)の海戦」
     敗北

     天智天皇六年
     667年
     近江大津宮遷都
     近江国滋賀郡
     天智天皇はこの宮で正式即位

     天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
    (ユリウス暦)
     672年 7月24日~8月21日
    (グレゴリオ暦)
     672年 7月27日~8月24日
     壬申の乱
 ↓↑
 「乙巳の変(645年)」
 で
 入鹿を殺害
 蝦夷を自殺させ
 直後に天皇に即位し
 その後
 百済支援を名目とし
 朝鮮半島への武力介入を強行
 「白村江の戦い(663年)」
 に大敗
 後
 「天智天皇=中大兄皇子」
 が
 唐との外交関係の修復
 太宰府の強化
 近江大津宮への遷都
 天皇死後
 「壬申の乱
  天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
 (ユリウス暦 672年 7月24日~8月21日)」
 ・・・
 「蘇我入鹿」の
 「上の宮門(みかど)」
 「谷の宮門」
 からは武器庫や武器が発見され
 軍事要塞化
 入鹿が
 唐の侵略を警戒
 外交による解決を図るとともに
 有事の際に
 皇室を護る備えをしていた・・・仮説?
 「改新の詔」
 の内容について
 藤原京から出土した木簡により
 (古事記・日本書紀の)
 文書が
 奈良時代に
 書き換えられたものと決着・・・
 蘇我氏専横は無かった・・・
 ↓↑
 兵庫県
 相生市
 小河
 宇麻志神社(うましジンジャ)
 があり
 祭神は
 「宇摩志・・・
  うまし=旨し=甘し=美味し
     =巧し=上手し
  阿斯・・・
  あし=足・脚 ・肢 ・疋 ・趺
     拾・脚本・肢体・疋引・蹉跌
     葦・蘆・葭・芦
       ・・・・芦別
  訶備・・・
  かび=黴・霉・醭・華美
     黴る
     麴(こうじ)
    =麹=麦+匊
    =麥+匊
     來+夂+勹+米
     木+从(従・随)+夂+勹+米
     人+木+人+夂+勹+米
     人+十+八+人+夂+勹+米
   麯=麥+曲
   粬=米+曲
   糀=米+花
     米や麦などに
     カビを繁殖させたものや
     酒や醤油などの原料
     キク・こうじ・さけ(酒)
  比古遅・・・比較する振る意の字?
  ヒコジ
   神」
   ↓↑
   かみ=加味・加見
    紙=帋=氏+巾
      シ・かみ
    植物繊維を材料とした紙
    日本語
   「新聞紙」の略称
    シ
    髪=镸+彡+ナ+又
    嚙=噛
    咬み合わせ
 ↓↑
 であるが
 明治維新以前は
 「馬子宮」と呼ばれ
 「蘇我馬子」を祀っていた
 蘇我馬子が
 相生(あおい)で死亡
 ↓↑ ↓↑
   相生(あおい)
   兵庫県の
   島嶼部を除いた地域の
   南西部に位置
   明治終期
   船の建造・修繕の
  「船渠(ドック)」が完成
   ここで
   沈没から引き揚げられた
   修理造船された
  「図南丸」は
   1970年まで日本の捕鯨を支えた
   第三「図南丸」
   太平洋戦争中
   1943年7月24日
   米軍
   ティノサ(USS Tinosa, SS-283)
   の合計15本の魚雷を受け
   12本が命中したが
   信管不良で爆発したのは
   2本で残りは全て不発だったが
   自力航行が出来ず
   トラック島まで曳航
   第三「図南丸」は
   油槽船(タンカー)ではなく
   海に浮かぶ重油タンクとして
   トラック島にとどまった
   この時
   船体に
   魚雷が
   突き刺さったままの姿が
   髪に簪(かんざし
     鈿・兂・笄・釵・楴・篸)
   を差した花魁(おいらん)
   のようであった事から
  「花魁船」と言われた・・・

   トラック島で
   工作艦
   明石が修理を実施し
   1943年11月
   再び「船」として復帰し
   輸送任務に就いた
   1944年(昭和19年)2月17日
   アメリカ軍による
   トラック島空襲に遭遇し
   被弾炎上
   19日2時10分沈没
 ↓↑
 蘇我馬子が
 相生(あおい)で死亡
  ↓↑
  従者の
  将監光庵
  はその地名により
  小河を姓名とし
  馬子の為に菩提を弔い
  剃髪して
  庵を結び
 「光庵禅師」
  を名乗り
  子孫代々光庵を名乗った・・・
 ↓↑
 馬子の
 父  蘇我稲目
 姉妹 蘇我堅塩媛(欽明天皇妃)
  蘇我小姉君(欽明天皇妃
  『古事記』では
  「小兄比売」は・・・小姉君
  「堅塩媛」のおば

 妻  物部弓 削大連(物部守屋)の妹
 『紀氏家牒』
 『石上振神宮略抄』
  神主布留宿禰系譜料では
  物部守屋の妹の
 「太媛」
 『先代旧事本紀』天孫本紀では
 「物部 鎌足 姫
  大刀自
  父は
  物部守屋の異母弟
  石上贄古大連
  母は
  物部守屋の同母妹の
 「布都(ふつ・ふと)姫」
     ・・・布訳(譯)秘?
 「物部 鎌足姫 大刀自(おおとじ)」
  は
  崇峻天皇が殺害された後に生まれ
  蘇我馬子の妻となることは
  世代的に無理・・・
  妻は「太媛」・・・

 子 「蘇我 善徳」・・・善徳女帝は新羅王
   「蘇我 倉麻呂」
   「蘇我 蝦夷」
 孫 「蘇我入鹿」
   「蘇我 倉山田 石川麻呂」
 娘 「河上娘(崇峻天皇妃)」
   「法提郎女(田村皇子妃)」
   「刀自古郎女(聖徳太子妃)」
ーーーーー
 「島大臣=牡丹(ぼたん)」
      赤紫の八重咲き種
  ↓↑
 「牡丹=島大臣」
  1953年
  大根島(だいこんしま)
  島根県の東部の中海にある島の1つ
  東西に3.3 km
  南北に2.2 km程度

 「牡丹(ぼたん)名=島大臣」は
  島の生産者より
  改良作出された品種
  牡丹の生産量は日本一
  枝が湾曲
  紫色=牡丹色

  立てば芍薬
  座れば牡丹
  歩く姿が百合の花

  島大臣の枝変わり(突然変異)品種
  紫禁城・春の粧=越の舞姫
  翠嵐=紫禁城を通じて枝変わり
ーーーーー
 ↓↑
 成=万+戈
  =異体字
  「𢦩=戊+午(馬)
   𧶔=貝+呈(口+王・呈示)」
   勹=包の変形?・・・
 ↓↑
 姫=女+臣
  =姬
  =女+𦣞
     𦣞=匚+口+¦
       頤=おとがい
         あご=頤・顋・顎
            下あご=下顎
     𦣝=匚+l+コ+¦
     𦣞=叵+¦=イ・アイ
    =乳房の象形
   康煕字典
    煕=巸+灬
      𦣝+巳+灬
      𦣝+己+灬
      𦣞+己+灬
      𦣞+巳+灬
      キ
      ああ
      たのしむ
      ひかる
      ひろい
      やわらぐ
      よろこぶ
      楽しむ・喜ぶ
      光る・輝く・光が行き渡る
      広い・広まる・広く行き渡る
      やわらぐ
      ああ・感嘆の声・なげく声
   異体字
   「熙・熈・焈・㷩・凞・凞」
   類字
   「巸・媐・熙・㜯」
   恬熙・恬煕(テンキ)
    =世の中の安泰・平穏・平和
   ↓↑
   懿徳天皇
   懿=壹+恣
     士+冖+豆+次+心
     士+冖+豆+冫+欠+心
     士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
     イ
     よい・うるわしい・立派
     美徳・道理にかなった行い
   異体字
   「㦤・㦉・㱅」
   懿懿(イイ)
   懿戒(イカイ)
   懿軌(イキ)
   懿筐(イキョウ)
   懿業(イギョウ)
   懿訓(イクン)
   懿行(イコウ)
   懿旨(シイ)=皇后・皇太后の命令
      いし=石・磐・磐余・岩・嵒・巖
   懿親(イシン)
   懿公喜鶴(イコウキカク)
   懿公好鶴(イコウコウカク)
ー↓↑ーーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3


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