漢字「ー」の「イチ」・・・?
↓↑
「  ̄ 」と「_ 」の漢字の位置・位地
「丅=下」と「上=丄」 の漢字の位置・位地
「▔」と「▁」 の漢字の位置・位地
上線(ー)と下線(ー) の位置・位地
地平線 天頂・山頂
海平線 天空・宇宙
↓↑
「亘=わたり=旦+ ̄
=▔+日+▁」・・・日亘=日渡
↓↑
旦=日+▁
あした・明け方・日の出
朝・夜明け・日
はじめる・はじまる
中国演劇で
女性に扮する男役者=女形・おやま
↓↑
小山次郎三郎・・・?
小(亅+ハ)山(凵+l)=旦
=日(曰)+▁・・・?
いわく
磐句の始め
磐余の始め
神武天皇
江戸時代初期に
活躍した操り人形芝居の名人
↓↑
旦那(ダンナ)=家族の男性主人の略称
↓↑
字源
会意・・・「α漢字」と「β漢字」の合体の意味
旦
「日=太陽」+「囗(ー)=土地」・・・?
太陽が地平線から地上に登るさまを象る(字源)
海平線から上空に上(昇)るさま・・・
昇華=ショウカ
個体が液体にならず、気体になる現象
気体が液体にならず、固体になる現象
物事がさらに高い状態に高められること・止揚・揚棄
社会的に認められない欲求を満たすために
芸術や学問などの価値のあるものに
置き換えて満たそうとすること
↓↑
昇
蟻の思いも天に昇る
旭日昇天の勢い
上昇気流に乗る
天にも昇る心地(
蟇(ひき)の息さえ天に昇る(ひき=蝦蟇かえる)
竜は一寸にして昇天の気あり
「あさ=朝=龺+月・・・龺=𠦝
𠦝=十+早
十+日+十=ユウ・・・新部首
zhuó ・ㄓㄨㄛ・・・?
早=日+十
ソウ・サッ
はやい
時間や時期がはやい
朝はやく・明け方
はやく・すみやかに
すぐに
日本語
さ・接頭語で若いの意
はやまる・はやめる
早くなる・早くする」
月=冂+=
月=㇓+𠃌+𠄠
↓↑
朝
を意味する漢語・・・朝=旦
「旦=タン」を表すカン字・・・
その日の
ー(はじまり=始・乨・兘・初・肇)
↓↑
何故、「朝」が「あさ」なのか・・・?
「朝・服」などの「月」は「舟」の省略形
月⇔有・朔・朗・望・期・朞
舟⇔服・朋・朕・朝
↓↑
「月」の字は月の形象
偏旁の意符としては
月の変化や
時間・経過に関することを示す
↓↑
「舟=⸍+丹+l
⸍+㇓+𠃌+ー+¦( ⸌ + ₗ )」
の変形の「月」
「ふなづき」を構成要素とする漢字
舟
シュウ・シュ
ふな
ふね・こぶね
水上を移動するための道具
うけだらい=受け盥(泴)
盥=𦥑+水+皿
𠀉+水+彐+皿
カン・すすぐ(濯ぐ・湔)
そそぐ(灌ぐ・濯ぐ・潅ぐ)
たらい=槃・手洗
あらう・そそぐ・手を洗う
祭器をのせるための盤
おびる・身につける
日本語
たらい。手を洗うのに用いる器
ふね・水や湯などの液体を入れる桶
湯舟
↓↑
「肉」に由来する「月」
⺼=月=肉(ジク)=宍
「にくづき」は肉部に収録されているが
「有」の「月」は「肉」に由来するが
肉部ではなく月部に収録・・・
↓↑
康熙字典体
「つき」の内部の
2つの横棒(=)は
右の縦棒に付かず
少し離れた字形
「ふなづき」は
「舟」同様
内部の2つの筆画を
横ではなく「点=¦」
↓↑
日本の新字体
中国の新字形
台湾の国字標準字体
ではこれらを
右の縦棒と付いた
「月」の形に統一
↓↑
「朝」
月部
チョウ
あさ
あした=明日
太陽が出てからしばらくの間
午前中
天子が政治を行う場所
朝廷に参内して天子にお目にかかる
一人の天子が統治した期間
同じ系統の君主が統治した時代
↓↑
十=足(たり)=拾=ひろう
+
日
+
十=足(たり)=拾=ひろう
+
月=肉(にく・ジク)=冂+仌(冰・氷)
冂+人+人
ナゼ「仌(冰・氷)=こおり」なのかは
「仌=背骨」が
「氷柱(つらら)」の形に
似ているからだろう・・・
=宍
ニク・ジク・しし
にく・しし・鳥や獣の切った肉
身体・人間の身体・肉体・肌
肉付く・肉がつく
声・歌声・肉声
日本語
食用の肉
物の厚み・太さ
or
舟(ふね・ソウ)
↓↑
太陽(日)が地平線(⸏)から出現す形象
これは楷書の形に基づいた誤った分析・・・
ではない・・・だろう
漢字の
「旦」の「一」の位置は
「地底(⸏)と地上の境界線」である・・・
甲骨文字の形は「旦」の下端の横線は
「囗=國・領域」に由来する為に
「地平線」とは関係が無い・・・有るのさ?
「或+囗=國」・「或⇔惑」
「倭足=渉=わたる=亙
=亘=  ̄+旦
=  ̄+日(太陽)+ _
=亙=互(かわら)+⺀」
瓦葺きの屋根
瓦(かわら)=互+丶
互=ㄥ+ユ=相互に嚙み並る
𠄠=⺀・・・
工=二+l=巧・匠=たくみ
王=≡+l=天-人-地-繋ぐ棒
↓↑
「亙」の基本情報
コウ
わたる・渡す
つらなる・つなぐ・端から端まで続く
↓↑
國=囗+或=囗+㦯(或)・・・戈+口+_
逆字の 戈+ム+一
↓↑
「𠮛⇔口+_」・・・ハジメ(  ̄ )の囗=國
の異体字 囗の始( _ )まり
乨=ム+囗(國)+乚
兘=二+儿+ム+囗(國)
「𠫔=ム+ _ 」・・・ハジメのム=よこしま
ハジメのム=私=己=我=余=朕
=よこしま=邪=耶=揣摩
=横島・横嶋・横嶌
島大臣=蘇我馬子
敏達朝で大臣
用明天皇
幼名・要明・用名・洋明・陽明(学)
要明治 西洋明史
崇峻天皇
・・・數准・趨惷・芻唇
推古天皇
・・・水滸・出挙・酔虎
帥子・粋子
の4代に仕えて
54年間にわたり権勢
蘇我 馬子・・・孫・馬史・司馬遷
(そが の うまこ 公孫氏=燕氏=圓(円)氏
葛城円=円大使主
都夫良意富美
欽明天皇十二年?〈551年〉
欽=金欠明治?・・・欽定明治憲法・・・?
君主の命令によって制定
↓↑
・・・金武名・欣明・筋明依=主字は明治に依拠?
金春秋=武烈王=新羅王
武烈王(ブレツオウ・603年~661年)
新羅・第29代の王(在位654年~661年)
姓 金
諱 春秋
養父 第二十五代真智王の子の
伊飡(二等官)の
金龍春(文興葛文王と追封)
母 第二十六代真平王の長女(or次女)の
天明公主(文貞太后と追封)
実父 金龍春の兄の
金龍樹
『旧唐書・新唐書』には
真徳女王の弟と記録
『三国史記』新羅本紀
太宗
武烈王紀の分注では誤りと記録・・・
王妃 角干(一等官)の
金舒玄の娘の
金文姫(文明王后)
金宝姫
金庾信(『三国史記』
中国黄帝の子・少昊の子孫)
の妹
↓↑
金春秋
新羅
唐を撃退した高句麗と
伽耶地方を百済に奪回され疲弊
新羅は隣国の支援を求め
金春秋を高句麗、日本に派遣
大化二年(646年)
日本から遣新羅使として
高向玄理が派遣
新羅から任那への調を廃止させ
新羅から日本に人質を差し出すこととなり
大化三年(647年)
高向は人質、金春秋を伴って帰国
648年
金春秋は唐に派遣され
対高句麗で唐の太宗の厚遇を受け
「特進(正二品)」の地位を与えられ
支援を得ることに成功(唐・新羅の同盟)
649年
金春秋は唐への恭順を示すために
子の
金文王
を唐に残して帰国
唐の高宗の
永徽元年(650年)から
新羅独自の年号を廃止
唐の元号を使用
652年
金春秋が
金武王として即位
唐から
開府儀同三司
新羅王に封じられ
楽浪郡王を増封
654年5月
理法府の令(長官)に命じ
唐の律令を調べさせ
理法府
格(キャク・律令の修正・補足法令、副法)
六十余条を制定
伊飡(二等官)
金剛
を上大等に任命
波珍飡(四等官)
文忠
を中侍(真徳女王代の執事部の長官)に任命
能力本位で要職につけることで
旧来の中央貴族による
上大等制度と
新興の執事部による
政治制度との競合を図り
王権の強化に努めた
658年
文忠を伊飡(二等官)にし
王子の
金文王を中侍に任命
660年1月
上大等
金剛が死亡し
後任に
金庾信
を任命
↓↑
655年1月
高句麗
靺鞨
百済
の連合軍(麗済同盟)
の侵攻で
新羅は
北部辺境の三十三城が奪われ
唐に救援を求めた
唐は
営州都督
「程名振」・・・程に名を振る
右衛中太将
「蘇定方」・・・蘇の定方(定法・常法)
↓↑
「蘇=蘓
=苏=艹+办
艹+丿+力+丶
办=丿+力+丶
=力+八=力は言葉
刅=丿+刀+丶
=ソウ・つくる
きず(傷)・切り傷
きずつく・きずを負う
傷つける
つくる
はじめる
はじめてつくり出す
こらす・懲らしめる・懲りる
戒(いまし)める
↓↑ ↓↑
蘇=ス・ソ
よみがえる・・・読み替える?
草の名「紫苏(しそ)=紫蘇」
始祖・私訴
紙祖=蔡倫
よみがえる・生き返る=復活
草を刈る・草を刈り取る
覚める・目覚める
ふさ・鳥の尾で作った垂れ飾り
フサ=房・総・惣・・・
夫差=夫差11年(紀元前485年)
夫差は軍を率いて
斉を討ち
会盟を開いて
呉が諸侯の盟主であると
認めさせようとしたが
華北の盟主的存在の
晋(晉=㬜)がこれに反対
晋=亚+日・・・並=䒑+业
一+业+日 丷+一+业
竝=傡
晉=一+ムム+一+日 普・普遍
㬜=至(一+ム+十+一)+至+日
勾践の反撃により敗北
勾践=句践
臥薪嘗胆
勾=コウ
とらえる・ひっかけてとらえる
まがる・曲げる
かぎ・L字型にまがったかぎ(鈎)
くぎり・しるし・区切りや印をつける
勾引かす・拐かす
かどわかす(かどわかす)
勾引・拘引(こういん)
勾配(コウバイ)=斜め・斜頸・斜傾
勾欄(コウラン)
勾欄・勾欄・高欄・高欄(コウラン)
まが玉・曲玉・勾玉(まがたま)
急勾配(キュウコウバイ)
勾当(コウトウ)
勾留(コウリュウ)
一筆勾消(コウショウ)
勾張り強くして家押し倒す
↓↑ ↓↑
天勾践を空(虚)すること莫れ
時に范蠡なきにしも非ず
↓↑
「天莫空勾践
時非無范蠡」・・・
時非無=結果論だろう・・・
「ウクライナ」の「范蠡」はダレ?
范=ハン・いがた・かた・のり
草の名
虫の名・蜂(はち・ホウ)
かた・鋳型・鋳造の型
のり(範)・法則・規範
蠡=彖+䖵
彑+乑+虫+虫=蟸=豕+䖵
=䗍=彑+乑+虫
ラ・リ・レイ・かい・にな
ひさご・ほらがい
むしばむ・虫が食う
木食い虫
ひさご
瓢箪を半分に割って作った器
にな・ほらがい・巻き貝の一種
↓↑
「蘇定方」
らを遣わし
高句麗を攻撃
659年
百済が国境を越え侵攻
唐に出兵を求める使者を派遣
660年3月
唐は
水陸13万の兵を
百済に送り
金春秋も
唐軍の総管として
5万の兵でこれを迎え
百済の
義慈王
を降し滅ぼした
11月
金春秋は凱旋し
論功行賞を
中央貴族の
私兵層ではなく
地方豪族や
投降した
旧百済の官人に行い
新羅王の
直轄軍事力の拡大を図った
唐は百済を平定し
五つの都督府を設置
唐に協力した百済の地方豪族を
各地の都督に任じ
旧都の
熊津(ユウシン・くまづ)に
唐軍の鎮将
「劉仁軌」
を駐在させた
百済府城は
後に
唐軍の
対日工作基地となった
661年
金春秋は
唐の高句麗出兵に参加し
軍の北上途上で病に倒れ
661年6月
陣中で病死
金城(慶尚北道慶州市)
永敬寺の北に埋葬
「武烈王」
の諡と太宗の廟号を贈られた
唐の
高宗は
「金春秋」の死を悼んで
洛陽の城門で葬儀
第36代
恵恭王の時代
新羅の祖廟を定め
恵恭王の父
景徳王の祖父
聖徳王とあわせて
金氏の始祖
13代
「味鄒尼師今」
三国統一を為した
武烈王
文武王
を選んで五廟とし
「味鄒尼師今・武烈王・文武王」
の三者については
代々不変の宗とした
・・・つづく・・・
ー↓↑ーー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
↓↑
「  ̄ 」と「_ 」の漢字の位置・位地
「丅=下」と「上=丄」 の漢字の位置・位地
「▔」と「▁」 の漢字の位置・位地
上線(ー)と下線(ー) の位置・位地
地平線 天頂・山頂
海平線 天空・宇宙
↓↑
「亘=わたり=旦+ ̄
=▔+日+▁」・・・日亘=日渡
↓↑
旦=日+▁
あした・明け方・日の出
朝・夜明け・日
はじめる・はじまる
中国演劇で
女性に扮する男役者=女形・おやま
↓↑
小山次郎三郎・・・?
小(亅+ハ)山(凵+l)=旦
=日(曰)+▁・・・?
いわく
磐句の始め
磐余の始め
神武天皇
江戸時代初期に
活躍した操り人形芝居の名人
↓↑
旦那(ダンナ)=家族の男性主人の略称
↓↑
字源
会意・・・「α漢字」と「β漢字」の合体の意味
旦
「日=太陽」+「囗(ー)=土地」・・・?
太陽が地平線から地上に登るさまを象る(字源)
海平線から上空に上(昇)るさま・・・
昇華=ショウカ
個体が液体にならず、気体になる現象
気体が液体にならず、固体になる現象
物事がさらに高い状態に高められること・止揚・揚棄
社会的に認められない欲求を満たすために
芸術や学問などの価値のあるものに
置き換えて満たそうとすること
↓↑
昇
蟻の思いも天に昇る
旭日昇天の勢い
上昇気流に乗る
天にも昇る心地(
蟇(ひき)の息さえ天に昇る(ひき=蝦蟇かえる)
竜は一寸にして昇天の気あり
「あさ=朝=龺+月・・・龺=𠦝
𠦝=十+早
十+日+十=ユウ・・・新部首
zhuó ・ㄓㄨㄛ・・・?
早=日+十
ソウ・サッ
はやい
時間や時期がはやい
朝はやく・明け方
はやく・すみやかに
すぐに
日本語
さ・接頭語で若いの意
はやまる・はやめる
早くなる・早くする」
月=冂+=
月=㇓+𠃌+𠄠
↓↑
朝
を意味する漢語・・・朝=旦
「旦=タン」を表すカン字・・・
その日の
ー(はじまり=始・乨・兘・初・肇)
↓↑
何故、「朝」が「あさ」なのか・・・?
「朝・服」などの「月」は「舟」の省略形
月⇔有・朔・朗・望・期・朞
舟⇔服・朋・朕・朝
↓↑
「月」の字は月の形象
偏旁の意符としては
月の変化や
時間・経過に関することを示す
↓↑
「舟=⸍+丹+l
⸍+㇓+𠃌+ー+¦( ⸌ + ₗ )」
の変形の「月」
「ふなづき」を構成要素とする漢字
舟
シュウ・シュ
ふな
ふね・こぶね
水上を移動するための道具
うけだらい=受け盥(泴)
盥=𦥑+水+皿
𠀉+水+彐+皿
カン・すすぐ(濯ぐ・湔)
そそぐ(灌ぐ・濯ぐ・潅ぐ)
たらい=槃・手洗
あらう・そそぐ・手を洗う
祭器をのせるための盤
おびる・身につける
日本語
たらい。手を洗うのに用いる器
ふね・水や湯などの液体を入れる桶
湯舟
↓↑
「肉」に由来する「月」
⺼=月=肉(ジク)=宍
「にくづき」は肉部に収録されているが
「有」の「月」は「肉」に由来するが
肉部ではなく月部に収録・・・
↓↑
康熙字典体
「つき」の内部の
2つの横棒(=)は
右の縦棒に付かず
少し離れた字形
「ふなづき」は
「舟」同様
内部の2つの筆画を
横ではなく「点=¦」
↓↑
日本の新字体
中国の新字形
台湾の国字標準字体
ではこれらを
右の縦棒と付いた
「月」の形に統一
↓↑
「朝」
月部
チョウ
あさ
あした=明日
太陽が出てからしばらくの間
午前中
天子が政治を行う場所
朝廷に参内して天子にお目にかかる
一人の天子が統治した期間
同じ系統の君主が統治した時代
↓↑
十=足(たり)=拾=ひろう
+
日
+
十=足(たり)=拾=ひろう
+
月=肉(にく・ジク)=冂+仌(冰・氷)
冂+人+人
ナゼ「仌(冰・氷)=こおり」なのかは
「仌=背骨」が
「氷柱(つらら)」の形に
似ているからだろう・・・
=宍
ニク・ジク・しし
にく・しし・鳥や獣の切った肉
身体・人間の身体・肉体・肌
肉付く・肉がつく
声・歌声・肉声
日本語
食用の肉
物の厚み・太さ
or
舟(ふね・ソウ)
↓↑
太陽(日)が地平線(⸏)から出現す形象
これは楷書の形に基づいた誤った分析・・・
ではない・・・だろう
漢字の
「旦」の「一」の位置は
「地底(⸏)と地上の境界線」である・・・
甲骨文字の形は「旦」の下端の横線は
「囗=國・領域」に由来する為に
「地平線」とは関係が無い・・・有るのさ?
「或+囗=國」・「或⇔惑」
「倭足=渉=わたる=亙
=亘=  ̄+旦
=  ̄+日(太陽)+ _
=亙=互(かわら)+⺀」
瓦葺きの屋根
瓦(かわら)=互+丶
互=ㄥ+ユ=相互に嚙み並る
𠄠=⺀・・・
工=二+l=巧・匠=たくみ
王=≡+l=天-人-地-繋ぐ棒
↓↑
「亙」の基本情報
コウ
わたる・渡す
つらなる・つなぐ・端から端まで続く
↓↑
國=囗+或=囗+㦯(或)・・・戈+口+_
逆字の 戈+ム+一
↓↑
「𠮛⇔口+_」・・・ハジメ(  ̄ )の囗=國
の異体字 囗の始( _ )まり
乨=ム+囗(國)+乚
兘=二+儿+ム+囗(國)
「𠫔=ム+ _ 」・・・ハジメのム=よこしま
ハジメのム=私=己=我=余=朕
=よこしま=邪=耶=揣摩
=横島・横嶋・横嶌
島大臣=蘇我馬子
敏達朝で大臣
用明天皇
幼名・要明・用名・洋明・陽明(学)
要明治 西洋明史
崇峻天皇
・・・數准・趨惷・芻唇
推古天皇
・・・水滸・出挙・酔虎
帥子・粋子
の4代に仕えて
54年間にわたり権勢
蘇我 馬子・・・孫・馬史・司馬遷
(そが の うまこ 公孫氏=燕氏=圓(円)氏
葛城円=円大使主
都夫良意富美
欽明天皇十二年?〈551年〉
欽=金欠明治?・・・欽定明治憲法・・・?
君主の命令によって制定
↓↑
・・・金武名・欣明・筋明依=主字は明治に依拠?
金春秋=武烈王=新羅王
武烈王(ブレツオウ・603年~661年)
新羅・第29代の王(在位654年~661年)
姓 金
諱 春秋
養父 第二十五代真智王の子の
伊飡(二等官)の
金龍春(文興葛文王と追封)
母 第二十六代真平王の長女(or次女)の
天明公主(文貞太后と追封)
実父 金龍春の兄の
金龍樹
『旧唐書・新唐書』には
真徳女王の弟と記録
『三国史記』新羅本紀
太宗
武烈王紀の分注では誤りと記録・・・
王妃 角干(一等官)の
金舒玄の娘の
金文姫(文明王后)
金宝姫
金庾信(『三国史記』
中国黄帝の子・少昊の子孫)
の妹
↓↑
金春秋
新羅
唐を撃退した高句麗と
伽耶地方を百済に奪回され疲弊
新羅は隣国の支援を求め
金春秋を高句麗、日本に派遣
大化二年(646年)
日本から遣新羅使として
高向玄理が派遣
新羅から任那への調を廃止させ
新羅から日本に人質を差し出すこととなり
大化三年(647年)
高向は人質、金春秋を伴って帰国
648年
金春秋は唐に派遣され
対高句麗で唐の太宗の厚遇を受け
「特進(正二品)」の地位を与えられ
支援を得ることに成功(唐・新羅の同盟)
649年
金春秋は唐への恭順を示すために
子の
金文王
を唐に残して帰国
唐の高宗の
永徽元年(650年)から
新羅独自の年号を廃止
唐の元号を使用
652年
金春秋が
金武王として即位
唐から
開府儀同三司
新羅王に封じられ
楽浪郡王を増封
654年5月
理法府の令(長官)に命じ
唐の律令を調べさせ
理法府
格(キャク・律令の修正・補足法令、副法)
六十余条を制定
伊飡(二等官)
金剛
を上大等に任命
波珍飡(四等官)
文忠
を中侍(真徳女王代の執事部の長官)に任命
能力本位で要職につけることで
旧来の中央貴族による
上大等制度と
新興の執事部による
政治制度との競合を図り
王権の強化に努めた
658年
文忠を伊飡(二等官)にし
王子の
金文王を中侍に任命
660年1月
上大等
金剛が死亡し
後任に
金庾信
を任命
↓↑
655年1月
高句麗
靺鞨
百済
の連合軍(麗済同盟)
の侵攻で
新羅は
北部辺境の三十三城が奪われ
唐に救援を求めた
唐は
営州都督
「程名振」・・・程に名を振る
右衛中太将
「蘇定方」・・・蘇の定方(定法・常法)
↓↑
「蘇=蘓
=苏=艹+办
艹+丿+力+丶
办=丿+力+丶
=力+八=力は言葉
刅=丿+刀+丶
=ソウ・つくる
きず(傷)・切り傷
きずつく・きずを負う
傷つける
つくる
はじめる
はじめてつくり出す
こらす・懲らしめる・懲りる
戒(いまし)める
↓↑ ↓↑
蘇=ス・ソ
よみがえる・・・読み替える?
草の名「紫苏(しそ)=紫蘇」
始祖・私訴
紙祖=蔡倫
よみがえる・生き返る=復活
草を刈る・草を刈り取る
覚める・目覚める
ふさ・鳥の尾で作った垂れ飾り
フサ=房・総・惣・・・
夫差=夫差11年(紀元前485年)
夫差は軍を率いて
斉を討ち
会盟を開いて
呉が諸侯の盟主であると
認めさせようとしたが
華北の盟主的存在の
晋(晉=㬜)がこれに反対
晋=亚+日・・・並=䒑+业
一+业+日 丷+一+业
竝=傡
晉=一+ムム+一+日 普・普遍
㬜=至(一+ム+十+一)+至+日
勾践の反撃により敗北
勾践=句践
臥薪嘗胆
勾=コウ
とらえる・ひっかけてとらえる
まがる・曲げる
かぎ・L字型にまがったかぎ(鈎)
くぎり・しるし・区切りや印をつける
勾引かす・拐かす
かどわかす(かどわかす)
勾引・拘引(こういん)
勾配(コウバイ)=斜め・斜頸・斜傾
勾欄(コウラン)
勾欄・勾欄・高欄・高欄(コウラン)
まが玉・曲玉・勾玉(まがたま)
急勾配(キュウコウバイ)
勾当(コウトウ)
勾留(コウリュウ)
一筆勾消(コウショウ)
勾張り強くして家押し倒す
↓↑ ↓↑
天勾践を空(虚)すること莫れ
時に范蠡なきにしも非ず
↓↑
「天莫空勾践
時非無范蠡」・・・
時非無=結果論だろう・・・
「ウクライナ」の「范蠡」はダレ?
范=ハン・いがた・かた・のり
草の名
虫の名・蜂(はち・ホウ)
かた・鋳型・鋳造の型
のり(範)・法則・規範
蠡=彖+䖵
彑+乑+虫+虫=蟸=豕+䖵
=䗍=彑+乑+虫
ラ・リ・レイ・かい・にな
ひさご・ほらがい
むしばむ・虫が食う
木食い虫
ひさご
瓢箪を半分に割って作った器
にな・ほらがい・巻き貝の一種
↓↑
「蘇定方」
らを遣わし
高句麗を攻撃
659年
百済が国境を越え侵攻
唐に出兵を求める使者を派遣
660年3月
唐は
水陸13万の兵を
百済に送り
金春秋も
唐軍の総管として
5万の兵でこれを迎え
百済の
義慈王
を降し滅ぼした
11月
金春秋は凱旋し
論功行賞を
中央貴族の
私兵層ではなく
地方豪族や
投降した
旧百済の官人に行い
新羅王の
直轄軍事力の拡大を図った
唐は百済を平定し
五つの都督府を設置
唐に協力した百済の地方豪族を
各地の都督に任じ
旧都の
熊津(ユウシン・くまづ)に
唐軍の鎮将
「劉仁軌」
を駐在させた
百済府城は
後に
唐軍の
対日工作基地となった
661年
金春秋は
唐の高句麗出兵に参加し
軍の北上途上で病に倒れ
661年6月
陣中で病死
金城(慶尚北道慶州市)
永敬寺の北に埋葬
「武烈王」
の諡と太宗の廟号を贈られた
唐の
高宗は
「金春秋」の死を悼んで
洛陽の城門で葬儀
第36代
恵恭王の時代
新羅の祖廟を定め
恵恭王の父
景徳王の祖父
聖徳王とあわせて
金氏の始祖
13代
「味鄒尼師今」
三国統一を為した
武烈王
文武王
を選んで五廟とし
「味鄒尼師今・武烈王・文武王」
の三者については
代々不変の宗とした
・・・つづく・・・
ー↓↑ーー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます