オフクロが生きていた時から
薬箱がアッチコッチにあるけれどナンのクスリなのか・・・
「薬子の変=平城太上天皇の変」
っていう事件があったけれど
薬=艹+楽(樂・㦡)
草の下=根子・芋魁(ウカイ・かしらいも)芋渠
くさか=六月一日
=うりはり・うりわり・くさか・さいぐさ・むりはり
草香=くさか=草加=日下=日の下
根子の芋 渠=魁(カイ・ケ・かしら=頭・先駆け)
北斗七星の「魁星・斗魁」
遊郭の「花魁(おいらん)」
薩摩芋・🍠・塊根・・・塊(カイ・ケ・かたまり)
甘芋(カンショ・あまいも)=甘藷(艹+言+者)
・・・あまい=阿毎
薯=艹+署(ショ・いも=妹)
署=罒+土+ノ+日
アマイモ(amaimo)アマナの別称
ユリ(百合)科の多年草・園芸植物
百(ー+曰)+合(亼+口
𠆢+𠮛(ー+口)
𠮛=𠫔=ー+ム
𠮛=旨(うまい=甘い)=「匕・匕・七」+日
薬用植物学名 Tulipa edulis
サツマイモ (薩摩芋・ 学名: Ipomoea batatas)
ヒルガオ(昼顔)科 サツマイモ属 の 多年生植物
甘藷・唐芋・琉球薯
薬=日+下+幺+白+幺+十+八
=日+下+忄+幺+白+幺+十+八
子=ー+了=「児・童・兒(臼+儿)」=思想=始終・終始
「変」だけれど「くすシ(薬師・医=醫)の変」
・・譯詞(やくし)の変?

810年(大同五年)・・・大同語念
故桓武天皇の皇子
平城上皇
と
嵯峨天皇
が対立し
嵯峨天皇側が兵を動かし
平城上皇が出家し決着
平城上皇の
愛妾の
「尚侍・藤原薬子」
や、その兄の
「参議・藤原仲成」
らが処罰された
平城天皇の即位
伊予親王事件
延暦二十五年(806年)
桓武天皇崩御
皇太子
安殿親王(平城天皇)即位
平城天皇は弟の
神野親王を
皇太弟とした
理由は
平城天皇が病弱でその子供達も幼かった
大同二年(807年)
天皇の異母弟
伊予親王
が突然謀反の罪を着せられて死に追い込まれ
皇位継承を巡る
宮廷内部の紛争は収まらなかった

大同四年(809年)四月
嵯峨天皇の即位
「二所朝廷」の成立
平城天皇発病しその原因を
叔父
早良親王
伊予親王
の祟りによるものと考え
禍を避けるために
譲位を決意したが
天皇の寵愛を受け
専横を極めていた
「尚侍・藤原薬子」
とその兄の
「参議・藤原仲成」
は極力反対
しかし
四月十三日
神野親王(嵯峨天皇)が即位
皇太子に
平城天皇の三男
高岳親王
が立てられた
大同四年十二月(810年1月、2月)
平城上皇は
旧都の平城京へ移る
平城上皇が天皇の時に設置した
「観察使の制度」
を
嵯峨天皇が改めようとし
平城上皇が怒り
「二所朝廷」
といわれる対立が始まる
平城上皇の復位を
「藤原薬子」
と
「藤原仲成」
は助長した
薬子の役職
「尚侍」
は天皇による
太政官への
「命令書=内侍宣」
の発給を掌っており
太上天皇には
天皇と同様に国政に関与できた・・・
(例:孝謙上皇と淳仁天皇の職権分割)
上皇が
「薬子の職権」で
「内侍宣」を出し
太政官を動かす事態・・・も
大同五年(810年)正月
嵯峨天皇が
病に倒れて元日の朝賀が中止になり
上皇復権の可能性・・・
大同五年七月
嵯峨天皇が東宮に遷御し
天皇の神璽を
上皇に返却の意思=退位を示した・・・?
嵯峨天皇は
大同五年(810年)三月
蔵人所を設置
六月
観察使を廃止し
参議を復活
九月六日
平城上皇は
平安京を廃し
平城京へ遷都する詔勅を出し
嵯峨天皇は
詔勅に従うとして
信任者の
坂上田村麻呂
藤原冬嗣
紀田上
らを
造宮使に任命
嵯峨天皇は
遷都を拒否の決断をし
九月十日
使節を発して
伊勢国・近江国・美濃国
の国府と関を固めさせ
「藤原仲成」
を捕らえ監禁、佐渡権守に左遷
「薬子の官位=尚侍(ないしのかみ・ショウジ)」
尚=⺌+冋=尙
丨+丷+冂+口
ショウ
なお
たっとぶ・とうとぶ・敬い重んじる
くわえる・付け加える
たかい・たかくする
こいねがう・希望する
「なお・その上・さらにその上」の意
「なお・やはり・依然として」の意
「こいねがわくは」
「~を願う・どうか~であってほしい」
を剥奪し

十一日
平城上皇は激怒し
東国に赴き挙兵を決断
上皇は薬子とともに輿にのって東に向かった
嵯峨天皇は
坂上田村麻呂に上皇の東向阻止を命じた
夜
「藤原仲成」
は射殺され
これ以降
保元元年(1156年)
「保元の乱」
で
「源為義」
が死刑執行されるまで
約346年間一件も無かった・・・
平城上皇と薬子は
大和国
添上郡
田村まで来たところで
勝機がないと悟って平城京へ戻った
十二日
平城上皇は剃髮して出家
薬子は毒を仰いで自殺
九月十七日
越前介の
「安倍清継」
らが上皇に加担したとして
捕らえられた
弘仁十五年(824年)
平城上皇の崩御の際
嵯峨上皇の要望によって
後継の
淳和天皇の名で関係者の赦免
空海は
嵯峨天皇側の勝利を祈念
「薬子の変」
の首謀者は
「藤原仲成」
「藤原薬子」
兄妹であると前提的に云われてきた?
首謀者は上皇・・・
仲成・薬子兄妹
に責任転嫁させられた?
薬箱
「亟=はこ」に詰めて何を贈るつもりか
札幌→琴似→手稲→朝里→銭函→小樽
事に 丁寧 漁り 選凾 鼓樽
北極
南極
極=木+「䓧・焏」・・・極秘
亟=丂+叹+一
了+叹+一
丂+口+又+一
乛+亅+口+又+一
キ・キョク
しばしば
すみやか・はやく・急いで
あわただしい
しばしば・くりかえして・何度も
函館=凾館(はこだて)
l+亟+l・・・函=乛+氺(水)+凵
口+了+又+凵 異体字
圅=マ+¥+囗
¥=「Y+=」
ワイ ニ
倭意 爾
龴+囗+丷+干
口+丂+又+凵 氶=乛+水(氺)
口+了+又+凵 丞=乛+水(氺)+_
¥+一=羊=「Y+三」?
↓↑
楽羊啜子(ガクヨウテッシ)
楽羊が主君への忠義を貫いた故事
逆に信用されなくなった故事
「啜=すすって飲むこと」
戦国時代の魏の将軍の楽羊は
息子を人質にとられ吸い物に調理され
忠義を尽くすためにその吸い物を飲むと
敵は忠誠心に恐れをなして降伏したが
味方の信用を失った
岐路亡羊(キロボウヨウ)
進路や方針が多すぎて
選択に迷うこと
学問の道が細かく分かれすぎて
学問の根本を捉えにくいこと
牽羊悔亡(ケンヨウカイボウ)
正しい方向を教えて導けば
後悔せずにすむということ
羊は本能的に他の羊とぶつかって
角が絡むまで前進し続けるので
羊飼いは羊を導く必要があるということ
告朔餼羊(コクサクノキヨウ)
昔からの習慣や行事などを
理由もなく止めるべきではないということ
実質がなくなっていて
形式だけが残っていることのたとえ
「告朔=天子が諸侯に与えた新年の暦を
祖先の廟に納め、毎月一日に祭事を行い
その月の暦を国内に施行した儀式
告朔の意義が廃れ
羊を供える儀式だけが残った時
いけにえを廃止しようとしたが
孔子が告朔の儀式が
全て廃れてしまうのを惜しんだ故事
虎皮羊質(コヒヨウシツ)
外見は立派だが、中身が伴わないこと
虎の皮を羊に被せること
十羊九牧(ジュウヨウキュウボク)
人口の割りに役人が多すぎること
十頭の羊に九人の羊飼い
多岐亡羊(タキボウヨウ)
進路や方針が多すぎて
選択が出来なくなること
羝羊触藩(テイヨウショクハン)
勇気だけで勢いよく突き進む人は
どうにも出来ない状況に陥る
どうにもできない状況のたとえ
「羝羊=雄羊」
「触藩=生垣に突っ込むこと」
屠所之羊(トショのヒツジ)
次第に死期に近づいていくこと
屠殺場に連れて行かれる羊
屠羊之肆(トヨウのシ)
身の程に相応しい仕事
「屠=獣を殺すこと」
「肆=店」
羊を殺して肉を売る店
読書亡羊(ドクショボウヨウ)
重要なことを忘れて
他のことに夢中になること
「亡羊=羊に逃げられるこ」
羊の見張りをしていた二人の男は
一人は読書に
一人は博打に夢中になって
見張りを忘れて
羊に逃げられてしまったが
読書も博打も同罪であるということ
肉袒牽羊(ジクタンケンヨウ)
降伏し相手に臣下にしてと請い願うこと
「肉袒=上半身を脱ぎ裸になること」
どんな罰でも受けるという
降伏の意思を表すこと
亡羊之嘆(ボウヨウのタン)
進路や方針が多すぎて
何を選ぶべきかわからなくなること
学問の道が細かく分かれすぎ
学問の根本を捉えにくいこと
望羊之嘆(ボウヨウのタン)
はるか上を見上げて嘆き悲しむこと
どうにもできない状況を嘆くこと
亡羊補牢(ボウヨウホロウ)
失敗した後に悪い部分を改善すること
失敗してもすぐに改めれば
過ちが大きくならずにすむということ
羊裘垂釣(ヨウキュウスイチョウ)
世間から離れてのんびり隠居暮らし
「羊裘=羊の皮衣」
「釣=釣り針」
羊很狼貪(ヨウコンロウドン)
荒々しく道理に背き
どこまでも貪欲なこと
「羊很=乱暴な荒々しい羊」
命令に従わずに道理に背くこと
「狼貪=狼のように欲深くむさぼること」。
羊質虎皮(ヨウシツコヒ)
外見は立派だが、中身が伴わないこと
「虎皮羊質」
羊腸小径(ヨウチョウショウケイ)
曲がりくねっている山道や小道のこと
「径=道のこと」
羊の腸のような道という意味
羊頭狗肉(ヨウトウクニク)
外見は立派だが中身が無いこと
「羊頭を懸げて狗肉を売る」の略語
羊の頭を看板に掲げ
実際には犬の肉を売るという意味
ーー↓↑
北=丬+匕(𠤎・匕・匕・・七)
(牝・匙・匕首・七)
七(7)⇔𠤎(牝・雌)
匕(匙・匕首)
弋=𢍺=弌=𢍻・𢍼
㇢・㇃・㇄・㇒・㇓・㇔
䂖=丆+ヽ+口=石
匕(ヒ)=匕(𠤎・匕・匕・ヒ・七)
鷰=廿+北+口+鳥=燕=鳦
北=丬+匕(𠤎・匕・匕・ヒ・七)
(牝・匙・匕首・七)
七(7)⇔漆=柒=㲺+木
匕(匙・匕首)
七・匕首(あいくち)
ヒ(牝・めす・𠤎(牝・雌))
比=上+匕
ト+_+乚+一
弋=「𢍺=七+丶」
=弌=弋+ー
=𢍼
=𢍻=丂+弋
匕・匕・七・ヒ
弋=ー+㇂(㇏)+丶
㲺=氵+匕
=柒=㲺+木=うるし
=氵+七
シツ・シチ
そそぐ=注(灌・潅・濯・雪)ぐ
あらう=洗う(洗濯)=灑
漆=七=柒=㲺+木
=うるし
かぶれる・皮膚病
「湿疹(皮膚炎)」
原因物質に
直接皮膚が触れることで
起こる「かぶれ=接触皮膚炎」
耂=耇=耈=老+句
・・・蛯・蝦・海老
蘇我蝦夷
(カイ・えぞ・えみし)
句=勹+口
曲がった老人の腰?
耂=コウ・クの略字
「年寄り・老人・おいる」
漢字の冠(かんむり)の一
「おいかんむり(老冠)
おいがしら(老頭)」
者=もの・人
行為や状態の主体を表す
「作者・勇者」
こと・特定のことがらを指す
「前者・後者」
は・とは・ば・~れば
強調や仮定の条件を表す助字
時を表す語
=特定の人、物を指し示すことば
「は・ものは・とは」
主語を強調することば
時を示す語に添える助字
発音はしない
「今者(いま) 昔者(むかし)」
「緖=糸+者」
物事の起り・発端・始め
ひも(紐)・長く続つづくもの
ー↓↑ーー
命婦(メイフ・みょうぶ)
女官・・・音名の咸(関)
五位・・・語彙・語意・語異・呉委
以上・・・移譲・委譲・移乗・異常
囲繞=イジョウ・イニョウ
まわりを取り囲むこと
ぐるっと・ぐるり
囲い・囲み・囲む・囲う
包囲・遠巻き・取り巻く
=囲遶
↓↑
命婦・・・内侍司(ナイジシ)の務め
天皇の儀式、神事に限られるようになり
朝賀や 即位式
に奉仕する女性は
褰帳命婦
威儀命婦
立春の際の水取命婦
春日祭の際の博士命婦
中国の『周礼』
内外の官
「命夫・命婦」官の存在記録
日本
「命婦」の名称のみを採用し
「命夫」にあたる男官・呼称については
採用されなかった
「命婦」
『職員令義解』の
「中務省条に規定」
五位以上の女性を
「内命婦(うちのみょうぶ)」
五位以上の官人の妻のことを
「外命婦(げのみょうぶ)」
「命婦」は官職ではなく
所属官司の職掌に
奉仕する地位で
官位相当や定員はなかった
女王の場合
五位以上の位階なくとも
「内命婦」
に列せられた
奈良時代まで
宮中に仕える女性は
命婦を含めて宮人と称した
平安時代以降は
宮人と命婦は区別された
↓↑
命婦の奉仕
「内侍司(ないしのつかさ)・・・ナイジシ?
の務めで
天皇の儀式
神事に限られ
朝賀や即位式などの
奉仕する女性
褰帳命婦
威儀命婦
立春の際の水取命婦
春日祭の際の博士命婦
摂関政治がはじまる頃
命婦は
「中臈(チュウロウ)」
の女房の称号となり
父や夫の官職に因んで
少将命婦
少輔命婦
中務命婦
小馬命婦
などと称するようになり
固有名詞となっていった
↓↑
江戸時代
命婦は4・5名
女蔵人(にょくろうど)
御差(おさし)
とともに構成した
御下(おしも)
と呼ばれる
下級女房層を構成した三職を合わせ
定員七名
命婦の上首は
「伊予」
の名称で呼ばれ
命婦、御下全体を統括する役目を担い
江戸時代には
壬生官務家出身者が選ばれ
次第に形式的な地位となった
次席は
「大御乳人(おおおちのひと)」
で、本来は
当代の天皇の
乳母を務めた人に対する待遇
後には熟練の女官として
「掌侍」の上首である
「勾当内侍」を補佐し
宮廷内外と勾当内侍との間の
取次や事務処理を行った
次第に
大御乳人の出身も
局務家の
押小路家
上北面の
松室家
下鴨社社司の
梨木家
の3家出身者が占めた
「大御乳人」
天皇が代替わりをすると
「伊予」は職に留まるが
「大御乳人」は職を退いた
それ以外の命婦は
「上野・越後・能登」
といった国名で呼ばれ
伊予や大御乳人を補佐するとともに
当時の命婦の職務
朝の天皇御座所の清掃
天皇の食事の補助
夕方の天皇皇后の入浴補助を行った
↓↑
『日本書紀』
「崇神天皇八年十二月二十日
垂仁天皇二十五年二月八日の条に
「大夫」の文字がある
が
「大夫」
は律令制度における官位の呼称で
律令制が確立される以前の
崇神・垂仁天皇の代に
「大夫」という呼び方や官職はなかった・・・
『日本書紀』編纂時の
執筆者が加えた文飾?
大臣や側近の意味で使用
↓↑
時代が下って
「大夫」
五位の通称
転じて身分のある者への呼びかけ
名の一部
名誉的な称号として
「大夫(太夫)=たゆう」を称するようになった
↓↑
伊勢神宮の神職の
権禰宜が五位に叙せられ
神職
後に神職でも下位の者での
「御師」・・・オンシ
を
「太夫」
と呼ぶようになった
↓↑
江戸時代の武家
家老職=太夫
と呼ぶことがあった
↓↑
芸能
里神楽
太神楽
の長を
「太夫」と称した
↓↑
能楽
猿楽座(座)
派の長(観世太夫など)
を指し
古くは
「シテ」の尊称として使用
↓↑
浄瑠璃
江戸時代以降
音曲を語る者
その名の一部に用いる
(竹本義太夫・女性には用いない)
↓↑
歌舞伎
江戸時代
歌舞伎の一座の
「座元=太夫」
座元の息子や跡継ぎを
「若太夫」
「立女形」の尊称
↓↑
遊廓
江戸吉原
京島原大坂新町
「官許の遊女」
で最高位にある者への呼称
「松の位」とも呼ばれ
その名の一部にも用いられた
「夕霧太夫
吉野太夫
高尾太夫
など」
宝暦四年(1754年)
廃止され
江戸・吉原では以後の名称は
「花魁(おいらん)」
に変わったが
京・島原、大坂・新町では
「太夫」の名称が残り
嶋原では現在も
数名の「太夫」が存在・・・「遊女」?
↓↑ ↓↑
作物所(つくも-どころ)
つくも (福井市) - 福井県福井市の地名
つくも (長崎市) - 長崎県長崎市の地名
つくも町 - 広島県安芸郡海田町の地名
石川県鳳珠郡能登町付近にある九十九湾
かつて運行されていた列車名」
「九十九髪(つくもがみ)」の略」
「植物フトイ(太藺・莞)の古名
抽水性多年草(和名抄)」
「八十八(やそや)」
↓↑ ↓↑
作物所(つくも-どころ)
作物所
平安時代に成立した天皇の家政機関の1つ
天皇・皇后・東宮などが
宮中で用いる調度品(銀器・木器など)を
製作する「所」
令外官の一つ
職員には
別当・預 ( あずかり)・内竪 (ないじゅ)・冶師
蔵人頭を別当に補す
作物司 (つくもづかさ)
九十九・津雲・津久茂・津久毛
↓↑ ↓↑
雑=杂(卆八・九十八)+隹
九拾・・・杂⇔染⇔そめる=涅・初・襲
色を襲(かさねる・龍+衣)
踏襲=継=繼=蹈襲
雜=卒(亠人人十)+八+隹=雜
音人々乂(交・拾・足)
捌 舊鳥(短尾の鳥)
まじる・まぜる・ザツ・ゾウ
卆=卒=襟元
乱雑・粗雑・煩雑・雑炊・雑念・雑文
↓↑
薬箱がアッチコッチにあるけれどナンのクスリなのか・・・
「薬子の変=平城太上天皇の変」
っていう事件があったけれど
薬=艹+楽(樂・㦡)
草の下=根子・芋魁(ウカイ・かしらいも)芋渠
くさか=六月一日
=うりはり・うりわり・くさか・さいぐさ・むりはり
草香=くさか=草加=日下=日の下
根子の芋 渠=魁(カイ・ケ・かしら=頭・先駆け)
北斗七星の「魁星・斗魁」
遊郭の「花魁(おいらん)」
薩摩芋・🍠・塊根・・・塊(カイ・ケ・かたまり)
甘芋(カンショ・あまいも)=甘藷(艹+言+者)
・・・あまい=阿毎
薯=艹+署(ショ・いも=妹)
署=罒+土+ノ+日
アマイモ(amaimo)アマナの別称
ユリ(百合)科の多年草・園芸植物
百(ー+曰)+合(亼+口
𠆢+𠮛(ー+口)
𠮛=𠫔=ー+ム
𠮛=旨(うまい=甘い)=「匕・匕・七」+日
薬用植物学名 Tulipa edulis
サツマイモ (薩摩芋・ 学名: Ipomoea batatas)
ヒルガオ(昼顔)科 サツマイモ属 の 多年生植物
甘藷・唐芋・琉球薯
薬=日+下+幺+白+幺+十+八
=日+下+忄+幺+白+幺+十+八
子=ー+了=「児・童・兒(臼+儿)」=思想=始終・終始
「変」だけれど「くすシ(薬師・医=醫)の変」
・・譯詞(やくし)の変?

810年(大同五年)・・・大同語念
故桓武天皇の皇子
平城上皇
と
嵯峨天皇
が対立し
嵯峨天皇側が兵を動かし
平城上皇が出家し決着
平城上皇の
愛妾の
「尚侍・藤原薬子」
や、その兄の
「参議・藤原仲成」
らが処罰された
平城天皇の即位
伊予親王事件
延暦二十五年(806年)
桓武天皇崩御
皇太子
安殿親王(平城天皇)即位
平城天皇は弟の
神野親王を
皇太弟とした
理由は
平城天皇が病弱でその子供達も幼かった
大同二年(807年)
天皇の異母弟
伊予親王
が突然謀反の罪を着せられて死に追い込まれ
皇位継承を巡る
宮廷内部の紛争は収まらなかった

大同四年(809年)四月
嵯峨天皇の即位
「二所朝廷」の成立
平城天皇発病しその原因を
叔父
早良親王
伊予親王
の祟りによるものと考え
禍を避けるために
譲位を決意したが
天皇の寵愛を受け
専横を極めていた
「尚侍・藤原薬子」
とその兄の
「参議・藤原仲成」
は極力反対
しかし
四月十三日
神野親王(嵯峨天皇)が即位
皇太子に
平城天皇の三男
高岳親王
が立てられた
大同四年十二月(810年1月、2月)
平城上皇は
旧都の平城京へ移る
平城上皇が天皇の時に設置した
「観察使の制度」
を
嵯峨天皇が改めようとし
平城上皇が怒り
「二所朝廷」
といわれる対立が始まる
平城上皇の復位を
「藤原薬子」
と
「藤原仲成」
は助長した
薬子の役職
「尚侍」
は天皇による
太政官への
「命令書=内侍宣」
の発給を掌っており
太上天皇には
天皇と同様に国政に関与できた・・・
(例:孝謙上皇と淳仁天皇の職権分割)
上皇が
「薬子の職権」で
「内侍宣」を出し
太政官を動かす事態・・・も
大同五年(810年)正月
嵯峨天皇が
病に倒れて元日の朝賀が中止になり
上皇復権の可能性・・・
大同五年七月
嵯峨天皇が東宮に遷御し
天皇の神璽を
上皇に返却の意思=退位を示した・・・?
嵯峨天皇は
大同五年(810年)三月
蔵人所を設置
六月
観察使を廃止し
参議を復活
九月六日
平城上皇は
平安京を廃し
平城京へ遷都する詔勅を出し
嵯峨天皇は
詔勅に従うとして
信任者の
坂上田村麻呂
藤原冬嗣
紀田上
らを
造宮使に任命
嵯峨天皇は
遷都を拒否の決断をし
九月十日
使節を発して
伊勢国・近江国・美濃国
の国府と関を固めさせ
「藤原仲成」
を捕らえ監禁、佐渡権守に左遷
「薬子の官位=尚侍(ないしのかみ・ショウジ)」
尚=⺌+冋=尙
丨+丷+冂+口
ショウ
なお
たっとぶ・とうとぶ・敬い重んじる
くわえる・付け加える
たかい・たかくする
こいねがう・希望する
「なお・その上・さらにその上」の意
「なお・やはり・依然として」の意
「こいねがわくは」
「~を願う・どうか~であってほしい」
を剥奪し

十一日
平城上皇は激怒し
東国に赴き挙兵を決断
上皇は薬子とともに輿にのって東に向かった
嵯峨天皇は
坂上田村麻呂に上皇の東向阻止を命じた
夜
「藤原仲成」
は射殺され
これ以降
保元元年(1156年)
「保元の乱」
で
「源為義」
が死刑執行されるまで
約346年間一件も無かった・・・
平城上皇と薬子は
大和国
添上郡
田村まで来たところで
勝機がないと悟って平城京へ戻った
十二日
平城上皇は剃髮して出家
薬子は毒を仰いで自殺
九月十七日
越前介の
「安倍清継」
らが上皇に加担したとして
捕らえられた
弘仁十五年(824年)
平城上皇の崩御の際
嵯峨上皇の要望によって
後継の
淳和天皇の名で関係者の赦免
空海は
嵯峨天皇側の勝利を祈念
「薬子の変」
の首謀者は
「藤原仲成」
「藤原薬子」
兄妹であると前提的に云われてきた?
首謀者は上皇・・・
仲成・薬子兄妹
に責任転嫁させられた?
薬箱
「亟=はこ」に詰めて何を贈るつもりか
札幌→琴似→手稲→朝里→銭函→小樽
事に 丁寧 漁り 選凾 鼓樽
北極
南極
極=木+「䓧・焏」・・・極秘
亟=丂+叹+一
了+叹+一
丂+口+又+一
乛+亅+口+又+一
キ・キョク
しばしば
すみやか・はやく・急いで
あわただしい
しばしば・くりかえして・何度も
函館=凾館(はこだて)
l+亟+l・・・函=乛+氺(水)+凵
口+了+又+凵 異体字
圅=マ+¥+囗
¥=「Y+=」
ワイ ニ
倭意 爾
龴+囗+丷+干
口+丂+又+凵 氶=乛+水(氺)
口+了+又+凵 丞=乛+水(氺)+_
¥+一=羊=「Y+三」?
↓↑
楽羊啜子(ガクヨウテッシ)
楽羊が主君への忠義を貫いた故事
逆に信用されなくなった故事
「啜=すすって飲むこと」
戦国時代の魏の将軍の楽羊は
息子を人質にとられ吸い物に調理され
忠義を尽くすためにその吸い物を飲むと
敵は忠誠心に恐れをなして降伏したが
味方の信用を失った
岐路亡羊(キロボウヨウ)
進路や方針が多すぎて
選択に迷うこと
学問の道が細かく分かれすぎて
学問の根本を捉えにくいこと
牽羊悔亡(ケンヨウカイボウ)
正しい方向を教えて導けば
後悔せずにすむということ
羊は本能的に他の羊とぶつかって
角が絡むまで前進し続けるので
羊飼いは羊を導く必要があるということ
告朔餼羊(コクサクノキヨウ)
昔からの習慣や行事などを
理由もなく止めるべきではないということ
実質がなくなっていて
形式だけが残っていることのたとえ
「告朔=天子が諸侯に与えた新年の暦を
祖先の廟に納め、毎月一日に祭事を行い
その月の暦を国内に施行した儀式
告朔の意義が廃れ
羊を供える儀式だけが残った時
いけにえを廃止しようとしたが
孔子が告朔の儀式が
全て廃れてしまうのを惜しんだ故事
虎皮羊質(コヒヨウシツ)
外見は立派だが、中身が伴わないこと
虎の皮を羊に被せること
十羊九牧(ジュウヨウキュウボク)
人口の割りに役人が多すぎること
十頭の羊に九人の羊飼い
多岐亡羊(タキボウヨウ)
進路や方針が多すぎて
選択が出来なくなること
羝羊触藩(テイヨウショクハン)
勇気だけで勢いよく突き進む人は
どうにも出来ない状況に陥る
どうにもできない状況のたとえ
「羝羊=雄羊」
「触藩=生垣に突っ込むこと」
屠所之羊(トショのヒツジ)
次第に死期に近づいていくこと
屠殺場に連れて行かれる羊
屠羊之肆(トヨウのシ)
身の程に相応しい仕事
「屠=獣を殺すこと」
「肆=店」
羊を殺して肉を売る店
読書亡羊(ドクショボウヨウ)
重要なことを忘れて
他のことに夢中になること
「亡羊=羊に逃げられるこ」
羊の見張りをしていた二人の男は
一人は読書に
一人は博打に夢中になって
見張りを忘れて
羊に逃げられてしまったが
読書も博打も同罪であるということ
肉袒牽羊(ジクタンケンヨウ)
降伏し相手に臣下にしてと請い願うこと
「肉袒=上半身を脱ぎ裸になること」
どんな罰でも受けるという
降伏の意思を表すこと
亡羊之嘆(ボウヨウのタン)
進路や方針が多すぎて
何を選ぶべきかわからなくなること
学問の道が細かく分かれすぎ
学問の根本を捉えにくいこと
望羊之嘆(ボウヨウのタン)
はるか上を見上げて嘆き悲しむこと
どうにもできない状況を嘆くこと
亡羊補牢(ボウヨウホロウ)
失敗した後に悪い部分を改善すること
失敗してもすぐに改めれば
過ちが大きくならずにすむということ
羊裘垂釣(ヨウキュウスイチョウ)
世間から離れてのんびり隠居暮らし
「羊裘=羊の皮衣」
「釣=釣り針」
羊很狼貪(ヨウコンロウドン)
荒々しく道理に背き
どこまでも貪欲なこと
「羊很=乱暴な荒々しい羊」
命令に従わずに道理に背くこと
「狼貪=狼のように欲深くむさぼること」。
羊質虎皮(ヨウシツコヒ)
外見は立派だが、中身が伴わないこと
「虎皮羊質」
羊腸小径(ヨウチョウショウケイ)
曲がりくねっている山道や小道のこと
「径=道のこと」
羊の腸のような道という意味
羊頭狗肉(ヨウトウクニク)
外見は立派だが中身が無いこと
「羊頭を懸げて狗肉を売る」の略語
羊の頭を看板に掲げ
実際には犬の肉を売るという意味
ーー↓↑
北=丬+匕(𠤎・匕・匕・・七)
(牝・匙・匕首・七)
七(7)⇔𠤎(牝・雌)
匕(匙・匕首)
弋=𢍺=弌=𢍻・𢍼
㇢・㇃・㇄・㇒・㇓・㇔
䂖=丆+ヽ+口=石
匕(ヒ)=匕(𠤎・匕・匕・ヒ・七)
鷰=廿+北+口+鳥=燕=鳦
北=丬+匕(𠤎・匕・匕・ヒ・七)
(牝・匙・匕首・七)
七(7)⇔漆=柒=㲺+木
匕(匙・匕首)
七・匕首(あいくち)
ヒ(牝・めす・𠤎(牝・雌))
比=上+匕
ト+_+乚+一
弋=「𢍺=七+丶」
=弌=弋+ー
=𢍼
=𢍻=丂+弋
匕・匕・七・ヒ
弋=ー+㇂(㇏)+丶
㲺=氵+匕
=柒=㲺+木=うるし
=氵+七
シツ・シチ
そそぐ=注(灌・潅・濯・雪)ぐ
あらう=洗う(洗濯)=灑
漆=七=柒=㲺+木
=うるし
かぶれる・皮膚病
「湿疹(皮膚炎)」
原因物質に
直接皮膚が触れることで
起こる「かぶれ=接触皮膚炎」
耂=耇=耈=老+句
・・・蛯・蝦・海老
蘇我蝦夷
(カイ・えぞ・えみし)
句=勹+口
曲がった老人の腰?
耂=コウ・クの略字
「年寄り・老人・おいる」
漢字の冠(かんむり)の一
「おいかんむり(老冠)
おいがしら(老頭)」
者=もの・人
行為や状態の主体を表す
「作者・勇者」
こと・特定のことがらを指す
「前者・後者」
は・とは・ば・~れば
強調や仮定の条件を表す助字
時を表す語
=特定の人、物を指し示すことば
「は・ものは・とは」
主語を強調することば
時を示す語に添える助字
発音はしない
「今者(いま) 昔者(むかし)」
「緖=糸+者」
物事の起り・発端・始め
ひも(紐)・長く続つづくもの
ー↓↑ーー
命婦(メイフ・みょうぶ)
女官・・・音名の咸(関)
五位・・・語彙・語意・語異・呉委
以上・・・移譲・委譲・移乗・異常
囲繞=イジョウ・イニョウ
まわりを取り囲むこと
ぐるっと・ぐるり
囲い・囲み・囲む・囲う
包囲・遠巻き・取り巻く
=囲遶
↓↑
命婦・・・内侍司(ナイジシ)の務め
天皇の儀式、神事に限られるようになり
朝賀や 即位式
に奉仕する女性は
褰帳命婦
威儀命婦
立春の際の水取命婦
春日祭の際の博士命婦
中国の『周礼』
内外の官
「命夫・命婦」官の存在記録
日本
「命婦」の名称のみを採用し
「命夫」にあたる男官・呼称については
採用されなかった
「命婦」
『職員令義解』の
「中務省条に規定」
五位以上の女性を
「内命婦(うちのみょうぶ)」
五位以上の官人の妻のことを
「外命婦(げのみょうぶ)」
「命婦」は官職ではなく
所属官司の職掌に
奉仕する地位で
官位相当や定員はなかった
女王の場合
五位以上の位階なくとも
「内命婦」
に列せられた
奈良時代まで
宮中に仕える女性は
命婦を含めて宮人と称した
平安時代以降は
宮人と命婦は区別された
↓↑
命婦の奉仕
「内侍司(ないしのつかさ)・・・ナイジシ?
の務めで
天皇の儀式
神事に限られ
朝賀や即位式などの
奉仕する女性
褰帳命婦
威儀命婦
立春の際の水取命婦
春日祭の際の博士命婦
摂関政治がはじまる頃
命婦は
「中臈(チュウロウ)」
の女房の称号となり
父や夫の官職に因んで
少将命婦
少輔命婦
中務命婦
小馬命婦
などと称するようになり
固有名詞となっていった
↓↑
江戸時代
命婦は4・5名
女蔵人(にょくろうど)
御差(おさし)
とともに構成した
御下(おしも)
と呼ばれる
下級女房層を構成した三職を合わせ
定員七名
命婦の上首は
「伊予」
の名称で呼ばれ
命婦、御下全体を統括する役目を担い
江戸時代には
壬生官務家出身者が選ばれ
次第に形式的な地位となった
次席は
「大御乳人(おおおちのひと)」
で、本来は
当代の天皇の
乳母を務めた人に対する待遇
後には熟練の女官として
「掌侍」の上首である
「勾当内侍」を補佐し
宮廷内外と勾当内侍との間の
取次や事務処理を行った
次第に
大御乳人の出身も
局務家の
押小路家
上北面の
松室家
下鴨社社司の
梨木家
の3家出身者が占めた
「大御乳人」
天皇が代替わりをすると
「伊予」は職に留まるが
「大御乳人」は職を退いた
それ以外の命婦は
「上野・越後・能登」
といった国名で呼ばれ
伊予や大御乳人を補佐するとともに
当時の命婦の職務
朝の天皇御座所の清掃
天皇の食事の補助
夕方の天皇皇后の入浴補助を行った
↓↑
『日本書紀』
「崇神天皇八年十二月二十日
垂仁天皇二十五年二月八日の条に
「大夫」の文字がある
が
「大夫」
は律令制度における官位の呼称で
律令制が確立される以前の
崇神・垂仁天皇の代に
「大夫」という呼び方や官職はなかった・・・
『日本書紀』編纂時の
執筆者が加えた文飾?
大臣や側近の意味で使用
↓↑
時代が下って
「大夫」
五位の通称
転じて身分のある者への呼びかけ
名の一部
名誉的な称号として
「大夫(太夫)=たゆう」を称するようになった
↓↑
伊勢神宮の神職の
権禰宜が五位に叙せられ
神職
後に神職でも下位の者での
「御師」・・・オンシ
を
「太夫」
と呼ぶようになった
↓↑
江戸時代の武家
家老職=太夫
と呼ぶことがあった
↓↑
芸能
里神楽
太神楽
の長を
「太夫」と称した
↓↑
能楽
猿楽座(座)
派の長(観世太夫など)
を指し
古くは
「シテ」の尊称として使用
↓↑
浄瑠璃
江戸時代以降
音曲を語る者
その名の一部に用いる
(竹本義太夫・女性には用いない)
↓↑
歌舞伎
江戸時代
歌舞伎の一座の
「座元=太夫」
座元の息子や跡継ぎを
「若太夫」
「立女形」の尊称
↓↑
遊廓
江戸吉原
京島原大坂新町
「官許の遊女」
で最高位にある者への呼称
「松の位」とも呼ばれ
その名の一部にも用いられた
「夕霧太夫
吉野太夫
高尾太夫
など」
宝暦四年(1754年)
廃止され
江戸・吉原では以後の名称は
「花魁(おいらん)」
に変わったが
京・島原、大坂・新町では
「太夫」の名称が残り
嶋原では現在も
数名の「太夫」が存在・・・「遊女」?
↓↑ ↓↑
作物所(つくも-どころ)
つくも (福井市) - 福井県福井市の地名
つくも (長崎市) - 長崎県長崎市の地名
つくも町 - 広島県安芸郡海田町の地名
石川県鳳珠郡能登町付近にある九十九湾
かつて運行されていた列車名」
「九十九髪(つくもがみ)」の略」
「植物フトイ(太藺・莞)の古名
抽水性多年草(和名抄)」
「八十八(やそや)」
↓↑ ↓↑
作物所(つくも-どころ)
作物所
平安時代に成立した天皇の家政機関の1つ
天皇・皇后・東宮などが
宮中で用いる調度品(銀器・木器など)を
製作する「所」
令外官の一つ
職員には
別当・預 ( あずかり)・内竪 (ないじゅ)・冶師
蔵人頭を別当に補す
作物司 (つくもづかさ)
九十九・津雲・津久茂・津久毛
↓↑ ↓↑
雑=杂(卆八・九十八)+隹
九拾・・・杂⇔染⇔そめる=涅・初・襲
色を襲(かさねる・龍+衣)
踏襲=継=繼=蹈襲
雜=卒(亠人人十)+八+隹=雜
音人々乂(交・拾・足)
捌 舊鳥(短尾の鳥)
まじる・まぜる・ザツ・ゾウ
卆=卒=襟元
乱雑・粗雑・煩雑・雑炊・雑念・雑文
↓↑
(ユカリとオジさんの世迷い言・2)
古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)
http://web.archive.org/web/20080501061632/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kojiki42.htm
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源) + (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
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モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
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