「方言の日⇔ふつば=2月18日=奄美方言のコトバ」・・・「双葉?」
「2=ふたつ」+「10=とう」+「8=はつ」
「双葉(ふたば)」・・・言葉が分かれる・・・音声か、文字か・・・?
「なまらスゴイ」デスか・・・名魔覶・・・?
↓↑
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字形の変化
↓↑
籀=竹+扌+留・・・竹に手書き留める=竹簡
竹+扌+刀+田
チュウ
よむ
読む・文字を読む・文を読む
異体字
籒=竹+㩅
竹+扌+畱
竹+扌+丣(鷄・酉・鳥・禽)+田
畱=留=畄=㽞
籕=竹+榴
竹+木+卯+田・・・・やなぎ=柳=栁=楊=簗木
竹+木+𠂎+卩(刀)+田・・・卯=兎=戼
竹+木+留
竹+木+𠂎+卩+田
竹+木+𠂎+刀+田
↓↑
卯=𠂎+卩=戼→コ(こ)
戼=ⵎ+フ+「+コ=卯
丣=ⵎ+ 丌 +コ=𫝁=酉
戼・・・
戶部(と・とだれ・とかんむり
とびらのと)
ボウ
う
十二支の四番目・・・†‡✝⨅⨆⨿⨅⨆ⵡⵎ
方位東
時刻は午前六時の前後の二時間
動物では兎(うさぎ)
↓↑
卯=ノ+㇙+ノ+卩
𠂎=「卩・セツ(割符の片方)」を
左右反転させたもので
「卯卿」などの一部を構成する
𠂑=𠂎+丶
=奏・・・演奏
「𠁾」と同義
「卪」と対になる「割符の片方」?
卵
=夘=タ+卩=背反
=戼=ⵎ+フ+「+コ
=戼・・・𩇨𩇧𩇦𤕰𦕔
↓↑
「卯眼=ボウガン」
枘穴(ほぞあな)
二本の木材を繋(つな)ぐ時に
一本の端は凹状に作り
(「枘穴=ほぞあな」という)
もう一本の端は凸状に作って
(「枘=ほぞ」「筍ジュン」という)
これを繋ぎ合わせる
その凹状の部分
↓↑
卯=真二つに叩き割る
昴=すばる・ボウ=昂
昴流(すばる)
↓↑
史籀大篆(シチュウダイテン)
↓↑
篆書体
「始皇帝」
金文から更に字形の整理が進み
一文字の大きさが均等になった
文字の形は
天地が
長い長方形の辞界に収まる
点画は
水平・垂直の線を基本
円弧をなす字画は
水平線・垂直線
と交差するように曲げられる
画の両端は丸められ
線はすべて同じ太さ
↓↑
金文と違って
上下左右の大きさのバランスが整っており
謹厳な印象を与える文字に進化
一方
曲線を主体とするため
有機的な趣きを併せ持ち
独特な書体
↓↑
へん(偏)・つくり(旁)
かんむり(冠)・あし(脚)
のように
部首分けが容易
↓↑
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「小篆」
中国最古の石刻
戦国期の
「石鼓文」
に用いられた書体
「大篆」が起源
「大篆」
西周の宣王時代
太史
「籀(チュウ)」
が公式文字
「籀文」
を定めた際に編纂した書物の名・・・
「籀文」そのものの別名
「石鼓文大篆」
は
「籀文」
が戦国時代の秦で受け継がれた・・・
↓↑
秦による公式書体化
紀元前221年
秦の中国統一
法治の確立
度量衡の統一
文字の統一
「小篆」
が正式に統一書体として採用
「小篆」
始皇帝が
「李斯」・・・木の子の其の斤
に命じて
「籀文(or大篆)」
を簡略化した・・・
↓↑
甲骨文の時代から文字は権力の象徴
「始皇七刻石」
を国内六ケ所に立てた
↓↑
秦=統一法治国家
度量衡の統一
決まった大きさの
分銅や枡が標準器として全国に配布
「権量銘」と呼ばれる
「小篆」を用いた証明文が
金属製の場合直接刻み込まれ
木 製の場合銅板に刻まれて貼りつけられた
官吏が公式証明に用いる官印に使用
↓↑
「小篆」
形を崩し始め
法治国家である秦では
下層の役人の
事務処理が多くなった
「小篆」
書きづらく
走り書きが多く発生し
このことが
「小篆の書体」
の単純化・簡素化を生み
「隷書」
を生みだした
↓↑
紀元前206年
秦 滅亡
楚漢戦争を経て
前漢が成立
後漢では公式書体として
「小篆」ではなく
「隷書」が採用された
これは「小篆」の煩雑さを避けたもので
甲骨文以来の
「古代文字」の終焉・・・であった
↓↑
新代に公式書体に復帰したが
新滅亡で公式書体から外され
以後しばらくの間
「小篆」は
「公的証明」の名残から
官印・公印に用いられる他は
装飾的に瓦や鏡などの
文様
碑
帛書
の表題などに用いられるにすぎなくなった
↓↑
後漢代
「祀三公山碑」
「嵩山三闕銘」
三国時代の呉
「天発神讖碑」
「封禅国山碑」
のように碑も少数ながら存在した
いずれも
天や神への願文や天のお告げを示した内容
小篆の権力性がいつの間にか
天や神に通じる性質のものへ拡大
「神へ祈るための文字」
として認識されるようになっていった
漢代以降
「小篆」
装飾や祭祀のための
特殊な文字として認識
↓↑
後漢代
訓詁学の第一人者の
「許慎」
が、儒学研究の一環として
「小篆を古代文字」
として真正面から扱い
小篆を中心とした
字書
『説文解字』
で字義などの解釈をなしたが
書体における展開は見られなかった
↓↑
書・印用字体
唐代以降
再脚光
唐の中ごろ
詩人の
「韓愈」
らが六朝の
「四六駢儷文」
を否定し
「古文復興運動」
を行い
書道にも
「王羲之」
「隷書」以前を志向する復古主義が生まれた
↓↑
「小篆」は
「李陽冰」
などによって注目され
それまでの
「崩れた書法」を排し
本来の姿に近い小篆による
書道作品
石刻が多く使われた
「小篆」
は書道界に一書体として再興
↓↑
五代十国時代
南唐
宋代
「徐鉉」
「徐鍇」
兄弟により
『説文解字』
の校訂・注釈が行われ
『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られ
「小篆」
による書道も引き継がれた
↓↑
宋代以降
古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達
小篆含む篆書への関心がもたれ
官印
作品の製作者
収蔵家の所有権
を誇示するための
押印章に篆書で
官職名
名や座右の銘
を彫っているものが多かった
元・明代以降
篆書を用いた印章を彫る作業も
「篆刻」という書道が確立
↓↑
清代
考証学の発達で
模刻や模写を重ねている紙の法帖よりも
当時の姿を留める碑の方が
書蹟として信頼性が高いとの考えから
碑の研究が主流となった
↓↑
秦の八体
新の六体
関連
「許慎」
が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しない
『説文解字』序文に
秦では公式書体として
大篆・小篆・刻符
虫書(チュウショ)
摹印(ボイン=「摹」は「募」の「力」を「手」に変えた字)
署書・殳書(シュショ)
隷書
の8つを定めていた
秦の八体
「許慎」
から700年近くが経過した残巻は
「懸針体」
という細長い書体が使われて
「篆書体」
の初期形ともされている・・・
↓↑
前漢
を簒奪した
新王朝の
「王莽」
は、公式書体制定の際
この八体を整理
「古文・奇字・篆書・隷書
繆篆(ビュウテン)
鳥虫書(チョウチュウショ)」
の6つにした(新の六体)
↓↑
秦の八体
新の六体
は、小篆と類縁関係にある書体
↓↑
「大篆」
秦の八体の第一
小篆の元となった書体
小篆と対をなす名称
「石鼓文」
に用いられた書体の
元が
西周の公式文字・籀文・・・
↓↑
字形
「小篆」
と比べると
装飾性が高く
文字全体も完全な方形に収まっていない
金文の特徴を強く残す文字で
画に平行部が多く見られるなど
小篆の萌芽も見られる
↓↑
印篆
秦の八体
第五・摹印
新の六体に第五・繆篆として挙げる字体
印章用に特化した小篆
漢代に完成し
「漢篆」の一書体に数えられる
↓↑
縦に長い「小篆」を
「印の正方形」に収めるため
「小篆」
の曲線部分や長くはみ出す部分を
直線・折線で表現し
有機的な形の「小篆」よりも
角ばっている
↓↑
鳥蟲篆
秦の八体に第七・殳書
新の六体に第六・鳥蟲書
として挙げる字体
春秋時代~秦代
矛など武具の装飾用に用いられた
装飾性の高い書体
↓↑
「字形」
うねうねと蛇のように
くねった細い線で構成される単純なもの
鳥の頭や姿を模した飾りが
画の端々についているもの
文字の原形を留めないほど
無理矢理に
鳥の形に変形させたものなど・・・
ほとんどが文様化して解読不能
↓↑
九畳篆
(和漢三才図会)
宋代以降の各王朝
異民族王朝の「金」において
官印に用いられた小篆
「畳篆」ともいう
小篆
ないしは
印篆
の画を長く伸ばし
幾重にもぐねぐねと曲げてた書体
↓↑
装飾部の折れ線が
印面を埋め尽くすように
布字され
細かい線が
ずらずらと並んでいる
判読性は限りなく低い
実用よりも官印の権威を示す役割を重視
↓↑
「九畳篆」
の登場により
官印の意匠が硬直化
↓↑
新の小篆
皇帝
「王莽」
の復古主義の影響で
公式書体に
小篆が採用
秦の文字政策を模倣し
度量衡を改正の上
標準器に公式証明文
「嘉量銘」
を小篆で刻んで全国に配布し
秦代のままの政策が行われた
↓↑
字形
通常の小篆の縦に
細長い辞界を守りながら
曲線部分を角張らせた
小篆と印篆の間を取ったような字形
線も極めて細い
↓↑
三国時代
呉
最後の皇帝
「孫晧」の時期に
「天発神讖碑(テンパツシンシンヒ)」
「封禅国山碑(ホウゼンコクザンヒ)」
小篆の碑が立てられた
↓↑
「天発神讖碑」
は角ばって尖った字形でごつごつとし
「封禅国山碑」
は逆に線が非常に太くもっちりとした字体
神秘思想にかぶれた
「孫晧」
の現実逃避の産物
技巧上は隷書用の筆で隷書の意を含ませて書いた
両者にだけしか見られない特異な小篆
↓↑
漢代末~六朝時代
小篆を利用した装飾書体が存在する
↓↑
六朝時代
南朝
斉の
「蕭子良」
がまとめた
『古今篆隷文体』
40種類余りの装飾書体が伝えられ
小篆からの派生したものが見られる
「懸針篆」
と呼ばれる画の先を鋭く尖らせた書体は
『説文解字』の初期の写本
「説文解字木部残巻」や
空海による日本最古の字書
『篆隷万象名義』
にも使用
↓↑
六朝時代
南朝
梁
「百二十体書」
と称して120種類もの装飾書体があったが
書蹟は現存しない
唐代
篆書を得意とした僧
「夢英」
により
「十八体書」
と呼ばれる18種類の装飾書体が伝えられている
↓↑
正倉院
「鳥毛篆書屏風」
小篆の派生と思われる装飾書体で書かれた屏風
↓↑
小篆の史料
秦の時代が短かく少ない
「始皇七刻石」
の一部である
「泰山刻石」
「瑯琊台刻石(ロウヤタイコクセキ)」
度量衡の標準器の証明文
「権量銘」
その他
木簡・竹簡がある・・・
「泰山刻石」
わずか「10字」が現存
(拓本として
十字本
二十九字本
五十三字本
百六十五字本
の四種類
がある)
「瑯琊台刻石」
86字が残っている
↓↑
「許慎」
『説文解字』
には字書として
基本的な文字が網羅
↓↑
「隷変」
「楷書」
への展開により
字形が現在の形へ変化するうちに
失われた、さまざまな情報を
「篆書」
「小篆」
が持っている
「右」「左」
は似ている漢字なのに
書き順は異なり
「はらい(払い)」
と
「横棒」
を第1画目とする
楷書のままではその理由は分からないが
「小篆」に戻ると
「右」のはらいと
「左」の横棒が
左右対称ながら同じ形をしており
第1画目であった
それらが
「隷変」の過程でそれぞれ
はらい(払い)と
横棒という
別の形に変化してしまった
↓↑
正確な研究
「篆書」以前の
甲骨文
金 文
の情報も必要で
篆書以前の段階で失われた情報も多い
「許慎」の『説文解字』は
甲骨文
金 文
の知識がなかったため
さまざまな間違いを起こしている・・・?
↓↑
日本銀行券の
表
「総裁之印」
裏
「発券局長」
の印章の文字
明治時代
篆刻家の
「益田香遠」
に作らせたもの
↓↑
篆書体の新造字行為・・・???
↓↑
「楷書風の小篆」
「新字体の小篆」
「仮名の小篆」
「アルファベット・アラビア数字などの小篆」
などの文字を造字として生み出している
ーーーーー
對馬国=とまこく=投馬国
・・・たま(玉)国・玉名国・・・?
ーーーーー
繰り返し記号
「々・ヽ・ヾ・ゝ・ゞ・〃・仝・〱・〲」
↓↑
禊(みそぎ)
身に罪や穢 (けが) れのある者
神事に従事しようとする者が
川や海の水でからだを洗い清めること
↓↑
エンキドゥ(シュメール語
𒂗 𒆠 𒆕
EN. KI.DU =Enkidu)
『ギルガメシュ叙事詩』
のギルガメシュの親友
エンキドゥ=水と知恵と創造の神
エンキ(アッカド語名:エア)に由来
↓↑
「𛆕」に似ている意味の文字 𒆕
↓↑
𛆔 𛆚 𥆕 𛆭 𐆕 𛆙 𘆕 𛆗 𛆑 𒆕 𢆕 𛆞 𓆕 𛆥 𛆠 𛆍 𛆮 𛆯 𛆕
↓↑
の文字を使った例文 𛆕という文字は、古代文字のひとつ
↓↑
𒆖(アン)
Letter, Other(文字,その他)
↓↑
𒆖(アン)
古代メソポタミア文明で使われた楔形文字の一種
アッシリアやバビロニアの楔形文字文書に使用
𒆖を含む文書
古代の王たちや神々に対する祈願文や詩
貿易などの商取引の契約書
アッシリア帝国の文書
戦争に関する記録や戦勝祝賀文
𒆖を含む古代の文書
𒆖を使用した文書を解読
𒆖は古代メソポタミア文明において重要な文字
↓↑
楔形文字(「cuneiform(キュニフォーム)」)
ラテン語
cuneus (くさび)
forma (形)
1712年
エンゲルベルト・ケンペル
『廻国奇観』
の中で使用
オリエント学
この文字を使用した文明・文化
「アッシリア学」
↓↑
楔形(セッケイ)文字
文字の形状の名称
シュメール語
アッカド語
の文字は
表語文字
と
音節文字
の組み合わせである
ウガリット文字
Ugaritic alphabet
ウガリット 語の表音文字
フルリ 語の表記にも使用
原シナイ 文字に続く
世界最古の 音素文字の一つ
古代都市
ラス・シャムラ(シリア)
ウガリットの遺跡で
発見された
粘土板文書
↓↑
ウガリット文字
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C D E F
𐎀 𐎁 𐎂 𐎃 𐎄 𐎅 𐎆 𐎇 𐎈 𐎉 𐎊 𐎋 𐎌 𐎍 𐎎 𐎏
𐎐 𐎑 𐎒 𐎓 𐎔 𐎕 𐎖 𐎗 𐎘 𐎙 𐎚 𐎛 𐎜 𐎝 𐎟
V く 二 ‖ Y⤵𐎖 > ー ≡ 山 川 𠃌 丶
アブジャド=abjad abgad
子音文字や単子音文字(consonantary)
ひとつの子音に対し
通常ひとつの音素文字をもち
原則として
母音を明示しない文字
であり
古代ペルシア
楔形(セッケイ)文字
・・・設計・赤経・雪渓・接形?
は
アルファベット・・・
ー↓↑ーー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
「2=ふたつ」+「10=とう」+「8=はつ」
「双葉(ふたば)」・・・言葉が分かれる・・・音声か、文字か・・・?
「なまらスゴイ」デスか・・・名魔覶・・・?
↓↑
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字形の変化
↓↑
籀=竹+扌+留・・・竹に手書き留める=竹簡
竹+扌+刀+田
チュウ
よむ
読む・文字を読む・文を読む
異体字
籒=竹+㩅
竹+扌+畱
竹+扌+丣(鷄・酉・鳥・禽)+田
畱=留=畄=㽞
籕=竹+榴
竹+木+卯+田・・・・やなぎ=柳=栁=楊=簗木
竹+木+𠂎+卩(刀)+田・・・卯=兎=戼
竹+木+留
竹+木+𠂎+卩+田
竹+木+𠂎+刀+田
↓↑
卯=𠂎+卩=戼→コ(こ)
戼=ⵎ+フ+「+コ=卯
丣=ⵎ+ 丌 +コ=𫝁=酉
戼・・・
戶部(と・とだれ・とかんむり
とびらのと)
ボウ
う
十二支の四番目・・・†‡✝⨅⨆⨿⨅⨆ⵡⵎ
方位東
時刻は午前六時の前後の二時間
動物では兎(うさぎ)
↓↑
卯=ノ+㇙+ノ+卩
𠂎=「卩・セツ(割符の片方)」を
左右反転させたもので
「卯卿」などの一部を構成する
𠂑=𠂎+丶
=奏・・・演奏
「𠁾」と同義
「卪」と対になる「割符の片方」?
卵
=夘=タ+卩=背反
=戼=ⵎ+フ+「+コ
=戼・・・𩇨𩇧𩇦𤕰𦕔
↓↑
「卯眼=ボウガン」
枘穴(ほぞあな)
二本の木材を繋(つな)ぐ時に
一本の端は凹状に作り
(「枘穴=ほぞあな」という)
もう一本の端は凸状に作って
(「枘=ほぞ」「筍ジュン」という)
これを繋ぎ合わせる
その凹状の部分
↓↑
卯=真二つに叩き割る
昴=すばる・ボウ=昂
昴流(すばる)
↓↑
史籀大篆(シチュウダイテン)
↓↑
篆書体
「始皇帝」
金文から更に字形の整理が進み
一文字の大きさが均等になった
文字の形は
天地が
長い長方形の辞界に収まる
点画は
水平・垂直の線を基本
円弧をなす字画は
水平線・垂直線
と交差するように曲げられる
画の両端は丸められ
線はすべて同じ太さ
↓↑
金文と違って
上下左右の大きさのバランスが整っており
謹厳な印象を与える文字に進化
一方
曲線を主体とするため
有機的な趣きを併せ持ち
独特な書体
↓↑
へん(偏)・つくり(旁)
かんむり(冠)・あし(脚)
のように
部首分けが容易
↓↑

「小篆」
中国最古の石刻
戦国期の
「石鼓文」
に用いられた書体
「大篆」が起源
「大篆」
西周の宣王時代
太史
「籀(チュウ)」
が公式文字
「籀文」
を定めた際に編纂した書物の名・・・
「籀文」そのものの別名
「石鼓文大篆」
は
「籀文」
が戦国時代の秦で受け継がれた・・・
↓↑
秦による公式書体化
紀元前221年
秦の中国統一
法治の確立
度量衡の統一
文字の統一
「小篆」
が正式に統一書体として採用
「小篆」
始皇帝が
「李斯」・・・木の子の其の斤
に命じて
「籀文(or大篆)」
を簡略化した・・・
↓↑
甲骨文の時代から文字は権力の象徴
「始皇七刻石」
を国内六ケ所に立てた
↓↑
秦=統一法治国家
度量衡の統一
決まった大きさの
分銅や枡が標準器として全国に配布
「権量銘」と呼ばれる
「小篆」を用いた証明文が
金属製の場合直接刻み込まれ
木 製の場合銅板に刻まれて貼りつけられた
官吏が公式証明に用いる官印に使用
↓↑
「小篆」
形を崩し始め
法治国家である秦では
下層の役人の
事務処理が多くなった
「小篆」
書きづらく
走り書きが多く発生し
このことが
「小篆の書体」
の単純化・簡素化を生み
「隷書」
を生みだした
↓↑
紀元前206年
秦 滅亡
楚漢戦争を経て
前漢が成立
後漢では公式書体として
「小篆」ではなく
「隷書」が採用された
これは「小篆」の煩雑さを避けたもので
甲骨文以来の
「古代文字」の終焉・・・であった
↓↑
新代に公式書体に復帰したが
新滅亡で公式書体から外され
以後しばらくの間
「小篆」は
「公的証明」の名残から
官印・公印に用いられる他は
装飾的に瓦や鏡などの
文様
碑
帛書
の表題などに用いられるにすぎなくなった
↓↑
後漢代
「祀三公山碑」
「嵩山三闕銘」
三国時代の呉
「天発神讖碑」
「封禅国山碑」
のように碑も少数ながら存在した
いずれも
天や神への願文や天のお告げを示した内容
小篆の権力性がいつの間にか
天や神に通じる性質のものへ拡大
「神へ祈るための文字」
として認識されるようになっていった
漢代以降
「小篆」
装飾や祭祀のための
特殊な文字として認識
↓↑
後漢代
訓詁学の第一人者の
「許慎」
が、儒学研究の一環として
「小篆を古代文字」
として真正面から扱い
小篆を中心とした
字書
『説文解字』
で字義などの解釈をなしたが
書体における展開は見られなかった
↓↑
書・印用字体
唐代以降
再脚光
唐の中ごろ
詩人の
「韓愈」
らが六朝の
「四六駢儷文」
を否定し
「古文復興運動」
を行い
書道にも
「王羲之」
「隷書」以前を志向する復古主義が生まれた
↓↑
「小篆」は
「李陽冰」
などによって注目され
それまでの
「崩れた書法」を排し
本来の姿に近い小篆による
書道作品
石刻が多く使われた
「小篆」
は書道界に一書体として再興
↓↑
五代十国時代
南唐
宋代
「徐鉉」
「徐鍇」
兄弟により
『説文解字』
の校訂・注釈が行われ
『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られ
「小篆」
による書道も引き継がれた
↓↑
宋代以降
古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達
小篆含む篆書への関心がもたれ
官印
作品の製作者
収蔵家の所有権
を誇示するための
押印章に篆書で
官職名
名や座右の銘
を彫っているものが多かった
元・明代以降
篆書を用いた印章を彫る作業も
「篆刻」という書道が確立
↓↑
清代
考証学の発達で
模刻や模写を重ねている紙の法帖よりも
当時の姿を留める碑の方が
書蹟として信頼性が高いとの考えから
碑の研究が主流となった
↓↑
秦の八体
新の六体
関連
「許慎」
が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しない
『説文解字』序文に
秦では公式書体として
大篆・小篆・刻符
虫書(チュウショ)
摹印(ボイン=「摹」は「募」の「力」を「手」に変えた字)
署書・殳書(シュショ)
隷書
の8つを定めていた
秦の八体
「許慎」
から700年近くが経過した残巻は
「懸針体」
という細長い書体が使われて
「篆書体」
の初期形ともされている・・・
↓↑
前漢
を簒奪した
新王朝の
「王莽」
は、公式書体制定の際
この八体を整理
「古文・奇字・篆書・隷書
繆篆(ビュウテン)
鳥虫書(チョウチュウショ)」
の6つにした(新の六体)
↓↑
秦の八体
新の六体
は、小篆と類縁関係にある書体
↓↑
「大篆」
秦の八体の第一
小篆の元となった書体
小篆と対をなす名称
「石鼓文」
に用いられた書体の
元が
西周の公式文字・籀文・・・
↓↑
字形
「小篆」
と比べると
装飾性が高く
文字全体も完全な方形に収まっていない
金文の特徴を強く残す文字で
画に平行部が多く見られるなど
小篆の萌芽も見られる
↓↑
印篆
秦の八体
第五・摹印
新の六体に第五・繆篆として挙げる字体
印章用に特化した小篆
漢代に完成し
「漢篆」の一書体に数えられる
↓↑
縦に長い「小篆」を
「印の正方形」に収めるため
「小篆」
の曲線部分や長くはみ出す部分を
直線・折線で表現し
有機的な形の「小篆」よりも
角ばっている
↓↑
鳥蟲篆
秦の八体に第七・殳書
新の六体に第六・鳥蟲書
として挙げる字体
春秋時代~秦代
矛など武具の装飾用に用いられた
装飾性の高い書体
↓↑
「字形」
うねうねと蛇のように
くねった細い線で構成される単純なもの
鳥の頭や姿を模した飾りが
画の端々についているもの
文字の原形を留めないほど
無理矢理に
鳥の形に変形させたものなど・・・
ほとんどが文様化して解読不能
↓↑
九畳篆
(和漢三才図会)
宋代以降の各王朝
異民族王朝の「金」において
官印に用いられた小篆
「畳篆」ともいう
小篆
ないしは
印篆
の画を長く伸ばし
幾重にもぐねぐねと曲げてた書体
↓↑
装飾部の折れ線が
印面を埋め尽くすように
布字され
細かい線が
ずらずらと並んでいる
判読性は限りなく低い
実用よりも官印の権威を示す役割を重視
↓↑
「九畳篆」
の登場により
官印の意匠が硬直化
↓↑
新の小篆
皇帝
「王莽」
の復古主義の影響で
公式書体に
小篆が採用
秦の文字政策を模倣し
度量衡を改正の上
標準器に公式証明文
「嘉量銘」
を小篆で刻んで全国に配布し
秦代のままの政策が行われた
↓↑
字形
通常の小篆の縦に
細長い辞界を守りながら
曲線部分を角張らせた
小篆と印篆の間を取ったような字形
線も極めて細い
↓↑
三国時代
呉
最後の皇帝
「孫晧」の時期に
「天発神讖碑(テンパツシンシンヒ)」
「封禅国山碑(ホウゼンコクザンヒ)」
小篆の碑が立てられた
↓↑
「天発神讖碑」
は角ばって尖った字形でごつごつとし
「封禅国山碑」
は逆に線が非常に太くもっちりとした字体
神秘思想にかぶれた
「孫晧」
の現実逃避の産物
技巧上は隷書用の筆で隷書の意を含ませて書いた
両者にだけしか見られない特異な小篆
↓↑
漢代末~六朝時代
小篆を利用した装飾書体が存在する
↓↑
六朝時代
南朝
斉の
「蕭子良」
がまとめた
『古今篆隷文体』
40種類余りの装飾書体が伝えられ
小篆からの派生したものが見られる
「懸針篆」
と呼ばれる画の先を鋭く尖らせた書体は
『説文解字』の初期の写本
「説文解字木部残巻」や
空海による日本最古の字書
『篆隷万象名義』
にも使用
↓↑
六朝時代
南朝
梁
「百二十体書」
と称して120種類もの装飾書体があったが
書蹟は現存しない
唐代
篆書を得意とした僧
「夢英」
により
「十八体書」
と呼ばれる18種類の装飾書体が伝えられている
↓↑
正倉院
「鳥毛篆書屏風」
小篆の派生と思われる装飾書体で書かれた屏風
↓↑
小篆の史料
秦の時代が短かく少ない
「始皇七刻石」
の一部である
「泰山刻石」
「瑯琊台刻石(ロウヤタイコクセキ)」
度量衡の標準器の証明文
「権量銘」
その他
木簡・竹簡がある・・・
「泰山刻石」
わずか「10字」が現存
(拓本として
十字本
二十九字本
五十三字本
百六十五字本
の四種類
がある)
「瑯琊台刻石」
86字が残っている
↓↑
「許慎」
『説文解字』
には字書として
基本的な文字が網羅
↓↑
「隷変」
「楷書」
への展開により
字形が現在の形へ変化するうちに
失われた、さまざまな情報を
「篆書」
「小篆」
が持っている
「右」「左」
は似ている漢字なのに
書き順は異なり
「はらい(払い)」
と
「横棒」
を第1画目とする
楷書のままではその理由は分からないが
「小篆」に戻ると
「右」のはらいと
「左」の横棒が
左右対称ながら同じ形をしており
第1画目であった
それらが
「隷変」の過程でそれぞれ
はらい(払い)と
横棒という
別の形に変化してしまった
↓↑
正確な研究
「篆書」以前の
甲骨文
金 文
の情報も必要で
篆書以前の段階で失われた情報も多い
「許慎」の『説文解字』は
甲骨文
金 文
の知識がなかったため
さまざまな間違いを起こしている・・・?
↓↑
日本銀行券の
表
「総裁之印」
裏
「発券局長」
の印章の文字
明治時代
篆刻家の
「益田香遠」
に作らせたもの
↓↑
篆書体の新造字行為・・・???
↓↑
「楷書風の小篆」
「新字体の小篆」
「仮名の小篆」
「アルファベット・アラビア数字などの小篆」
などの文字を造字として生み出している
ーーーーー
對馬国=とまこく=投馬国
・・・たま(玉)国・玉名国・・・?
ーーーーー
繰り返し記号
「々・ヽ・ヾ・ゝ・ゞ・〃・仝・〱・〲」
↓↑
禊(みそぎ)
身に罪や穢 (けが) れのある者
神事に従事しようとする者が
川や海の水でからだを洗い清めること
↓↑
エンキドゥ(シュメール語
𒂗 𒆠 𒆕
EN. KI.DU =Enkidu)
『ギルガメシュ叙事詩』
のギルガメシュの親友
エンキドゥ=水と知恵と創造の神
エンキ(アッカド語名:エア)に由来
↓↑
「𛆕」に似ている意味の文字 𒆕
↓↑
𛆔 𛆚 𥆕 𛆭 𐆕 𛆙 𘆕 𛆗 𛆑 𒆕 𢆕 𛆞 𓆕 𛆥 𛆠 𛆍 𛆮 𛆯 𛆕
↓↑
の文字を使った例文 𛆕という文字は、古代文字のひとつ
↓↑
𒆖(アン)
Letter, Other(文字,その他)
↓↑
𒆖(アン)
古代メソポタミア文明で使われた楔形文字の一種
アッシリアやバビロニアの楔形文字文書に使用
𒆖を含む文書
古代の王たちや神々に対する祈願文や詩
貿易などの商取引の契約書
アッシリア帝国の文書
戦争に関する記録や戦勝祝賀文
𒆖を含む古代の文書
𒆖を使用した文書を解読
𒆖は古代メソポタミア文明において重要な文字
↓↑
楔形文字(「cuneiform(キュニフォーム)」)
ラテン語
cuneus (くさび)
forma (形)
1712年
エンゲルベルト・ケンペル
『廻国奇観』
の中で使用
オリエント学
この文字を使用した文明・文化
「アッシリア学」
↓↑
楔形(セッケイ)文字
文字の形状の名称
シュメール語
アッカド語
の文字は
表語文字
と
音節文字
の組み合わせである
ウガリット文字
Ugaritic alphabet
ウガリット 語の表音文字
フルリ 語の表記にも使用
原シナイ 文字に続く
世界最古の 音素文字の一つ
古代都市
ラス・シャムラ(シリア)
ウガリットの遺跡で
発見された
粘土板文書
↓↑
ウガリット文字
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C D E F
𐎀 𐎁 𐎂 𐎃 𐎄 𐎅 𐎆 𐎇 𐎈 𐎉 𐎊 𐎋 𐎌 𐎍 𐎎 𐎏
𐎐 𐎑 𐎒 𐎓 𐎔 𐎕 𐎖 𐎗 𐎘 𐎙 𐎚 𐎛 𐎜 𐎝 𐎟
V く 二 ‖ Y⤵𐎖 > ー ≡ 山 川 𠃌 丶
アブジャド=abjad abgad
子音文字や単子音文字(consonantary)
ひとつの子音に対し
通常ひとつの音素文字をもち
原則として
母音を明示しない文字
であり
古代ペルシア
楔形(セッケイ)文字
・・・設計・赤経・雪渓・接形?
は
アルファベット・・・
ー↓↑ーー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3