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方言の日⇔ふつば=2月18日=奄美方言のコトバ・・・双葉?

2025-02-18 17:44:13 | 古事記字源
 「方言の日⇔ふつば=2月18日=奄美方言のコトバ」・・・「双葉?」
          「2=ふたつ」+「10=とう」+「8=はつ」
   「双葉(ふたば)」・・・言葉が分かれる・・・音声か、文字か・・・?
 「なまらスゴイ」デスか・・・名魔覶・・・?
 ↓↑

 字形の変化
 ↓↑
 籀=竹+扌+留・・・竹に手書き留める=竹簡
   竹+扌+刀+田
   チュウ
   よむ
   読む・文字を読む・文を読む
 異体字
 籒=竹+㩅
   竹+扌+畱
   竹+扌+丣(鷄・酉・鳥・禽)+田
      畱=留=畄=㽞
 籕=竹+榴
   竹+木+卯+田・・・・やなぎ=柳=栁=楊=簗木
   竹+木+𠂎+卩(刀)+田・・・卯=兎=戼
   竹+木+留
   竹+木+𠂎+卩+田
   竹+木+𠂎+刀+田
 ↓↑
 卯=𠂎+卩=戼→コ(こ)
       戼=ⵎ+フ+「+コ=卯
       丣=ⵎ+ 丌 +コ=𫝁=酉
 戼・・・
 戶部(と・とだれ・とかんむり
    とびらのと)
 ボウ
 う
 十二支の四番目・・・†‡✝⨅⨆⨿⨅⨆ⵡⵎ
 方位東
 時刻は午前六時の前後の二時間
 動物では兎(うさぎ)
 ↓↑
 卯=ノ+㇙+ノ+卩
 𠂎=「卩・セツ(割符の片方)」を
    左右反転させたもので
   「卯卿」などの一部を構成する
 𠂑=𠂎+丶
  =奏・・・演奏
  「𠁾」と同義
  「卪」と対になる「割符の片方」?
   卵
  =夘=タ+卩=背反
  =戼=ⵎ+フ+「+コ
  =戼・・・𩇨𩇧𩇦𤕰𦕔
   ↓↑
  「卯眼=ボウガン」
   枘穴(ほぞあな)
   二本の木材を繋(つな)ぐ時に
   一本の端は凹状に作り
   (「枘穴=ほぞあな」という)
   もう一本の端は凸状に作って
   (「枘=ほぞ」「筍ジュン」という)
   これを繋ぎ合わせる
   その凹状の部分
 ↓↑
 卯=真二つに叩き割る
 昴=すばる・ボウ=昂
   昴流(すばる)
 ↓↑
 史籀大篆(シチュウダイテン)
 ↓↑
 篆書体
 「始皇帝」
 金文から更に字形の整理が進み
 一文字の大きさが均等になった
 文字の形は
 天地が
 長い長方形の辞界に収まる
 点画は
 水平・垂直の線を基本
 円弧をなす字画は
 水平線・垂直線
 と交差するように曲げられる
 画の両端は丸められ
 線はすべて同じ太さ
 ↓↑
 金文と違って
 上下左右の大きさのバランスが整っており
 謹厳な印象を与える文字に進化
 一方
 曲線を主体とするため
 有機的な趣きを併せ持ち
 独特な書体
 ↓↑
 へん(偏)・つくり(旁)
 かんむり(冠)・あし(脚)
 のように
 部首分けが容易
 ↓↑

 「小篆」
 中国最古の石刻
 戦国期の
 「石鼓文」
 に用いられた書体
 「大篆」が起源
 「大篆」
 西周の宣王時代
 太史
 「籀(チュウ)」
 が公式文字
 「籀文」
 を定めた際に編纂した書物の名・・・
 「籀文」そのものの別名
 「石鼓文大篆」
 は
 「籀文」
 が戦国時代の秦で受け継がれた・・・
 ↓↑
 秦による公式書体化
 紀元前221年
 秦の中国統一
 法治の確立
 度量衡の統一
 文字の統一
 「小篆」
 が正式に統一書体として採用
 「小篆」
 始皇帝が
 「李斯」・・・木の子の其の斤
 に命じて
 「籀文(or大篆)」
 を簡略化した・・・
 ↓↑
 甲骨文の時代から文字は権力の象徴
 「始皇七刻石」
 を国内六ケ所に立てた
 ↓↑
 秦=統一法治国家
 度量衡の統一
 決まった大きさの
 分銅や枡が標準器として全国に配布
 「権量銘」と呼ばれる
 「小篆」を用いた証明文が
 金属製の場合直接刻み込まれ
 木 製の場合銅板に刻まれて貼りつけられた
 官吏が公式証明に用いる官印に使用
 ↓↑
 「小篆」
 形を崩し始め
 法治国家である秦では
 下層の役人の
 事務処理が多くなった
 「小篆」
 書きづらく
 走り書きが多く発生し
 このことが
 「小篆の書体」
 の単純化・簡素化を生み
 「隷書」
 を生みだした
 ↓↑
 紀元前206年
 秦 滅亡
 楚漢戦争を経て
 前漢が成立
 後漢では公式書体として
 「小篆」ではなく
 「隷書」が採用された
 これは「小篆」の煩雑さを避けたもので
 甲骨文以来の
 「古代文字」の終焉・・・であった
 ↓↑
 新代に公式書体に復帰したが
 新滅亡で公式書体から外され
 以後しばらくの間
 「小篆」は
 「公的証明」の名残から
 官印・公印に用いられる他は
 装飾的に瓦や鏡などの
 文様
 碑
 帛書
 の表題などに用いられるにすぎなくなった
 ↓↑
 後漢代
 「祀三公山碑」
 「嵩山三闕銘」
 三国時代の呉
 「天発神讖碑」
 「封禅国山碑」
 のように碑も少数ながら存在した
 いずれも
 天や神への願文や天のお告げを示した内容
 小篆の権力性がいつの間にか
 天や神に通じる性質のものへ拡大
 「神へ祈るための文字」
 として認識されるようになっていった
 漢代以降
 「小篆」
 装飾や祭祀のための
 特殊な文字として認識
 ↓↑
 後漢代
 訓詁学の第一人者の
 「許慎」
 が、儒学研究の一環として
 「小篆を古代文字」
 として真正面から扱い
 小篆を中心とした
 字書
 『説文解字』
 で字義などの解釈をなしたが
 書体における展開は見られなかった
 ↓↑
 書・印用字体
 唐代以降
 再脚光
 唐の中ごろ
 詩人の
 「韓愈」
 らが六朝の
 「四六駢儷文」
 を否定し
 「古文復興運動」
 を行い
 書道にも
 「王羲之」
 「隷書」以前を志向する復古主義が生まれた
 ↓↑
 「小篆」は
 「李陽冰」
 などによって注目され
 それまでの
 「崩れた書法」を排し
 本来の姿に近い小篆による
 書道作品
 石刻が多く使われた
 「小篆」
 は書道界に一書体として再興
 ↓↑
 五代十国時代
 南唐
 宋代
 「徐鉉」
 「徐鍇」
 兄弟により
 『説文解字』
 の校訂・注釈が行われ
 『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られ
 「小篆」
 による書道も引き継がれた
 ↓↑
 宋代以降
 古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達
 小篆含む篆書への関心がもたれ
 官印
 作品の製作者
 収蔵家の所有権
 を誇示するための
 押印章に篆書で
 官職名
 名や座右の銘
 を彫っているものが多かった
 元・明代以降
 篆書を用いた印章を彫る作業も
 「篆刻」という書道が確立
 ↓↑
 清代
 考証学の発達で
 模刻や模写を重ねている紙の法帖よりも
 当時の姿を留める碑の方が
 書蹟として信頼性が高いとの考えから
 碑の研究が主流となった
 ↓↑
 秦の八体
 新の六体
 関連
 「許慎」
 が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しない
 『説文解字』序文に
 秦では公式書体として
 大篆・小篆・刻符
 虫書(チュウショ)
 摹印(ボイン=「摹」は「募」の「力」を「手」に変えた字)
 署書・殳書(シュショ)
 隷書
 の8つを定めていた
 秦の八体
 「許慎」
 から700年近くが経過した残巻は
 「懸針体」
 という細長い書体が使われて
 「篆書体」
 の初期形ともされている・・・
 ↓↑
 前漢
 を簒奪した
 新王朝の
 「王莽」
 は、公式書体制定の際
 この八体を整理
 「古文・奇字・篆書・隷書
  繆篆(ビュウテン)
  鳥虫書(チョウチュウショ)」
 の6つにした(新の六体)
 ↓↑
 秦の八体
 新の六体
 は、小篆と類縁関係にある書体
 ↓↑
 「大篆」
 秦の八体の第一
 小篆の元となった書体
 小篆と対をなす名称
 「石鼓文」
 に用いられた書体の
 元が
 西周の公式文字・籀文・・・
 ↓↑
 字形
 「小篆」
 と比べると
 装飾性が高く
 文字全体も完全な方形に収まっていない
 金文の特徴を強く残す文字で
 画に平行部が多く見られるなど
 小篆の萌芽も見られる
 ↓↑
 印篆
 秦の八体
 第五・摹印
 新の六体に第五・繆篆として挙げる字体
 印章用に特化した小篆
 漢代に完成し
 「漢篆」の一書体に数えられる
 ↓↑
 縦に長い「小篆」を
 「印の正方形」に収めるため
 「小篆」
 の曲線部分や長くはみ出す部分を
 直線・折線で表現し
 有機的な形の「小篆」よりも
 角ばっている
 ↓↑
 鳥蟲篆
 秦の八体に第七・殳書
 新の六体に第六・鳥蟲書
 として挙げる字体
 春秋時代~秦代
 矛など武具の装飾用に用いられた
 装飾性の高い書体
 ↓↑
 「字形」
 うねうねと蛇のように
 くねった細い線で構成される単純なもの
 鳥の頭や姿を模した飾りが
 画の端々についているもの
 文字の原形を留めないほど
 無理矢理に
 鳥の形に変形させたものなど・・・
 ほとんどが文様化して解読不能
 ↓↑
 九畳篆
 (和漢三才図会)
 宋代以降の各王朝
 異民族王朝の「金」において
 官印に用いられた小篆
 「畳篆」ともいう
 小篆
 ないしは
 印篆
 の画を長く伸ばし
 幾重にもぐねぐねと曲げてた書体
 ↓↑
 装飾部の折れ線が
 印面を埋め尽くすように
 布字され
 細かい線が
 ずらずらと並んでいる
 判読性は限りなく低い
 実用よりも官印の権威を示す役割を重視
 ↓↑
 「九畳篆」
 の登場により
 官印の意匠が硬直化
 ↓↑
 新の小篆
 皇帝
 「王莽」
 の復古主義の影響で
 公式書体に
 小篆が採用
 秦の文字政策を模倣し
 度量衡を改正の上
 標準器に公式証明文
 「嘉量銘」
 を小篆で刻んで全国に配布し
 秦代のままの政策が行われた
 ↓↑
 字形
 通常の小篆の縦に
 細長い辞界を守りながら
 曲線部分を角張らせた
 小篆と印篆の間を取ったような字形
 線も極めて細い
 ↓↑
 三国時代
 呉
 最後の皇帝
 「孫晧」の時期に
 「天発神讖碑(テンパツシンシンヒ)」
 「封禅国山碑(ホウゼンコクザンヒ)」
 小篆の碑が立てられた
 ↓↑
 「天発神讖碑」
 は角ばって尖った字形でごつごつとし
 「封禅国山碑」
 は逆に線が非常に太くもっちりとした字体
 神秘思想にかぶれた
 「孫晧」
 の現実逃避の産物
 技巧上は隷書用の筆で隷書の意を含ませて書いた
 両者にだけしか見られない特異な小篆
 ↓↑
 漢代末~六朝時代
 小篆を利用した装飾書体が存在する
 ↓↑
 六朝時代
 南朝
 斉の
 「蕭子良」
 がまとめた
 『古今篆隷文体』
 40種類余りの装飾書体が伝えられ
 小篆からの派生したものが見られる
 「懸針篆」
 と呼ばれる画の先を鋭く尖らせた書体は
 『説文解字』の初期の写本
 「説文解字木部残巻」や
 空海による日本最古の字書
 『篆隷万象名義』
 にも使用
 ↓↑
 六朝時代
 南朝
 梁
 「百二十体書」
 と称して120種類もの装飾書体があったが
 書蹟は現存しない
 唐代
 篆書を得意とした僧
 「夢英」
 により
 「十八体書」
 と呼ばれる18種類の装飾書体が伝えられている
 ↓↑
 正倉院
 「鳥毛篆書屏風」
 小篆の派生と思われる装飾書体で書かれた屏風
 ↓↑
 小篆の史料
 秦の時代が短かく少ない
 「始皇七刻石」
 の一部である
 「泰山刻石」
 「瑯琊台刻石(ロウヤタイコクセキ)」
 度量衡の標準器の証明文
 「権量銘」
 その他
 木簡・竹簡がある・・・
 「泰山刻石」
 わずか「10字」が現存
 (拓本として
  十字本
  二十九字本
  五十三字本
  百六十五字本
  の四種類
  がある)
 「瑯琊台刻石」
 86字が残っている
 ↓↑
 「許慎」
 『説文解字』
 には字書として
 基本的な文字が網羅
  ↓↑
 「隷変」
 「楷書」
 への展開により
 字形が現在の形へ変化するうちに
 失われた、さまざまな情報を
 「篆書」
 「小篆」
 が持っている
 「右」「左」
 は似ている漢字なのに
 書き順は異なり
 「はらい(払い)」
 と
 「横棒」
 を第1画目とする
 楷書のままではその理由は分からないが
 「小篆」に戻ると
 「右」のはらいと
 「左」の横棒が
 左右対称ながら同じ形をしており
 第1画目であった
 それらが
 「隷変」の過程でそれぞれ
 はらい(払い)と
 横棒という
 別の形に変化してしまった
 ↓↑
 正確な研究
 「篆書」以前の
 甲骨文
 金 文
 の情報も必要で
 篆書以前の段階で失われた情報も多い
 「許慎」の『説文解字』は
 甲骨文
 金 文
 の知識がなかったため
 さまざまな間違いを起こしている・・・?
 ↓↑
 日本銀行券の
 表
 「総裁之印」
 裏
 「発券局長」
 の印章の文字
 明治時代
 篆刻家の
 「益田香遠」
 に作らせたもの
 ↓↑
 篆書体の新造字行為・・・???
 ↓↑
 「楷書風の小篆」
 「新字体の小篆」
 「仮名の小篆」
 「アルファベット・アラビア数字などの小篆」
 などの文字を造字として生み出している
ーーーーー
 對馬国=とまこく=投馬国
  ・・・たま(玉)国・玉名国・・・?
ーーーーー
 繰り返し記号
 「々・ヽ・ヾ・ゝ・ゞ・〃・仝・〱・〲」
 ↓↑
 禊(みそぎ)
 身に罪や穢 (けが) れのある者
 神事に従事しようとする者が
 川や海の水でからだを洗い清めること
 ↓↑
 エンキドゥ(シュメール語
        𒂗 𒆠 𒆕
        EN. KI.DU =Enkidu)
 『ギルガメシュ叙事詩』
 のギルガメシュの親友
 エンキドゥ=水と知恵と創造の神
       エンキ(アッカド語名:エア)に由来
 ↓↑
 「𛆕」に似ている意味の文字 𒆕
 ↓↑
  𛆔 𛆚 𥆕 𛆭 𐆕 𛆙 𛕆 𘆕 𛆗 𛆑 𒆕 𢆕 𛆞 𓆕 𛆥 𛆠 𛆍 𛆮 𛖆 𛆯 𛆕
 ↓↑
 の文字を使った例文 𛆕という文字は、古代文字のひとつ
 ↓↑
 𒆖(アン)
 Letter, Other(文字,その他)
 ↓↑
 𒆖(アン)
 古代メソポタミア文明で使われた楔形文字の一種
 アッシリアやバビロニアの楔形文字文書に使用
 𒆖を含む文書
 古代の王たちや神々に対する祈願文や詩
 貿易などの商取引の契約書
 アッシリア帝国の文書
 戦争に関する記録や戦勝祝賀文
 𒆖を含む古代の文書
 𒆖を使用した文書を解読
 𒆖は古代メソポタミア文明において重要な文字
 ↓↑
 楔形文字(「cuneiform(キュニフォーム)」)
 ラテン語
 cuneus (くさび)
 forma (形)
 1712年
 エンゲルベルト・ケンペル
 『廻国奇観』
 の中で使用
 オリエント学
 この文字を使用した文明・文化
 「アッシリア学」
 ↓↑
 楔形(セッケイ)文字
 文字の形状の名称
 シュメール語
 アッカド語
 の文字は
 表語文字
 と
 音節文字
 の組み合わせである
 ウガリット文字
 Ugaritic alphabet
 ウガリット 語の表音文字
 フルリ   語の表記にも使用
 原シナイ  文字に続く
 世界最古の 音素文字の一つ
 古代都市
 ラス・シャムラ(シリア)
 ウガリットの遺跡で
 発見された
 粘土板文書
 ↓↑
 ウガリット文字
0 1 2 3  4 5  6  7 8 9 A B C D E F
𐎀 𐎁 𐎂 𐎃 𐎄 𐎅 𐎆 𐎇 𐎈 𐎉 𐎊 𐎋 𐎌 𐎍 𐎎 𐎏
𐎐 𐎑 𐎒 𐎓 𐎔 𐎕 𐎖 𐎗 𐎘 𐎙 𐎚 𐎛 𐎜 𐎝   𐎟
     V く 二 ‖ Y⤵𐎖  > ー ≡  山 川 𠃌 丶

 アブジャド=abjad abgad
       子音文字や単子音文字(consonantary)
       ひとつの子音に対し
       通常ひとつの音素文字をもち
       原則として
       母音を明示しない文字
 であり
 古代ペルシア
   楔形(セッケイ)文字
      ・・・設計・赤経・雪渓・接形?
 は
 アルファベット・・・
ー↓↑ーー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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