・・・「日本国憲法」の「ドコにも書かれていない」って、「法の抜け穴」を見つけては「ワタシは法律を犯していません」って奴と同じレベルだが、こいつ等も、政治屋も「法律を犯していない」のにナゼ、「批難・非難、批判」されるんだろう・・・「法律には記載されていない空文の避難場所」は、「罪にはならない抜け道」である。「法律に記載されていない行為、行動」は「実刑」から免れる・・・タトエ、「法律」に定められていても「権力者の特権」で「免除」される「特別な条項」がある。これらは一般的で、常識的な「倫理・道徳」からはモチロン、「法律観」からは遥かに逸脱しているからだろう・・・「倫理・道徳」違反は「実刑」としては罰せられない。「法律記載記録の条文」でないから・・・
昨日の深夜で観たTVドキュメント・・・「沢内村」の「福祉村」・・・以下の記録文はブログ記事からの抜粋、添付である・・・
ーーーーー
沢内村(さわうちむら)
岩手県の
内陸
中部、
秋田県との
県境に位置する
和賀郡(わが ぐん)に
所在していた村
↓↑
深沢 晟雄(ふかさわ まさお)
1905年12月11日・・・・不思議ではないが
十二月十一日である
~
1965年1月28日
岩手県
和賀郡
沢内村(西和賀町)の
元村長
豪雪・貧困・多病多死に苦しめられていた
同村 において、
「生命尊重」の思想を基盤とした行政を推進
↓
医療費無料化
と
乳児死亡率ゼロ達成
・・・病院にはあまり人は訪れなかった。
理由は、
医者にかかることは
家の財産を失うほど出費して
「かまど返し(竈返す)」
つまり
破産となって
一家のかまどの火も消えることになる
という思い込みのためで、
貧しい沢内村では
病院と「かまど返し」は
同義語であるような
固定観念が根強かった。
深沢晟雄(村長)は
高齢者と乳児の
医療費無料化を決意。
しかし
岩手県庁から
国民健康保険法違反を
理由に待ったがかかる。
国民健康保険法(1959年施行)では
治療に必要な費用の
半分を一部負担金として
患者が支払うことを
義務づけられていた。
↓↑
医療費無料化は
「法律違反」
↓↑
佐々木吉男
や
高橋清吉
が交渉に当たるが失敗。
↓↑
それに対して、
深沢はこのように述べた。
↓↑
「国民健康保険法に
違反するかもしれないが、
(日本国憲法の)
憲法違反にはなりませんよ。
憲法が保障している
健康で文化的な
生活すらできない
国民がたくさんいる。
訴えるならそれも結構、
最高裁まで争います。
本来
国民の生命を
守るのは
国の責任です。
しかし
国がやらないのなら
私がやりましょう。
国は後からついてきますよ」
↓↑
・・・今現在の「日本国政府」の「日本国憲法」の愚考とはエライ乖離がある・・・「日本国憲法」にドコにも書かれていない「集団的自衛権」・・・「日本国憲法」に「健康で文化的な生活」の保障が書かれているが、「国民健康保険法」の違反・・・
ーーーーー
↓↑
先週、TVドラマでキムタクの「ヒーロー(hero)」をみたが「検事も弁護士」も「法理を基礎」にした「法廷」での「ディベート(debate)」であると、「弁護士役の役者」が云って、それに「検事役のキムタク」は「正論である」と云いながら、内心は「怒っ」ていた・・・ナゼ、「アタマにキタ」のか?・・・「法理論争の論理」からは「人間が疎外」されていたからだろう。「法律」は「法律論争」の為にあるのではなく、「人間社会の秩序維持の為」にあるから・・・その時点で「法理論争のディベート(debate)論理」にキムタクは相手の「遵法論理の論理」を認めざるを得なかったのである。だが、「人間を救う為の論争」ではなく、「法理基準とその判定の是非論争」で、その結果の「裁判判定」であるから当然である・・・「法理」に対する「法の基準にアテハマッテいるか、どうかの論理」である・・・タイ焼き「鉄板の形型」から練ったメリケン粉が逸脱すると「タイ焼き」ではなくなる・・・だが「カタチ」はどうであれ、造るのも、食べるのは人間である・・・モシカして「ワンちゃん」かもでもあるが・・・
「既存の法廷記載記録のみ=ザル法=空文法」を「基準」にして救われるのは「刑事事件」では「行為者(悪徳者?)」である。「民事事件」では「法外=無法=空文」であれば「詐欺罪」にはならない・・・「弁護屋」はカネの為(?)に「被告人を弁護」する・・・では、「検事」は「公務員として出世と自己保身の為(?)」に「報酬」をもらい「法を守る」・・・イズレも、その判断の是非は「裁判官」に掛かっているが、「無法(無規定、無記録)のモノ」の解釈は許されず、法文が無いモノの「判断」出来ないのは当然である。それは「立法府の責任=法律の制定」である・・・「砂川事件」の裁判官の「とうてい考えるコトはデキナイ」は、彼の「主観的判断」であるにすぎない・・・
「法律の抜け穴=空文」と「例外文・但し書き」は「解釈の幅」を広げてしまうのは当然である・・・
ココでいう「空文」とは「無記録のコト」であるが、日本人が漢文文章を訓読する時には「一文字の漢字知識」があっても、「句読点・返り点・送り仮名」無しの「白文=原文」では、その意味内容の日本語での理解は困難である。英語もその「文法知らず」では同じである・・・
「ディベート(debate)」とは、
「ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(会)とも。 ディベートは、厳密には ディスカッション(discussion)や単なる議論とは異なるものであるが、一般にはこれらの区別はない」らしい・・・「論争は目的の手段」であるが「その目的」とはナニか?・・・「説得」なのか?・・・説得とは「全体数の多数=100人中の51人以上」と云うことか?・・・「議会での多数決(過半数)」は「民主主義」なのか?・・・その「議会内議員の説得の多数決の結果の立法」とはナンなのか?・・・「議会外の人数」は考慮外の「民主主義」で「直接民主主義」ではない・・・「間接民主主義」とは「媒介者・仲介者」の「介在民主主義」である・・・
「砂川事件」の裁判官の「とうてい考えるコトはデキナイ」は、「当然、考えるコトはデキル」でもある・・・
「今現在の社会的常識」と「過去・未来の常識」とは異なるのは当然であるが、「自然科学の常識の認識変遷」とは同じではない・・・
↓↑
「深沢晟雄」村長の
「(全人類の)生命の尊厳・尊重こそが政治の最大の使命」
だが・・・
ーーーーー
旧約聖書
サムエル記
撒母耳 記(下)
↓
第13章
13:1
さて
ダビデの子
アブサロム・・・虻差路務
には
名を
タマル・・・・・溜まる・太万留→太安万侶
という
美しい
妹があったが、
その後
ダビデの子
アムノン・・・・阿務之謀
は
これを
恋(こい・レン)した。
13:2
アムノン
は
妹
タマル
の
ために
悩(なや・ノウ)んで
ついに
患(わずら・カン)った。
それは
タマル
が
処女(おとめ・ショジョ)であって、
アムノン
は
彼女に
何事もすることが
出来(でき)ないと
思ったからである。
13:3
ところが
アムノンには
ひとりの
友だちがあった。
名を
ヨナダブ・・・・与名拿部
といい、
ダビデの兄弟
シメア・・・・・詞目亜・占め阿
の子である。
ヨナダブ
は
非常(ひじょう)に
賢(かしこ・ケン)い
人(ひと・ジン・ニン)であった。
13:4
彼はアムノンに言った、
「王子よ、
あなたは、
どうして朝ごとに、
そんなに
やせ衰えるのですか。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)に
話さないのですか」。
アムノンは彼に言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)は
兄弟
アブサロム
の妹
タマル
を
恋しているのです」。
13:5
ヨナダブは彼に言った、
「あなたは
病と偽り、
寝床(ゆか・とこ・ショウ)に
横たわって、
あなたの
父が
きて
あなたを見るとき
彼に言いなさい、
『どうぞ、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
妹
タマルをこさせ、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
所に
食物を運ばせてください。
そして
彼女が
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
目の前で
食物をととのえ、
彼女の手から
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)が
食べることのできるようにさせてください』」。
13:6
そこで
アムノン
は
横になって
病と
偽ったが、
王がきて
彼を見た時、
アムノン
は王に言った、
「どうぞ私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
妹
タマルを
こさせ、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
目の前で
二つの
菓子(カシ)
を
作らせて、
彼女の
手から
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)が
食べることの
出来(でき)るようにしてください」。
13:7
ダビデは
タマル
の家に人をつかわして言わせた、
「あなたの
兄
アムノンの家へ行って、
彼のために
食物を
整(ととのえ)なさい」。
13:8
そこで
タマル
は
その兄
アムノン
の家へ行ったところ、
アムノン
は寝ていた。
タマル
は
粉(こな・フン)を
取って、
これを
捏(こ)ね、
彼の目の前で、
菓子
を
作り、
その
菓子を
焼き、
13:9
なべ
を
取って
彼の前にそれを
あけた。
しかし
彼は
食べることを
拒んだ。
そして
アムノン
は、
「みな、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)を
離れて出てください」
と言ったので、
皆、
彼を
離れて出た。
13:10
アムノンはタマルに言った、
「食物
を
寝室に持ってきてください。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)は
あなたの手から食べます」。
そこで
タマルは
自分の作った菓子をとって、
寝室にはいり
兄アムノンの所へ持っていった。
13:11
タマル
が
彼に食べさせようとして
近くに持って行った時、
彼は
タマルを
捕えて彼女に言った、
「妹よ、
来て、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)と
寝なさい」。
13:12
タマルは言った、
「いいえ、
兄上よ、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)を
辱(はずかし・ジョク・恥辱)めてはなりません。
このようなことは
イスラエルでは行われません。
この
愚(おろ・グ)かなことを
してはなりません。
13:13
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
恥を
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)は
どこへ持って行くことができましょう。
あなたは
イスラエルの
愚か者の
ひとりとなるでしょう。
それゆえ、
どうぞ王に話してください。
王が
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)を
あなたに
与えないことは
ないでしょう」。
13:14
しかし
アムノン
は
彼女の言うことを
聞こうともせず、
タマル
よりも
強かったので、
タマルを
はずかしめて
これと
共に寝た。
13:15
それから
アムノン
は、
ひじょうに
深く
タマル
を
憎むようになった。
彼女を憎む憎しみは、
彼女を
恋した
恋よりも大きかった。・・・・逆恨みは恐ろしいが
犯罪者の恨みで
被害者(タマル)の
恨みでは無い
アムノンは
彼女に言った、
「立って、行きなさい」。
13:16
タマルは
アムノンに言った、
「いいえ、
兄上よ、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)を
返すことは、
あなたが
さきに
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)に
なさった事よりも
大きい悪です」。
しかし
アムノンは
彼女の言うことを
聞こうともせず、
13:17
彼に仕えている
若者を呼んで言った、
「この女を
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
所から外におくり出し、
その
後(あと・のち・ゴ)に
戸(と・コ)を
閉(と・ヘイ)ざすがよい」。
13:18
この時、
タマルは
長袖(ながそで)の
着物(きもの・チャクブツ)
を
着(き・チャク)ていた。
昔(むかし・ジャク)、
王の
姫(ひめ・キ)たちの
処女(おとめ・ショジョ)である者は
このような
着物を着たからである。
アムノンの
しもべは
彼女を外に出して、
その
あとに
戸を
閉ざした。
13:19
タマルは
灰(はい・カイ)を
頭(あたま・かしら・トウ)に
被(かぶ・ヒ)り、
着ていた
長そでの
着物を
裂(さ・レツ)き、
手(て・で・シュ)を
頭に
載(のせ・タイ)て、
叫(さけ・コ・キュウ)びながら
去(さ・キョ)って
行(い・ギョウ・コウ・アン)った。
13:20
兄
アブサロム
は
彼女に言った、
「兄
アムノンがあなたと
一緒にいたのか。
しかし
妹よ、
今は
黙(だま・モク)っていなさい。
彼は
あなたの
兄(あに・え・ケイ)です。
この事を心に
とめなくてよろしい」。
こうして
タマルは
兄
アブサロム
の家に
寂(さび・ジャク)しく
住(す・ジュウ)んでいた。
13:21
ダビデ王はこれらの事を
悉(ことごとく・シツ)
聞いて、
ひじょうに
怒(おこ・いか・ド)った。
13:22
アブサロム
は
アムノンに
良いことも
悪いことも
語ることをしなかった。
それは
アムノンが
アブサロム
の
妹
タマルを
はずかしめたので、
アブサロム
が
彼を
憎んでいたからである。
13:23
満(みつる・マン)
二年(ニネン)
の
後、
アブサロム
は
エフライム
の近くにある
バアル
・
ハゾル
で
羊の
毛
を
切らせていた時、
王の子たちを
ことごとく招いた。
13:24
そして
アブサロムは
王のもとにきて言った、
「見よ、
しもべは
羊の毛を
切らせております。
どうぞ
王も
王の家来たちも、
しもべと共にきてください」。
13:25
王はアブサロムに言った、
「いいえ、
我(わ・われ・ガ)が子よ、
我々(われわれ・ガガ)が
皆(みな・みんな・カイ)
行ってはならない。
あなたの
重荷(おもに・ジュウカ)に
なるといけないから」。
アブサロムはダビデにしいて願った。
しかし
ダビデは行くことを
承知(ショウチ)せず
彼に
祝福(シュクフク)を与えた。
13:26
そこで
アブサロムは言った、
「それでは、
どうぞ
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)の
兄
アムノン
を
我々(われわれ・ガガ)と
共(とも・キョウ)に
行かせてください」。
王は彼に言った、
「どうして
彼が
あなたと
共に
行かなければならないのか」。
13:27
しかし
アブサロムは
彼に
しいて願ったので、
ついに
アムノン
と
王の子たちを
皆、
アブサロムと共に行かせた。
13:28
そこで
アブサロムは
若者たちに
命じて言った、
「アムノンが
酒を飲んで、
心楽しくなった時を
見すまし、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)が
あなたがたに、
『アムノンを撃て』
と言う時、
彼を殺しなさい。
恐れることはない。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・し・ム)が
命じるのではないか。
雄々しくしなさい。
勇ましくしなさい」。
13:29
アブサロムの若者たちは
アブサロムの命じたように
アムノン
におこなったので、
王の子たちは
皆立って、
おのおの
その
騾馬(ラバ)・・・・・驢馬(ロバ)では無い
に
乗って
逃げた。
13:30
彼らがまだ着かないうちに、
「アブサロムは
王の子たちを
ことごとく殺して、
ひとりも
残っている者がない」
という
知らせが
ダビデに達したので、
13:31
王は立ち、
その
着物を裂いて、
地に
伏した。
その
傍(かたわ・ボウ)らに
立っていた
家来(けらい・カキ)たちも
皆
その着物を裂いた。
13:32
しかし
ダビデの
兄弟
シメア
の子
ヨナダブ
は言った、
「我(わ・われ・ガ)が主よ、
王の子たちである
若者たちが
みな殺されたと、
お考えになってはなりません。
アムノンだけが死んだのです。
これは
彼が
アブサロムの妹
タマルをはずかしめた日から、
アブサロムの命によって
定められていたことなのです。
13:33
それゆえ、
我(わ・われ・ガ)が主、
王よ、
王の子たちが
皆死んだと思って、
この事を
心に
とめられてはなりません。
アムノン
だけが
死んだのです」。
13:34
アブサロムは
逃(のが)れた。
時に
見張(みは・ケチョウ)り
を
していた
若者が
目をあげて見ると、
山(やま・サン)の
かたわら
の
ホロナイム・・・・補賂名意務
の
道から
多くの
民の来るのが見えた。
13:35
ヨナダブは王に言った、
「見よ、
王の子たちがきました。
しもべの言ったとおりです」。
13:36
彼が語ることを終った時、
王の子たちはきて
声(こえ・セイ)をあげて
泣(な・キュウ)いた。
王も
その家来たちも
皆、
非常にはげしく泣いた。
13:37
しかし
アブサロム
は
のがれて、
ゲシュル・・・・解諏留
の
王
アミホデ・・・・阿見補出
の
子
タルマイ・・・・足る舞い・太留万意
のもとに行った。
ダビデは
日々その子のために悲しんだ。
13:38
アブサロム
は
のがれて
ゲシュルに行き、
三年
の
間
そこにいた。
13:39
王は心に、
アブサロムに会うことを、
せつに望んだ。
アムノンは死んでしまい、
ダビデが
彼のことは
あきらめていたからである。
ーーーーー
・・・
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