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コジキジゲン

Sound of Music・音楽の響き・Climb every mountain

2014-01-25 15:37:53 | 古事記字源

 ・・・昨日は母が亡くなってから十八日目の一月二十四日金曜日・・・ボクがこの場所に2011年6月26日に移転してから初めて札幌に行って来た。目的は札幌の藤女子大の裏に隣接している「花川マリア修道院」の、シスターの「M・Y」さんにお会いし、お礼の言葉をするために・・・同行してくれたのは三笠の従姉と、従姉の友人、札幌在住の「K」さんで、母のお通夜に徹夜で母のお棺が安置された御堂でお祈りをして下さった女性である・・・シスターの「M・Y」さんは、母が倒れてから特別老人ホームにお世話になって以来、生前の母に必ず毎週一度、世の中の近況情況とともに励ましのコトバを添えたお手紙を送って頂いた方である・・・母に関わったヒトビト、スベテのみなさんに感謝いたします・・・個々人の人生には様々な遭遇する「事件」がある・・・「サウンド・オブ・ミュージック(菩提樹)のマリア(Julie Andrews・ジュリー・アンドリュース)」には惚れたけれど・・・

Sound of Music

Sound of Music - Climb every mountain

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音吉・乙吉・・・福音書・・・於兎(オト=虎)キチ・・・

2014-01-24 00:02:05 | 古事記字源

 ・・・「音吉(おときち」は、文政二年(1819年)~慶応三年(1867年)一月十八日)、江戸時代の「水主(かこ)」で「漂流民」・・・後に「ジョン・マシュー・オトソン (John Matthew Ottoson) 」と名乗った。日本語名は「乙吉」とも表記されているが、「音吉の息子が乙吉?」・・・「Otto」+「son」=オトソン・・・?・・・「於兎(オトは森鷗外・鴎外の息子)・・・「於菟(長男)・茉莉(長女)・杏奴(次女)・不律(二男)・類(三男) 」・・・son・・・息子・せがれ・男の養子・義理の息子・娘婿=ones son and heir・跡取り息子・(特に)長男・男子の子孫=the sons of Abraham・・・
ーー
 オットー
 Otto; Otho; Otmar; Ott; Ottor

 オットー (オーストリア公)
 Otto, Duke of Austria

 オットー(Otto, 1301年6月23日 - 1339年2月17日)は、
 ドイツ王アルブレヒト1世と
 王妃エリーザベト・フォン・ケルンテンの末息子

 オットー (マイセン辺境伯)
 Otto II, Margrave of Meissen
 オットー(Otto, 1125年 - 1190年2月18日)は、
 マイセン辺境伯(在位:1156年 - 1190年)
 辺境=ヘンキョウ
    a frontier (area)
    a border area
    a remote region
 辺境の町=a frontier town
      a town on the frontier
 辺境の守りを固める
      fortify (the defenses of) the frontier
 辺境伯(ドイツ語=Markgraf)
 ヨーロッパにおける貴族の称号の一種
 英語で辺境伯を「margrave」
 フランスなどドイツ地方以外の諸国では伯のうち実力のあるものが伯よりも格式の高い称号として
 「Markgraf」を起源とする
 「marquis」を名乗るようになり、
 この称号は
 「公と伯」の中間にある「爵位」
 日本語では「侯爵」と訳される
 ・・・「Otto」の「son」は・・・「オトのムスコ」・・・ 
ーー
 オトソン・おとサン・・・「音・乙・弟・父」+「ソン・サン」・・・
 類音の「ソン」は?
 タイ-ソン
 ty-son=táɪsən?
 タイ-ソン
 toss in?
 平気で会話に付け足す

 Osse-ssione?
 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
 「The Postman Always Rings Twice」
 1934年に出版された
 ジェームズ・M・ケインの小説の題名
 イタリア語= Ossessione=「妄執」の意
 1942年(昭和十七年)製作の
 イタリア映画、
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の長編処女作

 assa-ssin=əsˈæsn?
 (著名な政治家などをねらって殺す)暗殺者・刺客
 ・・・「安重根」だろう・・・
ーーーーー
 1819年(文政二年)
 尾張国知多郡小野浦(現愛知県知多郡美浜町)に生まれた
 1832年(天保三年)十月
 宝順丸(船頭は樋口重右衛門)で
 江戸に向けて
 鳥羽を出航(乗組員船頭以下十三名)
 途中の
 遠州沖で暴風に遭い難破
 十四ヶ月間、太平洋を漂流し
 陸地に漂着したときには、生存者は
 音吉
 岩吉(旧姓岩・松尾張国熱田出身)
 久吉
 の三名(三名を「三吉」と呼んでいた)のみ
 アメリカ太平洋岸の
 オリンピック半島
 フラッタリー岬付近にたどり着き
 現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助
 インディアンには奴隷として使われ、
 ハドソン湾会社の持船のイギリス船に売られ
 オレゴン・カントリーの
 アストリア砦(現オレゴン州アストリア)に送られ
 ロンドンへ届けられた
 会社は三人を
 マカオ行きの
 ゼネラル・パーマー号に乗せられ
 ロンドンでテムズ川で十日間の船上にとどまり、
 上陸を許されて一日ロンドンを見学
 ロンドンに最初に上陸した日本人であった
ーー
 寛政五年(1793年)十二月二日
 鹿島灘で、
 若宮丸(弁才船 乗員十六名)が遭難
 漂流七ケ月後の
 寛政六年(1794年)五月十0日
 アリューシャン列島東部の島に漂着
 乗員十六名中
 一名は
 アリューシャン列島
 一名は
 イルクーツクで病死
 善六ら
 十名はロシアに残留
 日本に帰還したのは
 四名で
 津太夫ら四人がロンドン寄航しているも
 上陸は許可されていない
ーー
 遠州灘で遭難した宝順丸(弁才船 乗員十三名)の生き残り、
 音吉ら三名はイギリスのハドソン湾会社に保護され、
 ハワイ諸島、ロンドン、マカオを経て琉球に送られ、
 モリソン号に便乗したが帰国できなかった
ーー
 1835年12月
 パーマー号はマカオにつき、
 3人はドイツ人宣教師
 チャールズ・ギュツラフに預けられ
 彼と協力し世界で
 最初の邦訳聖書「ギュツラフ訳聖書」を完成させた
 1837年3月
 薩摩の漂流民
 庄蔵、
 寿三郎、
 熊太郎、
 力松
 ら四人がマカオに届けられ対面
 同年六月
 七人を乗せたイギリス船
 ローリー号は、マカオを出発し那覇まで来、
 ここで彼らは
 モリソン号に移乗し、日本へ向かった
 7月30日
 同船が
 三浦半島の
 城ヶ島の南方に達した
 砲撃にさらされた
 モリソン号事件
 フェートン号事件以降、江戸幕府は異国船打払令を発令
 日本沿岸に接近する外国船は、見つけ次第に砲撃
 モリソン号は非武装の商船で
 日本人漂流民を送り届けに来たことが分かり、
 渡辺崋山、高野長英らが幕府政策を批判し
 幕府によって逮捕
 蛮社の獄
ーー↓
 天保十年(1839年)
 蛮社の獄
 尚歯会の
 渡辺崋山 「慎機論」
 高野長英 「夢物語」
 小関三英 「天文方
       阿蘭陀書籍和解御用」
      「泰西内科集成」
       崋山に「耶蘇伝」を口訳
      「ナポレオン・ボナパルト」を紹介
      「西医原病略」・「輿地誌」など
 らに加えられた弾圧事件
 長英は
 永牢の沙汰判決を受け
 伝馬町
 牢屋敷に収監
ーー↓
 音吉=福音書→「馬太(マタイ)伝」・・・馬交(マカオ)・・・馬来西亜(マレーシア)・馬來西亞・馬來西亞・・・馬爾代夫(モルヂィブ)・馬爾代夫・馬爾地夫・・・馬拉維(マラウイ)・ 馬拉維・ 馬拉威・・・馬里(マリ)・馬利・・・聖馬力諾(サンマリノ)・聖馬利諾・聖馬力諾・聖馬利諾・・・馬(デンマーク)・・・馬其頓(マケドニア)・馬其頓・馬其頓・・・馬耳他(マルタ)・馬爾太・ 馬耳他・馬爾他・・・羅馬尼亜(ルーマニア)・羅馬尼・羅馬尼亞・ 羅馬尼亞・・・玖馬(キューバ)・玖瑪・・・危地馬拉(グアテマラ)・危地馬拉・瓜地馬拉・・・巴奈馬(パナマ)・ 巴拿馬・巴拿馬・・・巴哈馬(バハマ)・・・馬歇爾(マーシャル)・馬紹爾・・・羅馬(ローマ)帝国・・・   
ーー↓      
 モリソン号は通商も、漂流民返還もできず
 マカオ(澳門・媽閣・馬交)に戻った
 彼らは再びチャールズ・ギュッラフの元に預けられ、
 1838年(天保九年)アメリカ合衆国へ戻った
 後、
 音吉は
 上海に渡り、
 阿片戦争に英国兵として従軍
 後、
 デント商会(宝順洋行・Dent & Beale Company)に勤め、
 デント商会に勤める英国人女性(名称不明)と結婚
 彼女との間には娘
 メアリーが出来たが、娘は四歳九ヶ月で他界
 妻もその後、他界
 メアリーの墓は、シンガポールにあるらしい・・・
ーー
 1849年(嘉永二年)
 イギリスの軍艦マリナー号で浦賀へ
 この時は中国人
 「林阿多」と名乗った
 1853年
 アメリカのペリー艦隊に同行予定だった
 日本人漂流民(仙太郎ら栄力丸船員)の脱走を手引き
 後に清国船で日本へと帰国させた
 1854年9月
 イギリス極東艦隊司令長官
 スターリングが長崎で日英交渉を開始
 彼は来日し通訳を務めた
 この時に
 福沢諭吉などと出会った
 その後マレー人と再婚
 彼女もまたデント商会の社員
 彼女との間には、一男二女
 この頃、音吉の住む上海で、
 太平天国の乱
 1862年(文久二年)
 シンガポールへ移住
 その地で幕府の
 文久
 遣欧使節通訳の
 森山栄之助らに会った
 使節団には福沢諭吉も参加しており、再会
 音吉は清国の状況などを福沢たちに説明し
 これらの記録は福澤が
 「西航記」として著作
 1864年
 イギリスに日本人として初めて帰化し
 ジョン・マシュー・オトソンと名乗った
 1867年(慶応三年)
 シンガポールで病死・享年49歳
ーー↓
 息子の
 ジョン・W・オトソンは
 1879年(明治十二年)に日本に帰り、
 横浜で日本人女性と入籍許可を得て結婚
 名前は
 「山本音吉(乙吉)」となった
 日本の国籍法は
 1899年(明治三十二年)
 法律第66号であり、
 日本国籍人となるも不備
 「山本音吉」はその後妻子と共に
 台湾へ渡り、
 1926年8月、台北で死去
 音吉のシンガポールでの埋葬は後に記録が確認された
 最初の妻は、マカオで宣教活動をしていた
 スコットランド人
 二番目の妻は、上海で同僚だった
 ドイツ人とマレー人の混血の
 シンガポール人、Louisa Belder
 子供は息子の
 John William Ottoson
 娘が三人(Emily Louisa Ottosonは4歳で没)
 美浜町で妹の子孫が旅館を経営・・・
ーーー
 ・・・
 

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幸福な王子

2014-01-22 21:15:00 | 古事記字源

 ・・・「依頼人」ですか・・・アメリカでは低所得者の家族に病人が一人出たら一家が破産・・・世界の人口の半分の冨を85人の人間が独占・・・フゥ~ん、そうですか・・・どうやって冨を得てんだか、使うか、使わないかは個人の勝手だが、貯めた財産、一体、ナニに使ってんだろう・・・「コジキと紳士」ってモノガタリがあったけれど・・・そして記憶として鮮明なのは「星の王子さま・Le Petit Prince・The Little Prince)」、フランス人の飛行士・小説家の「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ」の「星の王子さま」ではなく・・・ボクにとっては「幸福な王子・(The Happy Prince and Other Tales・1888年・第1童話集」・・・「オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde」の「幸福な王子さま」であるのだが・・・
ーーー
 オスカー・ワイルド
 1854年10月16日~1900年11月30日)
 アイルランド出身の詩人、作家、劇作家・・・
ーーー↓記事抜粋添付・・・
 上位85人で
 世界の半分の資産=富裕層寡占を批判-援助団体
 【パリAFP=時事】
 国際援助団体オックスファムは21日までに、世界の最も裕福な85人の資産総額が、世界の人口の半分が保有する資産と同等だと発表した。ビジネス界の重鎮が集う世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が22日からスイスで開幕するのに合わせて出した報告書で、拡大する貧富の格差への警鐘を鳴らした。
 報告書は「富裕層は過去数十年にわたり、金融緩和、高所得層への低課税といった政策の導入に成功してきた」と指摘。その上で、貧富の拡大は「富裕層が民主主義プロセスを損なったり、他のすべての人々の犠牲の上に利益を増やす政策を推し進めたりすることにつながる」と警告した。(2014/01/22-00:02)
ーーー
 ・・・

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曽呂利新左衛門・ソロリシンザエモン・蘇賂理新作重文

2014-01-21 23:45:02 | 古事記字源

 ・・・「会津=會津」・・・「文(ふみ・あや・ブン)」と言う漢字文字について・・・「亠(鍋蓋冠・音の漢字の略字」、音読みは「トウ・ズ」と、「乂(刈る・かる・収める・おさめる)」の合体である・・・「乂(ガイ・ゲ)」の類字は「メ(め)・X(エックス)・×(掛ける)・乄(しめる・しめす)・x(バツ)」、そして
 「Ⅹ=10=十=拾=足」で、
 「10(とう・たり・ジュウ)」は
 「ソじ=十路・十歳
        十→辻髪」、
 「ふたソじ=二十路・二十歳
       二十→弱冠・はたち」、
 「みソじ=三十路・三十歳
       三十→而立・立年・壮室・年壮」、
 「三十日=みソか=晦日」、
 「よソじ=四十路・四十歳
       四十→五八の賀・初老・不感・強壮」、
 「いソじ=五十路・五十歳
       五十→五十算・中老・天命・知命・艾服・艾年」
 「五十六=いソろく=五拾六」、
 「むソじ=六十路・六十歳
       六十→還暦・耳順・杖者・華甲・本掛還り」、
 「ななソじ=七十路・七十歳
       七十→古希・従心・致仕・懸車」、
 「やソじ=八十路・八十歳
       八十→傘寿」、
 「八十猛=やソたける」の「そ」とも発音させている・・・
 「ここのソじ=九十路・九十歳
       九十→卒寿」
 ・・・「そ・ソ」とはナニか?・・・
ーーー
 「そ・ぞ・ソ・ゾ」
 終助詞《接続》動詞および
 助動詞
 「る・らる・す・さす・しむ」の連用形に付く
 ただし、
 「カ変・サ変動詞には未然形」に付く
 「穏やかな禁止」
 「どうか…してくれるな。しないでくれ」
 「誰ソの」・・・「だれだ・だれか」
 徒然草 一一五「かくのたまふは、たソと答ふれば」
 「そ」は係助詞「ぞ」の古い形
 「ぞ」係助詞《接続》種々の語に付く
 文中にある場合は「受ける文末の活用語は連体形で結ぶ」
 「強意」の「ぞ」
 「何事も入り立たぬさましたるゾよき」
 「とゾ」・・・「と」が受ける前文の内容を強める
 「にゾ」・・・なりたち断定の助動詞「なり」の
        連用形「に」+係助詞「ぞ」
        「・・・だったのだ」
 「やゾ」・・・「どうして…か、いや、決して…でない」
        文末に用いて強い反語の意を表す
 「如何にゾ」・・・「どうだ・いかがですか」
          相手のようすを問う
          「いかにゾ。事なりぬや」
          「どういうわけなのか。どうしてか」
 「もゾ」・・・「…だって。…も」
        「も」の意味を「ぞ」で強調
 「然ゾ」・・・「そうなのだ」
        文末にあるときは上のものを強く肯定する
 「ものゾ」・・・「…ものだ。…にちがいない」
        強い断定を表す
ーー
 「そ・ソ」
 日本語の音節のひとつ
 仮名のひとつ
 清音(そ・ソ)の他、濁音(ぞ・ゾ)
 「五十音順」の第15位
 「いろは順」の第18位
 「れ」の次
 「つ」の前
 平仮名「そ」の字形は「曾」
         ・・・かって・すなわち・ひい
            ソウ・ゾ
 片仮名「ソ」の字形は「曾」の部分
    「曾」の略字体「曽」の上部「ハ・八」
     類字は「噌・層・會=会(あう・エ・カイ)
         甑譄僧潧層矰蹭噌憎竲鄫」
     會津=会津
     曾孫・未曾有
        曽参・曽良・木曽・曽孫・曽遊・曽於
         曽鞏・曽子・曽祖・熊曽・曽祖母・曽呂間
        深曽木・曽丹集・曽祖父・曽先之・曽祖父
        嫡曽孫・曽祖母・曽祖父・老曽森・曽我菊
        比曽寺
     曽呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)
     曽我=曾我=蘇我・・・ワレ、よみかえる・・・
 モールス信号は「ソ=---・」
 変体仮名は「楚」
 片仮名の「ソ」
 片仮名の「ン」と形が似ているため、
 隠語やパロディに使われることがある
 日本語音名の「と」=たちつて「と」の
 「二十番目」
       「ト」=イロハニホヘトの「ト」、
 つまり
 英語
 ドイツ語の 「G」=ABCDEFGの「G」にあたる音は、
 「七番目」で
 イタリア語・フランス語では「Sol」だが、
 日本ではしばしば「ソ」と発音・表記される
 ・・・「ト(ぉ)」が「ソ(ぉ)」と・・・訛る?
 西洋音階の「ソ」は「五番目」・・・
 ド・レ・ミ・ファ・ソ(そ)・ラ・シ・ド
 「そ・ソ」は
 「五十音順」の第15位
 「いろは歌」の第18番目
 いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれ「ソ」つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせす
  ↓
 色はにほへど 散りぬるを
 我が世たれぞ 常ならむ
 有為の奥山  今日越えて
 浅き夢見じ  酔ひもせず 

ーーー「古事記」原文抜粋・・・「・・・」カギ括弧は加筆
 ・・・神武天皇=磐余彦=倭伊波禮毘古・・・
 故、從其國上行之時、經浪速之渡而、泊青雲之白肩津。
   此時、「登美能那賀須泥毘古」
  自登下「九字」以「音」。
   興軍待向以戰。爾取所入御船之楯而下立。
 故、號其地謂楯津。
   於今者云「日下之蓼津」也。
   於是與「登美毘古」戰之時、
   五瀬命、
   於御手負「登美毘古」之痛矢串。
 故爾詔、
   吾者爲日之御子、「向日」而戰不良。
 故、負賤奴之痛手。
   自今者行廻而、背負日以擊期而、
   自南方廻幸之時、
   到血沼海洗其御手之血。
 故、謂血沼海也。
   從其地廻幸、
   到紀國「男之水門」而詔、
   負賤奴之手乎死、
   「男建」而崩。
 故、號其水門謂「男水門」也。
   陵卽在紀國之竈山也。
 故、「倭伊波禮毘古命」、從其地廻幸、
   到熊野村之時、
   「大熊髮」出入卽失。
   爾「倭伊波禮毘古」命、
   倐忽爲「遠延」、
   及御軍皆「遠延」而伏。
  「遠延」二字以「音」。
   此時、熊野之「高倉下」、
   此者人名。
   賷一「横刀」、
   到於天御子之伏地而獻之時、
   天御子卽寤起、詔長寢乎。
 故、受取其「横刀」之時、
   其熊野山之荒、自皆爲切仆。
   爾其惑伏御軍、悉寤起之。
 故、天御子、
   問獲其「横刀」之所由、
   「高倉下」答曰、己夢云、
   天照大、
   「高木」、
   二柱之命以、
   召建御雷而詔、葦原中國者、
   伊多玖「佐夜藝帝」阿理那理。
  此「十一字」以「音」。
   我御子等、不平坐良志。
  此「二字」以「音」。
   其葦原中國者、專汝所言向之國。
 故、汝建御雷可降。
   爾答曰、
   僕雖不降、專有平其國之「横刀」、可降是刀。
   此刀名、
   云「佐士布都」、
   亦名云「甕布都」、
   亦名云「布都御魂」。
   此刀者、坐石上宮也。
   降此刀狀者、穿「高倉下」之倉頂、自其墮入。
 故、阿佐米余玖 
   自阿下「五字」以「音」。
   汝取持獻天御子。
 故、如夢教而、旦見己倉者、信有「横刀」。
 故、以是「横刀」而獻耳。・・・オウトウ
   於是亦、
   「高木」大之命以覺白之、
   天御子、自此於奧方莫使入幸。
   荒甚多。
   今自天遣「八咫烏」。
 故、其「八咫烏」引道。從其立後應幸行。
   故
   「隨」其教覺、・・・「隋・随・髄・瑞・蕊・蘂」
   從其「八咫烏」之後幸行者、
   到吉野河之河尻時、
   作筌有取「魚人」。
   爾天御子、
   問汝者誰也、
   答曰僕者國、名謂贄持之子。
   此者阿陀之鵜飼之祖。
   從其地幸行者、
   「生尾人」、自井出來。其井有光。
   爾問
   汝誰也、
   答曰
   僕者國、名謂「井氷鹿」。
   此者吉野首等祖也。
   卽入其山之、亦遇「生尾人」。
   此人「押分巖」而出來。
   爾問
   汝者誰也、
   答曰僕者國、名謂「石押分」之子。
   今聞天御子幸行。
   故、參向耳。
   此者吉野國巢之祖。
   自其地蹈穿越幸「宇陀」。
 故、曰「宇陀」之穿也。
   故爾於「宇陀」有
   兄
   「宇迦斯」
  自宇以下「三字」以「音」。
  下效此也。
   弟
   「宇迦斯」二人。
 故、先遣「八咫烏」問二人曰、今天御子幸行。
   汝等仕奉乎。
   於是兄「宇迦斯」、以鳴鏑待射返其使。
 故、其「鳴鏑」所落之地、
   謂「訶夫羅前」也。
   將待擊云而聚軍。
   然不得聚軍者、
   欺陽仕奉而、
   作大殿、
   於其「殿內」作「押機」待時、
   弟
   「宇迦斯」先參向、
   拜曰、僕兄
   兄
   「宇迦斯」、
   射返天御子之使、
   將爲待攻而聚軍、不得聚者、
   「作殿」其內張「押機」將待取。
 故、參向顯白。
   爾大伴連等之祖、道臣命、久米直等之祖、
   大久米命二人、召兄「宇迦斯」罵詈云、
   伊賀
  此「二字」以「音」。
   所「作」仕奉於「大殿內」者、
   意禮
  此「二字」以「音」。
   先入、明白其將爲仕奉之狀而、
   卽握「横刀」之手上、
   矛由氣
  此「二字」以「音」。
   矢刺而、追入之時、
   乃「己所作押見」打而死。
   爾卽「控出」斬散。
 故、其地謂「宇陀」之血原也。
   然而其
   弟
   「宇迦斯」之獻大饗者、悉賜其御軍。
   此時歌曰、
 宇陀能 多加紀爾 志藝和那波留 和賀麻都夜
 志藝波佐夜良受 伊須久波斯 久治良佐夜流
 古那美賀 那許波佐婆 多知曾婆能 微能那祁久袁
 許紀志斐惠泥 宇波那理賀 那許婆佐婆
 伊知佐加紀 微能意富祁久袁 許紀陀斐惠泥
 疊疊 「音引」 志夜胡志夜 
 此者伊能碁布曾。
 此「五字」以「音」。
 阿阿 「音引」 志夜胡志夜 此者嘲咲者也。
 故、其
 弟
 「宇迦斯」、此者「宇陀」水取等之祖也。
 自其地幸行、到忍坂大室之時、
 「生尾」土雲 訓云「具毛」。
 「八十建」、在其室待伊那流。
 此「三字」以「音」。
 故爾天御子之命以、
 饗賜「八十建」。
 於是宛「八十建」、
 設「八十膳夫」、毎人佩刀、
 誨其膳夫等曰、聞歌之者、一時共斬。
 故、明將打其土雲之歌曰、
 意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理
 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀
 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟
 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知
 伊麻宇多婆余良斯
 如此歌而、拔刀一時打殺也。
 然後
 將擊
 登美毘古之時、
 歌曰、
 美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波
 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖
 宇知弖志夜麻牟
 又歌曰、
 美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾
 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志
 宇知弖斯夜麻牟
 又歌曰、
 加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布
 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟
 又擊
 兄師木、弟師木之時、御軍暫疲。
 爾歌曰、
 多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母
 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴
 志麻都登理
 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥
 故爾
 「邇藝速日」命參赴、
 白於天御子、聞天御子天降坐。
 故、追參降來、卽獻天津瑞以仕奉也。
 故、「邇藝速日」命、
   娶「登美毘古」之妹、
    「登美夜毘賣」生子、
    「宇摩志麻遲」命。
 此者「物部」連、
    穗積臣、婇臣祖也。
 故、如此言向平和荒夫琉等、
 夫琉「二字」以「音」。
 退撥不伏人等而、
 坐畝火之白檮原宮、
 治天下也。
ーーーーー
 ・・・「音=亠」+「乂」=文・・・「オトかり」・・・

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「しるみど」・・・知流見怒・・・

2014-01-20 21:47:53 | 古事記字源

 ・・・マンデラの問題・・・あの場所に「名誉白人」と言う「人種」が存在した・・・古代からの歴史的「差別問題」は「人種」だったのか?・・・階級格差→奴隷=財産・労働力・土地・生産的冨←略奪←暴力=権力・・・かっての「黒人王国」は黒人を「奴隷」として売っていた・・・古代ギリシャ、ローマは、同族都市国家との戦争による「奴隷」と「植民地」の獲得だった・・・「アラブ王国」は「人種」に関係なく「奴隷売買」をしていた・・・戦国末期、ポルトガル人は「ヤポン」を奴隷売買としていた・・・「ヤポン」はどうか・・・「暴力→略奪→冨←他人の労働力」が「組織」、あるいは「個々人」の「根幹思想」である限り「階級差別」は「人種」を超えて何処にでも発生する・・・「安重根」が「独立国家を目指した民族の英雄」ならば「金日成」も、「大陸中国政府」の「チベット・ウイグル」等の「自治区」に存在する「独立国家主義テロリスト」も「英雄」である。もちろん、「伊藤博文」も、「イスラム原理主義のテロリスト」もである・・・「シルミド」、「JSA」の「思想」は何処かに吹っ飛んでしまったらしい?・・・「安重根」が「日本」を「弟」と言っていた「理由の根拠」はナニか?・・・「伊藤博文」が死に間際に彼を「バカな奴」と言った根拠はナニか?・・・古来から延々と「日本の支配者階級」は大陸、半島の「亡国の敗残者の残党の渡来と暴力的な居座り」だったのだ・・・問題は「カネ(金)」の蓄積と配分の問題である・・・
ーーーーー
 以下、ウイッキペデアから参考抜粋し若干改作し、添付・・・
ーー↓
 名誉人種
 南アフリカ共和国で行われていたアパルトヘイト
 外国人を含めて、有色人種は差別扱いを受けていたが
 インド系人種や
 白人との混血の者は議会の議席など、
 黒人には認められない一定の権利が認められ、
 有色人種の中でも待遇の違いがあった。
ーー
 日本国籍を有する者
 南アフリカ共和国で
 1961年1月19日から、
 経済上の都合から
 「名誉白人」扱いとされていた。
 日本は1980年代後半から
 南アフリカ共和国の最大の貿易相手国
 中華民国(台湾)籍の者もは
 「名誉白人」扱いとされていた。
 1987年
 国際社会がアパルトヘイトに反対し、
 文化交流を禁止、経済制裁
 日本は、
 南アフリカの最大の貿易相手国となり、
 翌1988年2月5日
 国連反アパルトヘイト特別委員会の
 ガルバ委員長はこれに遺憾の意を表明
 国連総会で「南アフリカ制裁決議案」採択と同時に
 日本は名指しで非難された。
 2008年6月18日
 南アフリカの高等裁判所は、
 中国系住民を黒人と同様に扱うという判決をだした。
ーー
 ドイツ・ナチス政権下
 一部の
 ユダヤ人などが
 名誉アーリア人として扱われ、
 ホロコーストなどからも除外されていた。
 アジア人を含む異色人種をアーリア人に次ぐ
 二流民族と差別。
 日本人も差別対象されたが
 三国同盟を結んで
 日本人を
 名誉アーリア人種とした。
ーーーーー
 ・・・

 

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