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コジキジゲン

ムムムムム・・・二刀流・・・?

2024-06-20 03:30:41 | 古事記字源
 『倭名類聚鈔』
 「やさすかり」・・・矢刺す狩り?
 「むさし」
 ↓↑
 『言海』
 「むさし=六指し」
 「やさすかり=八指す樗蒲」
 ↓↑
 『物類称呼』
 「十六むさし」
 「むさし=弁慶むさし
      十六さすがり
      さすがり」
 ↓↑
 『安斎随筆』
 鎌倉で
 「ニッサ(二三)」
 6つの石を使うゲーム
 「十六むさし=牛追ニッサ」
  ↓↑
  武蔵 坊  弁慶
 (むさしぼう べんけい
  武藏 坊  辨慶)
 ?~文治5年閏4月30日
   1189年6月15日?
 僧衆(僧兵)
 源義経の郎党
 ↓↑
 「吾妻鏡」
 「源 義経」の部下
 「平家物語」
 「源平盛衰記」
 出身地、容姿、性格、活動内容
 最期等の詳細な情報は一切ない
 弁慶の功績や伝説は後世の創作
 ↓↑
 「弁慶ぎなた」式
 「ぎなた読み」
 「弁慶が薙刀を持って刺し殺した」
 「弁慶がな、ぎなたを持ってさ、し殺した」
 句読点の付け方を変えると
 文章の意味も変わる
 「ここでは、きものを、ぬいでください」
 「ここで、はきものを、ぬいでください」
 ↓↑
 『虎の 尾を 踏む 男達』
 (とらのおを ふむ おとこたち)
 1945年製作
 1952年公開
 監督 黒澤明
 主演 大河内傅次郎
    榎本健一
 モノクロ、スタンダードサイズ、59分
 能の『安宅』を下敷きにした
 歌舞伎『勧進帳』を元に
 道化役で
 榎本健一
 演じる「強力」のエピソード
 喜劇仕立て
 ミュージカル風に脚色した作品
 終戦直後の
 「GHQ」・・・字意得通知求・・・?
 の検閲によって
 1952年まで公開が認められなかった
 ↓↑
 謡曲「安宅」
 「虎の尾を踏み
  毒蛇の口を逃れたる心地して
  陸奥(むつ)の国へぞ
  下りける」
 劇中で謡曲の一節が
 現代的な音楽にアレンジされ
 ヴォーカルフォア合唱団の
 合唱で歌われている
 謡曲のほか
 歌舞伎の
 下座音楽
 祭囃子
 神楽
 などの伝統音楽も使用
 『勧進帳』をパロディ化し
 弁慶の見せ所
 「飛び六法」
 は
 道化強力役の
 榎本健一
 が演じた
 ↓↑
 GHQの検閲
 「主従の忠義」が
 GHQが日本政府に出した
 「反民主主義映画の除去」
 の覚書に沿った
 「反民主主義映画」に選ばれ
 上映禁止
 1952年3月3日
 「反民主主義映画」
 のうち
 CIEの通達による
 第一次解除映画の1本に含まれ
 上映の禁が解かれ
 同年4月24日に一般公開・・・
ーー↓↑ーー
 「宮本
  武蔵
 (む さし)」

  ↓↑
  む
  武=一+弋+止
  ブ
  ム
  もののふ
  たけし・たけだけしい・つよい
  いくさ・戦争
  もののふ・つわもの
  侍・武士・軍人
  あと・足あと
  先人が行った事業のあと
  つぐ・あとをつぐ
  長さの単位=一歩の半分
  ↓↑
  さし
  定規(物差し・物指し)
  二人 が 一緒に いる状態
   二人で何かをしている動作 ・状態
 「さし」で勝負
  さす=傘をさす(差す)
  さす=簪をさす(挿す)
  さす=方角をさす(指す)
  さす=日射しがさす(射す)
  さす=剣で刺す
  さす=扠
   =扌+叉
    扌+又+丶
    サ
    さす
    さて
    はさみとる
    やす
    突き刺す
    水中の魚を突き刺す道具
    日本語
    さて
    話題を改めるときのことば
  さす=砂州・砂洲
  さす=目薬を点す
  さす=口紅を注す・お茶を注す
 ↓↑
 武
 荒武者(あらむしゃ)
 演武(エンブ)
 落ち武者(おちむしゃ)
 核武装(カクブソウ)
 影武者(カゲムシャ)
 官武(カンブ)
 古武士(コブシ)
 尚武(ショウブ)
 武威(ブイ)
 武張る(ぶばる)
 武備(ブビ)
 武辺(ブヘン)
 武弁(ブベン)
 武門(ブモン)
 武勇(ブユウ)
 武勇伝(ブユウデン)
 武略(ブリャク)
 武力(ブリョク)
 歩武(ホブ)
 武者(ムシャ)
 勇武(ユウブ)
 右武(ユウブ)
 若武者(ワカムシャ)
 猪武者(イノシシムシャ)
 威武(イブ)
 建武の新政(ケンムのシンセイ)
 玄武岩(ゲンブガン)
 公武(コウブ)
 侍・武士(むらい・ブシ)
 十六六指・十六武蔵(じゅうろくむさし)
 ↓↑
 緯武経文(イブケイブン)
 允文允武(インブンインブ)
 禹湯文武(ウトウブンブ)
 偃武修文(エンブシュウブン)
 我武者羅(ガムシャラ)
 窮兵黷武(キュウヘイトクブ)
 勤倹尚武(キンケンショウブ)
 好学尚武(コウガクショウブ)
 止戈為武(シカイブ)
 武運長久(ブウンチョウキュウ)
 武芸百般(ブゲイヒャッパン)
 武骨一辺(ブコツイッペン)
 武陵桃源(ブリョウトウゲン)
 文事武備(ブンジブビ)
 文恬武嬉(ブンテンブキ)
 文武一途(ブンブイット)
 文武兼備(ブンブケンビ)
 文武百官(ブンブヒャッカン)
 文武両道(ブンブリョウドウ)
 武者修行(ムシャシュギョウ)
 右文左武(ユウブンサブ)
 耀武揚威(ヨウブヨウイ)
 ↓↑
 一合取っても武士は武士
 落ち武者は薄の穂にも怖ず
 花は桜木、人は武士
 武士に二言はない
 武士の情け
 武士は相身互い
 武士は食わねど高楊枝(ぶしはくわねどたかようじ)
 ↓↑
「宮本 武蔵」
 天正十二年(1584年)?
 ~
 正保二年五月十九日(1645年6月13日)
  ↓↑
 「生国 播磨(はりま)」
     播く=まく=撒く
          =蒔く
          =捲く
          =巻く
     磨=みがく・とぐ
           研ぐ・解く・説く
          おとぎ=御伽・音義
       麿=麻呂
       太安萬侶
       多安万侶
 ↓↑
 養子
 「伊織」が建立した
 『小倉碑文』
 江戸中期の地誌
 『播磨鑑』
 泊神社棟札(兵庫県加古川市木村)
 等の記載による
 播磨生誕説(兵庫県高砂市米田町)
 と
 江戸時代後期の地誌
 『東作誌』・・・倒錯・盗作・統作
         藤作
         董作・・・董の作?
 美作国(岡山県東部)
 宮本村
 美作 生誕説
 ↓↑
 幼名
   辨助(弁助・弁之助)
   弁別・弁捌・・・分別・文捌?
   大分=おほいた=豊前・豊後
      豊国・ぶぜん・ぶんご
         憮然  文 語?
   大分=ダイブン
     =台分=台文・台本=脚本
      題文=テーマ=主文
     =おほわけ
     =於保訳(和気・譯)
 別名
   藤原 玄信
   新免 武蔵守
 ↓↑↓↑
   新免=貢租を許された
      免田の一種
      ・・・税金免除・兵役免除?
   城下町で
   町人住所は「町」
   武家住所は「丁」であると区別

   豊臣秀吉は
   「太閤検地」で
   里・保・郷・村・惣村
   などの末端区域を検地により境界を定め
   すべて「村」とする
  「村切り」を行った

  「大字(おおあざ)」=市町村内の区画名称
   村の中にある田畑・山林などの
   小さな地所の名前である
  「小名」を「字(あざな)」といい
   帳面証文等には
   「字(あざ)」と記された
   「小名(こな)」は
   村の中の小集落
   検地帳に記載された耕地名の小地名
   「山字(やまあざ)」なども含まれる
   10世紀
   条里呼称と併用され
   現在の「小字」に相当する地名が使用
   次第に「小字」表記が主流となり
   「太閤検地」以後
   「村-字」の表示が標準
 ↓↑ ↓↑
   「大字」は
   「小字(あざ)」の一種
   「字(あざ)=小字」
    自然災害や
    地質、土壌などに由来
    有効開拓地域
    危険地域
    を指標、警告するコトバを
   「地名」の「標識語」として「冠」した
   「しめの」=皇室や貴人が占有し
         一般の者の立ち入りを
         禁じた野・禁野 (きんや)
        「結界地」
         禁野(しめの)
         鎌倉時代
         鷹狩りの禁止地域
         江戸時代
         将軍、諸大名の狩猟場
         一般の猟を禁じた保護地域
         
    万葉集 平家物語
   「あかねさす
    紫野行き
    標野(しめの) 行き
    野守は 見ずや
    君が袖振る」・・・標野=薬草の御料地
    鏡王(かがみのおおきみ)
    額田鏡王
    臣籍降下後の氏姓は
   「威奈公」
    宣化天皇の子の
   「火焔皇子」の後裔
   「阿方王」の子・・・
    額田王
   (ぬかたのおおきみ・ぬかたのきみ)
    飛鳥時代の皇族・歌人
    天武天皇の妃(采女・巫女)
    額田部姫王(『薬師寺縁起』)
    とも記録
   『日本書紀』
    鏡王の娘
   「大海人皇子(天武天皇)」
    に嫁ぎ
   「十市皇女」・・・大友皇子の妃
    を生む
    父の
   「鏡王」は
    2世~5世の皇族(王族)の家系
    近江国
    野洲郡
    鏡里の豪族
   「壬申の乱」で戦死・・・?
    孫の・・・
   「葛野王」は
    669年(天智天皇八年)の生まれで
   「十市皇女」の生年は
    648年(大化四年)~653年(白雉四年)頃
   「額田王」
    は
    631年(舒明天皇三年)
    ~
    637年(同九年)頃の誕生・・・
    出生地
    大和国
    平群郡
    額田郷
    or
    県東部(出雲国意宇郡)・・・
   『万葉集』
   『日本書紀』
    の
   「鏡姫王(鏡王女)」
    の妹・・・
   「十市皇女」の出生後
   「天武天皇」
    の兄である
   「中大兄皇子(天智天皇)」
    に寵愛された・・・
   「茜指す 紫野行き
    標野行き
    野守は見ずや
    君が袖振る(巻1・20・額田王)
   「紫の匂へる妹を
    憎くあらば
    人妻ゆゑに
    我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)」
    天智・天武両天皇との
    三角関係を想定理解・・・
    60歳前後まで生存・・・
    
   「比売朝臣額田(ひめのあそみぬかだ)」
    は臣籍降下した額田王の改名・・・
   「藤原大嶋」
    と再婚し80歳近くまで生きていた
   「比売」=「比売陀」の脱字・・・
   「比売陀君」
    が八色の姓の「朝臣」を賜った・・・
   「比売陀」氏は
    開化天皇の末裔で
    履中天皇の時に
   「比売陀君」
    を賜ったと
   「古事記」にあり
   「額田王」の臣籍降下ではない・・・
   「額田王」=絶世の美人・・・
ーーーーー  
 「あざ=悝・痣・鮮」・・・「字」の?
 ↓↑↓↑
   地租改正事業で
   従前の
   「字(耕地の名称の字)」
   を基にしながらも
   調査の都合の良いように
   小さなものをいくつかまとめたり
   大きな字を分割したり
   適切な規模に
   再編成を行った
   ↓↑
   1889年(明治二十二年)
   公布の市制および町村制の施行時に
   従前の村名・町名を残したもの
   市制・町村制施行後の
   分離・埋立等によって
   新設された「大字」
   この「大字」と区別して
   江戸時代からの
   村(藩政村)の下にあった
   区画単位である「字(あざ)」を
      「小字(こあざ)」
   とも言うようになった・・・

 長崎県
 近世から村内の小区域を単位として
 ○○郷(ごう)
 ○○触(ふれ)
 ○○名(みょう)
 ○○免(めん)
 などの名称が用いられ
 明治22年の
 市制・町村制以降も一部の
 市町村直下に
 ○○Ⅹと表記される行政単位が用いられた

 郷(ごう)
 近世の
 大島・五島両藩において用いられ
 東彼杵郡・西彼杵郡・南松浦郡
 の行政単位

 触(ふれ)
 近世の
 壱岐国(平戸藩)において免とともに用いられ
 壱岐・石田両郡の行政単位

 名(みょう)
 近世の
 島原・佐賀両藩において用いられ
 北高来郡・南高来郡・西彼杵郡
 の一部の行政単位として用いられる

 免(めん)
 近世の
 平戸藩において用いられ
 北松浦郡の行政単位として用いられる
 ↓↑ ↓↑
 免  新免(シンメン)
   岡山県
   美作市
   粟井付近(旧:新免)
   室町時代に記録のある地名
   ↓↑
   江戸時代にあった
   福岡県
   朝倉市
   秋月
   野鳥
   藩庁の
   秋月藩士
 ↓↑ ↓↑
   『東作誌』が載せる新免氏
   家祖
   「大納言 徳大寺 実孝」
   建武
   新政期に勅勘を蒙り
   美作国英田郡粟井庄に流され
   貞和三年(1347年)没
 ↓↑ ↓↑
   「徳大寺 実孝」の子
   新免氏初代の
   「新免則重」
   ・・・則(すなわち
         のっとる)
       重(かさなる
          おもい)
   新免氏の名乗りを与えられ
   武家に転じ
   室町幕府より
   英田郡に・・・英=はなぶさ
       英語・英国 
    田=かり(狩り)場
      假=仮・借?
   粟井庄・広山庄・吉野庄
   を与えられた・・・
   粟井庄内には
  「新免村」が存在
   14世紀末
   同国守護
   赤松氏の被官
   新免氏が同地の荘官
 ↓↑↓↑
   初代
  「新免則重」
   の嫡子
  「新免長重」
     長(ながく)
      重(かさなる
         おもい)
   は
   小房城主なるが
   文明十二年(1480年)
    ・・・文は明らかに拾う字(爾)?
   山名氏によって滅ぼされた
    ・・・纂名=サンメイ=簒名・・・
   遺児の
  「新免貞重」
   は外戚、
   赤松氏の一門の 
   宇野氏を頼って
   同郡の小原山王山城へ逃れ
   後に
   宇野氏の養嗣子となって家督を継承
   貞重は後に
  「新免氏」に名乗りを戻し
   居城を新たに
   竹山城に移し
   粟井氏・平尾氏などの
   吉野郡の国人を討ち
   郡内随一の勢力を得た
 ↓↑↓↑
   貞重の子
  「新免宗貞」は
   吉野郡七荘を領し
   勝田郡にまで勢力を伸ばし
  「尼子(あまこ)」氏と対峙
   ・・・海女子・海部子・阿毎子
   子の
  「新免宗貫」の代
  「尼子」氏が退潮
   毛利氏や
   織田氏・豊臣氏に与する
   備前国の
  「宇喜多」氏
   ・・・うきた・・・宇宙の喜び多し?
     「雨季・雨期」+多
   が台頭し
   宇喜多氏に従属
   慶長五年(1600年)
  「関ヶ原の戦い」に敗れて
   宇喜多氏が改易
   新免氏も離散
  「新免宗貫」
   の直系は
   福岡藩士となったり
   帰農した
   福岡藩の
   黒田氏に仕えた
  「新免氏」は
   筑前国
   下座郡
   九村
   に
   2,300石で召し抱えられ
  「新免宗貫」の長男
  「新免宇兵衛」は
   後に
   熊本藩士に転じ
   次男
  「種信」・・・種(たね・うえる・くさ)
           㘒=種+叱
         信()
   は改易なったが
   福岡藩重臣の
   「三奈木 黒田家」
   ・・・みなき=見名記(紀)?
      国伝(傳・典)化
      ・・・博多・・・伊藤博文?
   に仕えた
   『東作誌』所載の系図は
   「宗貫」の孫に
   「宮本武蔵」
   の養子
   「宮本三木之助」
   があったとし
   「三木之助」は
   「武蔵」の外孫・・・
 ↓↑ ↓↑
   新免 玄信
   新免 武蔵
   宮本 二天
   宮本 武蔵
 戒名 二天道楽居士
 墓所 武蔵塚(熊本県熊本市北区)
 ↓↑
 主君 黒田如水→水野勝成
 ↓↑
 父  新免無二
   十手術の兵法家
   室町幕府将軍
   足利義昭の
   将軍家師範
   扶桑第一兵術者の号を持つ
   吉岡某と試合をし
   一度は吉岡が勝利し
   二度は無二が勝利し
   「日下 無双 兵法術者」
    くさか 夢想 表方?
   の号を賜った
 ↓↑
 養子 三木之助
   伊織(いおり)・・・意織・意折?
  ↓↑
 「佐々木 小次郎 巌流(ガンリュウ)」
 経歴不明・・・
 ↓↑
 出身
 豊前国
 田川郡
 副田庄(福岡県田川郡添田町)
 豪族
 佐々木氏のもとに生まれた・・・説
 1776年(安永五年)
 熊本藩の
 豊田景英
 が編纂した『二天記』で
 越前国
 宇坂庄
 浄教寺村(福井県福井市浄教寺町)
 秘剣「燕返し」は
 福井の
 一乗滝であみだし
 生年は
 天正もしくは永禄年間・・・
 ↓↑
 中条流
 富田勢源
 門下の鐘捲流の
 鐘捲自斎の弟子
 安芸国の毛利氏に仕え
 武者修行で諸国を遍歴
 「燕返し」の剣法を案出
 「岩流」と呼ばれる流派を創始
 小倉藩の剣術師範
 ↓↑
 名前
 「佐々木岩龍」
  佐々 木・・・佐野・狭野
  佐=イ+ナ+工
    人+ナ+工
      (たくみ
       工人・功・巧
       匡
       伎・内匠)
   サ
   すけ
   たすける
   手助てだすけをする
   力を貸す・補佐する
   すすめる
   佐酒=酒をすすめること
   すけ・衛門府・兵衛府などの次官 
  木=十+八=おはこ・特技
    ↓↑
   「岸龍」
 「巌流小次良」
 「巌流小次郎」
 「岩流(巖流・岸流・岸柳・岩龍)」
 を名乗った
 ↓↑
 「燕返し」は
 「虎切」と呼ばれる剣法の型
 ↓↑
 巖流島(がんりゅうじま)
 山口県
 下関市・関門海峡に在る島(無人島)
 座標 北緯 33度55分58秒
   東経130度55分50秒
 正式名称
 船島(ふなしま)
 所在地
 山口県
 下関市
 大字
 彦島
 字
 船島648番地
 ↓↑
 本州
 下関市
 彦島
 から約0.4 kmの
 関門海峡内に在る小島
 島全体が平らな地形
 標高は最高地点でも
 海抜10 mに満たない
 ↓↑
 巌流島の戦い
 宮本武蔵
 と
 佐々木小次郎
 の決闘
 当時は
 豊前小倉藩領の
 船島であった
 小次郎が
 「巖流(岩流)」
 を名乗って
 「巖流島」
 と呼ばれるようになった
 ↓↑
 武蔵と小次郎の
 決闘日時
 『二天記(安永五年(1776年)』
 によると
 慶長十七年四月十三日
 グレゴリオ暦
 1612年5月13日
 ↓↑
 立花峯均・・・たちば ナ 法 ナらす?
 による
 『丹治峯均筆記(享保十二年(1727年)』
 武蔵19歳のときとあり
 決闘時期には諸説あって実際は不明
 ↓↑
 島の隣に岩礁があり、難所
 豊臣秀吉
 も
 名護屋~大坂への帰路の途中で
 乗船が座礁転覆
 毛利水軍によって救助され
 船と運命を共にした船長の
 「明石与次兵衛」
 の名を取り、江戸時代に
 「与次兵衛ヶ瀬」
 と呼ばれていた
 岩礁は大正年間、爆破され
 三菱重工業によって埋め立てられ
 島の面積が広がっり
 明治中期に
 コレラ患者
 の医療施設が立地
 ↓↑
 周辺が日本軍の下関要塞地帯
 戦後
 島に移住者で30世帯に達したが
 1973年には無人島
 狸が彦島から渡ってき生息
 ↓↑
 豊後(ぶんご)国・・・文語句似
 杵築
 細川家の領地
 慶長年間は杵築城代に
 松井康之・松井興長が任じられていた
 「宮本無二助藤原一真
 (原文は
  宮本无二助藤原一真)」
 が慶長十二年(1607年)
 細川家家臣
 友岡勘十郎に授けた当理流の免許状が現存
 これを沼田家記の
 「武蔵親無二と申者」
 とするならば
 武蔵は杵築に住む
 無二の許へ送られた・・・
 当時
 日出藩主
 細川忠興の義弟
 木下延俊
 の慶長十八年(1613年)の日記に
 延俊に仕えていた
 無二なる人物のことが記されている
 これを沼田家記の
 「武蔵親無二と申者」
 とするならば、試合当時も
 豊後日出に在住していた
 無二の下へ武蔵は送られた
 『本朝武芸小伝(1716年)』
 にも巖流島決闘の伝説が記録
 松平忠栄の家臣
 中村守和(十郎右衛門)曰くと称して
 『沼田家記』の記述と同様
 単独
 渡島の巖流に対し
 武蔵側が多くの仲間と共に
 舟島に渡っている様子が語られている
 ↓↑
 『武将感状記(1716年、熊沢淡庵著)』
 武蔵は
 細川忠利に仕え
 京から小倉へ赴く途中
 佐々木岸流から挑戦を受け
 舟島での試合を約し
 武蔵は櫂を削った二尺五寸と
     一尺八寸の二本の木刀
 岸流は三尺余りの太刀で戦って
 武蔵が勝った
 ↓↑
 六三四
   =武蔵
   =むさし
   =无邪志
   =无謝志
   =無邪志
   =胸刺
   =牟佐
ー↓↑ーーーー
 無=𠂉+卌+―+灬
   𠂉+‖+‖一+―+灬
   ブ
   ム
   ない・存在しない
  「なし・なかれ」
   否定や禁止を表す
   なみする・ないがしろにする
   かろんじる
   無視する
   𠂉(髪挿し・櫛)
   ↓↑
   髪=镸+彡+ナ+又
     長=匚+二+𧘇
      「+= +𧘇
     镸=「+≡+ム
髟=镸+彡=ヒョウ
     髪の毛が長く
     垂れ下がるさま
   髠=镸+彡+几=コン
     そる・髪をそる
     かみそり(剃刀)の刑
     髪をそり落とす刑罰
     切る・伐る
     木の枝を切り払う
    =髡・髨=镸+彡+元
     髡=镸+彡+兀
   䯭=镸+彡+又=セン
     髪の感じが良いさま
   䯮=镸+彡+乃
    =ダイ
     ナイ
     ドウ
     ノウ
    「𩯇䯮=毛の乱れ」
   髢=镸+彡+也=テイ
     かもじ
     少ない髪にそえ足す髪毛
   髣=镸+彡+方=ホウ
     かす(か)
     に(る)
     ほの(か)
    「髣髴(ホウフツ)=彷彿」
     よく似ているさま
     ぼんやりしているさま
     ほのか・かすか
     水天髣髴(スイテンホウフツ)
   髦=镸+彡+毛
    =ボウ
     モウ
     すぐれる
     たてがみ
     たれがみ
     さげがみ
     眉近くまで垂れた子どもの髪
     長い髪の毛
     目立って長い毛
     ぬきんでる・すぐれた人物
     馬のたてがみ
   镹=镸+久=久=乆
     キュウ
     ク
     ひさしい・長い・時間が長い
     古くからの・昔からの
     ひさしくする
     時間を長くかける
     長い間そのままにする
   肆=镸+聿=シ=四
     ほしいまま
     みせ=店
     つらねる・つらなる
     ならべる・ならび
     列・陳列
     市場・品物を並べる
     ほしいまま・気まま
     罪人をさらす
     さらしものにする
     ゆえに・だから・まことに
     力を尽くす・努力する・努める
     広げる・のばす
     とうとう・遂に
     極める・極まる
     大きい・長い・はなはだ
     はやい・はやく
    「四」の代わりに用いる大字
   瓺=镸+瓦=チョウ
     口が小さく
     胴が大きく膨らんでいる陶器
     大きな瓶(かめ・びん・壜)
   鬢=镸+彡+賓=髩・鬂・鬓
     ヒン・ビン
     びん・びんずら
     耳のそばの髪
   镾=镸+爾=弥・彌
     ビ・ミ
     や
     あまねし
     いや
     いよいよ
     つくろう
     ひさしい
     わたる
     ひさしい・とおい
     わたる・月日を経る
     時間が経過する
     あまねし・広く行きわたる
     つくろう・おぎなう
     ほころびを縫ってつくろう
     いよいよ・ますます
     ゆるめる・弓のつるを緩める
   髵=镸+彡+而=ジ
     ほおひげ。
     毛が多いさま
     ふさふさとしているさま
 ↓↑ ↓↑
    卌(シュウ)=四十
 ↓↑
 敢(あ)え無い
 飽くなき・飽(あ)く無き
 味気ない・味気無い(あじけない)
 呆気ない・呆気無い(あっけない)
 危(あぶ)なげ無い
 有り無し・有無・有無し
 有るか無し
 有る事無い事
 有る無し
 意気地無し
 無花果(いちじく)
 疑い無い
 疑い無く
 有無(うむ)
 惜しみない
 惜しみ無い
 大人気ない
 大人気無い
 音無し
 覚束ない・覚束(おぼつか)無い
 限り無い
 形無し(かたなし)
 神無月(かんなづき・かみなづき)
 感無量(カンムリョウ)
 虚無(キョム)
 限(きり)無し
 極(きわ)まり無い
 窮(きわ)まり無い
 金無垢(キンムク)
 芸無し(げいなし)
 心無(こころな)い
 ↓↑
 悪逆無道(アクギャクムドウ)
 鴉雀無声(アジャクムセイ)
 安心無為(アンジンムイ)
 安然無恙(アンゼンムヨウ)
 安穏無事(アンノンブジ)
 一事無成(イチジムセイ)
 一望無垠(イチボウムギン)
 一徹無垢(イッテツムク)
 意料無限(イリョウムゲン)
 異類無礙(イルイムゲ)
 慇懃無礼(インギンブレイ)
 有為無常(ウイムジョウ)
 有象無象(ウゾウムゾウ)
 有無相生(ウムソウセイ)
 有無相通(ウムソウツウ)
 有耶無耶(うやむや)
 有漏無漏(ウロムロ)
 永永無窮(エイエイムキュウ)
 永遠無窮(エイエンムキュウ)
 影迹無端(エイセキムタン)
 応用無辺(オウヨウムヘン)
 海内無双(カイダイムソウ)
 架空無稽(カクウムケイ)
 廓然無聖(カクネンムショウ)
 画無失理(カクムシツリ)
 禍福無門(カフクムモン)
 感慨無量(カンガイムリョウ)
 汗顔無地(カンガンムチ)
 完全無欠(カンゼンムケツ)
 眼中無人(ガンチュウムジン)
 ↓↑
 有っても苦労、無くても苦労
 有るか無きか
 有無相通じる
 有無を言わせず
 有無を言わせぬ
 遠慮(エンリョ)が無沙汰(ブサタ)
 遠慮は無沙汰
 応接に暇(いとま)が無い
 奥行きが無い
 音沙汰(おとざた)が無い
 親の意見と茄子(なすび)の花は
   千に一つも無駄はない
 女氏無くして玉の輿(こし)に乗る
 女は氏無うて玉の輿に乗る
 甲斐性が無い
 稼ぐに追い付く貧乏無し
 傍らに人無きが如し
 完膚(カンプ)無きまで
 完膚無き迄に
 眼中に無い
 尽(ことごと)く
   書を信ずれば
   則ち書無きに如かず
 虚無僧(こむそう)に尺八(しゃくはち)
 様は無い
 芝居は無筆の早学問(はやガクモン)
 真の闇より無闇(むやみ)が怖い
 辛抱に追い付く貧乏無し
 是非も無い
 大欲は無欲に似たり
 多芸は無芸
 多勢に無勢
 立場が無い
    ↓↑
 无=ブ・ム
   ない
  =無
 无=一+尢
   一+丿+乚
   尢(だいのまげあし
   まげあし
   おうにょう)
   オウ
   足や背中が曲がって不自由な人
   尢=尣=ハ+儿

   龙=ナ+匕(七)+ヽ
   龍・竜部(リュウ・たつ)
   リュウ
   リョウ
   リン
   天子や英雄のたとえ
   高さが八尺以上の馬
   優れた馬
   龍=竜・龒
   㡣=帝+ㄣ+一+乚+亖(一+≡)
    =亠+丷+冖+巾+一+ㄣ+一+乚+≡
    =帝+ㄣ+匚+≡
 ↓↑
 尤=ユウ=怣=失+心
 尤=尢+丶
   一+丿+乚+丶
   すぐ(れる)
   とが(める)
   もっと(も)
   とが。あやまち。欠点けってん。
   とがめる。責せめる。非難ひなんする。
   もっとも。はなはだ。
   すぐれる。他ほかよりもすぐれている
   目立めだってすぐれている。
   日本語
   もっとも
   その通(とお)り
 ↓↑
 怨尤(エンユウ)=怨み咎める
 悔尤(カイユウ)=後悔と非難
 愆尤(ケンユウ)=過失
 慢尤(マンユウ)=咎め・不注意での過失
 ↓↑
 尤も(もっとも)
 尤も(もっとも)らしい
 尤なる(ユウなる)
 尤物(ユウブツ)=優れモノ
 御無理御尤(ごむりごもっと)も
 御尤(ごもっと)も
 ↓↑
 尤雲殢雨(ユウウンテイウ)=男女の情交
 天を怨みず人を尤(とが=咎・科・罪)めず
 ↓↑
 䥻=釒+无・・・金無し?
 䤞=金+尤
   イン
  =鈗=金+ム+儿
   イン
   武器の一種
   矛の類
   君主の護衛家来の武器
    允=イン・まこと・ゆるす
   ・・・・銃=金+亠+ム+儿
 ↓↑
 无何之郷(ムカのキョウ)
 无何有郷(ムカユウキョウ)
 无妄之福(ムボウのフク)
 无望之禍(ムボウのわざわい)
 ⺛
「无部」
 无 旡
 む・むにょう・ぶ・なし
 すで(既=艮+旡)のつくり
 ↓↑
 无=二+儿(ノ+乚)
 呒=口+无=ブ・ム=嘸
   さぞ
   はっきりとしないさま
   何も口に出して言わないさま
 妩=女+无=ブ・ム=嫵
   こびる
   みめよい・美しい
 庑=广+无=ブ=廡
   ひさし・のき
   家の軒に差し出して
   雨や日光を
   さえぎるための小さな屋根
   廊下・回廊
   しげる・草や木が生い茂る
 怃=忄+无=ブ・ム=憮・㒇
   いつくしむ
   がっかりするさま・失望するさま
   大切にしてかわいがる
 抚=扌+无=フ・ブ=撫・・・愛撫
   なでる・手のひらでさする
   なでるようにしてかわいがる
   なだめる・落ち着かせる
   うつ・たたく・軽くたたく
 芜=艹+无=ブ・ム=蕪
   あれる
   かぶ
   かぶら
   しげる
   みだれる
   荒れる
   雑草が生い茂って荒れる
   茂る
   乱れる・すさむ
   荒れ地・草むら・草原
   日本語
   かぶ・かぶら
 ↓↑
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葺(ふ)きの下の神様=コロポックルって、ダレ?

2024-06-20 00:02:08 | 古事記字源
 前回からのツヅキ
 葺(ふ)きの下の神様=コロポックルって、ダレ?
 チビ・ちび=禿び・・・小さいモノ

 ↓↑
 1900年=明治三十三年
 義和団事件・義和団事変・北清事変
 庚子事変(コウシジヘン)
 北京籠城の指揮者
 「柴 五郎(陸軍中佐)」
 北京に間者の情報網組織化
 1901年の夏
 英国首相ソールズベリー侯爵と会見
 7月15日
 日本公使館に
 「林 董(はやし ただす)」
   ・・・林=木+々=十+八+十+八=三十六
       ↓↑
     邇芸速日命(にぎはやひのみこと)?
     饒 速日命(にぎはやひのみこと)?
      ↓↑
     の臣下
     『長髄彦・日本書紀』
     『古事記・那賀須泥毘古
          登美能那賀須泥毘古
         (とみのながすねびこ)
          登美毘古(とみびこ)』
          と表記
    ↓↑
     董=艹+重
      トウ
      ただす・おさめる
      監督する・見張る
      蓮の根・蓮根(レンコン)
      古い道具
        骨董(コットウ)
        古董(コトウ)
        薡董=薡蕫(テイトウ)
        あぶらがや(油萱)
      書画骨董(ショガコットウ)
         董狐之筆(トウコのフデ)
    ↓↑
    林 董(はやし ただす)
    ↓↑   賑
    1850年4月11日01時
    ~
    1913年(大正2年)7月10日
         大運1908年9月(58歳)丙戌・偏財
    庚戌(辛丁戊)偏印・印綬冠帯⇔癸丑・劫財
    庚辰(乙癸戊)偏印・傷官 墓⇔己未・正官
    壬辰(乙癸戊)  ・傷官 墓⇔壬辰・比肩
    辛丑(癸辛己)印綬・劫財 衰⇔庚戌・印綬
    ↓↑
   ←20時→
   ?庚戌(辛丁戊)偏印・印綬冠帯⇔
     午未空亡
    ↓↑
 ・・・「魁罡」がワンサカの人物・・・???
 緯武経文(イブケイブン)
 允文允武(インブンインブ)
 禹湯文武(ウトウブンブ)
 偃武修文(エンブシュウブン)
 我武者羅(ガムシャラ)
 窮兵黷武(キュウヘイトクブ)
 勤倹尚武(キンケンショウブ)
 好学尚武(コウガクショウブ)
 止戈為武(シカイブ)
    ↓↑
    幕末の幕臣
    明治時代の
    日本の外交官、政治家・伯爵
    蘭方医
    佐藤泰然の五男
    初代陸軍軍医総監の
    松本良順は実兄
    幼名 信五郎
    実名 董三郎(とうさぶろう)
    変名 佐藤 東三郎(とうさぶろう)
    1900年
    駐英公使となり
 ↓↑ ↓↑
   「柴 五郎」同席で
 ↓↑ ↓↑
    日英同盟の構想を
    述べ
   「日英同盟締結」の強力な推進者
    1902年1月30日
    ロンドンで「第一次日英同盟」調印
 ↓↑ ↓↑
    小村 壽太郞・・・祖母の名が「熊」
 ↓↑ ↓↑
    日露戦争
    小村は骨細で小柄だった・・・チビ
    日向国飫肥藩(宮崎県)の
    下級藩士出身
    第1次桂内閣(1901年~1906年)の
    外務大臣
    日英同盟の締結に功のあった
   「小村壽太郎」
    が全権代表
   「ネズミ公使」と渾名され
    身長150センチメートルの小男
    当時50歳直前
   「伊藤博文」
    は小村に対して
   「君の帰朝の時には
    他人はどうあろうとも
    吾輩だけは必ず出迎えにゆく」
    と語り、励ました
    1905年9月5日(露暦8月23日)
    ポーツマス海軍工廠内で
   「日露講和条約の調印」
 ↓↑  ↓↑
    副島 種臣(そえじま たねおみ)
    文政十一年九月九日
    1828年10月17日
    ~
    明治三十八年
    1905年1月31日
    侍講兼侍講局総裁
    参与兼制度事務局判事
    参議兼大学御用掛
    内務大臣(第4代)
    枢密院副議長(第2代)
    外務卿(第3代)
    外務事務総裁
    清国特命全権大使
    宮中顧問官
    興亜会会長
    東邦協会会頭
    愛国公党発起人
    位階勲等 正二位勲 一等伯爵
 ↓↑ ↓↑
    初名 二郎(じろう)
       龍種(たつたね)
    通称 次郎(じろう)
    号  蒼海(ソウカイ)
       一々学人(いちいちがくじん)
 ↓↑ ↓↑
    1905年
    脳溢血で死去
    高伝寺境内の墓
   「伯爵 副島 種臣 先生墓」
    人は白釈 副える揣摩の 種子のアソン?
 ↓↑ ↓↑
    李 鴻章(リ コウショウ
        リー・ホンチャン)
    道光三年一月五日
    1823年2月15日
    ~
    光緒二十七年九月二十七日
    1901年11月7日
    字 少荃(ショウセン)
    諡 文忠
    安徽省
    廬州府
    合肥県
    磨店郷
    出身
   「李文安」の次男
    科挙に合格し進士
    師の
   「曽国藩」
    が江西省へ転勤し
   「李 鴻章」も
    湖南省移動し湘軍を創設
    咸豊三年(1853年)
    友人の
   「呂賢基」
    と共に故郷の
    安徽省へ戻り
    安徽巡撫代理
   「周天爵」の幕僚となり
    合肥を本拠地として
    団練を率いて
   「太平天国軍」との戦う
    同治二年(1863年)
    ~
    同治三年(1864年)
    降伏した敵軍を吸収しつつ
    西洋式軍事訓練も施し
    蘇州・常州を奪回し
    江蘇省を回復
    洋務運動を推進
    外交を担い、清朝の建て直しに尽力
 ↓↑  ↓↑
    光緒二十年(明治二十七年・1894年)
    日清戦争
    光緒二十一年(明治二十八年・1895年3月)
    4月17日
    日清講和条約(下関条約)の調印
   「下関条約」の
    清國
    欽差大臣(全権大使)
 ↓↑ ↓↑ 
    1901年9月7日
    光緖二十七年
    辛丑条約
    北京議定書
    義和団の乱における
    八カ国連合軍と
    清・義和団との
    戦闘事後処理に関する最終議定書
 ↓↑ ↓↑
    死後
    直隷総督・北洋大臣は
 ↓↑ ↓↑
   「袁世凱」が引き継いだ
   「袁世凱(エン セイガイ
       ユエン・シーカイ)
    1859年9月16日(咸豊九年八月二十日)
    ~
    1916年6月6日(56歳死没)・五拾六
    ・・・191666=壹拾イチ
    河南省
    陳州府
    項城県
    初代中華民国大総統
    北洋軍閥総帥
    大清帝国第2代内閣総理大臣
    清朝崩壊後
    第2代中華民国臨時大総統
    初代中華民国大総統
 ↓↑ ↓↑
    首相は
    熊希齢・・・熊(くま・熊本)
    孫宝琦・・・孫(まご・天孫)
    徐世昌・・・徐(おもむろ・徐々)
    段祺瑞・・・段(ダン・石段)
 ↓↑ ↓↑
    中華帝国
    洪憲帝と自称
    字 慰亭(イテイ)
    号 容庵(ヨウアン)
 ↓↑ ↓↑
    1894年
    朝鮮 
   「甲午農民戦争(東学党の乱)」
    光緒二十年(明治二十七年・1894年)
    日清戦争
 ↓↑ ↓↑
 ・・・ボクの曖昧な記憶を確かめる為に
 「Copilot」さんに訊いてみた
ーーーーー
 自分
 1960年代頃にコンパクトな日本の地理地図帳に北部九州あたりに「无邪志」の表記があった記憶があるのだけれど、ボクの記憶乃真偽はどうなんだろうかを、調べてもらいたいのですが
 ↓↑
 Copilot
 回答を生成しています…

 「无邪志」は、のちに武蔵国東部となる地域を支配した国造であることが知られています1。しかし、1960年代の日本の地理地図帳に具体的な記載があったかどうかについては、私の情報源では確認できませんでした。もしご記憶が正確であれば、それは興味深いことですね。国土地理院の図歴(旧版地図)を調査することで、詳細な情報を得ることができるかもしれません2。また、現代の地理情報を提供する「地理院地図」も便利なツールです3。お手伝いできることがあればお知らせください! 😊
詳細情報
1ja.wikipedia.org
2geolib.gsi.go.jp
3maps.gsi.go.jp
4mapps.gsi.go.jp
+2 その他

 自分
 その地図帳が手元にあればイイのですが、ありません。で、「ムサシ」という地名は北部九州には有ったのか、ドウかを知りたいのですが・・・よろしく・・・
 ↓↑
 Copilot
 回答を生成しています…

 「ムサシ」という地名は、北部九州には特定の地域で見られるものではありませんが、興味深い話題ですね。北部九州の地理や歴史について調査してみましょう。

 1960年代の地理地図帳に「无邪志」という表記があったかどうかは私の情報源では確認できませんでした。しかし、北部九州に関連するいくつかの事実を共有します。

 地理情報: 北部九州は日本の九州地方の一部で、福岡県、佐賀県、長崎県、大分県などが含まれます。この地域には美しい自然景観や歴史的な名所が点在しています。
 植生と森林: 北部九州にはさまざまな植生があります。
 例えば、マテバシイ(Pasania edulis)の沿岸林が見られます1。これは商業用の森林において重要なデータであり、成長環境やバイオマスについても研究されています。
 気象情報: 2024年6月17日に
 気象庁から九州北部地方が梅雨入りしたと発表されています2。梅雨前線の影響により、大雨災害が発生する可能性がある時期でもあります。
 もしさらなる詳細を知りたいことがあればお知らせください。お手伝いできることがあれば喜んでお手伝いします!
😊
詳細情報
1catalog.lib.kyushu-u.ac.jp
2town.umi.lg.jp
3baseconnect.in
4doi.org
+2 その他

 自分
 ありがとう、類似の「音」や「漢字名」の地名は「博多」あたりにはないでしょうか・・・
 ↓↑
 Copilot
 回答を生成しています…

 「博多」は福岡県にある地名で、日本国内外から観光客が訪れる有名なエリアです。この地域は歴史的な背景や美食、温泉などが魅力的です。
 「博多」の「博」は「広い」という意味で、「多」は「多くの」という意味です。
 したがって、
 「博多」は「広くて多くの人々が集まる場所」という意味合いを持っています。
 北部九州に類似の「音」や「漢字名」の地名としては、以下のようなものがありますが、直接的に「博多」と同じものは見当たりません。
 博来(はくらい): 長崎県にある地名で、美しい海岸線が広がっています。
 博多町(はくたちょう): 福岡県にある地名で、博多駅周辺のエリアを指します。
 もしさらなる詳細を知りたいことがあればお知らせください。お手伝いできることがあれば喜んでお手伝いします!
😊
 自分
 北九州の「无邪志」という
 表記の類似性を知りたいのですが・・・
 ↓↑
 Copilot
 回答を生成しています…
 「无邪志」は、のちに武蔵国東部となる地域を支配した国造であることが知られています1。しかし、1960年代の日本の地理地図帳に具体的な記載があったかどうかについては私の情報源では確認できませんでした。

 北部九州に関連するいくつかの事実を共有します。
 弥生時代の成果
 : 弥生時代前半期に関する成果が、福岡市域よりも東側で著しく上がったことが注目されています。
 例えば、
 宗像市田久松ケ浦遺跡や
 宗像市田熊石畑遺跡、
 古賀市馬渡
 ・
 束ケ浦遺跡などで、
 朝鮮半島的な構造の
 石槨木棺墓や
 青銅器多数を保有する
 木棺墓群
 甕棺墓群
 が確認されています。

 魏志倭人伝の記述
 : 魏志倭人伝には、北部九州の国々の様子が具体的に記されています。
 一大(支)国・末盧国・伊都国
 などの特徴や制度面の記事があります。
 伊都国域の調査成果は、
 邪馬台国問題を考える上で非常に重要です。

 「无邪志」の類似性について
 直接的な記載は見当たりませんが、
 これらの事実から北部九州の歴史的背景を理解する手がかりとなるかもしれません。もしさらなる詳細を知りたいことがあればお知らせください!
😊
詳細情報
1ja.wikipedia.org
2munahaku.jp
3hasukura.com

 自分
 ありがとう…
 「宗像」の
 万葉仮名での表記はドウなんでしょうか?
 ↓↑
 Copilot
 回答を生成しています…
 「宗像」
 の万葉仮名での表記は
 古代日本語において
 「むねつくり」
 とされています1。
 この表記は、
 漢字の字音を借りて
 日本語の音節を表すために用いられたもので、
 万葉仮名の特徴的な一例です。

 万葉仮名は、
 古代の日本で日本語を表記するために
 漢字の音を借用した文字であり、
 『万葉集』での表記に代表されています。

 漢字の字音を使った音仮名と、
 漢字の字訓を借りた訓仮名があり、
 万葉仮名はその始まりとされています2。

 もしさらなる詳細を
 知りたいことがあればお知らせください!
😊
万葉仮名
万葉仮名
探す
詳細情報
1ja.wikipedia.org
2japanknowledge.com
3waseda.repo.nii.ac.jp
4waseda.repo.nii.ac.jp
5ja.wikipedia.org
+3 その他

 自分
 「宗像」の表記に
 「無・无・牟・胸・邪・ム」
 の漢字が使用されている可能性はないでしょうか・・・
 ↓↑
 Copilot
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 「宗像」の表記について、興味深いですね。
 実際には
 「宗像」は「むなかた」と読まれ、
 古代日本語においては
 さまざまな漢字が当てられていました。

 胸形君(むなかたのきみ)
 : 筑前国
  宗像郡の地に古くから本拠を構えた土豪で、
  古い姓(かばね)です。
 この胸形君は、
 宗像の地を支配した海洋豪族であり、
 宗像大社を奉じる一族も
 「宗像氏」(胸形氏、宗形氏、胸肩氏とも)
 を冠することがあります1。

 宗像三女神
 : 宗像大社に祀られる美しい3人の女神を指します。
 彼女たちは日本神話において、
 スサノオノミコトの子
 (もしくはアマテラスオオミカミの子)
 とされ、
 地上に降り立った重要な役割を果たしたとされています。
 最も一般的に知られる
 三女神の名前は次の通りです2:

 長女:タゴリヒメ(田心姫命)
 次女:タギツヒメ(湍津姬=多岐都比売命)
 三女:イチキシマヒメ(市杵島姫命)

 「宗像」の表記について、
 これらの神話や歴史的な背景を考慮すると、
 さまざまな
 意味や表現が含まれていることがわかります。3

 もしさらなる詳細を知りたいことがあれば
 お知らせください! 😊
 ・・・ありがとう!・・・
ーー↓↑ーー
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ナマエのヘン・・・熊・孫・徐・段・・・袁世凱?

2024-06-18 11:33:27 | 古事記字源
 6月18日・火曜日

 前回からのツヅキ・・・
 ゴウのカンジ・・・合(業)の漢字?
 鄕=乡+白+匕+阝=鄉・鄊・乡


ーーーーー
 无謝志国造=『古事記』の表記
 むさし
 武 蔵国造=令制国の「武蔵国」の名称表記
      『日本書紀』で使用
 ・・・ナゼ
  「蔵(くら)」が
    「さし」になったのか?
 蔵=艹+戊+臣
   艹+丿+戈+臣
 藏=艹+臧
   艹+戕+臣
   艹+爿+戈+臣
   ゾウ・ソウ
   くら
   おさめる・かくす
   しまう・たくわえる
   かくれる・身をかくす・ひそむ
   物を収めておくところ
   たくわえ・しまってある物
   仏教や道教の経典
  「西蔵(チベット)」の略
          ・・・西蔵(サイゾウ)
             霧隠 才蔵
      石川 五右衛門の変身?
      or
      ↓↑ 
      淵 蓋蘇文(エン ガイソブン)
      ?~666年(宝蔵王二十五年)
      高句麗末期の
      大莫離支(テマクリジ・宰相)
      泉蓋蘇文=泉蓋金
     『日本書紀』では
     「伊梨柯須彌
     (伊梨柯須弥
      いりかすみ)=蓋金
      イリ=水源
      643年(宝蔵王二年)
      唐へ使臣を派遣
      道教の道士八名
     『道徳経』を高句麗に招来・・・
     末裔は日本に亡命?
 ↓↑
 無邪志国造=「無=无」
 牟邪志国造=『先代旧事本紀』
 天之菩卑能命の子
 建比良鳥 命が
 无邪志国造などの祖
 ↓↑
 「無」=𠂉+卌+一+―+灬
     人が飾りを持って舞う形象
     「まう=舞」を表す字
     仮借して「ない」の
     漢語「無」に用いる・・・
     呉音 : ム
     漢音 : ブ
     宋音 : ブ
     唐音 : モ
     訓読 : な-い
 無の
 異体字
 无(簡体字)
 𠂉+ㄣ+ー(朝鮮国字)
 㷻・幠・橆・𠘩(古字)
 𡙻・𣑨・𣚨・𣞣・𣞤・𣟒・𣠮(俗字)
 𤀢(俗字)=法+空
 𤍍(俗字)=亠+廿+廿+灬
 𬻜(俗字)=二+卌+一+―+―
 𬻝(俗字)=𠂉+卌+一+―
 𭴾(俗字)=⺈+卌+―+灬
 𭴿(俗字)=𠂉+卌+一+―+火
 ↓↑
 出雲国造
 上菟上国造・下菟上国造
 伊自牟国造・遠江国造
 などと同系(古事記)
 天穂日命が
 武蔵国造などの遠祖(日本書紀)
 ↓↑
 『高橋氏文』
 磐鹿六獦命に従って
 景行天皇(第十二代天皇)
 に料理を献上した
 大多毛比は
 「無邪国造」の上祖
 「無邪国造」
 ↓↑
 『先代旧事本紀』
 「国造本紀(下記)」に
 「无邪志国造」とあり
  「邪」のあとに「志」を補って
 「無邪志国造」
 が本来の表記・・・
 ↓↑
 成務天皇(第十三代天皇)
 出雲氏
 (姓は臣・出雲国造の氏族の祖
  名は二井之宇迦諸忍之神狭命の
  十世孫の
  兄多毛比命が
  初代
  无邪志国造
  度会延佳本表記では
 「兄多毛比命」
  神宮文庫本では
 「兄多比命」
 と表記
 ↓↑
 神社
 牟佐坐神社 (奈良県橿原市見瀬町)
 无邪志国造
 (むざしのくにのみやつこ・むざしこくぞう)
 武蔵国東部となる地域(无邪志国)を
 支配した国造
 ↓↑
 『先代旧事本紀』
 「国造本紀」
 无邪志国造条の次に
 胸刺 国造条がある・・・?
 ↓↑
 氏族
 无邪志氏(むさしうじ・姓は直)
 出雲臣と同系
     同族に
 相武国造
 上海上国造
 下海上国造
 新治 国造
 『日本後紀・弘仁二年九月条』
 出羽国人の
 无邪志 直膳
 大伴部 廣勝
 の記録
 ↓↑
 丈部氏(はせつかべうじ)
『続日本紀』
 无邪志国造の末裔
 丈部 直 不破麻呂
 の名
 ↓↑
 武蔵氏
 奈良時代の官人
 「藤原仲麻呂の乱」
 の功績により
 武蔵国造に任じられた
 丈部直 不破麻呂
 がその時に賜った氏
 ↓↑
 一族
 笠原氏(姓は直)
 笠原使主
 ↓↑
 物部氏(姓は直)
 推古天皇の時代
 舎人
 国造
 物部 兄麻呂
 が
 物部直を賜姓
 ↓↑
 大伴氏(姓は直)
 武蔵国
 多摩郡の郡領家に
 大伴氏
 『姓氏家系大辞典. 第1巻』
 多摩郡郡領家
 大伴氏について
 「足立郡なる大伴直家の分流にして
  多摩の屯倉を掌どりし氏ならんか」
 ↓↑
 同名の氏族
 ヤマト王権の有力豪族
 物部氏と共に
 朝廷の軍事を管掌していた
 大伴氏(姓は連・のち宿禰)がいる
  ↓↑
  檜   隈舎人氏
 (桧(檜)前舎人氏・姓は直)
 ↓↑
 鳥取部氏(姓は直)
 刑 部氏(姓は直)
 ↓↑
 武蔵国
 足立郡は
 武蔵氏
 大伴氏
 の本拠地
 東京都の足立区
 埼玉県の東南部
 足立郡の郡衙は
 大久保領家遺跡
 氷川神社東遺跡にあった・・・
 ↓↑
 武蔵 武芝
 足立郡の郡司だった
 ↓↑
 武蔵国
 埼玉郡
 笠原郷
 笠原氏の本拠
 埼玉県
 鴻巣市
 笠原を中心とした地域
 ↓↑
 武蔵国造の本拠地の近くに
 埼玉古墳群・・・
 ↓↑
 武蔵国
 入間郡
 物部氏の本拠
 埼玉県
 入間市・川越市・狭山市
 所沢市・富士見市・ふじみ野市
 など
 ↓↑
 无邪志国造の支配領域
 无邪志国
 无邪志国は令制国の武蔵国
 秩父
 (知々夫国造の支配する国)
 を除いた範囲・・・
 埼玉県と東京都の境界周辺
 荒川流域の
 北足立郡・入間郡・旧大宮市
 ↓↑
 无邪志国
 知々夫国造の支配の
 知々夫国と合わさって
 七世紀
 令制国の武蔵国となった
 武蔵国は
 東山道に所属していたが
 771年
 東海道に移管
 ↓↑
 大國魂神社
 (おおくにたまじんじゃ
  北緯35度40分02 東経139度28分44)
 東京都府中市(旧多摩郡)にある神社
 武蔵国総社
 祭神は
 大国主命と同神とされる
 大國魂大神
 景行天皇四十一年(111年)五月五日
 大神の託宣に依って造られた
 出雲氏(姓は臣・出雲国造の氏族)
 の祖神
 天穂日命
 の後裔が
 武蔵国造に任ぜられ
 社の奉仕を行ってから
 代々の国造が奉仕して祭務を行った
 ↓↑
 摂社に
 坪宮(つぼのみや・府中市本町2-12)
 坪宮の祭神
 初代
 无邪志国造
 兄多毛比命
 出雲臣
 天穂日命の後で
 初代
 武蔵国造
 兄多気比命と同人・・・?
 以来代々の国造が当社に奉仕
 大國魂神社の
 例大祭(くらやみ祭)中
 五月五日
 御旅所へ神輿が渡御
 奉幣を献ずる式は
 「国造代奉幣式」
 ↓↑
 関連神社
 氷川神社(ひかわじんじゃ)
 祭神
 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
 社記
 孝昭天皇三年(紀元前473年?)4月未創立
 景行天皇(第十二代天皇)の時代
 日本武尊
 は当神社に参拝
 東夷鎮定の祈願と伝承
 成務天皇(第十三代天皇)時代
 兄多毛比命
 は出雲族をひきつれてこの地に移住
 祖神を祀って奉崇
 この一帯は出雲族が開拓した地
 武蔵国造は
 出雲国造と
 同族・・・新羅系渡来人・・・?
 社名「氷川」も
 出雲の
 「簸川(ひかわ・斐伊川(ひいかわ)」
 に由来・・・
 ↓↑
 物部天神社
 埼玉県所沢市(旧入間郡)の
 北野天神社(きたのてんじんしゃ)
 を構成する三社のうちの一社
 祭神は物部氏の祖神
 饒速日命
 ↓↑
 芝丸山古墳(しばまるやまこふん)
 東京都港区(旧荏原郡のち豊島郡)の
 前方後円墳
 都内では最大級
 5世紀に築造
 初代
 无邪志国造
 兄多毛比命
 の墓・・・説
 ↓↑
 荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)
 東京都世田谷区~大田区に広がる古墳群
 古墳時代前期~後期にかけて築造
 国造本宗の本拠地は
 多摩川下流
 亀甲山古墳を初めとする
 同古墳群が国造の墳墓・・・説
 ↓↑
 埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)
 埼玉県行田市(旧埼玉郡)の古墳群
 9基の大型古墳
 5世紀末~7世紀に成立・・・
 関東有数の大型古墳群
 武蔵国造の墓とする説と
 知々夫国造の墓とする説
  ↓↑
  兄多毛比 命
 (えたけひのみこと)
 景行朝
 成務朝の
 初代
 无邪志国造
  ↓↑
  笠 原   使主
 (かさはら の おみ、おぬし)
 安閑朝に同族の
 小杵と
 国造の地位の相続を争い(武蔵国造の乱)
 朝廷より国造に定められて勝利
  ↓↑
  物  部  兄麻呂
 (もののべ の えまろ)
 推古朝の舎人、国造
 氷川神社社家の祖
 聖徳太子の舎人
 兄麻呂が比企の地を本拠地とし
 寺谷廃寺を創建・・・説
 ↓↑
 武蔵 不破麻呂
 奈良時代の官人
 もとは
 丈部氏だったが
 「藤原仲麻呂の乱」
 の功績で国造に任じられ
 武蔵宿禰氏
 を賜った
 ↓↑
 武蔵 弟総
 奈良時代の官人
 延暦十四年(795年)十二月
 武蔵国
 足立郡
 大領外従五位下で国造に任じられた
 ↓↑
 子孫
 小杵(おき・おぎ)
 安閑天皇元年(534年?)閏十二月
 古墳時代の豪族
 笠原使主の同族
 安閑天皇(第二十七代天皇)時代
 使主と
 武蔵国造の地位の相続を争い
 (武蔵国造の乱)
 小杵は密かに
 上毛野 小熊
 に助けを求め
 使主を謀殺しようとしたが
 朝廷は使主を国造に定め
 小杵を誅した
  ↓↑
  鳥取 部  直   六手縄
 (ととりべ の あたい むてなわ)
 多摩郡の人
 日野市落川遺跡出土の
 紡錘車線
 に
 名前と
 和銅七年十一月二日
 の年紀が刻印
 ↓↑
  大 伴   赤麻呂
 (おおとも の あかまろ)
 ?~天平勝宝元年(749年・750年?)
 『日本霊異記』に登場
 奈良時代の官人(多摩郡大領・郡司の長官)
 赤麻呂の死の翌年に
 黒斑の子牛が生まれ
 その背の黒斑は
 文章のようになっており
 その斑文を読み解くと
 ↓↑
 赤麻呂者
 擅於己所造寺
 而 隨恣心借用寺物
 未報納之
 死亡焉
 爲償此物故
 受牛身者也
  ↓↑
  大 伴   直   牛麻呂
 (おおとも の あたい うしまろ)
 武蔵国
 加美郡
 武川郷の戸主
 戸口には
 「大伴直荒当」の名前も
 正倉院庸布墨書銘に
 「天平勝宝五年十一月
  武蔵国加美郡武川郷
  戸主
  大伴直牛麻呂
  戸口
  大伴直荒当
  が庸布を貢納す」
 とある・・・
  ↓↑
  大 伴   直   宮足
 (おおとも の あたい みやたり)
  ↓↑
  大 伴 部  直   赤男
 (おおともべ の あたい あかお)
 神護景雲三年(769年)
 西大寺に
 布1500段、稲74000束、墾田40町、林60町
 を献納
  ↓↑
  刑  部  直   国当
 (おさかべ の あたい くにまさ)
 橘樹郡橘郷の人
 天平勝宝八歳(755年)
 調庸布墨書に名前が記録
  ↓↑
  若田 部  直   金行
 (わたかべ の あたい かねゆき)
 豊島郡
 荒墓郷の人
 武蔵国分寺瓦に名前が刻印
  ↓↑
  入 間   広成・・・入間⇔人間?
 (いるま の ひろなり)
 奈良時代~平安時代の官人
 『続日本紀』に
 神護景雲二年七月十一日条に名前
 入間郡の人物
 物部直姓から
 入間宿禰姓に改姓
 授刀舎人
 物部兄麻呂に始まる氏族
  ↓↑
  大 真   山継
 (おおま の やまつぐ=丈部直 山継?)
 『日本霊異記』に
 多摩郡小河(小川)郷(あきる野市)の人
 天平宝字八年(764年)
 「藤原仲麻呂の乱」で
 藤原仲麻呂に与したため
 乱後に処刑されそうになったものの
 観音仏の力によって
 信濃国への流刑に減刑
 最終的に罪を許されて
 武蔵国に帰国
 多摩郡
 少領になった
 「大真(おほま)」
 という氏は存在しない上
 多摩郡司(少領)となってるので
 「大真」とは
 「丈直(丈部直)」
 の誤写で
 武蔵国造の末裔
 「丈部直不破麻呂」
 の同族・・・説
  ↓↑
  檜 前 舎人   直   由加麻呂
 (ひのくまとねり の あたい ゆかまろ)
    前=くま?・・・まえ・さき・ゼン
      隈・球磨・久万・・・句眞?
 加美郡の人
 散位正七位上勳七等
 承和七年(840年)十二月
 由加麻呂
 ら男女10人が
 土師氏と同祖関係として
 京六条に貫付
  ↓↑
  刑  部  直   道継
 (おさかべ の あたい みちつぐ)
 『続日本後紀』承和十三年五月壬寅条
 多摩郡
 狛江郷
 の戸主
  ↓↑
  武 蔵  武 芝
 (むさし の たけしば)
 天慶二年(939年)以降消息不明
 平安時代中期の豪族・官人
 足立郡の郡司
 武蔵国衙の判官代(在庁官人の職名)
 を兼ねていた
 武蔵国司(権守)
 興世王と同介
 源経基の収奪に抵抗し
 平将門に調停を依頼
 ↓↑
 紀元前4千年頃
 ウル人は
 神=アン・・・?
   アム=編む・辮・殆務・亜夢?
      あみ=網・罔・罝・罒・罭
      あ+「ま・み・む・め・も」
 と言っていた
 シュメール人も
 それを借用して
 神=アン
 と言っていた
 ↓↑
 古代エジプト語
 kham ・na・(r)an
 (カム・ナ・アン)
 エジプト人の
 神=カブ・ナ・アン
 ↓↑
 ルソン島山岳州語
 khab ・ni・an
 (カブ・ニ・アン)
 ↓↑
 印度セイロン島語
 神=カミ
 ↓↑
 アイヌ語
 神=カムイ
 ↓↑
 種子島古語
 神=ga・ran
  (ガーラン)

 「種子島」
 に
 蛇をトーテムとする民族がいた
 蛇を信仰する民族を
 「タンナーガ」族と云った
 ↓↑
 タンナーガ → タンネ → タネ
 ↓↑
 タネガ島と呼ばれるようになった
 元々の漢字表記は
 ↓↑
 多禰(タネ) or 多褹(タネ)
 ↓↑
 で「種子(タネ)」とし
  「種子島」となった・・・
 「多禰=多褹=種子」
 嶋の
 「たね」は「ヘビ=蛇・它・巳」・・・?
 ・・・褈=衤(衣)+重・・・類似で類字だが?
      𧝎
      ショウ
      褈褣(ショウヨウ)
      膝よりも下(或いは足元)まである
      丈の長い単衣(ひとえ)の服
      日本の着物のような衣服
      深衣、裾袍=襜褕(センユ)
 漢字の
 多禰=多(夕+夕)+禰(示+爾)
 多褹=多(夕+夕)+褹(衤+坴+丸)
  褹=衤+坴+丸
    ゲイ・ゲ
    衣服の袖(そで)・袂(たもと)
   =襼
    上着(最も外側に着る服)の下に着る
    上衣(うわぎ・上半身に着る服)
   「方言:第四
    複𧝄江湘之間謂之
    𧞫(音豎)
    或謂之
    筩褹(今筩袖之𧝄也 褹即袂字耳)」
           袂=たもとのアザみみ?
    𧜼=坴+丸+衣
      䙝=褺=𧝚
      チョウ・ジョウ
      肌着、下着
      それを重ね着する

 種子=種(禾+重)+子(了+一)
    種=会意 兼 形声文字
      禾(のぎ)+重(かさなる・おもい)
      稲     入れ墨の針
            人の目・重い袋
      目の上に入れ墨をされた奴隷が
      重い袋を持つ
      稲の穂の重い部分=垂れ穂・垂乳根?
    重=千+里
      千+田+土
       ノ+十+日+二
       ノ+十+囗+一+二
    重い=おもい=思い=想い
       主 意=かさねる
       王が丶(チュウ・ともす=燈・灯・燭)
       炎(ほのお=焰・焱)
       軽いものを積み重ねてオモクするコト
 襧=衤+爾
   衤+一+八+冂+丨+㸚
   衤+一+八+冂+丨+爻
   衤+一+八+冂+丨+㐅+乂
   衤+一+八+冂+丨+㐅+丿
   チ
 ↓↑
 種子島
 茎永部落
 宝満神社
 祭神は 
 「玉 依 姫   命
 (タマヨリヒメのミコト)」
 ↓↑
 「タ=人間」という意味・・・
 「ナーガ」 or 「ナーカ」
 は古代インド語で
 「蛇・竜蛇」
 蛇や竜を
 トーテムとする
 印度ナーガ族の部族名
 ↓↑
 古代印度語は
 元は
 ウル人・シュメール人の
 ウル・シュメール語
 で
 シュメール人も
 蛇をトーテムにしていた・・・
 で
 「タ・ナカ」
 とは印度系シュメール人という意味・・・
 「手=シュメール語で (シュ)
    アッシリア語は (タ)
    古代エジプト語は(ド)
 ↓↑
 日本語の「タ=手=て」・・・
 手長 比売(タナカヒメ)
 天手長比売(アメタナカヒメ)
 天手長男神社(アメタナカオ)
 ↓↑
 「ナカ・ナーガ」
 那賀・名賀・中・仲
 という漢字をあてている
 長(なが・おさ)・永(とわ)
 という漢字もあててい
 ↓↑
 長崎の「おくんち」祭り=竜蛇の舞
 ナーガ(竜蛇)を
 トーテムとする
 シュメール人が住む町という意味・・・から
 長崎という地名になった
 ・・・「長崎」という地名の由来
 ↓↑
 シュメール人は
 古代エジプトを
 「azi=アジ=煙」と読んでいた・・・?
 ↓↑
 種子島(たねがしま)
 九州
 鹿児島県
 に属し
 大隅諸島を構成する島の一
 鹿児島県にある
 有人離島の中で最も東に位置
 人口(29,282人)
 奄美大島に次いで多く
 面積(444.30km2)は
 日本では10番目
 県内では
 奄美大島
 屋久島に次いで
 3番目に大きい
 最高地点の標高は
 回峯(まわりのみね)の282.4 m
 中心都市は
 西之表市

 中種子町市街地
 種子島でもっとも古い遺跡
 南種子町
 横峯遺跡
 中種子町
 立切遺跡・大津保畑遺跡
 約3万5千年前(較正年代)の遺跡
 旧石器時代
 人類が生活をした数少ない離島の一
 種子島では
 細石器文化も確認
 南種子町
 銭亀遺跡
 細石器文化が確認された
 日本列島最南端の遺跡

 縄文時代
 九州島南部の
 縄文文化とほぼ
 同一の土器様式が確認
 弥生時代後期~7世紀にかけての
 種子島で
 独自の
 貝文化が展開
 種子島独自の貝文化を代表する遺跡
 南種子町
 広田遺跡
 貝製品を中心とする
 広田遺跡の出土品
 国の重要文化財

 8世紀
 律令国家の支配下
 記録は、『日本書紀』
 大宝二年(702年)
 令制国として隣の
 屋久島も含めて
 多禰国(たねのくに)設置
 島
 北部に
 能満郡
 南部に
 熊毛郡
 設置
 国司が任じられ
 「多禰」国司
 として二島を支配

 平安時代前期
 天長元年(824年)廃止
 能満郡は
 熊毛郡に統合され
 大隅国に編入
 鎌倉時代
 見和氏
 肥後氏
 が支配
 室町時代以降
 肥後氏の支族
 種子島氏
 がこの地を治めた
 南蛮からの鉄砲伝来
 火縄銃の製作
 国産の火縄銃は
 「種子島」
 と呼ばれ
 琉球王国との交易も行われ
 元禄十一年(1698年)
 領内の農民の救済作として
 領主
 「種子島久基」
 が琉球国王
 「尚貞」より
 甘藷一篭を譲り受け
 家老
 「西村時乗」
 に命じ領民に栽培させ
 これが九州、本州にさらに伝わった
 「佐藤信淵」
 は薩摩藩重臣にあてた
 『薩摩経緯記』の中で
 種子島の島民気質を
 喜界島
 屋久島
 の住民と同様に
 「豊かになろうと心がける気持ちが弱く
  産業に励む者は希」
 と評価・・・
 前回の「山幸彦」・・・
  ↓↑
 「山幸彦」を操った
 「カイジン=海神」の戦略・・・?
  ↓↑
 「彦火火出見尊=山幸彦」
        ・・・彦=ゲン
            =彥(ひこ・びこ)
            狗古智卑狗
     (クコチヒコ・クコチヒク)
         卑狗=ヒコ=彦・日高・日子
               火の子=新井白石
         肥後・庇護・比語・火護 
 音叉・音響・音源・音波・・・諺=言+彥
               㘖=口+彥+頁
               顏=彥+頁
               喭=口+彥
               偐=イ+彥
               嵃=山+彥
 「音」は耳で聴くモノ
 「文」は眼で視るモノ
 「義」は頭で考えるモノ
 彥=文+厂+彡
   亠+乂+厂+彡
     乂=㐅(古字)=五
             五=丅+ユ
             伍(大字)
             𫝀(俗字)
             㠪(古文)
             𠄡(古文)
 ↓↑
 顚=顛
   テン・いただき・たおれる・くつがえる
   てっぺん=山顚
   はじめ・はじまり=顚末
   たおれる・ころぶ・くつがえる=顚倒・顚覆
   物の先端・顛末・山顛
   逆さになる・ひっくり返る
   顛倒・顛沛 (テンパイ) ・顛覆=動顛
  「転」を代用字とすることがある
 ↓↑
 白野夏雲(しらの かうん)
 文政10年閏6月26日
(1827年8月18日)
 ~
 明治33年
 (1900年9月8日)
 物産研究家
 アイヌ語研究家
 本名 今泉 耕作(いまいずみ こうさく)
 ↓↑
 甲斐国
 都留郡
 白野村(山梨県大月市笹子町)出身
 代官の手代の家に生まれた
 岩瀬忠震が
 徽典館の学頭をしていたとき
 学僕となった
 江戸に出て
 幕府・歩兵の
 輜重隊の頭と軍事顧問
 小川町に駐屯
 1864年
 「天狗党の乱」で
 日光の警備で任地に赴く
 1868年
 彰義隊が上野
 彼は浅草の蔵を守ったが
 官軍が徳川の残党を追求
 隊を率いて
 新宿口から甲州へと逃亡
 1873年
 2月
 開拓九等出仕に任命
 3月
 広尾郡詰を命じられ
 8月
 開拓権大主典
 北海道に1年半いて
 物産地質の調査
 アイヌ語の研究
 東京に戻り
 1875年
 地理寮十一等出仕に任命されて
 土石調査
 1877年
 内務六等属に転じ
 地理局に勤務
 内国勧業博覧会で
 委員と審査官
 1879年
 鹿児島県知事の
 渡辺千秋
 に抜擢され
 勧業課勧業掛に転任
 授産場・橋の建設
 田代安定と親交
 1890年
 鹿児島県庁を退職
 東京に移る
 息子が1893年死亡
 日光の
 祠官として生計
 ↓↑
 アイヌ語研究
 「古代地名考」(学芸志林7巻)
 「上代地名考」(東京地理学協会報告
         明治13年第8巻)
 「古代地名考」(学芸志林8巻)
 ↓↑
 白野は
 大和民族の祖先が天津神
 アイヌ の祖先は国津神であると考えた
 国の元々の地名は
 アイヌがつけたのが多いので
 特に北海道の地名を解釈するには
 アイヌ語を用いるのが正しいと主張
 1880年(明治13年)
 明治中期
 北海道開拓使
 北海道庁で働いたのち
 札幌神社(北海道神宮)の宮司
 札幌神社に併設の
 皇典講究所の
 北海道文所の監督官も務めた
 ・・・
 ↓↑
 禿(かぶろ・かむろ)
 頭に髪がない「ハゲ」
 ↓↑
 肩までで切りそろえた児童=子供の髪型
 その髪型の子供
 ↓↑
 「禿=禿童(かぶろ・かむろ)」
 江戸時代
 遊廓に住む
 「オカッパ頭」の「童女=遊女見習い」
 江戸中期頃まで
 「おかっぱ頭」
 江戸後期以降
 「吉原」等では
 「禿(かむろ)島田」
 という髪飾りを沢山付けた
 「高島田」になった
 「嶋原」も戦前までは日本髪を結っていた
  ↓↑
 「引込禿」
 遊女の世話を離れて
 楼主から
 茶道、華道、香道、歌道
 などの英才教育をうけた
 「童女=遊女見習い」
 ↓↑
 次回にツヅク
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「種子島」の「種(たね・シュ)ガシマ」についてのカンジ

2024-06-16 17:04:46 | 古事記字源
 昨日(6/15・土)は
 「種子島」の
 「種(たね・シュ)」についてのカンジを
 カンジる心算(つもり)だったが・・・
 またもや、コンピュータ(NEC)の起動動作が
 重く遅くなりのイジワルで・・・
 朝から「再起動、再回復」のリセット・・・
 その間、古いPC「DELL」で書き込もうとしたが
 こちらも調子が悪い・・・使い物にならん・・・
 ながらTVで
 洋画(『リンカーン弁護士』)を観ながら
 気分も悪くなって・・・
 アレコレイジっていたが午後の5時過ぎに
 ダウンロードが終わってなんとか使えるようになって・・・
 今現在、バカヤロゥって心中、自分を罵りながら・・・
 「タネがシマ」・・・



ー↓↑ーー
 「HOME雑学雑学(27)
  言葉・地名の語源(その8)
  種子島について」
  ↓↑
 「種子島について」
  ↓↑
「2023年7月24日 最終更新日時 :2023年5月30日」
「zaigamonn」さんの記事を拝見し
 ボクも
 日本語の
 「種子島」
 の名前由来について興味があったので
 お断りもなく
 その「説」の「文言」を
 引用して
 参考参照させて頂きましたが・・・
 ↓↑
 で
 「川崎真治」さんの
    ・・・漫画家?じゃない・・・
    ・・・北海道コンサドーレ札幌の
       サッカー(soccer・蹴球)
    ・・・小野「伸二」さんじゃない
       記憶にあるのだが・・・
       漫画の登場人物・・・?
       『巨人の星』
       作:「梶原 一騎」氏
       画:「川崎のぼる」氏・・・だった
  ↓↑
 「古代稲作地名の起源
 から
 引用させて頂きます」
 とあった・・・
 「説の原点」は
 出典
 :フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 「川崎 真治(かわさき しんじ)」さん・・・の説
 ↓↑
 1921年~2007年
 日本の言語学者、考古学者
 在野の研究者
 世界各国の
 古代言語や
 古代文字(ペトログリフ)と
 日本語との関係を
 極めて大胆な発想で結びつける説を
 多数提唱している
 古くから著作が多く
 知名度は抜群に高いが
 提唱された説が
 学会で発表されたり
 他の考古学者等から
 支持を得たりすることは少ない・・・
 ↓↑
 紀元前4千年頃
 ウル人は
 神=アン・・・
   アム=編む・辮・殆務・亜夢・阿鵡・阿ム?
    ム=私=よこしま・横島・邪=蛇=它・横嶌
     囜(かしこい・ジン ・ヂン・ニン)
      =ム+囗
       ム=ヨコシマの(な)
         𡈁=白+王+囗=くに
          =國・圀・六合・邦・州・邑
           鄕=乡+白+匕+阝=ゴウ・キョウ・さと
          =鄉=乡+郎(艮+阝)
          =鄊=乡+耳+阝
           郷=乡+艮+阝
           久邇・久爾・匡
        くに=九二
        ・・・9x2=18
           =十八(おはこ=十八番・御函)
        ↓↑   囗+α
     ・・・囚・因・困・圍・園・・・紫薇苑=天界の宮殿
        固・箇・圌・圏・圂・・・囤=駐屯地=委奴國?
        囮・囷・囡・ 龱     魏国の帯方郡の駐屯地
                    伊都・怡(忄+臺)土
                       怡=よろこぶ
                       如・始・嬭・嫥・嬉
                    以登(いと=意図・糸
                       亥頭=沙悟浄=河童)
                         =井之頭
                         =神田川の源泉
                      三鷹市・武蔵(六三四・)
                      牟礼・牟禮・郡・群
                    漢委奴國=囡(ジュウ)
        圜(めぐる・まるい・エン・カン)
 と言っていた
 シュメール人も
 それを借用して
 神=アン
 と言っていた
 ↓↑
 古代エジプト語
 kham ・na・(r)an
 (カム・ナ・アン)
 エジプト人の
 神=カブ・ナ・アン
 ↓↑
 ルソン島山岳州語
 khab ・ni・an
 (カブ・ニ・アン)
 ↓↑
 印度セイロン島語
 神=カミ
 ↓↑
 アイヌ語
 神=カムイ
 ↓↑
 種子島古語
 神=ga・ran
  (ガーラン)・・・「かむろ=神室・学文路・禿」?
 ↓↑
 禿(かぶろ、かむろ)
 頭に髪がない「ハゲ」
 ↓↑
 肩までで切りそろえた児童=子供の髪型
 その髪型の子供
 ↓↑
 「禿=禿童(かぶろ、かむろ)」
 江戸時代
 遊廓に住む
 「オカッパ頭」の「童女=遊女見習い」
 江戸中期頃まで
 「おかっぱ頭」
 江戸後期以降
 「吉原」等では
 「禿(かむろ)島田」
 という髪飾りを沢山付けた
 「高島田」になった
 「嶋原」も戦前までは日本髪を結っていた
 ↓↑
 祇園祭で
 「長刀鉾の稚児」
 を補佐する二名の少年
 ↓↑
 太夫級の
 遊女(花魁=おいらん)、芸妓が
 二名の
 「禿=禿童(かぶろ、かむろ)」
 を従えていることになぞらえた・・・
 ↓↑
 島原(しまばら)=嶋原
 京都市下京区
 京都五花街で最古の「花街」
 正式名は「西新屋敷」
 6つの町で構成
 上之町・中之町・中堂寺町
 太夫町・下之町・揚屋町
 ↓↑
 平家が組織化した
 髪を「かむろ」にし
 赤い直垂を着せた
 14歳、15歳の
 「童の密偵」=市中の「反平家」に対する密告者
 「KGB=КГБ(カーゲーベー)」
 国家保安委員会
 (Komitet Gosudarstvennoy Bezopasnosti)
 への「アセット(asset)=情報提供者」・・・諜報組織?
 ↓↑
 「島原=遊郭」の
 高級遊女=高級学識遊女=太夫・・・
 ↓↑
 「引込禿(ひっこみかぶろ・ひっこみかむろ)」
 遊女の世話を離れて
 楼主から
 茶道、華道、香道、歌道
 などの英才教育をうけた
 「童女=遊女見習い」・・・将来の高級遊女
 ↓↑
 チビ・ちび=禿び・・・
 小さいモノ・ちびまる子・・・
 チビる・・・小村寿太郎・柴五郎・・・
 ↓↑
 日本語
 カミ(神)
 ・・・髪(かみ・ハツ)は「長いカミ」
    上(かみ・うえ・ジョウ)
    守(かみ・まもる・シュ)
    嚙(かむ・かみ・ゴウ・ギュウ)
    咬(かむ・かみ・コウ・キョウ)
    紙(かみ・シ)
    帋(かみ・シ)=新聞紙の略称
    皇(かみ)
   亀(かめ・龜・キ)
   甕(かめ・みか・もたい・ほとぎ
     オウ・ウ)=瓮=公+瓦
           雍+瓦
           亠+乡+隹+瓦
            乡=郷・鄕・鄉・鄊
            キョウ・ゴウ
            さと・周代の行政区画
            むらざと・むら
            いなか=田舎
            ふるさと・生まれ育った地
            向かう・向く
            さきに・さきの
   ↓↑
   甕牖縄枢(オウユウジョウスウ)
   貧しく質の悪い家のたとえ
   甕(かめ)の口のような小さな窓
   扉の軸となる枢(とぼそ)の代わりに
   縄を用いている家
   「牖=窓」
   「甕牖」=割れたカメの口の部分を
       壁にはめ込んで窓にしたもの
       「枢=扉の軸の部分」
   甕裡醯鶏(オウリケイケイ)
    見識が狭く世間の事情が
    わからない人
    「甕裡=甕(かめ)の中」
    「醯鶏=酢や酒に涌く小さな羽虫」
        孔子が老子に面会した後に
        弟子に向かって
       「私は甕にわく羽虫のようなものだ
        老子が甕の蓋を開いて
        外に出したくれたおかげで
        天地の大全を知ることができた」
        といった故事
   酒甕飯嚢(シュオウハンノウ)
    能力も知識もない人
    「甕=かめ」「嚢=袋」
    酒を飲んで飯を食うだけの
    何の役にも立たない人
    ↓↑
    加見(かみ)
    香美(かみ)
    皇(かみ)
    加味(かみ)
    防人(さきもり・ボウジン)
    ・・・先守・左記模理
    ・・・舎人=とねり・シャジン=・写人・斜囜
          訳音理・寫  訊 ・洒神=バッカス?
 ↓↑
 古代エジプト(埃及)文字
 ヒエログリフ=神聖文字
 紀元前3200~紀元400年
 使用
 ウル語
 さらに800年ぐらい古い為
 古代エジプト語には
 「アン」
 という言葉が入っている
 ↓↑
 ウル語で
 牛(うし・ギュウ・ゴ)=ウル
 と言った
 ウル人=牛人
 牛をトーテムにした
 ↓↑
 シュメール人は
 蛇(へび・ジャ)を
 トーテムにした
 ↓↑
 トーテムが
 種族の名になった
 シュメール語
 牛=gud(グド)
   グド→グ or ゴ と変化
       ・・・「ゴ」のカンジるデス・・・
 印度→東進→中国に入り
   グ・ギュウ or ゴ
   という中国音の「牛(うし)」になった
 ↓↑
 殷代~周代
 古代の貨幣は貝
 子安貝は
 吐噶喇(とから)=吐喝喇列島
  ・・・薩南諸島 の一部をなす列島
     古くは 七島
     川辺(かわなべ)七島
     宝七島などと呼ばれた
     鹿児島県鹿児島郡
     十島(と しま )村を形成
     トカラ語(トカラご、トハラ語
     英語:Tocharian languages
     中華人民共和国
     新疆ウイグル自治区
     タリム盆地北縁(天山南路)の地域
     8世紀頃まで話されていた言語
     インド・ヨーロッパ語族に属
     独立した語派「トカラ語派」に分類
     膠着語的な性格を有していたが死語
 ↓↑   
 沖縄列島の産物で
 貝の交易をしていたのが
 「種子島」
 に
 蛇をトーテムとする民族で
 蛇を信仰する民族
 「タンナーガ」族
 ↓↑
 タンナーガ → タンネ → タネ
      ・・・丹那(タンナ)トンネル
      東海道本線の熱海駅~函南駅間の
      複線規格の鉄道トンネル
      総延長7,804メートル
      1934年(昭和9年)[1]12月1日開通
      完成当時は
      清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さ
      鉄道用複線トンネルとして日本最長 
 ↓↑
 タネガ島と呼ばれるようになった
 元々の漢字表記は
 ↓↑
 多禰(タネ) or 多褹(タネ)
 ↓↑
 で「種子(タネ)」とし
  「種子島」となった・・・
 「多禰=多褹=種子」
 嶋の
 「たね」は「ヘビ=蛇・它・巳」・・・?
 ・・・褈=衤(衣)+重・・・類似で類字だが?
      𧝎
      ショウ
      褈褣(ショウヨウ)
      膝よりも下(或いは足元)まである
      丈の長い単衣(ひとえ)の服
      日本の着物のような衣服
      深衣、裾袍=襜褕(センユ)
 漢字の
 多禰=多(夕+夕)+禰(示+爾)
 多褹=多(夕+夕)+褹(衤+坴+丸)
  褹=衤+坴+丸
    ゲイ・ゲ
    衣服の袖(そで)・袂(たもと)
   =襼
    上着(最も外側に着る服)の下に着る
    上衣(うわぎ・上半身に着る服)
   「方言:第四
    複𧝄江湘之間謂之
    𧞫(音豎)
    或謂之
    筩褹(今筩袖之𧝄也 褹即袂字耳)」
           袂=たもとのアザみみ?
    𧜼=坴+丸+衣
      䙝=褺=𧝚
      チョウ・ジョウ
      肌着、下着
      それを重ね着する

 種子=種(禾+重)+子(了+一)
    種=会意 兼 形声文字
      禾(のぎ)+重(かさなる・おもい)
      稲     入れ墨の針
            人の目・重い袋
      目の上に入れ墨をされた奴隷が
      重い袋を持つ
      稲の穂の重い部分=垂れ穂・垂乳根?
    重=千+里
      千+田+土
       ノ+十+日+二
       ノ+十+囗+一+二      
    重い=おもい=思い=想い
       主 意=かさねる
       王が丶(チュウ・ともす=燈・灯・燭)
       炎(ほのお=焰・焱)
       軽いものを積み重ねてオモクするコト
    重+α
    𠄉・偅・働・𠝤・動・勲・喠・㗢・㘒・堹
    𫯳・媑・嬞・𡦢・尰・𡰁・𡺍・𡼉・㡖・㣫
    慟・憅・懂・揰・腫・㮔・歱・𣱧・湩・濌
    煄・𤋱・𤑛・畽・瘇・𥍽・𥔧・𥗦・種・𥪿
    箽・籦・緟・𦉂・𦔉・董・𦹝・薫・蝩・衝
    褈・諥・踵・𨔝・重・𨤨・𨤶・鍾・锺・隀
    𨿿・𩩳・䳯・𪏘・䵯

 襧=衤+爾
   衤+一+八+冂+丨+㸚
   衤+一+八+冂+丨+爻
   衤+一+八+冂+丨+㐅+乂
   衤+一+八+冂+丨+㐅+丿
   チ
   襧=衣(衤)+爾
     ???
     龍龕手鑑《欽定四庫全書》本
     :卷一:衣部第十
     :衤+薾=襧
     陟几反無衣也
     一曰 糸+攵+衣
     《續古逸叢書》本
     「糸+攵+衣」ではなく
     「糸+乆+衣」
     字彙:申集:衣部:襧
     陟几切音止無衣也
     一曰 「糸+夫」也
     按此字疑𧝉字之譌
     「糸+夫」は「紩」か・・・

   𧝉=衤(衣)+黹
     衤+黹
     衤+业(業)+㡀
      㡀=ヘイ・ベイ
        やぶれた衣服
        やぶれる
        小さい
    =衤+业(業)+丷+巾+ハ
     チ
     縫(ぬ)う
     衣服を縫う
    =𧛢
 
 穪(称・ショウ)
  =禾+爾
   ショウ
   あげる
   かなう
   たたえる
   となえる
   はかる
   讃える・褒(ほ)める・誉(ほ)め讃える
   稱える=称える・となえ
       名づける・呼び名
   測る・目方をはかる・重さをはかる
   秤(はかり)=天秤=重さをはかる道具
   叶う・適合する・つり合いがとれる

 禰=示+爾
   デイ・ ネ
   みたまや・かたしろ
   父のおたまや・みたまや=禰祖
   かたしろ・位牌(イハイ)・公禰
  「禰(祢)」の偏が
   片仮名の「ネ」
   平仮名の「ね」
   になった

 禰宜(ねぎ・神主・神官・下級神職
    覡=かんなぎ・かむなぎ=巫覡(フゲキ))
 禰宜山伏
 宿禰(すくね)
 武内宿禰(すくね)
 多禰(たね)
 刀禰(とね)
 野見宿禰(すくね)
 美祢(みね)

 爾+α
 𩯨=髟(ヒョウ・ヒュウ)+爾=𩬯=𩬘
 彌=弓+爾+=ビ・ミ・いよいよ
 禰=示++=ネ・ネイ・デイ・かたしろ
 𪓿=爾+黽=ベン・モウ・かえる・あおがえる.
 檷=+爾+=ジ・ニ・ビ・ミ・デイ・ナイ
      糸巻き・糸を巻き取る道具
      山名
 邇=爾+辶=ジ・ニ
       ちかい
       近い・近いところ
       近づく
 壐=爾+土=璽=玺
       ジ・しるし・はん・印章・印鑑
       秦代以降は天子の印
 籋=竹+爾=ジョウ
       物を挟んで取る道具
       ピンセットで挟み取る
 𩰞=鬥+爾=ジ・ニ
       䦵・𨳴・𩰐
       智慧が足りず力が劣る
       度量や見識が狭く小さい
 璽=爾+玉=ジ・しるし
      =壐=玺
      =尓+玉
       尓=𠂉(髪挿)
         +小(ハ+亅)
         +玉(王+丶)
       はん・印章・印鑑
       秦以降は天子印
       =印璽・・・インジ=印字・韻事
 ↓↑
 種子島
 茎永部落
 宝満神社
 祭神は 
 「玉 依 姫   命・・・神武天皇の養母で妻妾
 (タマヨリヒメのミコト)」
 ↓↑
 「タ=人間」という意味・・・
 「ナーガ」 or 「ナーカ」
 は古代インド語で
 「蛇・竜蛇」
 蛇や竜を
 トーテムとする
 印度ナーガ族の部族名
 ↓↑
 古代印度語は
 元は
 ウル人・シュメール人の
 ウル・シュメール語
 で
 シュメール人も
 蛇をトーテムにしていた・・・
 で
 「タ・ナカ」
 とは印度系シュメール人という意味・・・?
 「手=シュメール語で (シュ)
    アッシリア語は (タ)
    古代エジプト語は(ド)
 ↓↑
 日本語の「タ=手=て」・・・
 手長 比売(タナカヒメ)
 天手長比売(アメタナカヒメ)
 天手長男神社(アメタナカオ)
 ↓↑
 「ナカ・ナーガ」
 那賀・名賀・中・仲
 という漢字をあてている
 長(なが・おさ)・永(とわ)
 という漢字もあててい
 ↓↑
 長崎の「おくんち」祭り=竜蛇の舞
 ナーガ(竜蛇)を
 トーテムとする
 シュメール人が住む町という意味・・・から
 長崎という地名になった
 ・・・「長崎」という地名の由来
 長崎氏は
 桓武平氏
 千葉流
 九州千葉氏
 の流れを汲む氏族で
 長崎県の名の由来になった
 長崎県庁舎付近の
 長い御崎
 に館を構え
 長崎港界隈の
 深堀~時津までの広い範囲を領していた
 一族が、九州長崎氏を名乗った・・・説
 伊豆国
 田方郡
 長崎村
 を領し
 その地名を苗字として
 鎌倉執権の
 北條氏の
 筆頭御内人
 桓武
 平氏
 長崎氏
 の一人が九州に流れ(九州長崎氏)
 長崎湾の奥を領して
 地侍になったと
 「長崎甚左衛門純景」
 がその系図で主張・・・
 「長崎小太郎重綱」
 なる人物が
 鎌倉初期
 嘉禎三年(1237年)ごろ
 長埼浦の
 地頭職を知行する御家人であった
 南北朝期以降
 長崎氏は
 桜馬場城(鶴城)に拠り
 勢力を拡大していった
 ↓↑
 地元では
 「野母崎半島」を
 「長い岬」と称していた
 長崎弁で
 「長か岬(ながか・みさき)」
 さらに
 「なんか・みさき」
 と転訛し
 約まって「長崎」になった・・・説
 ↓↑
 シュメール人は
 古代エジプトを
 「azi=アジ=煙」と読んでいた
     ・・・けむり?
 ↓↑
 ウル人は
 「hazi=ハジ」
 英語では
 「egy=エジ」になった
 ウル語で
 「町=マドウ」
 変化して
 「プトウ」となり、
 「煙の町=エジプト」になった
    ・・・埃及=砂塵の國?
 ↓↑
 マドウ→マトウ→マテイ(古代インド)
    →「マチ(日本語)」
 ・・・惑う=眩・・・?
 ボクは一九七二年夏ころに
 ピラミッド見学後、ホテルに戻ろうと思ったが
 「カイロ(改羅)」で迷った・・・
  町が数匹のクモの巣が繋がっているよな
  アラビスクの
  回路・開路・廻路・・・?
 ↓↑
 種子島(たねがしま)
 九州
 鹿児島県
 に属し
 大隅諸島を構成する島の一
 鹿児島県にある
 有人離島の中で最も東に位置
 人口(29,282人)
 奄美大島に次いで多く
 面積(444.30km2)は
 日本では10番目
 県内では
 奄美大島
 屋久島に次いで
 3番目に大きい
 最高地点の標高は
 回峯(まわりのみね)の282.4 m
 中心都市は
 西之表市
 ↓↑
 中種子町市街地
 種子島でもっとも古い遺跡
 南種子町
 横峯遺跡
 中種子町
 立切遺跡・大津保畑遺跡
 約3万5千年前(較正年代)の遺跡
 旧石器時代
 人類が生活をした数少ない離島の一
 種子島では
 細石器文化も確認
 南種子町
 銭亀遺跡
 細石器文化が確認された
 日本列島最南端の遺跡
 ↓↑
 縄文時代
 九州島南部の
 縄文文化とほぼ
 同一の土器様式が確認
 弥生時代後期~7世紀にかけての
 種子島で
 独自の
 貝文化が展開
 種子島独自の貝文化を代表する遺跡
 南種子町
 広田遺跡
 貝製品を中心とする
 広田遺跡の出土品
 国の重要文化財
 ↓↑
 8世紀
 律令国家の支配下
 記録は、『日本書紀』
 大宝二年(702年)
 令制国として隣の
 屋久島も含めて
 多禰国(たねのくに)設置
 島
 北部に
 能満郡
 南部に
 熊毛郡
 設置
 国司が任じられ
 「多禰」国司
 として二島を支配
 ↓↑
 平安時代前期
 天長元年(824年)廃止
 能満郡は
 熊毛郡に統合され
 大隅国に編入
 鎌倉時代
 見和氏
 肥後氏
 が支配
 室町時代以降
 肥後氏の支族
 種子島氏
 がこの地を治めた
 南蛮からの鉄砲伝来
 火縄銃の製作
  ・・・火の縄の銃(ジュウ=金+充)
         重・十・拾=木戸孝允
 国産の火縄銃は
 「種子島」
 と呼ばれ
 琉球王国との交易も行われ
 元禄十一年(1698年)
 領内の農民の救済作として
 領主
 「種子島 久基」
   ・・・久(ひさしい・キュウ)+基(もと)
 が琉球国王
 「尚貞」より
 甘藷一篭を譲り受け
 家老
 「西村時乗」
 に命じ領民に栽培させ
 これが九州、本州にさらに伝わった
 「佐藤信淵」
 は薩摩藩重臣にあてた
 『薩摩経緯記』の中で
 種子島の島民気質を
 喜界島
 屋久島
 の住民と同様に
 「豊かになろうと心がける気持ちが弱く
  産業に励む者は希(まれ・キ)」
 と評価・・・
 前回の「山幸彦」・・・
  ↓↑
 「山幸彦」を操った
 「カイジン=海神」の戦略・・・?
  ↓↑
 「彦火火出見尊=山幸彦」
        ・・・彦=ゲン
          =彥(ひこ・びこ)
          狗古智卑狗
    (クコチヒコ・クコチヒク)
     卑狗=ヒコ=彦・日高・日子
        火の子=新井白石
        肥後・庇護・比語・火護 
 音叉・音響・音源・音波
やまびこ=木霊(こだま)
 ・・・諺(ことわざ・ゲン)
     =言+彥
      㘖=口+彥+頁
      顏=彥+頁
      喭=口+彥
      偐=イ+彥
      嵃=山+彥
 ↓↑
 「音」は耳で聴くモノ
 「文」は眼で視るモノ
 「義」は頭で考えるモノ
 ↓↑
 彥=文+厂+彡
   亠+乂+厂+彡
     乂=㐅(古字)=五
             五=丅+ユ
             伍(大字)
             𫝀(俗字)
             㠪(古文)
             𠄡(古文)
 ↓↑
 顚=顛=眞+頁
   テン・いただき・たおれる
   くつがえる・覆(くつがえ)す
   てっぺん=山顚
   はじめ・はじまり=顚末
   たおれる・ころぶ
   くつがえる=顚倒・顚覆
   物の先端・顛末・山顛
   逆さになる・ひっくり返る
   顛倒・顛沛 (テンパイ) ・顛覆=動顛
  「転」を代用字とすることがある
 ↓↑
 次回につづく・・・
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「神学論争」だってか・・・どこがなんだか・・・コロシのロンソウ?

2024-06-15 16:29:15 | 古事記字源
 なんか、
 漫画の「大友克洋」氏の
 「童夢」を思い出した・・・
 「チンピラ老人」と
 「超能力少女」の戦い・・・
 地球に蔓延(はびこ)っている
 「チンピラ老人」に
 「普通の少女」では勝てないのか・・・

https://www.youtube.com/watch?v=fhCGlttERHQ

 ↓↑
 ・・・なんか、「Pぅチン」を「評価」するような「おむすびコロリン」と「シチヤ」みたいな名前の人物が「ユチューブ」でカイワしていた・・・
 「神学論争」だってか・・・どこがなんだか・・・
 あれって、「キベンロンソウ」を「キベン」しているニンゲンドウシの「カイワ」・・・を、さらに「きべん」?
 ・・・「論争」をしているのは「カミ(実在不詳)」と「ヒト」の論争ではなく、「ヒト」と「ヒト」が「カミ(実在不詳)」をテーマにした「イイアイ」だろう・・・
 「Pぅ」も「Sぅ」も
 「他人のイノチ」を
 「ハナクソ」のように扱っている・・・?
  ↓↑
 「リオ・ブラボウ(Rio Bravo・1959年)」
 っていう映画があった・・・
 隣の町まで
 ソロバン塾の先生と
 同級生のO君と
 3人で観に行った・・・
  ↓↑
https://www.youtube.com/watch?v=3gvV4p3hXcw
「皆殺しの歌 DE GUELLO ~リオ・ブラボー Rio Bravo~」
 それに
 『アラモ(The Alamo・1960年)』
 1836年
 テキサス独立戦争中の
 「アラモの戦い」
 ジョン・ウェイン
 主演・監督・制作を兼任
 撮影にはトッドAO方式70mmフィルム使用
  ↓↑
  ジョン・ウェイン
 (John Wayne)
  マリオン・ロバート・モリソン
 (Marion  Robert  Morrison)
 1907年5月26日
 ~
 1979年6月11日
      大運1973年7月(66歳)戊戌・正財
 丁未(丁乙己)食神・偏財 養⇔己未・偏財
 乙巳(戊庚丙)比肩・傷官沐浴⇔庚午・正官
  冲己正財
 乙亥(戊甲壬)  ・印綬 死⇔己酉・偏財
 丁丑(癸辛己)食神・偏財 衰⇔乙丑・比肩
  申酉空亡
 ↓↑
 アメリカの
 俳優・映画プロデューサー・映画監督
 愛称「デューク(Duke、公爵)」
 アイオワ(眠たがり)州
 ウィンターセットで誕生
 南北戦争(1861年~1865年)では
 「カッパーヘッド(アメリカマムシ)」
 と呼ばれた強い反戦州
 実家は薬屋
 薬剤師の息子
 一家は
 1911年
 カリフォルニア州
 グレンデールに転居
 愛犬エアデール・テリアの名前が
 「リトル・デューク」だったので
 隣人が
 「ビッグ・デューク」と呼んだ
 高校卒業後
 海軍兵学校へ出願するが入校できず
 南カリフォルニア大学に入学
 フットボールに取り組んだが
 水泳中の怪我で競技生命が絶たれた
 ↓↑
 『リバティ・バランスを射った男』
 射った男には「理由」があったが・・・
 ↓↑
 ・・・アル人間が実際に現実的に
 「サツジンをメイレイし
  アオっているコウイ」
 と、その人物が
 それを「正当化」して
    「カタるコトバ」は
 「個人の生き方の葛藤」なんかでは
 許されナイだろう・・・
 そして、そいつらへの
 「評価」が「G」だってか・・・
  カッコウワルッ・・・郭公ワルツ・・・?
  ↓↑
 「皆殺しの歌」
  ↓↑
 「THE BLUE HEARTS」
 の
 「皆殺しのメロディ」・・・?
  ↓↑
 「言葉の意味・意義」を
 「音聲」から考えるのか
 「字形」から考えるのか
 イズレモ時間の流れ
 「過去」
 「過去完了」
 「現在」
 「現在完了」
 によって
 「変化した」し
 「変化してきた」
 「変化させた」のは
 「歴(こよみ)」と
 「史(㕜=ふみ=ぶん
         文=あや
           =彪・絢・英・阢・章
            妖・紋・綵
            殆=歹+台(臺・うてな)
              屍=尸+歹+匕)」
                一+夕+七
                   匕・ヒ・牝
  に載ってきた
 「社会的人間」達である・・・
  ↓↑
 「史=口+丿+乀」
  ↓↑
 「殆=一+夕+ム+口」
 「夕部(ゆうべ・ゆう・た)」
  夕
  ゆう・ゆうべ・夕方・日暮れ
  夜
  年月日時の末(終)
  ↓↑
 夕+α
 歹=一+夕=ガツ・ガチ
 匇=勹+夕=ソウ・ソウ
       いそがしい・あわただしい=怱
       あわてる・急ぐ
 外=夕+ト=ガイ・そと
 夘=夕+卩=ボウ・ミョウ・う
 夗=夕+㔾=エン・オン
       転がり伏す・双六(すごろく)の賽
 ↓↑
 歺=ト+夕=歹
       ガツ・タイ・しかばね・ほね
       ばらばらになった骨・残骨
 ↓↑
 㐴=イ+夕=ハン・すがる・よじる
       よじのぼる
       すがりつきながらのぼる
       ひく・ひっぱる・ひきよせる
       すがる・たよりにする
 㒱=入+夕=夢=ム・ゆめ
 㚈=夕+十=升
       ショウ
       ます・のぼる
       上にあがる=昇
       みのる・穀物がみのる
       一升=十合
 列=ー+夕+刂=レツ・つらねる・つらなる
 名=+夕+=メイ・な
 夙=几+ー+夕=シュク・スク・つとに
 多=タ+夕=夛・タ・おおい・おほい
 夛=彐+夕=多 
 死=歹+匕=シ
 汐=氵+夕=セキ・しお
 舛=夕+㐄=セン・ます
      いりまじる
      そむく
      たがう・たがえる・食い違う
      乱れる
      ます=升
 岁=山+夕=歳・歲・嵗・亗
      サイ・セイ
      とし・とせ
      よわい
      一年・年齢
      みのり・作物のみのり
      木星
      約十二年で天を一周
      軌道を十二等分=十二次
      を一年に一次ずつ進む=歳星
 芕=艹+夕=スイ・草名・・・夕顔=ゆうがを=葫?
       𡝅=女+芕
 邜=夕+阝=卯=ボウ・ミョウ
       十二支の四番目
       東・午前六時を中心とした二時間
       ウ(兎)=夘・卯
       桞 茒 邜・・・䂙=石+邑=岩国
       邰=台+邑=タ
       周代(前11世紀~前256年)
       后稷(コウショク)の封地
       陝西省咸陽市武功県付近
       斄=陝西省
       𨚷=名+邑
         郄=㐅+厷+阝
           㐅+ナ+厶+阝
          =郤=ケキ・ゲキ
           すき・すきま・ひま
           あいだ
           仲たがい=隙
           春秋時代の晋の地名
           山西省
 㱙=夕+丂=キュウ・くちる・腐
 囱=丿+囗+夊=囪・窓・ソウ・まど・煙突
   丿+囗+夕
   丿+囗+夂
 斘=夕+斗=ショウ・のぼる・あがる=昇
 歼=ー+夕+千=殲・殱
        セン
        つくす・ほろぼす・全滅させる
 㔰=匚+夕+ト=恒・恆
        コウ・つね
        変わらない・一定している
        つねに・いつも・たえず
        易の六十四卦の一
        弦を張った弓のような月の形
 㱑=止+夕=
 㶤=火+夕=炒=ショウ・ソウ
        いる・いためる
        あぶりこがす
        食べ物を油でいためる
 𣏐=木+夕=杓・ヒョウ・シャク
       しゃくう
       ひしゃく
       ひしゃくの柄。
       北斗七星の柄の部分の
       第五・六・七星
       ひしゃく
       水や酒などをくむ道具=勺
 佲=イ+夕+口=酩=メイ・よう
          酒に酔う・ひどく酔う・酩酊
 侈=イ+夕+タ=シ
        おおきい・広い
        おごる・おごりたかぶる
        ほしいまま・好き勝手
        ぜいたくをする
        度をこす・度をこえる
 例=イ+夕+刂=レツ・つらなる
 冽=冫+夕+刂=レツ
        さむい・つめたい
        とても寒い・とても冷たい
        きよい・澄んでいる
 刿=山+夕+刂=ケイ・ケ
        割く・割る
        そこなう・傷つける
 劽=―+夕+刂+力=
 卶=タ+夕+卩=
 宛=宀+夕+㔾=エン・あてる
 歿=+夕+ク=没
       ボツ・おわる・しぬ・なくなる
       死没
 殀=―+夕+夭=ヨウ
        わかじに・わかくして死ぬ
        殺す・命を奪う
 苑=艹+夕+㔾=ウツ・エン・オン
        その
        ふさがる
        まきば
        囲いを設けて家畜を飼うところ
        その・にわ・草木を植える庭園
        物事の集まるところ
        学者や芸術家の集会所
        つもる・こもる・気がふさがる
 夝=夕+生=セイ・ジョウ・ソウ・ショウ
       はれる・雨があがる
 妴=夕+㔾+女=エン・オン
        たおやか・しとやか
 歽=―+夕+斤=セツ・若死にする
 歾=―+夕+勿=ボツ・ブン
        命がなくなる・生命が絶える
        くびをはねる・くびを切る
        刎頸
 殁=―+夕+殳=ボツ・しぬ・没落
 矽=石+夕+=セキ・けいそ
       化学元素の一・珪素=硅
 穸=宀+儿+夕=セキ・ほうむる・埋葬
 罗=罒+夕+=夢=ム・ゆめ
 㑉=イ几+ー+夕=シュク・伸びない
 㑕=イ+山+夕=人山夕
 㚉=乃+夕+夕=コ・ク
        利益が多い・儲かる
 㠾=夕+㔾+巾= エン・オン
        ふきん・物をふくための布
 㱚=―+夕+月=サン・ザン・ガチ・ガツ・ハツ・ハチ
        禽獣の食べ残し=䏼
 㱛=―+夕+―+夕=セン・ホ
 㱜=―+夕+ト+人=サツ・セチ
          えやみ・はやり病・疫病
 㱝=―+夕+力=死力
 咧=口+―+夕+刂=レツ・レチ
         「咧咧」=鳥の鳴き声
          苦痛や不満などから口を歪める
 哆=口+夕+夕=シ・シャ
        口を大きく開けるさま
        大きいさま
        おおらかなさま・寛大なさま
        唇の垂れ下がるさま
 哕=口+山+夕=噦
        エツ・カイ
        しゃくり
        しゃくる
        しゃっくり
        むかつく
        吐きそうで出ない。
        哕哕(カイカイ)
        =鳥の鳴き声・馬車につけた鈴の音
 屍=+―+夕+=シ・かばね・しかばね
 怨=夕+㔾+心=エン・オン・うらみ
 拶=扌+巛+夕=サツ・サチ
 殃=―+夕+央=䄃・𥙏
        オウ・わざわい=災難・不幸
        傷つける・害をあたえる
 殄=―+夕+𠆢+彡=テン・ことごとく
         つくす・つきる・たつ
         ほろぶ・ほろぼす
         ことごとく・みな・すべて・残らず
 殆=―+夕+台=タイ・ほとほと
        あやうい・あぶない
        安定しない・危険
        ほとんど・おおかた・もう少しで
 洌=氵+―+夕+刂=レツ
         きよい・さむい
         清らか
         さむい・冷たい
 ↓↑
 七夕(たなばた)
 ↓↑
 名字
 新夕=あらた
    にいせき・にいぜき・にいだ・にった
 下夕村=したむら
 七夕=たなばた
 夕部=たなべ・ゆうべ
 二之夕=にのゆ・にのゆう
 二夕川=ふたがわ・ふだがわ
 ↓↑
 熟語
 朝な夕な(あさなゆうな)
 朝夕(アサユウ)
 一夕(イッセキ)
 昨夕(サクユウ)
 旦夕(タンセキ)
 朝夕(チョウセキ)
 日夕(ニッセキ)
 毎夕(マイユウ)
 夕明かり・夕明り(ユウあかり)
 夕暮れ(ユウぐれ)
 夕景(ユウケイ)
 夕煙(ユウけむり)
 夕餉・夕食(ユウげ)
 夕刻(ユウコク)
 夕潮(ユウしお)
 夕食(ユウショク)
 夕涼み(ユウすずみ)
 夕立(ユウだち)
 夕月(ユウづき)
 夕なぎ・夕凪(ユウなぎ)
 夕波(ユウなみ)
 夕飯(ユウハン)
 夕映え(ユウばえ)
 夕晴れ(ユウばれ)
 夕日(ユウヒ)
 夕べ(ユウべ)
 夕まぐれ(ユウまぐれ)
 夕飯(ユウめし)
 夕靄(ユウもや)
 夕焼け(ユウやけ)
 ↓↑
 四字熟語
 一夕九徙(イッセキキュウシ)
  暗殺を恐れて
  一晩の間に何度も居場所が変えること
 ↓↑
 一朝一夕(イッチョウイッセキ)
  「一朝一夕に出来ることではない」
   などと後に否定の語を伴って用いる
 ↓↑
 花朝月夕(カチョウゲッセキ)
  春の朝の花を愛で
  秋の夕方の月を愛でる
  「花朝=陰暦二月十五日
      現在の四月の中頃」
  「月夕=陰暦の八月十五日
      現在の十月の初め頃」
 ↓↑
 初秋涼夕(ショシュウリョウセキ)
  月が美しく、さわやかな風が吹く秋の夜
 ↓↑
 朝盈夕虚(チョウエイセキキョ)
  朝に繁栄し夕方には滅びる
  人生の儚(はかな)さ
 ↓↑
 朝過夕改(チョウカセキカイ)
  朝に犯した過ち夕方に改める
 ↓↑
 朝観夕覧(チョウカンセキラん)
  朝に見て、夕方にも見ること
  芸術品を何度も見て楽しむ
 ↓↑
 朝不謀夕(チョウフボウセキ)
  目の前のことを考える余裕もない
  差し迫った状況
  先のことを考える余裕もないこと
 ↓↑
 朝聞夕死(チョウブンセキシ)
  道を究めようとする人の心得
  朝に道の真理を知ることができれば
  夕方には死んでも悔いはない
 ↓↑
 朝題目に夕念仏
   立場の曖昧さ
 ↓↑
 朝虹は雨、夕虹は晴れ
 ↓↑
 朝に紅顔ありて夕べに白骨となる
   一寸先は闇
   先のことは判らない
 ↓↑
 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり
   覚悟
 ↓↑
 朝に夕べを謀らず
   余裕がない
 ↓↑
 旦夕(タンセキ)に迫る
   危機が緊迫
 ↓↑
 西風と夫婦喧嘩は夕限り
   おさまるものはヤガておさまる
 ↓↑
 春の夕飯食って三里
   春は晩飯を食べたあとでも
   三里の道を歩ける
 ↓↑
 命旦夕(メイタンセキ)に迫る
   絶命の危機
 ↓↑
 夕立は馬の背を分ける
   局所的に異なる
 ↓↑
 夕焼けに鎌を研げ
   明日は晴れ、仕事の準備を為せ
  ↓↑
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