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コジキジゲン

ナマエのヘン・・・熊・孫・徐・段・・・袁世凱?

2024-06-18 11:33:27 | 古事記字源
 6月18日・火曜日

 前回からのツヅキ・・・
 ゴウのカンジ・・・合(業)の漢字?
 鄕=乡+白+匕+阝=鄉・鄊・乡


ーーーーー
 无謝志国造=『古事記』の表記
 むさし
 武 蔵国造=令制国の「武蔵国」の名称表記
      『日本書紀』で使用
 ・・・ナゼ
  「蔵(くら)」が
    「さし」になったのか?
 蔵=艹+戊+臣
   艹+丿+戈+臣
 藏=艹+臧
   艹+戕+臣
   艹+爿+戈+臣
   ゾウ・ソウ
   くら
   おさめる・かくす
   しまう・たくわえる
   かくれる・身をかくす・ひそむ
   物を収めておくところ
   たくわえ・しまってある物
   仏教や道教の経典
  「西蔵(チベット)」の略
          ・・・西蔵(サイゾウ)
             霧隠 才蔵
      石川 五右衛門の変身?
      or
      ↓↑ 
      淵 蓋蘇文(エン ガイソブン)
      ?~666年(宝蔵王二十五年)
      高句麗末期の
      大莫離支(テマクリジ・宰相)
      泉蓋蘇文=泉蓋金
     『日本書紀』では
     「伊梨柯須彌
     (伊梨柯須弥
      いりかすみ)=蓋金
      イリ=水源
      643年(宝蔵王二年)
      唐へ使臣を派遣
      道教の道士八名
     『道徳経』を高句麗に招来・・・
     末裔は日本に亡命?
 ↓↑
 無邪志国造=「無=无」
 牟邪志国造=『先代旧事本紀』
 天之菩卑能命の子
 建比良鳥 命が
 无邪志国造などの祖
 ↓↑
 「無」=𠂉+卌+一+―+灬
     人が飾りを持って舞う形象
     「まう=舞」を表す字
     仮借して「ない」の
     漢語「無」に用いる・・・
     呉音 : ム
     漢音 : ブ
     宋音 : ブ
     唐音 : モ
     訓読 : な-い
 無の
 異体字
 无(簡体字)
 𠂉+ㄣ+ー(朝鮮国字)
 㷻・幠・橆・𠘩(古字)
 𡙻・𣑨・𣚨・𣞣・𣞤・𣟒・𣠮(俗字)
 𤀢(俗字)=法+空
 𤍍(俗字)=亠+廿+廿+灬
 𬻜(俗字)=二+卌+一+―+―
 𬻝(俗字)=𠂉+卌+一+―
 𭴾(俗字)=⺈+卌+―+灬
 𭴿(俗字)=𠂉+卌+一+―+火
 ↓↑
 出雲国造
 上菟上国造・下菟上国造
 伊自牟国造・遠江国造
 などと同系(古事記)
 天穂日命が
 武蔵国造などの遠祖(日本書紀)
 ↓↑
 『高橋氏文』
 磐鹿六獦命に従って
 景行天皇(第十二代天皇)
 に料理を献上した
 大多毛比は
 「無邪国造」の上祖
 「無邪国造」
 ↓↑
 『先代旧事本紀』
 「国造本紀(下記)」に
 「无邪志国造」とあり
  「邪」のあとに「志」を補って
 「無邪志国造」
 が本来の表記・・・
 ↓↑
 成務天皇(第十三代天皇)
 出雲氏
 (姓は臣・出雲国造の氏族の祖
  名は二井之宇迦諸忍之神狭命の
  十世孫の
  兄多毛比命が
  初代
  无邪志国造
  度会延佳本表記では
 「兄多毛比命」
  神宮文庫本では
 「兄多比命」
 と表記
 ↓↑
 神社
 牟佐坐神社 (奈良県橿原市見瀬町)
 无邪志国造
 (むざしのくにのみやつこ・むざしこくぞう)
 武蔵国東部となる地域(无邪志国)を
 支配した国造
 ↓↑
 『先代旧事本紀』
 「国造本紀」
 无邪志国造条の次に
 胸刺 国造条がある・・・?
 ↓↑
 氏族
 无邪志氏(むさしうじ・姓は直)
 出雲臣と同系
     同族に
 相武国造
 上海上国造
 下海上国造
 新治 国造
 『日本後紀・弘仁二年九月条』
 出羽国人の
 无邪志 直膳
 大伴部 廣勝
 の記録
 ↓↑
 丈部氏(はせつかべうじ)
『続日本紀』
 无邪志国造の末裔
 丈部 直 不破麻呂
 の名
 ↓↑
 武蔵氏
 奈良時代の官人
 「藤原仲麻呂の乱」
 の功績により
 武蔵国造に任じられた
 丈部直 不破麻呂
 がその時に賜った氏
 ↓↑
 一族
 笠原氏(姓は直)
 笠原使主
 ↓↑
 物部氏(姓は直)
 推古天皇の時代
 舎人
 国造
 物部 兄麻呂
 が
 物部直を賜姓
 ↓↑
 大伴氏(姓は直)
 武蔵国
 多摩郡の郡領家に
 大伴氏
 『姓氏家系大辞典. 第1巻』
 多摩郡郡領家
 大伴氏について
 「足立郡なる大伴直家の分流にして
  多摩の屯倉を掌どりし氏ならんか」
 ↓↑
 同名の氏族
 ヤマト王権の有力豪族
 物部氏と共に
 朝廷の軍事を管掌していた
 大伴氏(姓は連・のち宿禰)がいる
  ↓↑
  檜   隈舎人氏
 (桧(檜)前舎人氏・姓は直)
 ↓↑
 鳥取部氏(姓は直)
 刑 部氏(姓は直)
 ↓↑
 武蔵国
 足立郡は
 武蔵氏
 大伴氏
 の本拠地
 東京都の足立区
 埼玉県の東南部
 足立郡の郡衙は
 大久保領家遺跡
 氷川神社東遺跡にあった・・・
 ↓↑
 武蔵 武芝
 足立郡の郡司だった
 ↓↑
 武蔵国
 埼玉郡
 笠原郷
 笠原氏の本拠
 埼玉県
 鴻巣市
 笠原を中心とした地域
 ↓↑
 武蔵国造の本拠地の近くに
 埼玉古墳群・・・
 ↓↑
 武蔵国
 入間郡
 物部氏の本拠
 埼玉県
 入間市・川越市・狭山市
 所沢市・富士見市・ふじみ野市
 など
 ↓↑
 无邪志国造の支配領域
 无邪志国
 无邪志国は令制国の武蔵国
 秩父
 (知々夫国造の支配する国)
 を除いた範囲・・・
 埼玉県と東京都の境界周辺
 荒川流域の
 北足立郡・入間郡・旧大宮市
 ↓↑
 无邪志国
 知々夫国造の支配の
 知々夫国と合わさって
 七世紀
 令制国の武蔵国となった
 武蔵国は
 東山道に所属していたが
 771年
 東海道に移管
 ↓↑
 大國魂神社
 (おおくにたまじんじゃ
  北緯35度40分02 東経139度28分44)
 東京都府中市(旧多摩郡)にある神社
 武蔵国総社
 祭神は
 大国主命と同神とされる
 大國魂大神
 景行天皇四十一年(111年)五月五日
 大神の託宣に依って造られた
 出雲氏(姓は臣・出雲国造の氏族)
 の祖神
 天穂日命
 の後裔が
 武蔵国造に任ぜられ
 社の奉仕を行ってから
 代々の国造が奉仕して祭務を行った
 ↓↑
 摂社に
 坪宮(つぼのみや・府中市本町2-12)
 坪宮の祭神
 初代
 无邪志国造
 兄多毛比命
 出雲臣
 天穂日命の後で
 初代
 武蔵国造
 兄多気比命と同人・・・?
 以来代々の国造が当社に奉仕
 大國魂神社の
 例大祭(くらやみ祭)中
 五月五日
 御旅所へ神輿が渡御
 奉幣を献ずる式は
 「国造代奉幣式」
 ↓↑
 関連神社
 氷川神社(ひかわじんじゃ)
 祭神
 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
 社記
 孝昭天皇三年(紀元前473年?)4月未創立
 景行天皇(第十二代天皇)の時代
 日本武尊
 は当神社に参拝
 東夷鎮定の祈願と伝承
 成務天皇(第十三代天皇)時代
 兄多毛比命
 は出雲族をひきつれてこの地に移住
 祖神を祀って奉崇
 この一帯は出雲族が開拓した地
 武蔵国造は
 出雲国造と
 同族・・・新羅系渡来人・・・?
 社名「氷川」も
 出雲の
 「簸川(ひかわ・斐伊川(ひいかわ)」
 に由来・・・
 ↓↑
 物部天神社
 埼玉県所沢市(旧入間郡)の
 北野天神社(きたのてんじんしゃ)
 を構成する三社のうちの一社
 祭神は物部氏の祖神
 饒速日命
 ↓↑
 芝丸山古墳(しばまるやまこふん)
 東京都港区(旧荏原郡のち豊島郡)の
 前方後円墳
 都内では最大級
 5世紀に築造
 初代
 无邪志国造
 兄多毛比命
 の墓・・・説
 ↓↑
 荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)
 東京都世田谷区~大田区に広がる古墳群
 古墳時代前期~後期にかけて築造
 国造本宗の本拠地は
 多摩川下流
 亀甲山古墳を初めとする
 同古墳群が国造の墳墓・・・説
 ↓↑
 埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)
 埼玉県行田市(旧埼玉郡)の古墳群
 9基の大型古墳
 5世紀末~7世紀に成立・・・
 関東有数の大型古墳群
 武蔵国造の墓とする説と
 知々夫国造の墓とする説
  ↓↑
  兄多毛比 命
 (えたけひのみこと)
 景行朝
 成務朝の
 初代
 无邪志国造
  ↓↑
  笠 原   使主
 (かさはら の おみ、おぬし)
 安閑朝に同族の
 小杵と
 国造の地位の相続を争い(武蔵国造の乱)
 朝廷より国造に定められて勝利
  ↓↑
  物  部  兄麻呂
 (もののべ の えまろ)
 推古朝の舎人、国造
 氷川神社社家の祖
 聖徳太子の舎人
 兄麻呂が比企の地を本拠地とし
 寺谷廃寺を創建・・・説
 ↓↑
 武蔵 不破麻呂
 奈良時代の官人
 もとは
 丈部氏だったが
 「藤原仲麻呂の乱」
 の功績で国造に任じられ
 武蔵宿禰氏
 を賜った
 ↓↑
 武蔵 弟総
 奈良時代の官人
 延暦十四年(795年)十二月
 武蔵国
 足立郡
 大領外従五位下で国造に任じられた
 ↓↑
 子孫
 小杵(おき・おぎ)
 安閑天皇元年(534年?)閏十二月
 古墳時代の豪族
 笠原使主の同族
 安閑天皇(第二十七代天皇)時代
 使主と
 武蔵国造の地位の相続を争い
 (武蔵国造の乱)
 小杵は密かに
 上毛野 小熊
 に助けを求め
 使主を謀殺しようとしたが
 朝廷は使主を国造に定め
 小杵を誅した
  ↓↑
  鳥取 部  直   六手縄
 (ととりべ の あたい むてなわ)
 多摩郡の人
 日野市落川遺跡出土の
 紡錘車線
 に
 名前と
 和銅七年十一月二日
 の年紀が刻印
 ↓↑
  大 伴   赤麻呂
 (おおとも の あかまろ)
 ?~天平勝宝元年(749年・750年?)
 『日本霊異記』に登場
 奈良時代の官人(多摩郡大領・郡司の長官)
 赤麻呂の死の翌年に
 黒斑の子牛が生まれ
 その背の黒斑は
 文章のようになっており
 その斑文を読み解くと
 ↓↑
 赤麻呂者
 擅於己所造寺
 而 隨恣心借用寺物
 未報納之
 死亡焉
 爲償此物故
 受牛身者也
  ↓↑
  大 伴   直   牛麻呂
 (おおとも の あたい うしまろ)
 武蔵国
 加美郡
 武川郷の戸主
 戸口には
 「大伴直荒当」の名前も
 正倉院庸布墨書銘に
 「天平勝宝五年十一月
  武蔵国加美郡武川郷
  戸主
  大伴直牛麻呂
  戸口
  大伴直荒当
  が庸布を貢納す」
 とある・・・
  ↓↑
  大 伴   直   宮足
 (おおとも の あたい みやたり)
  ↓↑
  大 伴 部  直   赤男
 (おおともべ の あたい あかお)
 神護景雲三年(769年)
 西大寺に
 布1500段、稲74000束、墾田40町、林60町
 を献納
  ↓↑
  刑  部  直   国当
 (おさかべ の あたい くにまさ)
 橘樹郡橘郷の人
 天平勝宝八歳(755年)
 調庸布墨書に名前が記録
  ↓↑
  若田 部  直   金行
 (わたかべ の あたい かねゆき)
 豊島郡
 荒墓郷の人
 武蔵国分寺瓦に名前が刻印
  ↓↑
  入 間   広成・・・入間⇔人間?
 (いるま の ひろなり)
 奈良時代~平安時代の官人
 『続日本紀』に
 神護景雲二年七月十一日条に名前
 入間郡の人物
 物部直姓から
 入間宿禰姓に改姓
 授刀舎人
 物部兄麻呂に始まる氏族
  ↓↑
  大 真   山継
 (おおま の やまつぐ=丈部直 山継?)
 『日本霊異記』に
 多摩郡小河(小川)郷(あきる野市)の人
 天平宝字八年(764年)
 「藤原仲麻呂の乱」で
 藤原仲麻呂に与したため
 乱後に処刑されそうになったものの
 観音仏の力によって
 信濃国への流刑に減刑
 最終的に罪を許されて
 武蔵国に帰国
 多摩郡
 少領になった
 「大真(おほま)」
 という氏は存在しない上
 多摩郡司(少領)となってるので
 「大真」とは
 「丈直(丈部直)」
 の誤写で
 武蔵国造の末裔
 「丈部直不破麻呂」
 の同族・・・説
  ↓↑
  檜 前 舎人   直   由加麻呂
 (ひのくまとねり の あたい ゆかまろ)
    前=くま?・・・まえ・さき・ゼン
      隈・球磨・久万・・・句眞?
 加美郡の人
 散位正七位上勳七等
 承和七年(840年)十二月
 由加麻呂
 ら男女10人が
 土師氏と同祖関係として
 京六条に貫付
  ↓↑
  刑  部  直   道継
 (おさかべ の あたい みちつぐ)
 『続日本後紀』承和十三年五月壬寅条
 多摩郡
 狛江郷
 の戸主
  ↓↑
  武 蔵  武 芝
 (むさし の たけしば)
 天慶二年(939年)以降消息不明
 平安時代中期の豪族・官人
 足立郡の郡司
 武蔵国衙の判官代(在庁官人の職名)
 を兼ねていた
 武蔵国司(権守)
 興世王と同介
 源経基の収奪に抵抗し
 平将門に調停を依頼
 ↓↑
 紀元前4千年頃
 ウル人は
 神=アン・・・?
   アム=編む・辮・殆務・亜夢?
      あみ=網・罔・罝・罒・罭
      あ+「ま・み・む・め・も」
 と言っていた
 シュメール人も
 それを借用して
 神=アン
 と言っていた
 ↓↑
 古代エジプト語
 kham ・na・(r)an
 (カム・ナ・アン)
 エジプト人の
 神=カブ・ナ・アン
 ↓↑
 ルソン島山岳州語
 khab ・ni・an
 (カブ・ニ・アン)
 ↓↑
 印度セイロン島語
 神=カミ
 ↓↑
 アイヌ語
 神=カムイ
 ↓↑
 種子島古語
 神=ga・ran
  (ガーラン)

 「種子島」
 に
 蛇をトーテムとする民族がいた
 蛇を信仰する民族を
 「タンナーガ」族と云った
 ↓↑
 タンナーガ → タンネ → タネ
 ↓↑
 タネガ島と呼ばれるようになった
 元々の漢字表記は
 ↓↑
 多禰(タネ) or 多褹(タネ)
 ↓↑
 で「種子(タネ)」とし
  「種子島」となった・・・
 「多禰=多褹=種子」
 嶋の
 「たね」は「ヘビ=蛇・它・巳」・・・?
 ・・・褈=衤(衣)+重・・・類似で類字だが?
      𧝎
      ショウ
      褈褣(ショウヨウ)
      膝よりも下(或いは足元)まである
      丈の長い単衣(ひとえ)の服
      日本の着物のような衣服
      深衣、裾袍=襜褕(センユ)
 漢字の
 多禰=多(夕+夕)+禰(示+爾)
 多褹=多(夕+夕)+褹(衤+坴+丸)
  褹=衤+坴+丸
    ゲイ・ゲ
    衣服の袖(そで)・袂(たもと)
   =襼
    上着(最も外側に着る服)の下に着る
    上衣(うわぎ・上半身に着る服)
   「方言:第四
    複𧝄江湘之間謂之
    𧞫(音豎)
    或謂之
    筩褹(今筩袖之𧝄也 褹即袂字耳)」
           袂=たもとのアザみみ?
    𧜼=坴+丸+衣
      䙝=褺=𧝚
      チョウ・ジョウ
      肌着、下着
      それを重ね着する

 種子=種(禾+重)+子(了+一)
    種=会意 兼 形声文字
      禾(のぎ)+重(かさなる・おもい)
      稲     入れ墨の針
            人の目・重い袋
      目の上に入れ墨をされた奴隷が
      重い袋を持つ
      稲の穂の重い部分=垂れ穂・垂乳根?
    重=千+里
      千+田+土
       ノ+十+日+二
       ノ+十+囗+一+二
    重い=おもい=思い=想い
       主 意=かさねる
       王が丶(チュウ・ともす=燈・灯・燭)
       炎(ほのお=焰・焱)
       軽いものを積み重ねてオモクするコト
 襧=衤+爾
   衤+一+八+冂+丨+㸚
   衤+一+八+冂+丨+爻
   衤+一+八+冂+丨+㐅+乂
   衤+一+八+冂+丨+㐅+丿
   チ
 ↓↑
 種子島
 茎永部落
 宝満神社
 祭神は 
 「玉 依 姫   命
 (タマヨリヒメのミコト)」
 ↓↑
 「タ=人間」という意味・・・
 「ナーガ」 or 「ナーカ」
 は古代インド語で
 「蛇・竜蛇」
 蛇や竜を
 トーテムとする
 印度ナーガ族の部族名
 ↓↑
 古代印度語は
 元は
 ウル人・シュメール人の
 ウル・シュメール語
 で
 シュメール人も
 蛇をトーテムにしていた・・・
 で
 「タ・ナカ」
 とは印度系シュメール人という意味・・・
 「手=シュメール語で (シュ)
    アッシリア語は (タ)
    古代エジプト語は(ド)
 ↓↑
 日本語の「タ=手=て」・・・
 手長 比売(タナカヒメ)
 天手長比売(アメタナカヒメ)
 天手長男神社(アメタナカオ)
 ↓↑
 「ナカ・ナーガ」
 那賀・名賀・中・仲
 という漢字をあてている
 長(なが・おさ)・永(とわ)
 という漢字もあててい
 ↓↑
 長崎の「おくんち」祭り=竜蛇の舞
 ナーガ(竜蛇)を
 トーテムとする
 シュメール人が住む町という意味・・・から
 長崎という地名になった
 ・・・「長崎」という地名の由来
 ↓↑
 シュメール人は
 古代エジプトを
 「azi=アジ=煙」と読んでいた・・・?
 ↓↑
 種子島(たねがしま)
 九州
 鹿児島県
 に属し
 大隅諸島を構成する島の一
 鹿児島県にある
 有人離島の中で最も東に位置
 人口(29,282人)
 奄美大島に次いで多く
 面積(444.30km2)は
 日本では10番目
 県内では
 奄美大島
 屋久島に次いで
 3番目に大きい
 最高地点の標高は
 回峯(まわりのみね)の282.4 m
 中心都市は
 西之表市

 中種子町市街地
 種子島でもっとも古い遺跡
 南種子町
 横峯遺跡
 中種子町
 立切遺跡・大津保畑遺跡
 約3万5千年前(較正年代)の遺跡
 旧石器時代
 人類が生活をした数少ない離島の一
 種子島では
 細石器文化も確認
 南種子町
 銭亀遺跡
 細石器文化が確認された
 日本列島最南端の遺跡

 縄文時代
 九州島南部の
 縄文文化とほぼ
 同一の土器様式が確認
 弥生時代後期~7世紀にかけての
 種子島で
 独自の
 貝文化が展開
 種子島独自の貝文化を代表する遺跡
 南種子町
 広田遺跡
 貝製品を中心とする
 広田遺跡の出土品
 国の重要文化財

 8世紀
 律令国家の支配下
 記録は、『日本書紀』
 大宝二年(702年)
 令制国として隣の
 屋久島も含めて
 多禰国(たねのくに)設置
 島
 北部に
 能満郡
 南部に
 熊毛郡
 設置
 国司が任じられ
 「多禰」国司
 として二島を支配

 平安時代前期
 天長元年(824年)廃止
 能満郡は
 熊毛郡に統合され
 大隅国に編入
 鎌倉時代
 見和氏
 肥後氏
 が支配
 室町時代以降
 肥後氏の支族
 種子島氏
 がこの地を治めた
 南蛮からの鉄砲伝来
 火縄銃の製作
 国産の火縄銃は
 「種子島」
 と呼ばれ
 琉球王国との交易も行われ
 元禄十一年(1698年)
 領内の農民の救済作として
 領主
 「種子島久基」
 が琉球国王
 「尚貞」より
 甘藷一篭を譲り受け
 家老
 「西村時乗」
 に命じ領民に栽培させ
 これが九州、本州にさらに伝わった
 「佐藤信淵」
 は薩摩藩重臣にあてた
 『薩摩経緯記』の中で
 種子島の島民気質を
 喜界島
 屋久島
 の住民と同様に
 「豊かになろうと心がける気持ちが弱く
  産業に励む者は希」
 と評価・・・
 前回の「山幸彦」・・・
  ↓↑
 「山幸彦」を操った
 「カイジン=海神」の戦略・・・?
  ↓↑
 「彦火火出見尊=山幸彦」
        ・・・彦=ゲン
            =彥(ひこ・びこ)
            狗古智卑狗
     (クコチヒコ・クコチヒク)
         卑狗=ヒコ=彦・日高・日子
               火の子=新井白石
         肥後・庇護・比語・火護 
 音叉・音響・音源・音波・・・諺=言+彥
               㘖=口+彥+頁
               顏=彥+頁
               喭=口+彥
               偐=イ+彥
               嵃=山+彥
 「音」は耳で聴くモノ
 「文」は眼で視るモノ
 「義」は頭で考えるモノ
 彥=文+厂+彡
   亠+乂+厂+彡
     乂=㐅(古字)=五
             五=丅+ユ
             伍(大字)
             𫝀(俗字)
             㠪(古文)
             𠄡(古文)
 ↓↑
 顚=顛
   テン・いただき・たおれる・くつがえる
   てっぺん=山顚
   はじめ・はじまり=顚末
   たおれる・ころぶ・くつがえる=顚倒・顚覆
   物の先端・顛末・山顛
   逆さになる・ひっくり返る
   顛倒・顛沛 (テンパイ) ・顛覆=動顛
  「転」を代用字とすることがある
 ↓↑
 白野夏雲(しらの かうん)
 文政10年閏6月26日
(1827年8月18日)
 ~
 明治33年
 (1900年9月8日)
 物産研究家
 アイヌ語研究家
 本名 今泉 耕作(いまいずみ こうさく)
 ↓↑
 甲斐国
 都留郡
 白野村(山梨県大月市笹子町)出身
 代官の手代の家に生まれた
 岩瀬忠震が
 徽典館の学頭をしていたとき
 学僕となった
 江戸に出て
 幕府・歩兵の
 輜重隊の頭と軍事顧問
 小川町に駐屯
 1864年
 「天狗党の乱」で
 日光の警備で任地に赴く
 1868年
 彰義隊が上野
 彼は浅草の蔵を守ったが
 官軍が徳川の残党を追求
 隊を率いて
 新宿口から甲州へと逃亡
 1873年
 2月
 開拓九等出仕に任命
 3月
 広尾郡詰を命じられ
 8月
 開拓権大主典
 北海道に1年半いて
 物産地質の調査
 アイヌ語の研究
 東京に戻り
 1875年
 地理寮十一等出仕に任命されて
 土石調査
 1877年
 内務六等属に転じ
 地理局に勤務
 内国勧業博覧会で
 委員と審査官
 1879年
 鹿児島県知事の
 渡辺千秋
 に抜擢され
 勧業課勧業掛に転任
 授産場・橋の建設
 田代安定と親交
 1890年
 鹿児島県庁を退職
 東京に移る
 息子が1893年死亡
 日光の
 祠官として生計
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 アイヌ語研究
 「古代地名考」(学芸志林7巻)
 「上代地名考」(東京地理学協会報告
         明治13年第8巻)
 「古代地名考」(学芸志林8巻)
 ↓↑
 白野は
 大和民族の祖先が天津神
 アイヌ の祖先は国津神であると考えた
 国の元々の地名は
 アイヌがつけたのが多いので
 特に北海道の地名を解釈するには
 アイヌ語を用いるのが正しいと主張
 1880年(明治13年)
 明治中期
 北海道開拓使
 北海道庁で働いたのち
 札幌神社(北海道神宮)の宮司
 札幌神社に併設の
 皇典講究所の
 北海道文所の監督官も務めた
 ・・・
 ↓↑
 禿(かぶろ・かむろ)
 頭に髪がない「ハゲ」
 ↓↑
 肩までで切りそろえた児童=子供の髪型
 その髪型の子供
 ↓↑
 「禿=禿童(かぶろ・かむろ)」
 江戸時代
 遊廓に住む
 「オカッパ頭」の「童女=遊女見習い」
 江戸中期頃まで
 「おかっぱ頭」
 江戸後期以降
 「吉原」等では
 「禿(かむろ)島田」
 という髪飾りを沢山付けた
 「高島田」になった
 「嶋原」も戦前までは日本髪を結っていた
  ↓↑
 「引込禿」
 遊女の世話を離れて
 楼主から
 茶道、華道、香道、歌道
 などの英才教育をうけた
 「童女=遊女見習い」
 ↓↑
 次回にツヅク
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