奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

奈良を学ぶ★二日目

2010年11月10日 | 奈良検定お勉強日記
さて、昨日に引き続き、奈良検定の体験学習でバスハイク。
本日は「都祁山の道を訪ねる」プログラムです。

しかし、参加する前にひと仕事♪
早起きをして生駒へGO!です。

というのも宝山寺の獅子閣が特別公開されているとのことで、
うきゃー!こりゃ行かねばってことでして。

実はわたくし、昨日の朝のうちにここへ行くつもりでした。
しかし朝イチの電車と新幹線を乗り継いでもキツキツタイトスケジュール。
一本でも遅れたらヤバイ状態だったので泣く泣く諦めたのですが。
よくよく考えてみれば、日曜の朝イチに奈良市から生駒へ出かけるなら
家から始発で出かけるよりは楽なのではないか?
計画を練り直したら、集合時間が9時10分なのが幸いして、
なんとかバスハイクの前までに帰って来れそう…。
(集合時間が9時だったらNGだったのだ>この時間設定に感謝だ)
よし、行くぜ!

ちゅうことで、早起きをして7時過ぎの電車に乗ってまず生駒へ。
生駒ケーブルに乗り換えたら、本日の行きは「ミケ」号でした。
ゴトンゴトンと5分で宝山寺駅へと登り、まずは宝山寺参拝。
8時を過ぎてから獅子閣へ。

獅子閣は明治に入ってから作られた木造洋風建築。
宝山寺の「迎賓館」としての位置づけとして作られた建物です。
雰囲気としては神戸の異人館風の建物なんだけど、
二階には「黄金の和室」があったりしてまさに和洋折衷。

ステンドグラスが美しかったり、階段が廻り階段だったり、
洋風な箇所はもちろんあるんだけど、断崖に舞台づくりされている
テラスは「長谷寺風」だったり、おさんどんの人が上る用の階段は
東大寺の急斜面風階段だったり、まさに和菓子屋が作る洋菓子な雰囲気。

本当はもっとゆっくり見たかったんだけど、20分ほどでおいとま。
宝山寺からの急な坂道と階段を飛び降りるようにピョンピョンと
駆け下り、なんとか予定していたケーブルカーに飛び乗れました。
これに乗れれば何とか奈良駅に戻れます。ほっと一安心。
近鉄奈良駅に着いたのは午前9時。
まさに綱渡りでしたが、なしえたぞー(笑)

その後は時間を気にしなくても、
あちこち連れて行ってもらえるバスハイクです。
楽しませていただきます。

本日のスケジュールは
「春日宮天皇田原西陵~光仁天皇田原東陵…太安萬侶墓~
三陵墓古墳群史跡公園~来迎寺…小治田安萬侶墓…都祁水分神社~氷室神社」
行くところは墓と、陵と、神社。
壮大な墓参りツアーですな。ははは。

まずは、近鉄奈良駅をバスは出発して10分ほどで原始林の中へ突入。
奈良ってスゴイところです。
県庁所在地からバスで10分も走ると原始林があるんだから。
山をうねうねと登って、春日宮天皇陵に到着。

はて?春日宮天皇って誰さと思えば、天智天皇の皇子・志貴皇子のこと。
奈良最後の天皇である光仁天皇が即位した時、実の父である志貴皇子を
”天皇の父”としてそれなりの地位にするべく
「春日宮天皇」を贈られたとのこと。

志貴皇子が亡くなった時に一度墓は作られていたものの、
それを改葬して、現在の陵に収めたんだとか。
本日の案内役・来村先生いわく
「風水的に見てとてもよいところに作られた墓です」
とのこと。

次はちょっとだけバスに乗って、その光仁天皇田原東陵へ。
天武系で皇位を継ぐ人が誰もいなくなり、
天智系に移ったという時に即位したのがこの人。
光仁天皇が即位したのは62歳の時。
かなりの長寿ですよね。
この人の息子ってのが、奈良を捨てて長岡京へ移っていった桓武天皇。

光仁天皇の墓も元々は聖武天皇の近所の佐保山に築かれたのだけど、
桓武天皇が「こんなとこイヤだ!」と、この人も父の墓を改葬。
(だったら最初からよい場所に作っておけと…)
大和全土をくまなく調べて見て「ここがいい!」と決定したんだとか。
ここも風水的に見てよい場所なんだそうですよ(笑)

次の太安萬侶の墓へは徒歩にて。
田舎の茶畑の、何でこんな急斜面から?って場所にありました。

昭和54年に茶畑を整備しようとしていて裏山を掘っていたら、
なにやら炭に囲まれた銅版が出てきた。
よくよく調べてみたら「げげ!太安萬侶の墓って書いてある~!!」
ここは史跡として指定されることになりました。

その出土地まで道が付いていて登れるのだけど、かなりの急斜面。
登るのはいいんだけど、降りるのが怖いような坂道でした。
道路から見上げた場所にある出土地は、
そんな高所ではないように見えるんだけど、
実際にその場にまで上ってみるとかなり眼前が開けて、いい場所です。
やっぱりここも風水的に…(以下略)。

ここで午前の部は終了。
バスで移動して、名阪国道の道の駅「針テラス」にて昼食をいただくことに。
普段は入ったことない二階の大食堂に通されて、奈良の鶏飯をイタダキマシタ。
「一杯目は普通に食べていただいて、
二杯目は薬味を乗せて出汁をかけて食べてください」とのこと。
ひつまぶしの食し方のようですが。
あとはこんにゃく炊いたのとか、ちょっちお刺身とか、冷めたてんぷらとか(笑)
おなかすいていたので全部おいしくいただきました。

午後からは都祁山道(つげやまのみち)へ。
都祁山道とは元明天皇が和銅9年に開いた、大和から伊勢へと通じる街道。
和爾下神社から東へ伸び、米谷・福住・都祁と抜けて東へ向かう、
現在の名阪国道と付かず離れずの道です。

まずは三陵墓古墳群史跡公園へ。
ここの古墳は知らなかったのだけど、
都祁の集落を治めていた5世紀後半の豪族たちの墓だとか。
ユーモラスな表情の古代人のモニュメントがとても目を引きます。
三つの古墳は、向かいのお山がきれいに見える場所が選ばれているようで、
古い古墳ほど良い場所をゲットしているようです。早いもん勝ちですね。

次なる目的地は来迎寺。
ここは中世多田氏ゆかりの寺で、創建はあの行基さんだとか(マジ?)。
平安後期には多田満仲一族が境内を開き、阿弥陀如来像を祀った
あたりからは信じられる歴史。
境内には百基あまりの五輪塔がゴロゴロと並んでいました。

本堂は本当に荒れ寺風で、破れた箇所に紙が貼ってあったり、
天井近くにビニールシートが貼ってあったり、
まさに唐傘オバケでも住んでいそうな風情です。
しかし、ここには詳しく書けないほどのお宝も所蔵してるんだとか。
おー、クワバラクワバラ。

そして本日二つ目の墓参り。
小治田安萬侶の墓です。
小治田安萬侶は奈良時代の官人。
実在の人の墓誌が出てくるのは極めて珍しいことで、
彼はこの地で火葬にされ、その場に墓が作られたということが判ってます。
(太安萬侶の場合は、あそこで火葬されたのかどうかは不明)
ここは、太安萬侶の墓よりも急斜面ではないものの、
やはり岡の斜面に立っているらしい。
現在はこの墓の前に人家が立っており開けた感じはしないのだけど、
墓が出来た当時は岡の斜面を背に、眼前に開ける光景がよい場所だったとのこと。

そこから徒歩にて都祁水分神社へ。
大和には宇陀、吉野、葛城、そして都祁と四つの水分神社があり、
どれも由緒正しい神社。
本殿の北には万葉集にも出てくる「山の辺の御井」とされる
湧き水の井戸が見られました。鬱蒼とした木々の中にひっそりと
水をためている池。なかなか趣がありました。

そしていよいよ本日最後の訪問地。
氷室神社。氷の調達を司る「氷池風神」の神社。
ここらへんは奈良市の中心部と比べて温度がかなり低いらしい。
なので、氷室が置かれていたというのも納得。
確かに生駒も大阪市内から電車に乗ってくると、
温度が2・3度違う体感あるもん。
境内の裏山では氷室の跡と思われるくぼみが残っており、
確かにこの地で氷が作られていたと見られます。

天気も悪くなってきて雨も降ってきたし、
あたりも暗くなってきたからか、どよんとした雰囲気が
おどろおどろしくて、「なんかいる」感じがしてよかった(笑)
神社は明るすぎてはいかんのだ。
神さまが出てきてくれないじゃないか。

ちゅうことで、無事本日のバスハイクはこれにて終了。
バスで奈良市内へ戻ります。
これが予定よりも一時間ほど早く着いたので、さてこれからどうしよう。
んじゃ、とばかりに、興福寺の特別開帳へ。

五重塔の初層開扉はこれで何度目かなんだけど、
今回の目玉は東金堂の後堂をぐるっと見せてくれるところ。
(背中を見て学べということなんですかね>仏像も)

東金堂は夏にも入ったばかりだけど、今回は前から拝むだけではなく、
右手から裏へ回ってぐるっと一周回れるようになっていました。
本尊の真後ろに隠れるようにして立っていたのが
正了知大将像(しょうりょうちたいしょうぞう)。

『金光明最勝王経』などに説かれる仏法の守護神で、
苦難を取り除き福を授ける神として信仰される。
東金堂の再建当初に後堂に安置されていたとのことだが、
平安時代に火災に遭い、踊り出て焼失をまぬがれたため
「踊り大将」とも呼ばれる。

残念ながら現在の像は創建当初のモノではなく、
室町時代に再興されたもので、普段は国宝館の中に収められているが、
今回の特別公開に際して東金堂にお戻りになられたとのこと。

この時、堂内で説明をしていた学生おねーさんが実に物知りで、
いろんな情報を出してくれたのが興奮もの。
「この十二神将さんはみんな靴を履いているのですが、
一体だけサンダルを履いているんですよー」とか
「この絵を奉納してくださったのが、石坂浩二さんで。
ワタシ石坂浩二さんって知らなくて、ふーんとかいってたんですよ」とか
「十二支を描いた板なんですけど、人間に害を及ぼすような
ねずみとかの絵は出してないんですよ」とかとか。
物凄いトリビアを披露してくれて興奮しまくりでした。

あと、坊様の集団がやってこられて
「おお、これが鬼子母神のダンナかあ」と例の正了知大将像を拝みぼそっと。
ええ?!そうなんだ。パンフレットにもそんなこと書いてないぞ。
「そうそう、二人でオコサマを500人も作ったという…」
ボソボソっと…えええ!(笑)
坊さんについていくといろんな話聞けてうれしいぞ。

その頃には雨はバカバカ降ってましたが、
バスハイクの前後にもあちこち見られて、
今日も一日あちこち行けて本当に充実してました。

もうどこも観れまへんって東向きでラーメン食べて、高速バスにて帰路に。
名阪国道を通って帰るので、本日二度目の針テラスというおまけつき(笑)
帰りはさすがに疲れてバスの中で居眠りしてました。

認定プログラムはコレにて終了。
あとは地道に勉強せねば。
コメント (2)
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