芸術の秋ということで、いてもたってもいられなくなり(?)
出かけてきました>京都まで。
あら、アタクシが京都なんて珍しくないこと?
って思われた方は、正解です(謎)
奈良ラブのあたくしですが、たまには京都に行ったりしますのよ。
(たま~に、ですけどね)
京都国立博物館で「国宝鳥獣戯画と高山寺」をやっているってのを聞きつけ、
「見たーい!!」
ってことで。
2012年に「大出雲展」をキョーハクでやったときに
行ったきりでしたので、二年ぶりの訪問。
その時、しこたま横長の絵葉書で「鳥獣戯画」のものを
購入していったっけ。ホンマかわいいウサギさん。
ラブリ~♪って思っていたので、それが見られるんだったら行きますわ!
そして、時は元禄…じゃなかった、平成・秋・霜月。
11月の京都っていったら「紅葉」でしょう!
ってことで、前々から行きたいと思っていて、なかなかいけなかった
東福寺にも立ち寄ることにして、京都行きの計画が立ちました。
鄙の地をまっくらなうちに出立し、京都に降り立った時は朝のラッシュ時の真っ只中。
目指す東福寺駅は京都駅から一つ目の駅なので、満員状態でも我慢ガマン。
しかしだな、東福寺駅についてみると、どどっとホームに降り立つ人・ヒト・ひと!!
きゃー、もしかしてこの人たちも東福寺に行くわけ?
私は京都の秋をなめておったかもしれません…。
徒歩にて東福寺境内に入ると、確かに人!ヒト!!ひと!!!
開門わずかに10分後ですよ。
それでいてこの混雑ってどうなの?
なんの予備知識も無いうちにでかけてしまったので、驚くことばかりでしたが、
歩いているうちに「東福寺といったらこの風景」っていう
”通天橋”を真正面に見る”臥雲橋”を渡ります。
(この橋、天井がついていて、ただならぬたたずまい)
東福寺の境内は広すぎて。
有料区画入口まで迫る住宅街と生活道路があるのですが、
この臥雲橋は生活道路にかかっている木造の橋。(しかも天井付き)
かつ、この正面が例の、あの光景、なのですから。
しかし、開門10分後に、その通天橋が人で一杯なのがここから見えます。

そしてここからすでに、撮影に励む人々で混雑こんざつ。
今からこんなんじゃ先が思いやられるよ…。
なんとか「モロ境内」ってところまでたどり着いてみると、
境内通り抜けはタダだけど、通天橋を通るにはチケットが必要らしい。
行列に並んで買ってみて、誘導されるままにヒトの流れに乗ってみると…。
ここも廻廊ふうの橋を登っていくのだが、どこに向かっているのかさっぱりわからん(ははは)
予備知識なしでここにやってきてしまったのでね(テヘペロ)

どうやら「東福寺」ってのは「奈良の都の東大寺と興福寺から一文字もらって東福寺」らしいのだな。
ってことは、奈良とは因縁あさからぬお寺なわけだ(笑)
わたし的にはそれだけでも大満足なのであった。
人波に身を任せながら、左右の紅葉を楽しみつつ徐々に登っていくと…。
橋の左手に飛び出した、張り出した空間が登場。

おお、ここがあの、よく目にする空間ではないか!
その小さなでっぱりにみっしり人が詰まっているので、
普段の私だったらパスしちゃおうかなって思うのだけど。

今日の私は違った!朝起きしたハイなテンションのままだったので、
勇猛果敢にもその狭い空間の一番前目指して並び続けました。
まるで満員電車の中で押し合いへし合いをするがごとく。
見知らぬ人と顔を見合わせて、
「満員電車みたいですね」
「本当にね」
しかし欄干が自分の骨盤の高さくらいしかないので、上半身を押されると、
マジ落ちそうになるくらい怖い。
(私は中心部分じゃなくて、一番外側の欄干ギリギリの場所を前へと進んでいたので、
押されると、マジ柵の外へ転がりでそうで怖かったのです)
しかし、一番前に出た瞬間はそりゃすごかったです。
おおお、これが通天橋からの眺めか~って。
さっき私が通ってきた臥雲橋からは、
相変わらずこちら側にカメラを向けているヒトが多数で、
思わず手でも振ってあげたくなるようなキモチ(をい)

確かにここからの眺めは絶景でしたわ。
開門ダッシュで一番乗りでたどり着いてたらもっと楽にこの景色を見れたんだどな。
まあ、この混雑も楽しからずやだわさ。(ぽじてぃぶしんきんぐ)
そこから命がけで流れに戻って、流されるままに進んでいくと、一番奥が開山堂。
ここの白砂は市松模様で、板チョコのような美しさ(謎)
通天橋を渡っても、ここまで登ってこない人がいるのか、割と空いてます。
ここも必見スポット。
開山堂を再び下って、来た道とは違うルートで出口へ向かいます。
自然の地形を生かした庭造りで、そこここに、赤!アカ!あか!
そして、どこを見ても、人!ヒト!ひと!



どこもかしこもヒトがいっぱいなんだけど、境内が広いのでそんなに気になりません。
まさに、枯れ木も山の賑わい状態(←なんか違うけど)
有料区画を出て、さてどうしようと思ったら、
国宝の龍吟庵(りょうぎんあん)ってのが公開されているらしい(この時期限定)
おおう!それいく!
龍吟庵(りょうぎんあん)は、東福寺塔頭のひとつ。
伽藍の中央から見て東北奥まったところにあり、
ここも偃月橋(えんげつきょう)という橋を渡った所にあります。
(東福寺自体が中心に川が流れる二つの丘陵地をはさんで建っているって感じ?なので)
第三世住持の無関普門(大明国師)の住居跡とのことで、
毎年秋にしか公開されないんだとか。
ここの方丈は現存最古、室町時代の建築。
寝殿造りから書院造に移行する途中の時期に作られているため、
どちらの特徴も兼ね備えているんだとか。
へー。
それまでは間仕切りの無いだだっぴろい空間を、
ついたてなどで仕切って暮らしていたけど、
書院造は建物内部を細かく区切って個別の部屋としたってヤツ。
「あと、この蔀戸(板の両面に格子を組んだ戸)も、毎朝私たちがあげているんですけど。
それでもすごく重くて大変なんです。この半分のものでも大変なのに、
御所にある一枚ものの蔀戸やったら、どんなに大変か…」
蔀戸は左右に開く戸ではなく、手前にひいて、あげて、
長押からカギの手で釣るタイプの窓(?)だけど。
あれは、寝殿造にある「窓」。
それと、細かく分かれた部屋(建物内部が六つに分かれているのが一般的な方丈の基本らしい)が、
一つの建物に”同居”しているあたりが、折衷というか、移行期間中の建物らしいんだとか。
へーへーへー。
たまに京都に来るとこういうこともわかって楽しいわね。
通天橋は人がイッパイだったけど、
偃月橋まで来る人はそうそう多くなく。
(同じく特別公開開していた手前の東福寺本坊庭園は結構人が入っていったけど)
まあ、ちょっと奥まった場所にあったし、本坊庭園を見た人にとっては、
庭はもういいやって感じになるのかもしれないけど。
でも龍吟庵は必見ですわよ。

それから本堂と山門方面へ戻ってくると、やっぱり人!ひと!ヒト!
とりあえず本堂にお参りして(今頃かい)、天井に描いてある龍を格子の外から眺め、
山門を遠巻きに見たり、十三重塔や唐風呂(サウナ風蒸し風呂)見たりして、終了。


せっかく京都に着たんだから、
他の寺も行って見ようかと思ってはいたものの、
ここでのんびり、ゆっくりしたら、これだけで、紅葉はおなかいっぱい状態。
素直に次はキョーハクへ行くことにしました。
(つづく)
出かけてきました>京都まで。
あら、アタクシが京都なんて珍しくないこと?
って思われた方は、正解です(謎)
奈良ラブのあたくしですが、たまには京都に行ったりしますのよ。
(たま~に、ですけどね)
京都国立博物館で「国宝鳥獣戯画と高山寺」をやっているってのを聞きつけ、
「見たーい!!」
ってことで。
2012年に「大出雲展」をキョーハクでやったときに
行ったきりでしたので、二年ぶりの訪問。
その時、しこたま横長の絵葉書で「鳥獣戯画」のものを
購入していったっけ。ホンマかわいいウサギさん。
ラブリ~♪って思っていたので、それが見られるんだったら行きますわ!
そして、時は元禄…じゃなかった、平成・秋・霜月。
11月の京都っていったら「紅葉」でしょう!
ってことで、前々から行きたいと思っていて、なかなかいけなかった
東福寺にも立ち寄ることにして、京都行きの計画が立ちました。
鄙の地をまっくらなうちに出立し、京都に降り立った時は朝のラッシュ時の真っ只中。
目指す東福寺駅は京都駅から一つ目の駅なので、満員状態でも我慢ガマン。
しかしだな、東福寺駅についてみると、どどっとホームに降り立つ人・ヒト・ひと!!
きゃー、もしかしてこの人たちも東福寺に行くわけ?
私は京都の秋をなめておったかもしれません…。
徒歩にて東福寺境内に入ると、確かに人!ヒト!!ひと!!!
開門わずかに10分後ですよ。
それでいてこの混雑ってどうなの?
なんの予備知識も無いうちにでかけてしまったので、驚くことばかりでしたが、
歩いているうちに「東福寺といったらこの風景」っていう
”通天橋”を真正面に見る”臥雲橋”を渡ります。
(この橋、天井がついていて、ただならぬたたずまい)
東福寺の境内は広すぎて。
有料区画入口まで迫る住宅街と生活道路があるのですが、
この臥雲橋は生活道路にかかっている木造の橋。(しかも天井付き)
かつ、この正面が例の、あの光景、なのですから。
しかし、開門10分後に、その通天橋が人で一杯なのがここから見えます。

そしてここからすでに、撮影に励む人々で混雑こんざつ。
今からこんなんじゃ先が思いやられるよ…。
なんとか「モロ境内」ってところまでたどり着いてみると、
境内通り抜けはタダだけど、通天橋を通るにはチケットが必要らしい。
行列に並んで買ってみて、誘導されるままにヒトの流れに乗ってみると…。
ここも廻廊ふうの橋を登っていくのだが、どこに向かっているのかさっぱりわからん(ははは)
予備知識なしでここにやってきてしまったのでね(テヘペロ)

どうやら「東福寺」ってのは「奈良の都の東大寺と興福寺から一文字もらって東福寺」らしいのだな。
ってことは、奈良とは因縁あさからぬお寺なわけだ(笑)
わたし的にはそれだけでも大満足なのであった。
人波に身を任せながら、左右の紅葉を楽しみつつ徐々に登っていくと…。
橋の左手に飛び出した、張り出した空間が登場。

おお、ここがあの、よく目にする空間ではないか!
その小さなでっぱりにみっしり人が詰まっているので、
普段の私だったらパスしちゃおうかなって思うのだけど。

今日の私は違った!朝起きしたハイなテンションのままだったので、
勇猛果敢にもその狭い空間の一番前目指して並び続けました。
まるで満員電車の中で押し合いへし合いをするがごとく。
見知らぬ人と顔を見合わせて、
「満員電車みたいですね」
「本当にね」
しかし欄干が自分の骨盤の高さくらいしかないので、上半身を押されると、
マジ落ちそうになるくらい怖い。
(私は中心部分じゃなくて、一番外側の欄干ギリギリの場所を前へと進んでいたので、
押されると、マジ柵の外へ転がりでそうで怖かったのです)
しかし、一番前に出た瞬間はそりゃすごかったです。
おおお、これが通天橋からの眺めか~って。
さっき私が通ってきた臥雲橋からは、
相変わらずこちら側にカメラを向けているヒトが多数で、
思わず手でも振ってあげたくなるようなキモチ(をい)

確かにここからの眺めは絶景でしたわ。
開門ダッシュで一番乗りでたどり着いてたらもっと楽にこの景色を見れたんだどな。
まあ、この混雑も楽しからずやだわさ。(ぽじてぃぶしんきんぐ)
そこから命がけで流れに戻って、流されるままに進んでいくと、一番奥が開山堂。
ここの白砂は市松模様で、板チョコのような美しさ(謎)
通天橋を渡っても、ここまで登ってこない人がいるのか、割と空いてます。
ここも必見スポット。
開山堂を再び下って、来た道とは違うルートで出口へ向かいます。
自然の地形を生かした庭造りで、そこここに、赤!アカ!あか!
そして、どこを見ても、人!ヒト!ひと!



どこもかしこもヒトがいっぱいなんだけど、境内が広いのでそんなに気になりません。
まさに、枯れ木も山の賑わい状態(←なんか違うけど)
有料区画を出て、さてどうしようと思ったら、
国宝の龍吟庵(りょうぎんあん)ってのが公開されているらしい(この時期限定)
おおう!それいく!
龍吟庵(りょうぎんあん)は、東福寺塔頭のひとつ。
伽藍の中央から見て東北奥まったところにあり、
ここも偃月橋(えんげつきょう)という橋を渡った所にあります。
(東福寺自体が中心に川が流れる二つの丘陵地をはさんで建っているって感じ?なので)
第三世住持の無関普門(大明国師)の住居跡とのことで、
毎年秋にしか公開されないんだとか。
ここの方丈は現存最古、室町時代の建築。
寝殿造りから書院造に移行する途中の時期に作られているため、
どちらの特徴も兼ね備えているんだとか。
へー。
それまでは間仕切りの無いだだっぴろい空間を、
ついたてなどで仕切って暮らしていたけど、
書院造は建物内部を細かく区切って個別の部屋としたってヤツ。
「あと、この蔀戸(板の両面に格子を組んだ戸)も、毎朝私たちがあげているんですけど。
それでもすごく重くて大変なんです。この半分のものでも大変なのに、
御所にある一枚ものの蔀戸やったら、どんなに大変か…」
蔀戸は左右に開く戸ではなく、手前にひいて、あげて、
長押からカギの手で釣るタイプの窓(?)だけど。
あれは、寝殿造にある「窓」。
それと、細かく分かれた部屋(建物内部が六つに分かれているのが一般的な方丈の基本らしい)が、
一つの建物に”同居”しているあたりが、折衷というか、移行期間中の建物らしいんだとか。
へーへーへー。
たまに京都に来るとこういうこともわかって楽しいわね。
通天橋は人がイッパイだったけど、
偃月橋まで来る人はそうそう多くなく。
(同じく特別公開開していた手前の東福寺本坊庭園は結構人が入っていったけど)
まあ、ちょっと奥まった場所にあったし、本坊庭園を見た人にとっては、
庭はもういいやって感じになるのかもしれないけど。
でも龍吟庵は必見ですわよ。

それから本堂と山門方面へ戻ってくると、やっぱり人!ひと!ヒト!
とりあえず本堂にお参りして(今頃かい)、天井に描いてある龍を格子の外から眺め、
山門を遠巻きに見たり、十三重塔や唐風呂(サウナ風蒸し風呂)見たりして、終了。


せっかく京都に着たんだから、
他の寺も行って見ようかと思ってはいたものの、
ここでのんびり、ゆっくりしたら、これだけで、紅葉はおなかいっぱい状態。
素直に次はキョーハクへ行くことにしました。
(つづく)