朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

経済力の継承

2008年06月02日 07時02分42秒 | 社会
もはや十分な学歴とはいえなくなった「大卒」の価値【 ビジネスマンのための 大学・大学院の歩き方】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

「希望すれば大学に入れ、卒業できる」状況である以上、
ここで書かれていることは、ある面では正論だろう。

しかし、ちょっと待て。
院に入り、院を卒業できる経済力は、公平に国民に確保されているのか?
結局、親の経済力に左右されることになるのではないのか?
昔の「今の院生にあたる人間が「大学生」として扱われていた時代」は、
授業料も安く、返済不要・無利子の奨学金や授業料の減免制度も
広く適用されており、
けっこう生活に困らずに学業に専念できたのだと思うのだが、
今の院生はそうなのか?

結局、状況は昔より悪化しているのではないか。
それは、「能力主義」の顔をしているが、
経済力の継承を肯定している理屈になっていないか?

それは、
高校段階ですら経済力の継承を肯定し、私学助成を切り捨てる
(本人は早く切り捨てられるべき)大阪府の某知事と
同じ価値観ではないのか。
# この知事のレベルは、
 昔の「大学生」ではなく平均的な「学部生」というレベルだろう。
 (個人的には、彼を平均的と言われると、忸怩たるものがあるが)
 まあ、それを選ばざるを得ないようなメニューしか提示できない、
 大阪の政治のレベルも同様だ、と思うが。

何もしなければ、経済力は継承される。
それは、東大の入学者の親の平均年収が1000万円以上だ、という
調査結果から想像してしまうこと。

金がないと進学できない、というのは「身分」を固定する簡単な方法だと思う。
しかしそれは、「誰でも出世できる」共同幻想をエネルギーにする、という
戦後の経済成長を支えた想いに反しているだろう。
# 何やかんや言って、現在でも「学歴」が重要な武器であるのは確かなんだし。

そう考えれば、
「勉強ができて、大学院に入れれば、誰でも社会を支える人材になれる」のに、
「お金がないから途中で挫折した」という状況が普通にならないよう、
教育関係には資金を投入すべきだと思うのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする