昨日はなんばから千日前通りを東へ東へ。
文楽劇場で明日(もう今日か)のチケットを買い、
さらに東に歩いて鶴橋。
まあ、歩ける距離だな。
ちょっと早く着いたのでブックオフで何冊か買い込み、「雀のおやど」へ。
「うなぎ屋」(生寿):△
マクラは花粉症話。
ネタは、まあ、「うなぎ屋」としては良かったと思う。
前半(うなぎ屋に行くまで)がどうもごちゃごちゃする。そんなものではあるが。
「泥鰌」は少し引っ張り過ぎている感じ。
鼻から出たのをアテにするのは個人的には面白かったが、
あまりウケなかった。
喋る時のクセ(声の出し方、喋るときの唇の曲げ方)が
師匠生喬によく似ている。
どこかで直した方が良いのでは、と思う。
うなぎが顔を出すところ、もう少し親指を大きく(根元まで)出す方が映えて好み。
ふと気になったのだが、
このうなぎ屋、うなぎを「前に向ける」のは初めてではないと思う
(帰ってきたお内儀さんが「(出て行くの)またですか」と言っている限りは)のだが、
うなぎ屋がうなぎを上に向ける→下に向ける→前に向けるあたりの科白は、
「初めて前に向ける」ようでズレがあるように感じた。
まあ、気にしないで良い部分かも。
あと、見台はない方が良いかも知れない。
特に下に向ける時にうなぎが見づらいので。
「くやみ」(雀三郎):○+
マクラは葬式での挨拶話など。
ネタは科白が少し不安定なところ(女子衆さんのところ)もあったが、
出てくる人物が自然であり、その陽気さが楽しい。
帳面付けの連中のワチャワチャした雰囲気など。
最初の炭屋の宣伝に移っていくところも自然。
顔を擦るところはなし。
ノロケも激しい。
3つ山があるが、2つ目の山が大きく、
3つ目はそれ以上にはならなかった感じではある。
山があり、戻り切らないところから始まるので
次の山は前より高くなる、という流れにはなっていた。
「シュッシュッ」で少しシモに行くが、
まあ、特に問題はない範囲だと思う。
このネタ、ウケをとる設定が鼻に付くことがあって
楽しめない(引いてしまう)ことが多いのだが、
昨日は楽しめた。
帳面付けの連中が単に「くやみに来た人の科白を受ける」だけでなく、
存在感や意志を持っているものとして描かれていたのも
一つの理由かな、と思う。
「ゴジラ対モスラ」(鶴笑):○-
マクラは歯医者の話。ひたすら押してくる。
ネタは、「時うどん」の中でゴジラが出てきて
いろいろ戦う、という立体紙芝居。
至近距離で見ると、特に凄い。
ゴジラの足になることを考えると、白足袋より黒足袋の方が良いかも知れない。
様々なネタでパターンは似ているのかも知れないが、
細かい部分、たくさん工夫されているのだと思う。
クラッカーを仕込むとか、
「遠見の馬」の手法で戦車が次第に大きくなるとか、
モスラの人形にゴム紐を付けて飛ばすとか。
やっていることは「しょうもないこと」なのかも知れないが、
ここまで突き抜けると素晴らしい。
唯一無二の芸人、ですね。
「百年目」(雀三郎):○-
マクラは少し鶴笑をいじって
「人を使うは苦を使う」から弟子の話など。
ネタは、部分部分ではハラ・表情付け・口調と相まって
素晴らしい科白もそこかしこにあったのだが、
全体には番頭や旦那の一貫性が少し弱い、と感じた。
ウケを取るために少し崩しすぎているかな、と感じるところもあり。
店の衆への小言は普通。
丁稚の可愛らしさは楽しい。
喜助(だったか)への皮肉な言い方は、まあ、ありかな。
個人的には表情などには出さずに叱る方が好み。
幇間の雰囲気は良い。
幇間を止める時、本当に他の商人と喋っているのかな。
私は本当は誰もおらず、
幇間に対して「どこかの商人に話し掛けるように話す」ものだと思っていた。
着物を替え、屋形船に乗り込み桜ノ宮へ。
このあたりは、まあ、普通に。
地の「薄紅を流したよう」で桜の雰囲気が出るところが流石。
旦那とぶつかって目隠しを取って対面、ということになるのだが、
このあたりの小拍子の扱いが難しいな。
目隠しを取ったタイミングで小拍子を打ってハメを止め、
頭を下げて「ご無沙汰をしております」になっていたのだが、
ここで小拍子を打つことで、流れを切ってしまった感じがする。
目隠しを取ったタイミングで、小拍子なしに止めれれば良い、と感じた。
# 私はこのネタ、頭を下げる時に邪魔になるので見台を使わない方が良い、と思うのだが、
そうなるとますますきっかけが難しくなるな。
もっと早く止めるのかな?
番頭が頭を下げるところで、いまいち落差が出なかった感じ。
その前の「酔っての大騒ぎ」をもっと派手にする必要があったのかも知れない。
旦那と玄伯老が帰ってくるが、この2人の会話が良い。
年とった友人同士の雰囲気がよく出ている。
旦那の言い方はさほど皮肉に聞こえず、ちょうど良い感じ。
上がった番頭が聞く「下ではひとしきりワーッとなってシーンとする」は、
旦那が帳面を調べるために「今日は店は早仕舞い」と言ったからなのでは、と気付いた。
この地の文、今まで何も気にしていなかったなあ。
番頭の脱ぎ着は丁寧。
次第に脱ぐ⇔着るの時間的間隔が狭まっていくところ、
感情の変化が速くなる、というよりは
微妙な(狭い)範囲での変化なのだが
それが大きく異なる結論につながる、ということなのかと思った。
旦那が激しく咳をするのが番頭に応える、というが、
別に激しくさせる必要はないと思った。
小さな咳でも大きく応える、という方が番頭の追い詰められている状況に近いと思う。
「旦那」の法談が不安定。
「赤栴檀」か「南縁草」かが少しごっちゃになったように思う。
番頭の二面性があるので、説明が難しいところではあるが。
あとこの旦那は、番頭が昨日ちゃんと眠れていない、と想像していると思う。
(小南ははっきり言っているが)
それを安心させるのも目的としてこの法談を語っていると思うのだが、
あまりその印象は受けなかった。
その後のじんわりほぐしていくところ、まあ良かった。
しかし、いろいろ考えはしても、
サゲの科白を聞くと「良いものを聞いた」と感じるのは、
個人的に好きなネタなりゃこそ、だな。
文楽劇場で明日(もう今日か)のチケットを買い、
さらに東に歩いて鶴橋。
まあ、歩ける距離だな。
ちょっと早く着いたのでブックオフで何冊か買い込み、「雀のおやど」へ。
「うなぎ屋」(生寿):△
マクラは花粉症話。
ネタは、まあ、「うなぎ屋」としては良かったと思う。
前半(うなぎ屋に行くまで)がどうもごちゃごちゃする。そんなものではあるが。
「泥鰌」は少し引っ張り過ぎている感じ。
鼻から出たのをアテにするのは個人的には面白かったが、
あまりウケなかった。
喋る時のクセ(声の出し方、喋るときの唇の曲げ方)が
師匠生喬によく似ている。
どこかで直した方が良いのでは、と思う。
うなぎが顔を出すところ、もう少し親指を大きく(根元まで)出す方が映えて好み。
ふと気になったのだが、
このうなぎ屋、うなぎを「前に向ける」のは初めてではないと思う
(帰ってきたお内儀さんが「(出て行くの)またですか」と言っている限りは)のだが、
うなぎ屋がうなぎを上に向ける→下に向ける→前に向けるあたりの科白は、
「初めて前に向ける」ようでズレがあるように感じた。
まあ、気にしないで良い部分かも。
あと、見台はない方が良いかも知れない。
特に下に向ける時にうなぎが見づらいので。
「くやみ」(雀三郎):○+
マクラは葬式での挨拶話など。
ネタは科白が少し不安定なところ(女子衆さんのところ)もあったが、
出てくる人物が自然であり、その陽気さが楽しい。
帳面付けの連中のワチャワチャした雰囲気など。
最初の炭屋の宣伝に移っていくところも自然。
顔を擦るところはなし。
ノロケも激しい。
3つ山があるが、2つ目の山が大きく、
3つ目はそれ以上にはならなかった感じではある。
山があり、戻り切らないところから始まるので
次の山は前より高くなる、という流れにはなっていた。
「シュッシュッ」で少しシモに行くが、
まあ、特に問題はない範囲だと思う。
このネタ、ウケをとる設定が鼻に付くことがあって
楽しめない(引いてしまう)ことが多いのだが、
昨日は楽しめた。
帳面付けの連中が単に「くやみに来た人の科白を受ける」だけでなく、
存在感や意志を持っているものとして描かれていたのも
一つの理由かな、と思う。
「ゴジラ対モスラ」(鶴笑):○-
マクラは歯医者の話。ひたすら押してくる。
ネタは、「時うどん」の中でゴジラが出てきて
いろいろ戦う、という立体紙芝居。
至近距離で見ると、特に凄い。
ゴジラの足になることを考えると、白足袋より黒足袋の方が良いかも知れない。
様々なネタでパターンは似ているのかも知れないが、
細かい部分、たくさん工夫されているのだと思う。
クラッカーを仕込むとか、
「遠見の馬」の手法で戦車が次第に大きくなるとか、
モスラの人形にゴム紐を付けて飛ばすとか。
やっていることは「しょうもないこと」なのかも知れないが、
ここまで突き抜けると素晴らしい。
唯一無二の芸人、ですね。
「百年目」(雀三郎):○-
マクラは少し鶴笑をいじって
「人を使うは苦を使う」から弟子の話など。
ネタは、部分部分ではハラ・表情付け・口調と相まって
素晴らしい科白もそこかしこにあったのだが、
全体には番頭や旦那の一貫性が少し弱い、と感じた。
ウケを取るために少し崩しすぎているかな、と感じるところもあり。
店の衆への小言は普通。
丁稚の可愛らしさは楽しい。
喜助(だったか)への皮肉な言い方は、まあ、ありかな。
個人的には表情などには出さずに叱る方が好み。
幇間の雰囲気は良い。
幇間を止める時、本当に他の商人と喋っているのかな。
私は本当は誰もおらず、
幇間に対して「どこかの商人に話し掛けるように話す」ものだと思っていた。
着物を替え、屋形船に乗り込み桜ノ宮へ。
このあたりは、まあ、普通に。
地の「薄紅を流したよう」で桜の雰囲気が出るところが流石。
旦那とぶつかって目隠しを取って対面、ということになるのだが、
このあたりの小拍子の扱いが難しいな。
目隠しを取ったタイミングで小拍子を打ってハメを止め、
頭を下げて「ご無沙汰をしております」になっていたのだが、
ここで小拍子を打つことで、流れを切ってしまった感じがする。
目隠しを取ったタイミングで、小拍子なしに止めれれば良い、と感じた。
# 私はこのネタ、頭を下げる時に邪魔になるので見台を使わない方が良い、と思うのだが、
そうなるとますますきっかけが難しくなるな。
もっと早く止めるのかな?
番頭が頭を下げるところで、いまいち落差が出なかった感じ。
その前の「酔っての大騒ぎ」をもっと派手にする必要があったのかも知れない。
旦那と玄伯老が帰ってくるが、この2人の会話が良い。
年とった友人同士の雰囲気がよく出ている。
旦那の言い方はさほど皮肉に聞こえず、ちょうど良い感じ。
上がった番頭が聞く「下ではひとしきりワーッとなってシーンとする」は、
旦那が帳面を調べるために「今日は店は早仕舞い」と言ったからなのでは、と気付いた。
この地の文、今まで何も気にしていなかったなあ。
番頭の脱ぎ着は丁寧。
次第に脱ぐ⇔着るの時間的間隔が狭まっていくところ、
感情の変化が速くなる、というよりは
微妙な(狭い)範囲での変化なのだが
それが大きく異なる結論につながる、ということなのかと思った。
旦那が激しく咳をするのが番頭に応える、というが、
別に激しくさせる必要はないと思った。
小さな咳でも大きく応える、という方が番頭の追い詰められている状況に近いと思う。
「旦那」の法談が不安定。
「赤栴檀」か「南縁草」かが少しごっちゃになったように思う。
番頭の二面性があるので、説明が難しいところではあるが。
あとこの旦那は、番頭が昨日ちゃんと眠れていない、と想像していると思う。
(小南ははっきり言っているが)
それを安心させるのも目的としてこの法談を語っていると思うのだが、
あまりその印象は受けなかった。
その後のじんわりほぐしていくところ、まあ良かった。
しかし、いろいろ考えはしても、
サゲの科白を聞くと「良いものを聞いた」と感じるのは、
個人的に好きなネタなりゃこそ、だな。