秋の褒章:703人と32団体…宮本輝さん、桂文珍さんら - 毎日jp(毎日新聞)
私はおそらく、生で文珍の落語を見たことがない。(NGKで漫談は見たかも)
音源も5年以上前のものしか聞いていないし、
数にしても20程度か。
その前提で、以下、イメージで(まあ、間違っているとは思っていないが)
「紫綬褒章受章」への違和感を書き連ねたいと思う。
まず前提。
紫綬褒章は
「学術、技術又は芸術上の発明、改良又は創作に関し事績が著明な者」に
与えられる。
(Wikisourceより。→栄典法案 (第24回国会閣法第160号) - Wikisource 第六条)
次に客観的な事実として、
過去に紫綬褒章を受章した噺家のリスト。
(wikiより転記・編集。→紫綬褒章 - Wikipedia)
【江戸】
8代目桂文楽:(1961年)
5代目古今亭志ん生:(1964年)
8代目林家正蔵(後の林家彦六):(1974年)
5代目柳家小さん : (1980年)- 人間国宝
10代目柳家小三治:(2005年)
【上方】
6代目笑福亭松鶴:(1981年)
3代目桂米朝:(1987年) - 人間国宝
5代目桂文枝:(1997年)
3代目桂春團治:(1998年)
2代目露の五郎(後の2代目露の五郎兵衛):(2000年)
桂三枝:(2006年)
桂文珍:(2010年)
江戸が5人、上方が7人。
江戸と上方の噺家の人数を考えると、上方が非常に多いと感じる。
若死にした志ん朝などはやむをを得ないかも知れないが、
6代目圓生、10代目文治、
現役では談志も未だ受章していない。
「落語協会が反対するから」などという要素があるのか?
上方では6代目以降の上方落語協会の会長経験者+米朝が今まで受章してきた訳だが、
東京では協会の会長経験者でも、米丸や圓歌などは未受章。
この中で、文珍が受章する流れがよく分からん。
そして、個人的に文珍の落語について感じること。
前述のとおり、最近は自分で殆ど聞いていないので、
以前の録音、論評で目にしたもの等からの印象。
また、私が文珍を生理的に好きでない、というのも前提にあるのだが。
新作落語については、以前はけっこう作っていたように思うし、
面白いものもあったが、
最近は以前程の出来のものは、あまり作れていないのではないか。
そのあたり、(好きか嫌いか、と言うと好きではないが)
未だに笑いをとる新作を作り続ける三枝とは比較にならないと思う。
古典については、
文珍は「現代に合わせている」と言うのかも知れないが、
ネタを自分が手を出せるレベルに矮小化し、
そこに自分なりの勝手な薬味を振りかけて済ませている、という印象がある。
言葉遣いがいい加減であり、登場人物の描写も浅薄で、実在感に欠ける印象。
また、ウケを取らんがために演者自身に戻ってツッコみ、
古典の世界を突き崩してしまう。
「広く落語の魅力を広げた」と言われているし、
東京や地方で観客を動員しているのは事実だろうが、
矮小化されたものが全てと思われる危険もある。
例えば文珍は「百年目」や「はてなの茶碗」を演るようだが、
それは同世代である松喬と比較できるレベルのものなのか?
あるいは「らくだ」や「胴乱の幸助」は雀三郎に勝るポイントがあるのか?
結局、文珍が「紫綬褒章」を受章したのは、
東京や地方で独演会を続けて、
「上方落語のようなもの」を多くの人に提示したから、ではないのか。
もっと言えば、東京の役人や評論家の目に留まるところで、
派手な(空疎な、とは言わないが)イベントを仕掛けたから、ではないのか。
そのレベルの「紫綬褒章」と思った方が、
精神衛生上良いのかも知れない。
少なくとも、四天王と並べて考えてはいけないだろう。
私はおそらく、生で文珍の落語を見たことがない。(NGKで漫談は見たかも)
音源も5年以上前のものしか聞いていないし、
数にしても20程度か。
その前提で、以下、イメージで(まあ、間違っているとは思っていないが)
「紫綬褒章受章」への違和感を書き連ねたいと思う。
まず前提。
紫綬褒章は
「学術、技術又は芸術上の発明、改良又は創作に関し事績が著明な者」に
与えられる。
(Wikisourceより。→栄典法案 (第24回国会閣法第160号) - Wikisource 第六条)
次に客観的な事実として、
過去に紫綬褒章を受章した噺家のリスト。
(wikiより転記・編集。→紫綬褒章 - Wikipedia)
【江戸】
8代目桂文楽:(1961年)
5代目古今亭志ん生:(1964年)
8代目林家正蔵(後の林家彦六):(1974年)
5代目柳家小さん : (1980年)- 人間国宝
10代目柳家小三治:(2005年)
【上方】
6代目笑福亭松鶴:(1981年)
3代目桂米朝:(1987年) - 人間国宝
5代目桂文枝:(1997年)
3代目桂春團治:(1998年)
2代目露の五郎(後の2代目露の五郎兵衛):(2000年)
桂三枝:(2006年)
桂文珍:(2010年)
江戸が5人、上方が7人。
江戸と上方の噺家の人数を考えると、上方が非常に多いと感じる。
若死にした志ん朝などはやむをを得ないかも知れないが、
6代目圓生、10代目文治、
現役では談志も未だ受章していない。
「落語協会が反対するから」などという要素があるのか?
上方では6代目以降の上方落語協会の会長経験者+米朝が今まで受章してきた訳だが、
東京では協会の会長経験者でも、米丸や圓歌などは未受章。
この中で、文珍が受章する流れがよく分からん。
そして、個人的に文珍の落語について感じること。
前述のとおり、最近は自分で殆ど聞いていないので、
以前の録音、論評で目にしたもの等からの印象。
また、私が文珍を生理的に好きでない、というのも前提にあるのだが。
新作落語については、以前はけっこう作っていたように思うし、
面白いものもあったが、
最近は以前程の出来のものは、あまり作れていないのではないか。
そのあたり、(好きか嫌いか、と言うと好きではないが)
未だに笑いをとる新作を作り続ける三枝とは比較にならないと思う。
古典については、
文珍は「現代に合わせている」と言うのかも知れないが、
ネタを自分が手を出せるレベルに矮小化し、
そこに自分なりの勝手な薬味を振りかけて済ませている、という印象がある。
言葉遣いがいい加減であり、登場人物の描写も浅薄で、実在感に欠ける印象。
また、ウケを取らんがために演者自身に戻ってツッコみ、
古典の世界を突き崩してしまう。
「広く落語の魅力を広げた」と言われているし、
東京や地方で観客を動員しているのは事実だろうが、
矮小化されたものが全てと思われる危険もある。
例えば文珍は「百年目」や「はてなの茶碗」を演るようだが、
それは同世代である松喬と比較できるレベルのものなのか?
あるいは「らくだ」や「胴乱の幸助」は雀三郎に勝るポイントがあるのか?
結局、文珍が「紫綬褒章」を受章したのは、
東京や地方で独演会を続けて、
「上方落語のようなもの」を多くの人に提示したから、ではないのか。
もっと言えば、東京の役人や評論家の目に留まるところで、
派手な(空疎な、とは言わないが)イベントを仕掛けたから、ではないのか。
そのレベルの「紫綬褒章」と思った方が、
精神衛生上良いのかも知れない。
少なくとも、四天王と並べて考えてはいけないだろう。