久し振りか、と思ったのだが、
会そのものも暫く休んでいたようで、
実際には前回に引き続いて見に来た、という勘定になっていた。
「うなぎや」(そうば):△
夏休みの宿題のマクラは面白かった。
オチは私の予想していたものと違っていたが、
それはそれでアリ、と思う。
「中国産の鰻」の小噺は前も聞いたように思う。
「台湾猿」と同じオチなのはあまり好みではない。
ネタはあまり良くなかった。
全体にあっさりしているが、
特に前座であれば、もっと派手にやる方が好み。
例えばうなぎ屋の主人がニコッと笑って「どうぞお二階へ」を繰り返すところは
二人が入ってきた時にいきなり言ったり、
もう少しクサ目に繰り返した方が良いと思うし、
勢いの良い鰻に振り回されるように、鰻を掴む仕草も大きくして欲しい。
この部分は指の動きも小さかった。
「青背」「赤背」「黒背」を言っていく部分、
うなぎ屋の主人が自分で言って笑うが客が「白背」と言っても笑わない、
というギャップでウケを取ろうとしていたが、
理屈っぽさが先に立ってウケは小さかった。
ここは勢いで運んだ方が良いのではないかなあ。
「蛇含草」(出丸):○-
マクラは師匠とオーストラリアに行った話。
若干落語会によく来ているお客さん向き、と感じなくはないが、
出丸の自然な感情がダイレクトに伝わるように出来ており、楽しめた。
ネタもまあ良かった。
全体の構成としては、若干「曲食い」の部分が
(技も3つであり)あっさりしているかな、と感じた。
最初に男が入ってきた時に
腕の動きや姿勢などで「甚平を着ている」ように見えるのが流石。
ここは今まであまり意識して見ていなかったのだが、
薄い甚平を着ていることから触覚的な暑さがイメージできるので重要かも。
言い立てはまあまあ。
蛇含草の説明の場面、
「話の種になるやろ」と思って置いているのだったら
「えらいもんが目に止まったな」から入るよりも、
さも話したそうに話す方が自然では、と思う。
蛇含草をとる際に男が「厚かましくて済みません」などと言うあたり、
後で餅を厚かましく食べる動きとの対比になっているのだが、
個人的には別に入れなくても良いのでは、とも思う。
この部分の対比、客としては別に気にして見ていないと思う。
餅を焼き始める。
ふと思ったのだが、二人の真ん中に火鉢を置いて焼いているんだな。
引っ繰り返す仕草などがあるから仕方ないかも知れないが、
ふと隠居さんの傍らで焼いているのを
男がわざわざ手を伸ばして取って食べる、とした方が
「失礼なこと」をやっている感じがして良いかも、と思った。
いざ食べさせる、となってから火鉢を二人の間に持ってくる、という
流れにしても良いかも知れない。
餅を食べながらも引っ繰り返す動きを入れる。
これはこれで自然で良いかな。
隠居さんの怒りの溜まり方の表現が良かった。
最初はじっと押し殺して「一つ食べとでも言うたか」と言う、
男に言い募られて徐々に怒りを表に出していく流れが良い。
曲食いは「ほりうけ」「美濃の滝食い」「淀の川瀬は水車」で失敗。
出丸自身の中で「こんな技が使える訳がない」という思いがあるのか、
比較的あっさりやっている。
まあ、「出来る訳がない」と思いつつ、
遊びでやってしまっても良いのでは、と思うけど、
それはそれで一つの考え方だろう。
「3つだけ残ってしまった」まで地で言うことが多いが、
「餅箱に一杯あった餅を」までだけ地で言っている。
後で「3つ残っている」は台詞で出てくるから、
確かにここで地で説明する必要はなく、
地の文を減らす意味でも
地で安易にウケを取ろうとするのを避ける意味でも、良いと思う。
ただ、そこから餅が詰まっている男の描写に移っているのだが、
いきなり詰まっている描写よりも
隠居の「よう食ったな、あと3つや、早よ食ってしまえ」の後で
詰まっている描写に持っていく方が分かりやすく、ウケが取れるように思う。
餅の詰まった描写は、まあ良かった。
はっきり上を向いているのは詰まっているように見えやすい。
全体にもう少し体を沈めて重心を下げた方が良いと感じた。
また、若干、詰まっているにしては次の餅を食べる時の動きが素早いかな、
とは思った。
「お辞儀が出来へん」や
「ここ持ち」以後の「もち」の繰り返しはなし。
あとはサゲまで、あっさりと。
呼び掛けても返事がない、という感じの応対があり、
「何か起こったのでは」と予想させて、サゲへの流れ。
これはこれで悪くなかった。
「腕喰い」(雀松):○+
昔のお寺での夏の落語会の話、
ノンアルコール飲料の話、
京橋に住んでいた頃の思い出話など、
「昔は遊びが限られていた」という話からネタへ。
マクラでは噛むところも散見されたが、
ネタに入ると流石。
若干、若旦那の作り方が「ツッコロバシ」と「真面目」の間で揺れ動いた印象がある。
これはネタの作りの為でもあるし、
人間である以上一つに限られるものでもないが、
もう少し「大家の次男坊」、
「金がなくなったことによる苦労、裏切り」の経験から来るベースがあり、
そこから滲み出る「ツッコロバシ」であり「真面目」である、
という作りにしていく必要があると思う。
このベースが、少し見えにくかった。
全体に、非常にきっちり作られている。
若旦那と別家した番頭の会話のリズム、間の取り方、強弱、
特に軽くツッコんでウケを取れるのが
雀松の作り方の良く出来たところだと思う。
無論それは、そこでウケが取れるように
精緻に流れを構築しているからだろう。
仕事からみの電話などがあったので、
3度目になる「はてなの茶碗」は見ずに帰った。
それはまたの機会に。