要は「脳みそはありません、脊髄反射で言いました、だから何が悪いか分かりません」と言っている(笑)そんな方がいらっしゃることは否定しない。ただ「議員」或いは公党の代表として妥当なの?は疑問。それはこの議員個人でなく、こんなバカを当選させる市民は民主主義社会で妥当なの?という疑問。
産経は、山尾のことになると、ゴキブリみたいな動きを見せるが
大臣室で金をもらっていた甘利のことになると
さすが武士、潔いと大絶賛
ここまで腐ったメディアも珍しい。
大阪府八尾市で計画されている認定こども園計画。26カ所の幼稚園・保育所を5カ所に再編すると。ただし、公立幼稚園に現在通っている園児が全員入れるだけの枠はなく、「入れなければ私立へ入って」と市は説明。苦情が噴出するのは当然(ー ー;) pic.twitter.com/c8WM8HxtPh
小規模施設を大規模施設に集約するのは、そもそも「効率化」と言い難いケースがある。「効率化」は「アウトプットは変わらないが」インプットを減らす、という話であり、大規模施設に集約する時点で、確かにインプットは減るだろうが、アウトプットもそれ以上に減っていたりする。
文楽人形を「3人遣い」から「2人遣い」にする。確かにインプットは3人から2人に減るが、表現できる機微はそれを超えて減るだろう(逆にそこまで減らないのであれば、それは3人遣いの伝統の上でサボっていた、ということ)。これを「効率化」と呼ぶのか?
上司は「嫌なやつ」だし、部下は「使えないやつ」というのが世のデフォで、お互いにそう愚痴りあっている組織こそが、普通で健全なのではないかと思われる。皆で互いに褒め合ったり認め合ったりしている組織は、ものすごいまぐれで上手くいっているか、宗教か、極限状況にあるかではなかろうか。
個人的には、宗教でなく、使用者も労働者もお互いの立場を理解して、win-winの関係を結べるような組織の構築を目指したい。闘争は否定しないが、闘争のコストなく同じ「善なる」状況に至るのであれば、それがベターでは?(「善なる状況」は、事あれば敗者が闘争状況に向かうのを含む。)
某弁護士が「日本死ねへの政府回答は、保育士死ねだ」と論じていたが、まったくその通りだ。規制を緩和して、一人の保育士の負担量を増やすのが政府の「解決策」。ただでさえ過重労働の保育士の負担を増やし、離職もふやすだろう。死亡事故も増えるだろう。無謀な精神論ほどひどい政策はない。
敗戦の総括をしていないから、同じ失敗を繰り返す。精神主義、事なかれ体質、先送り、無責任。
13歳14歳という年齢はまったくの子ども。大人の男に監禁される日々は大人の想像を絶する恐怖と絶望だったことでしょう。きのうのたった一度だったかもしれないタイミングによく勇気ふりしぼって逃げたと思う。なぜ今まで逃げなかったのかとか放言する想像力のかけらもない二次加害者は今すぐ黙れ。
私はそこまでオタクではないでしょう。カードキャプチャーさくらとか、全く知らない。世代の問題かも知れないけど。
以前いろんな選挙陣営を渡り歩いた選挙アルバイターの各党のオッサン達評を聞いたが「共産党のオッサンは勉強よくしててかつ謙虚、公明党のオッサンは勉強あまりしてないけどそれなりに謙虚、自民党のオッサンは勉強しないくせに傲慢」っての、一般化しちゃいけないけど...激しく納得するな。
フランス人はとにかく政治の話をよくする。そしてみんなむしろ政府をいかに批判するかみたいな感じで競い合っている感すらある。当然俺もフランスの政治を人前ではっきり批判する。でも俺はフランスでは外国人の立場だけど、「フランスがそんなに嫌いなら日本へ帰れ」なんて一度も言われたことがない。
「政治の話を忌避する」は一つの政治的な姿勢。政治の話は多くの場合、現在の政府や与党に対する批判であるから、「政治の話をするな」はイコール「政府や与党を批判するな」という政治的な姿勢の現れに他ならぬ。