叡山電車さんの公式アカウント(@eizandensha)にフォロワー数が抜かれてますよとのツイートをいただきましたが、叡山電車さんは京阪電車よりずっと早くからTwitterでの情報発信をされている先輩なんです。先輩に追いつけるよう、楽しいツイートを心がけます!
過去の世代がお湯を沸かすために使った使用済み核燃料という何の役にも立たない廃棄物を、ただひたすら危険の無いように保管するというだけの業務を何万年にも渡って続けることに、人類は耐えられるのだろうか。そう考えるだけでも、原発を始めてしまったことの愚かしさを思わずにはいられない…。。
石油なんかの化石燃料もそうだが、今の世代の繁栄は、他所の世代からいろんなものを借りて(強奪して、かもしれないが)成り立ってるような気がする。良く言えば「後世の知恵を待つ」、言い方を変えれば「後は野となれ山となれ」。とはいえ、借金生活からは簡単には抜け出せぬものである>RT
言っている内容は正しいのだが、「鳩山が言っている」ということで拒絶反応を生んでしまうのが残念なところ。あとこれは、中国についても該当する話。>時事ドットコム:尖閣「強い言葉好まれる」=中国テレビで鳩山元首相 jiji.com/jc/zc?k=201307…
「法人税を減税すれば、企業活動が活発になり企業の業績が上がれば結果的に税収が増える」発想の破綻。法人税を減税しても内部留保や配当に回り、投資に振り向けないから税収はさほど増えない。「減税」という投資が失敗している。それを認識しているのかどうか。
私の感覚では、死刑存置論者は「悪いことをした人間は殺すべき」という感情論であり、死刑廃止論者は「死刑制度による犯罪抑止効果よりも、冤罪の可能性などによるリスクの方が大きい」と論理的に考えているように思うのだが。そして感情論の方が強いから、死刑が存続しているのだろうし。
米朝のよりは好み。メリデメはあるが、「汽車で来たら良かった」よりも「急行で来たら良かった」の方が分かりやすくて良いと思う。>落語:桂文我「胴乱の幸助」: youtu.be/t4Q1JA631qE @youtubeさんから
今回の東京国際ブックフェアの平凡社ブースでは、白川静先生の研究対象の中国古代文字をあしらった〈漢字Tシャツ〉を販売しています。色は黒、えんじ、グレーがかったアイボリー、サイズも3種取り揃えています。数に限りがありますのでお早めに。 pic.twitter.com/5NRqqdzhde
経済システムの転換に対応できていない。中世社会に固執して財政破綻した16世紀のスペイン帝国、近代の成長社会に固執して財政破綻しつつある現在の先進国。
低成長の現実を、金融経済化によって否定しようとしたことに起因する市場の矛盾。市場の矛盾は市場で解決することはできず、市場とは別の論理に立脚している国家が肩代わりしている状況。市場は国家を解体せず、自分たちの矛盾を助けてもらうための道具として存続させるのだろう。
実物投資で儲からない状況でマネーサプライを増やしたところで、物価ではなく資産価格が上昇してバブルになるだけ。しかも国内で起きるとも限らない。国民国家経済の枠が取り払われている状況で、国民国家経済を前提とする経済学に立脚するリフレ派の理論そのものに妥当性はないのだろう。
10年金融緩和をやっても、インフレにはなっていない。むしろ「金融緩和が不足している」と言ったりする。詐欺的言説としか思えんなあ。
円安だと人民元が自由化された時に円資産の流出が止められなくなってしまう。そうなると益々金利上昇、円安が進む。この状況は国債の暴落につながるだろうなあ。
ドルは資源取引における基軸通貨であるから、この点でドル安の影響を受けない。むしろドル安を進めて新興国への輸出を促進する。また財政赤字を国内資本中心にファイナンスできるようになっているので、ドル高で海外資本を引きつける必要もない。
何らかの規制によって付加価値をつけるような市場を創設していく。排ガス規制をクリアする技術を有していたものが、排ガス規制が適用されることでお金に変わった。「規制緩和」ではなく、「規制を強化することで、規制をクリアすることが付加価値となる」発想。ただ、これも国民国家の枠組が前提か。
新しいルール策定を世界に先んじて行うことで、自分たちに有利な市場の枠組を設定して利益を誘導する。例えば(一見)中国を標的に「民主化」「労働者保護」「環境」などが外部化されて有利な状況で競争しているから、中国からの輸入品には高関税を掛けるルール、といった発想。
規制によって市場、付加価値を新たに創出するという役割が国家に求められる。例えば「環境規制」から「クリーンエネルギー」「廃炉技術」。自由に日本酒を輸出させるのではなく、認定基準などを設けて「日本酒」というブランド価値を創出する。
政府官僚だけでなく、NGOや経済団体など様々なエージエントが集まってルール策定をする。合法性の最終的な源泉、お墨付きは国家であるが、ルール策定当事者としての「国家」の境界は曖昧になっていく。
「最近のライトノベルはエロばっかりですっかりポルノめいてしまっている」と言う旨の話を良く聞く。あーたしかにそうだなーと思いながら私は芥川賞受賞作品「共喰い」を読む。1ページ目からセックス。このミステリーがすごい1位「葉桜の季節に」を読む。1ページ目からセックス。
新興国が先進国並みの資源を必要とすれば、当然資源価格は高騰する。その中で新しい資源、省資源、といったものが必要になるのは自明。この文脈で「原子力」或いは「核分裂」「核融合」といった技術も、リスクを論理的・中立的に踏まえつつ検討する必要はあるだろう。
日本は「少子高齢社会」「低成長」などで先行している。「先行性のメリット」を活かすよりは、後から同様の問題を抱えるようになる諸国の「反面教師」となる可能性の方が高いかな。「愚民社会」で言っていた「失敗の記録をつけておく」というのはそういう意味なのかねえ。良い反面教師(笑)
決議するのは勝手だが、有効か?これが有効ならば、宜野湾市も決議すれば普天間基地への配備・訓練を拒絶できるのでは?実際には無意味、という安保や地位協定の問題点に触れるべき。>時事ドットコム:オスプレイ、受け入れ反対=八尾市議会が決議可決 jiji.com/jc/zc?k=201307…
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