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第120回雀三郎つるっぱし亭

2013年07月03日 10時23分03秒 | 落語・講談・お笑い
先週木曜は「雀のおやど」の雀三郎の会。
毎月やっている会だが、個人的にはけっこう久し振り。


「江戸荒物」(小梅):△

梅團治の弟子であり、息子。
顔も似ているし、
マクラの喋り方や上下の間などからして、梅團治そっくり。
子どもの頃から父親に付いて演っているから仕方ないが。

ネタは、まあ、普通。
ところどころ面白い「音」があるネタで、そこは可笑しかった。
特に最後の女子衆さんの「のーぉ」と伸ばす調子が面白い。

個人的には、梅團治の風合はどこかで一度離れた方が良いだろう、と思う。
このままだと梅團治の形をなぞっただけの単なるコピーで終わってしまいそう。
まあ、師匠に付いている段階だからまだ良いとは思うけど。


「腕喰い」(雀三郎):○-

乞食の話をマクラに振ってネタへ。

色々と手を入れてウケを取る箇所を増やしているが、
個人的にはこのネタ、別にその必要もないのでは、と思う。

若旦那の乞食としての苦労とそれはあってもツッコロバシの雰囲気、
若旦那と元番頭との話、
その後の怪談がかった空気とそれを壊すサゲの台詞、といった軸が、
ウケをとるために若旦那を違う方向に崩したりしてしまうことで
歪んでしまう恐れがある訳で。

特に最初、少し若旦那の人物描写が安定していなかったように感じる。
決して知識が不足したアホではなく、
世間知らずの若旦那が遊び先でちやほやされて家を飛び出し、
裏切られて乞食になって少しは世間のことを知る
(とは言ってもツッコロバシ、世間知らずの気は残る)という軸だと思うのだが、
少しアホの感じが出てしまった印象。

養子に行くのに「よく貰いに回っていたのでこちらは避ける」というのは面白い設定。
自然かといえば微妙だが、
養子に行くハレの場で尚も乞食時代の経験を引きずっているのは興味深い。

娘さんが戸を開けて外へ出る場面、
湯を引くといった話は別になくても良いかも。
地の文が増えてしまうし、増えたマイナスに比べて克明に描くメリットは
あまりないように感じる。

娘さんが赤子の腕をかじるところや一人語る場面は流石。
そこへ若旦那が出てくるあたりの地の文も少し多い印象。
覗いて「何やってんの」で爆笑がとれているのは、
この若旦那の設定が客によく伝わっているからだろうけど、
本当はこの人物設定を、地の文でなく台詞回しなどで印象付けたいところ。
このあたりの「月が雲に隠れて」「月が現れ」のあたりは
個人的には地の文が多い印象。
もう少し地の文は減らした方が、
不気味な雰囲気が浮かんでその中で雲が割れて月が出る、
赤子の腕を持った娘さんやそれを見下ろす若旦那、という緊張感、
そしてそれを崩すサゲ、といったネタの構造が明確に出たのでは、と思う。

腕を食う「バリバリ」の後の「チュー」を入れなかったのは、
やり慣れていないネタで抜けたのかも知れないし、
ちと不気味すぎる(グロに走り過ぎる)と考えて抜いたのかも知れない。
個人的には好きな擬音ではあるのだけど。


「肝つぶし」(文都):○-

マクラで小咄いくつか。
喋り方が少し不安定。
「冷蔵庫」の話は登場人物の会話なのか演者の説明なのか、
ちと分かりづらい点があった。
「間男」でなく「殺人犯」にしたのは
「犯罪の話の紹介」として始めたからかも知れないが、
やはりこのネタは「間男」でやるべきだろう、と思う。
殺人犯を殺したのであれば、別に自殺せんでも、と思うし。

少し言っていたが、
確かに直前の「腕喰い」と同じ趣向のネタではある。

ネタはごく丁寧に。
病気の吉松の様子、訪ねてくる男の活気や励まそうとする態度とも、
きっちり描写されている。

このネタ、
「晒7尺買ったら反物を付けてくれ、しかも夜に娘が訪ねてきた」が本当、
「晒7尺買ったら反物を付けてくれた」が本当で「夜に娘が訪ねてきた」が夢、
「呉服屋が存在し可愛い娘さんがいる」が本当で「買いに行って反物を付けてくれた」が夢、
最後には「呉服屋の存在そのもの」から夢、
と男としては何段階かの誤解をしている訳だが、
観客としては大概どこかを飛ばして
いきなり「全て夢」と思ってしまう傾向がある。
あまり気にし過ぎても仕方がないが、
順々に誤解が解けていくように
最初の説明の段階でクサくないレベルの設定・台詞を入れておくか、
一段階くらい男も誤解を飛ばしてしまうようにした方が良いのかも知れない。

誰がこのネタを演ってもそうなのだが、
吉松の説明で若干「年月揃うた女の生き胆」の話が
説明しようとして説明している印象を受けた。
吉松の気持ちとしては、何もないのにここを詳細に説明するのは不自然な話であり、
例えばさらっと「年月揃うた女の生き胆」で治った話を聞いた、と吉松が言ったのを受けて
男が「年月揃うた女の生き胆って何や」と言った台詞を返す、
或いは返された態で吉松が説明して見せる、といった作りの方が良いと思う。

帰ってきて酒になる。
酒を勧めている段階では既に殺して生き胆をとる決意を固めていると思うのだが、
あまりそれを見せず。
包丁を振り上げた際には当然芝居がかりの空気があるが、
吉松の家を出た際、
或いは少なくとも「妹が年月揃っている」ことに気付いたタイミング以降は、
世話物の雰囲気は出すことを意識した方が良いだろう。
芝居がかりの所作・発声である必要までは無論ないが。

妹が目を覚ました後、男が崩すのが早い気がする。
「肝が潰れた」で初めて緩和するので、
ここはまだ緊張感を持って進めた方が良いのでは、と思う。

サゲで「薬にならん」の前に微妙な間があった。
一瞬千朝などのように「良かった」などと入れよう、なんて
血迷ったためでないことを祈る。


「どうらんの幸助」(雀三郎):○

マクラは趣味の話を軽く振ってネタへ。
最初の2人の若い男の絡み、
アホの空気や描写がやはり素晴らしい。
喋り方や間の取り方もだが、そのあたりも形から作ったものではなく、
アホの気持ちや考え方が形に表れる、という感じ。
もう一人の男も便所に放り込んで上がってくるのを棒で突くあたり、
非常に楽しそうにやっていて良い。

相対喧嘩から割木屋のおやっさんが入ってきて、
手打ちの飲み会。
このおやっさんの「尊敬されたい」メインの感情がよく出ている。
アホの説明も南天ほどではないが訳が分からず可笑しい。
そして、この手打ちの場面でおやっさんがメインになっているので、
その後おやっさんが稽古屋の前を通る、ということで
主人公が入れ替わることになっても、
特に「ネタの背骨が折れている」印象を受けずに済んだのかも知れない。

稽古屋の場面は、やはり南天に比べて義太夫が上手いのが良い。
「お半長」の説明をする側が「お半長」を身に付いてよく知っていることが分かるので、
「お半長って何じゃい」と言うおやっさんとの対比がよく出ている。

京都に行く。
南天のやっていた「大阪の人は面白い人」と言って
伏見でも帯屋でも背中を叩くのは雀三郎から来ていたようやね。
帯屋の場面もきっちりと。

このネタは元々、割木屋のおやっさんが非常に迷惑な人、という印象があり、
最初に米朝で聞いた時も、
枝雀で(これは50分ぐらいかかって非常にしんどかった)聞いた時も
周囲の人に感情移入してしまったりして好きでないネタだった。
だが最近、南天や雀三郎のを聞くと、このネタも嫌じゃない、と思うようになった。
それは「尊敬されたい」割木屋のおやっさんに好感が持てるようになったからであり、
途中で主人公が変わる出来の悪いネタ、と思わなくて済むような
手打ちの際の人物へのアクセントや変化の付け方を見ているから、なのかも知れない。

# この割木屋のおやっさん、
 「どうらんの幸助」といっていつも胴乱をしているんだよなあ。
 ネタの中では全く言及されていないのだが、
 その設定は何かに使えないのだろうか、とふと思った。
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