海山の創作ノート

工房T 海山の書、印、絵、版画、工作、etc.日々の暮らしの中で出来た作品を紹介します。 さて、今日は何を作るかな。

No.301 希風先生作 清酒「雪ふる」ラベル

2008-01-30 | おもしろ印


希風先生の清酒のラベルです。
私の作品ではありません。

このブログは、自作 にこだわって
300回になりました。
しかし、いつも、我が親友のブログ
冬雷の書道散策のように
書にまつわる様々なことを
記していけたらいいな、とも思っていました。

今回は、これまでのルールを破ってまでも、
この作をどうしてもご覧頂きたいと思います。

1月28日
この日は、我が「おもしろ印」の500回記念でした。
この日にあわせて、お祝いとして、この清酒が届いたのです。
それだけでも有り難くて、涙が出そうでしたが、
包みをあけて、更にうれしくなりました。
このラベルの美しさ、センスの良さに
素直にいいなーと思いました。
椿に降る雪がほのかに表現されています。
感服です。
もう一つ、うれしいことに
私の印を使ってくださっているではありませんか!
なんと粋なプレゼントでしょう。
大先輩の心遣いに感謝感激なのであります。

そういうわけで、よーく見てください。
一部分、私の作が入ってるのです。
そういう意味では、まだルールを守っています。

さて、この清酒。
新潟県妙高市の千代の光酒造の作。
そんなに飲めないのに、好きなもので
いろいろあちこちから頂いてばかりいまして、
まだ、味見はできていませんが、きっと
おいしいでしょう。
いや、おいしいに決まってますね。

No.299  歩

2008-01-25 | 


今年の抱負
のような気持ちで一つ。

僕は、馬でいうなら
サラブレットではなく
駄馬である。
犬でいうなら
血統書なしの雑種。
将棋でいうなら
歩。

書道界というものが
あるのかどうだか、
(まあ、あるのだろうが)
ともかくその中で、取るに足らない存在ではあるが、
自分らしく、我が道を思うままに素直に歩んでいこう、
と、そんな風に思って書いたもの。
ちょっと前なら、もっと激しかったり
アクの強いものを選んでいただろうけれど
さりげないく、素直な作が目に留まった。

今年は少し字を書くかな。

半紙





No.296 校歌

2008-01-17 | 


お久しぶりです。
何日か間隔があいたのは、
この制作にかかりっきりになっていたからです。
お許しの程。

さて、これは、ある学校の校歌。
体育館の掲示用で
縦1.7メートル
横5.4メートルのものです。
紙を継ぐだけで
朝からかかって半日(出来上がりの5枚分)
書くのに半日、
一日仕事でした。
もちろん、構想を練って
準備をして、気持ちを高めて
臨みましたので、
ここ数日は「校歌」で頭がいっぱいでしたね。

5枚書いて
いつもながら、
今の自分のできる精一杯で
終了しました。
(ま、いいか!)


※後日談
次の日から二日間、
階段の上り下りがきつくて…。
つまり、筋肉痛。
久しぶりに大きな物だったので
足腰にきたようです。
大きいのは得意なのに…。
ちょっとばかり、年を感じました。
やはり、普段から大きいのを書かねばなりません。




No.294 2008年賀状制作風景

2008-01-10 | その他


何回かに分けてアップしましたが、
こんな感じで出来上がったところです。
例年のことですが、
年末の慌ただしいときに、
とにかく一日を使って刷り上げます。
今回は2色1版ですませましたので、
いつもより早く終わりました。
どんなに忙しくても
手作りの部分を必ず入れていこうと
思っています。

No.293 版木 目出度も…

2008-01-09 | 版画
2008年、賀状用の版木です。

何と彫ってあるのか、
読みづらいと思いますが、
「目出度も 中位也 おらが春 一茶」
としました。

例年の木版ですが、今年は
No.290のおもしろ印いっぱいを縮小して
プリンターで印刷したものとの
組み合わせです。
木版は、ここ何年も続けていることですが
やはり、この雰囲気は好きですね。
おもしろ印を続けていることが
良かったのか、
技術的に木版彫りも楽にできるようになってます。

No.292 「赤い椿白い椿と落ちにけり」

2008-01-07 | 


今年最初の書作品です。
毎年恒例の書展に出品、
只今展示中です。

この作品は、昨年末まで書いていて、
今年になって表具、
展示当日の朝に出来上がったものです。
(本当にぎりぎりなのだから)

この句は、若い頃から一度は作品にしてみようと
目論んでいましたが、
句の解釈において、まだその心境に至らずに
あたためておいたものなのです。

この句は、情景が目に浮かぶような
視覚的なものですが、
そればかりではなく、別の深い意味が込められています。
まるで、椿の花が落ちるように、
碧梧桐の周りの友がこの世を去った、というのです。

ですから、そんな心境を理解しなければ
書けない、
そして、ただきれいな作にはしたくなかったのです。

このブログを始めたのも
肉親との別れの悲しみを忘れるためでもありましたが、
あれから更に、叔父、叔母を失い、
大学時代の友人、そして、高校時代の同級生、
お世話になった先輩や同僚…、
と悲しい知らせが、相次ぎました。
そんな年齢になったのですね。

やっと、この句のことが少しは理解できると思い、
昨年のうちに何度か書いてみましたが、
結局、ただ淡々と気持ちを込めて書いたものを選びました。

この3年ほど、書としては、
俳句の作品ばかりを出してきましたが、
この作品を機に、気分を変えてみようか、とも思っています。

去っていった人達のことを思いつつ


50×76センチ