山頭火を求めて(山頭火漫遊記)その1 日奈久温泉
● まず、なぜ日奈久か?
青春18切符の旅で、普通列車でどこまで遠くへ行けるのか?
これがはじめの思い付きである。
愛用の時刻表をめくる。
確かに一日中列車に乗っていれば、僕の家からスタートして、
大阪だって松江だって鹿児島だって行ける。
しかし、仕事の合間で時間も金もない。でも、充実したものにしたい。
だから、次の三つのことを守ることとした。
一、 日帰りであること。といっても次の日のことを考えて、22時までには帰宅すること。
一、 とんぼ返りではなく、少なくとも4時間くらいは散策すること。
一、 テーマを決めること。
付け加えるとするならば、まだ行ったことのない所、なるべく歩くこと、できれば温泉に入ること。欲を言えばきりがないのでこのへんでやめておく。
さて、鹿児島本線は快速列車をうまく使えば時間の短縮ができる。幸い鹿児島本線スタートなので九州県内は案外遠くまで行ける。朝の7時ころ出発するとして、11時過ぎくらいに着く所であれば条件を満たす。南下すれば鳥栖を分岐として佐賀、長崎方面と熊本、鹿児島方面とに分かれるが、上の条件で言えば、有田、佐世保、唐津、八代、阿蘇、辺りまでということになる。
そこでテーマだ。実は今回の青春18切符の旅、一枚目は仕事で久留米に行くのに使った。二枚目、三枚目は佐賀県佐賀と小城。これも半分仕事で二人連れ。でも、佐賀美術館と中林梧竹記念館だから、勉強にもなったし楽しかった。梧竹を求めて…という手もあるかもしれない。しかし、どうも硬い。真面目過ぎる。もっと、ふらふら、そして温泉でゆったりして、そう放浪漫遊といった感じの旅にぴったりのものはないか。
ちょうど近頃書いた作品の句、そう、山頭火の「ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない」について調べていたら、やけに山頭火のことが気になりだした。久しぶりに本棚から、「定本山頭火句集」などを引っ張り出して文章を読んでみた。山頭火の歩いた跡を辿ってみると、九州はもとより平泉、石巻、酒田まで、山陽道、東海道、福井、長野、新潟、山形、そして四国と広範囲である。そして、日記を欠かさない人であったから、句と同じように日記もたくさん残っている。その中に、こんなのを見つけた。
『私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅に出ました。歩ける
だけ歩きます、行けるところまで行きます。温泉はよい。ほんたうによい。ここは山もよく海もよい。出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが(それほど私は疲れてゐるのだ)』
昭和5年9月10日に八代から日奈久に着いて、友達に書いた手紙の文らしい。
山頭火は、木賃宿「おりや」に泊り、宿の夫婦が親切にしてくれたらしく、気に入ったのだろう13日の朝まで「入浴、雑談、横臥、漫読」している。
これで、決まり。日奈久温泉に入ってみたくなった。一応、山頭火を求めて、日奈久の旅、ということでテーマも決定だ。そうと決まれば、あまり調べ過ぎない。直感を大切にしていきあたりばったりの方が感動的な場合が多い。青春18切符は1月20日までが有効期限。あと二回を1月10日と17日とした。
● 日奈久温泉へ
1月10日、予定通りに、7時前出発。まだ暗い。小雪もちらついている。大野城辺りにはうっすらと積雪。博多、荒尾で乗り換えて八代に着いたのは11時過ぎ。白地にオレンジ、グリーン、ブルーの線の入ったかわいい列車が、隅のホームに一両で待っている。ここで肥薩おれんじ鉄道に乗り換えだ。なんとこれが、元の鹿児島本線、このまま行けば鹿児島まで行けるのだが、今はJRではない。もちろん青春18切符は使えないから、新たに切符を買って乗りこんだ。15人ほどしか乗っていない。九州新幹線の開通で博多からは確かに便利になったけれど、地元の人の生活列車を切り捨てざるをえなかったことを思うと複雑な心境だ。おれんじ鉄道となってうまく存続してくれればいいのだが…。それにしても、JR普通列車で行くならば、人吉の方から回ることになり随分と遠回りだ。
そんな思いを吹っ切るように、大きな柑橘の実の畑の中を抜けるように、列車は進む。日奈久温泉駅は八代から二つ目、330円だ。同じ行動の中高年放浪者が三人ほどいたが、彼らはそのまま鹿児島方面へと乗りつづけるらしい。日奈久駅に降り立ったのは、ただ一人。なんと、僕だけではないか。(つづく)
写真は肥薩おれんじ鉄道