瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

イースターケーキ

2019年04月21日 18時24分29秒 | ただいまおかえり(雑記)
今日はキリスト教圏で「イースター」と呼ばれる日、キリストの復活をお祝いするイベントだそうです。
日本ではキリストの復活に関係無く、卵や兎の飾り付けをして遊ぶだけの日になってますね。
致し方無い、欧米等とは違って、熱心なキリスト教徒少ないもの。
でもイースターエッグとか、デザイン的に可愛い♪
そんな訳で東京丸の内ブリックスクエアに在る「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション」にて、イースターをモチーフにしたキュートなケーキを買って来ました…2017年の話ですが(汗)
オーナーのロブションがお亡くなりになって、お店がどうなるのか心配してましたが、変わらず営業なさっていて嬉しいです。
ここのケーキが最も美味しい。(※個人の感想です)
目玉焼きをモチーフにしてるケーキなんです、可愛いでしょう?
胡椒(かは不明)振ってまでいるのが細かい!
それに白身部分が二段に盛り上がってる、新鮮な卵なんだね。
味はチーズフロマージュ風味でした、目玉は杏だったと記憶している。
…何せ2017年に買って食べたケーキなんで(汗)、でも誰かに伝えたい可愛さだった為、時間を遡りブログにアップ致します。

あ、ハウステンボスレポは深夜にアップ予定です。
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ミスドコレクション37

2019年04月20日 01時49分47秒 | ミスド
夏も近付く八十八夜♪…にはちょっと早いけど、この時季ミスドで食べられる季節限定の味と言えばぁ?
抹茶本来のグリーンが爽やかな風を連れて来る、「抹茶スイーツプレミアム」!!
今年も京都宇治茶の老舗、「祇園辻利」とのコラボで、ほろ苦甘い抹茶ドーナツが勢揃い致しました!


↑「ポン・デ・ダブル宇治抹茶(151円)」…もちもち生地に宇治抹茶を練り込み、宇治抹茶チョコをコーティング。
抹茶をとことん堪能できる一品です。(←ミスドの説明文を引用)
…シンプル・イズ・抹茶、宣伝通り抹茶のほろ苦さを最も感じられる。
敢えてモデルチェンジする事無く、去年のまま出した点に、ミスドの自信が窺えます。
ミスド的にこれが「抹茶ドーナツ完全版」というわけでしょう。


↑「ポン・デ・宇治抹茶あずき(183円)」…宇治抹茶を練り込んだもちもち生地に、宇治抹茶ホイップと小豆餡をサンドし、和素材と相性の良いきな粉シュガーを塗しました。(ミスドの説明文をほぼ引用)
…きな粉+抹茶ホイップクリーム+小豆餡の組み合わせも、ミスド的に鉄板らしい。
抹茶ホイップクリームと小豆餡、どちらも甘いので、どっちかのみ使用するか、それこそクリームをチーズ味にするかした方が良いんじゃないかな?


↑「ポン・デ・宇治抹茶マスカルポーネクリーム(183円)」…マスカルポーネチーズクリームをサンドした宇治抹茶入りのもちもち生地に、宇治抹茶チョコとチョコクランチを添えました。(←ミスドの説明文を引用)
…これ、美味しい!(←マツコか)
チーズクリームと抹茶生地と抹茶チョコがベストマッチ…誰かが「チーズに合わない食べ物なんて無いのよ」なんて言ってましたが、このドーナツは本当に美味しいです。
チョコクランチがボロボロ剥がれ易いのは困りものですが…

 
↑「宇治抹茶あずきデニッシュ(216円)」…サクサクのデニッシュ生地に宇治抹茶ホイップと小豆餡をサンド、たっぷりのきな粉シュガーで上部を覆い、お洒落な抹茶スイーツに仕立てました。(←ミスドの説明文をほぼ引用)
…ドーナツから離れてデニッシュ、見た目からエクレアと思ってしまった。
シュー生地にしてクリームを詰める形にした方が食べ易かったかなあと思う。
デニッシュ生地は美味しいけど、食べてる間パリパリ層が剥がれて、人前では頂けない。(汗)
そこに加えてきな粉シュガー…食べ終わった後の皿が凄い有り様でした。

 
↑「宇治抹茶ティラミスデニッシュ(216円)」…サクサクのデニッシュ生地に宇治抹茶チョコとマスカルポーネクリームをサンド。
仕上げにココアパウダーで上部をたっぷり覆い、お洒落な抹茶ティラミスに仕立てました。(←ミスドの説明文をほぼ引用)
…こちらもメッチャ食べ難い…しかし美味しい!!今回発売した抹茶ドーナツの中で一番美味しいと感じた。
けれどティラミスを名乗るからには、珈琲で風味付けしたらもっと良かったかなと。

自分の味の評価は、宇治抹茶ティラミス>ポン・デ・宇治抹茶マスカルポーネクリーム>ポン・デ・ダブル宇治抹茶>宇治抹茶あずきデニッシュ=ポン・デ・宇治抹茶あずきの順。
何だかんだ全部美味しかったですが、それでも敢えて順番付けると…です。
尚、今回の5種は第1弾、5月10日~第2弾として宇治抹茶味のオールドファッションが3種発売されるそう。
その時にまた追記して、この記事上げますんで!

【5月31日追記】
5/10~第2弾の予告通り、宇治抹茶味オールドファッションが3種発売!


↑「オールドファッション宇治抹茶(162円)」
サクサク食感のオールドファッション生地に宇治抹茶を練り込みました、香り高い宇治抹茶をシンプルに味わえる一品です。(←ミスド側の説明文をほぼ引用)
確かにチョコとか黄な粉とか掛かってない分、宇治抹茶の香りが最も強く感じられる…シンプル・イズ・ベストですね。


↑「オールドファッションダブル宇治抹茶(172円)」
宇治抹茶入りのオールドファッション生地に宇治抹茶チョコをトッピング、サクサク食感と抹茶の風味が楽しめます。(←ミスド側の説明文を引用)
上に挙げたオールドファッション宇治抹茶に、宇治抹茶チョコが掛けてあるだけの違いですが、基本形のドーナツじゃ甘味が物足りないって人には向いてるかと。
宇治抹茶味のチョコなので、甘味と共に渋味も味わえるのがグッド。

 
↑「オールドファッション宇治抹茶黒蜜きなこ(172円)」
サクサクのオールドファッション生地に宇治抹茶を練り込み、黒蜜を染み込ませ、表面に黄な粉シュガーを塗しました。(←ミスド側の説明文をほぼ引用)
美しい抹茶グリーンの生地に黄な粉を塗す事で、小汚い色味になってしまってるのが勿体無い…割った中身は鮮やかな抹茶グリーンのままだけど。(写真、自宅で綺麗に包丁で割れば良かった…)
黄な粉と抹茶と黒蜜が合わさった味は悪くない…てか黒蜜を染み込ませた事で、生地がしっとりしており美味しい。
サクサク派じゃなく、しっとり派って人には、絶対お勧め。

【6/28追記】
5月に発売した抹茶シリーズが、そろそろ終了する時期です。
ミスドの場合シリーズの変わり目には、各店舗毎に余った材料を使って、公式には発表してないドーナツを出したりします。
 
↑「宇治抹茶ホイップ(129円)」
宇治抹茶ホイップクリームを、ふんわり柔らかいイースト生地で包み、表面に黄な粉を塗したドーナツ。
シンプルなドーナツ生地で包んだ事で、抹茶クリームの甘さと苦さを、有りのまま感じられます。

 
↑「宇治抹茶チョコレート(129円)」
濃厚なチョコレート生地の一部に、宇治抹茶チョコレートをかけて、粉糖を塗したドーナツ。
これも抹茶とチョコの相性が良くて美味しい。

どちらも最初から宣伝して出さなかった事が、少し勿体無く感じられました。
今後もHPには無いドーナツ求めて、シリーズの変わり目に訪れようと思います。
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桜橋~神田川の源流を訪ねて~その10

2019年04月19日 02時55分02秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を数えて行きます。
41番目の神高橋~47番目の瀧澤橋までの間は、川沿いに歩く事が出来ません。
初めて歩く人は少し道に迷うかもしれない。
その場合、新目白通りを軸に、突き当たる左角を片っ端に行くコースが解り易いけれど、ぶっちゃけ遠回り過ぎる。

●下流から数えて42番目の橋…清水川橋 
高田馬場駅早稲田口向かいの、手塚キャラ壁画横より細く続く、さかえ通り商店街を抜けて行く方が近道。
商店街途中で角を右に曲がれば清水川橋に出られ、更にそのまま直進すれば次に架かる田島橋まで行けます。

 
清水川橋を渡った先の「さかえ通り商店街」は、商店街と言うより昭和の飲み屋街な雰囲気。
夜はキャバレーや飲み屋の呼び込みが盛ん、風紀は悪いが懐かしい空気。


↑さかえ通り商店街の八百屋に居た猫。
八百屋や床屋といった一般の店も一応営業しています。


↑清水川橋下流側の眺め、川幅が急に狭くなるのが見て取れます。


↑清水川橋上流側の眺め。

●下流から数えて43番目の橋…田島橋 
さかえ通りへの出入口となる橋。

 
上流側には富士大学が建っている、そのせいか夜でも学生さんの通行が多いです。




↑田島橋下流側の眺め、直ぐ側に消臭剤で有名なエステーの本社が在ります。


↑田島橋上流側の眺め。

神田川から少し外れるけど、田島橋が架かる地点より新目白通りを横断、坂を上がってった所に在る「おとめ山公園」では、湧水を利用してヘイケボタルを飼育しているそう。
蛍が飛び交う昔の神田川の風景を再現する場所として人気が有ります。

●下流から数えて44番目の橋…東京富士大学構内橋 
富士大学の関係者しか日常渡れませんが、神田川に架かる橋としてカウント致します。

●下流から数えて45番目の橋…宮田橋 
下流より歩いて来た場合、田島橋から富士大学に沿って曲がるルートが解り易いかと…突き当たった左角から道へ入れば渡れます。

 
この辺りは学校が多く建つ事から、生徒が下宿する為のアパートも多い、最近はマンションも建設中です。
近くには図書館、コインランドリー、銭湯も在り、学生の為の街って雰囲気。


↑宮田橋下流側の眺め、所々桜が咲いてる。


↑宮田橋上流側の眺め、川の流れが緩やかに右へカーブしてますね。

●下流から数えて46番目の橋…落合橋 
嘗てこの橋が架かる辺りで高田馬場分水路と妙正寺川が合流、2本の川が落合う場所=「落合橋」と呼ばれる様になったとの事。
現在の妙正寺川は辰巳橋が架かる付近にて暗渠となり、神田川高田馬場分水路に吸収される形で消えてしまうそう。
神田川に架かる高田橋下で再び地上に出て、神田川に合流すると考えていたけれど、本流と交わる2本の流れは妙正寺川ではなく、高田馬場分水路を流れて来た神田川という事になるらしい。(こちらの記事を参考に致しました→http://toutoi-tokyo.blogspot.com/2012/11/blog-post.html)

 
下流から歩いて来た場合は、宮田橋と同じく、次に突き当たる角より道に入れば、落合橋を渡れます。
橋の両岸とも人が通れるスペースが殆ど無い為、橋下を撮影するのが難しい…私有地に入る訳にいかないので。(汗)


↑落合橋下流側の眺め。


↑落合橋上流側の眺め、右に左にクネクネ蛇行して行く川の流れ。

●下流から数えて47番目の橋…瀧澤橋 
この橋より上流、川沿いに歩ける遊歩道が復活!

 
更に両岸とも桜並木が復活、橋の上からの眺めは御覧の通り、大変美しい。
近くに日本語学校が建ってる関係で、春になると大勢の外国人が花見してます。

 
↑瀧澤橋下流側の眺め。

 

 

 
↑瀧澤橋上流側の眺め…どっちを観ても桜、桜、桜…満開を迎えると、正面が見えない位に覆われます。


↑おまけの八重桜、瀧澤橋付近に1本だけ咲いてます。(見頃は4月下旬)

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桜橋~神田川の源流を訪ねて~その9

2019年04月18日 01時41分40秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を数えて行きます。
早稲田より高田馬場へ。

●下流から数えて36番目の橋…高戸橋 
明治通り上に架かる橋。
明治通りと新目白通りとが交差する地点の側な事も有り、交通量が非常に多い場所です。

 
早稲田より走る都電荒川線は、高戸橋を渡って明治通りを下り、学習院下駅に向かう。
学習院下駅はその名の通り、日本の皇室所縁の学校、学習院の側に在ります。


↑高戸橋下流側の眺め、手前は都電が渡る鉄橋。
桜並木を背景に走る都電は絵になります。
或いは線路を折れ曲がる都電の車窓より、一瞬視界を埋める絶景を楽しむのも良い。
桜並木、外から観るか?乗って中から観るか?(パッと開いてー咲いった♪)


↑高戸橋上流側の眺め、下流側ほど華やかではないですが、こちらにも桜並木は続いています。
前方に架かるのは、次に向かう高田橋。
橋下の左側は神田川の本流、真ん中と右側口は高田馬場分水路の暗渠出口だそうです。

●下流から数えて37番目の橋…高田橋 
高戸橋から見て斜め隣の、新目白通りに架かる方の橋です。

 
↑こちらも見ての通り車の交通量が多い。
付近には大正製薬の本社が在る。
高田馬場付近って薬品系の会社が多いんですよ。


↑高田橋下流側の眺め、前方に高戸橋が見えます。


↑下流側は一部テラスの様に突き出た造りで、広々としています。


↑高田橋上流側の眺め、川床に下りられる階段が在ります。
普段は安全の為に出入口を封鎖しているもよう。

●下流から数えて38番目の橋…源水橋 
水車小屋と桜の図柄が入れられた欄干がお洒落。
昔この付近に在った村に水車が回ってて、その水力を工場の動力源にしていたとか…成る程それで「源水」なんだなと納得。

 
↑この橋の側にも階段テラスが設置されてます。


↑源水橋下流側の眺め、並木って程ではないけど、桜が数本植えてある。


↑源水橋上流側の眺め、高田馬場駅に近付く事から、歓楽街の色が交じり始めます。

●下流から数えて39番目の橋…戸田平橋 
名曲「神田川」を作詞した喜多條忠氏は、この橋の近くに建ってたアパートをイメージして、歌詞を書いたと言われています。(旧千登世旅館の隣に建ってたアパートとの話…現在はアパート・旅館共に無くなってます)
現在この辺りにはカレー等のエスニック料理店、居酒屋が多く建ち並んでいます。

 


↑戸田平橋下流側の眺め、上の写真の人達は、ここから桜を観ていました。


↑戸田平橋上流側の眺め、この橋の欄干にも桜がデザインされています。

●下流から数えて40番目の橋…高塚橋 
高田馬場付近に架かるからか、この辺りの橋には名前に「高」が付く事が多いです。
この橋の名の場合、豊島区「高田」と、新宿区「戸塚町」より、一文字ずつ取ったのだそう。
高田馬場エリアは豊島区と新宿区が入り交じる地域なのです。

 


↑高塚橋下流側の眺め、欄干に鳩が一羽留まってました。


↑高塚橋上流側の眺め、次の神高橋と共に、鉄橋が見えます。

●下流から数えて41番目の橋…神高橋 
嘗ての「高田馬場渓谷」出口地点に架かる橋。

 
橋から上りがきつい方へ真っ直ぐ進むと、高田馬場駅早稲田口に到ります。(逆方面に進むと新目白通りに出る)
長閑な神田川周辺から、高田馬場駅前の歓楽街に出ると、ギャップを物凄い感じる。
ちなみに高田馬場駅早稲田口前には、手塚治虫キャラ大集合の壁画が描かれてます。
また、JR高田馬場駅の発車メロディーが鉄腕アトムなのは有名かと。
高田馬場には手塚プロダクションが在る、その縁から壁画や発車メロディー等で手塚作品を推してるらしい。


↑神高橋下流側の眺め。

 
↑この神高橋下流側では、5月5日の子供の日が近付くと、鯉のぼり(with吹き流し)が群れをなして泳ぐ。
…つっても観たのは2017年5月の事で、地域恒例の季節イベントかは未確認です。(汗)


↑神高橋上流側の眺め、渓谷と呼ばれるのも納得の風景。
昔は水害多発地点だったとか…今でも大雨が降った後の激流には、恐怖を覚えます。
写ってないけど、この橋の上流側左にも、川床へ下りる階段と共に、親水テラスが設置されている。
やはり普段は封鎖されていて、下りれない様になってますけど、丸石が敷かれたテラスを、橋の上から観る事が出来ます。

神高橋上の鉄橋を走るのは西武新宿線、その反対側をJR線が走ります。


↑神高橋~清水川橋間を緩やかなカーブを描いて走る西武新宿線。


↑神高橋~清水川橋間を直線に走るJR山手線。


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桜橋~神田川の源流を訪ねて~その8

2019年04月17日 00時49分12秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を訪ねて行きます。
今回紹介する目白高台には、嘗て大名屋敷が続いてた土地柄、名所が数多く在るのです。

●下流から数えて30番目の橋…駒塚橋 
一休橋同様、親柱が無い駒塚橋。(哀)

 
橋を渡った先に見える急坂は、目白台へと続きます。
その名も恐ろしい「胸突坂」…「椿山」と言う古い地名が示す通り、大滝橋~駒塚橋が架かる周辺は、小高い山を形作っています。
坂の上には神田上水関口水門を護る「水神社」、下から鳥居が小さく見えます。
水神社の左に広がるのは「肥後細川庭園」。
肥後熊本藩54万石の有力守護大名だった細川家の嘗ての所有地で、目白台からの湧水を活かした回遊式泉水庭園が現在まで残されています。
細川元首相の実家のお庭だったって考えると何か凄い、そりゃ「殿」と呼ばれますわ。
現在は文京区が管理してるそうです。

 
↑駒塚橋下流側の眺め。
橋のたもとには前回紹介した関口芭蕉庵が建ってます。
その奥に建つ高い建物は、同じく前回紹介したホテル椿山荘東京。
ホテル椿山荘が建つ対岸へ、駒塚橋を真っ直ぐ進み、新目白通りを横断した先には、リーガロイヤルホテル東京が在る。
このホテルは早稲田大学との土地信託方式により、同大学の敷地内に建設されたとの事。
恐らく早稲田OBの働き掛けで、記念式典等の会場用にホテルを建てたという訳だ。
恐るべし早稲田の権力!駒塚橋~仲之橋間の左岸一帯は、早稲田の陣地と呼んでも過言ではない。
リーガロイヤルホテル東京の庭と、早稲田大学創立者の大隈重信邸跡地である大隈庭園と、早稲田キャンパス大隈記念講堂は地続きになってる。
初めて来た時は知らずに散策し、何時の間にか大学の敷地に入り込んでた事に驚いた思い出…。
リーガロイヤルホテル東京の雰囲気が、何処と無くハウステンボスに在るホテルヨーロッパに似て思え、頻繁に立ち寄ってます。(→2011年GWにレストランへ出掛けた際の記事
もしかしたらホテルヨーロッパと同じく、運営・技術指導をホテルオークラに依頼したのかもしれない。
流石にホテルオークラ並のサービスは受けられませんが、レストランや喫茶で頂く食事はかなりレベル高いですよ。


↑駒塚橋上流側の眺め、右岸は一旦、桜並木が途切れます。(途切れる辺りに在るのが細川庭園)

●下流から数えて31番目の橋…豊橋 
都電荒川線の終点、早稲田駅最寄りの橋です。

 
↑桜が咲くシーズンになると、橋の上は御覧の有り様、通る車は徐行運転せざるを得ない。
中には運転しながらカメラで撮影する車も見ます。


↑豊橋下流側の眺め、再び両岸に桜が続きます。


↑豊橋上流側の眺め、前が見えない程の桜の枝振り…しかし次に架かる仲之橋との間に、大きな壁が立ち塞がる。

※現在、豊橋~仲之橋間は、環状第4号線の整備工事の為、交通が遮断されております。
以前は桜並木が途切れる事無く続いていたんですけどね~。
次の東京五輪までに、首都へ集中する車を分散させる計画の為とはいえ…工事が終わったら元通りに桜の木を植えてくれるんだろうか?

 
↑今年の春に見に行ったら、橋が新たに架けられていました。
未だ完成前なんで数には入れませんが、神田川に架かる最新の橋という事になりますか。
完成したら「令和新橋」なんて名前付けられたりして。

 
↑遊歩道を通れないので一旦迂回し、豊橋~仲之橋間に建つマンションの広場より、再び遊歩道へと戻ります。
マンションの敷地内ながら遊歩道に繋がる造りで開放的、周囲には桜が植えられていて、遊歩道の桜並木と被さり、美しいトンネルを形作っております。

●下流から数えて32番目の橋…仲之橋 
この橋の付近にも庭の美しい名所が在ります。
徳川御三卿の一つである清水家の下屋敷跡地、「甘泉園公園」です。
細川庭園同様、回遊式の庭園になっており、敷地内に湧く水が大変甘露で茶に適しているとの評判から、「甘泉園」と呼ばれるようになったとか。
現在は新宿区の管理地になっているそう。
名の由来となった湧水は枯れてしまったらしいけど、現在でも大名屋敷時代の風雅な庭園は残されています。
…実は未だ一度も訪れた事無いのだけど。(汗)
また、江戸で流行った富士講由来の富士塚や、赤穂浪士の一人「堀部安兵衛」の碑が残る、早稲田水稲荷神社も、その側に在ります。
…こうして数々の名所を挙げてくと、この辺りだけ神田川上空に首都高速道が建設されなかった理由が見えて来るというか…名士の力は偉大也。

 


↑仲之橋下流側の眺め、桜の枝の向こうに未完成の新橋が見えます。


↑仲之橋上流側の眺め、前方が霞んで見える程の桜の枝振り。

●下流から数えて33番目の橋…三島橋 

 
↑三島橋傍の桜の枝に鳩の群れが留まってて和んだ。



 
↑三島橋下流側の眺め。


↑三島橋上流側の眺め。


↑三島橋~面影橋~曙橋の途中までは、桜並木の遊歩道が新目白通りの歩道と合体致します。
去年まで桜の季節になると三島橋付近の柵に、地元の小学生や早稲田の川柳同好会が詠んだ川柳が貼り出されたんですけどね~、寂しい事に今年は読む事叶いませんでした。(この記事を御覧ください)
止めちゃったのか?訪れた時期が早かったからか?

●下流から数えて34番目の橋…面影橋 
荒川都電「面影橋駅」最寄りの橋。
情緒溢れる橋名に惹かれてか、遊歩道に架かる橋の中で最も人を集めてる印象。
特に外国からの観光客が多い、ツアーで来ている様子。
「姿見の橋」なる呼び名も有ります。(北側に架かってた別の橋がそう呼ばれていたとの説も有)
名付け人は、女好きの歌人として知られる在原業平、或いは三代将軍徳川家光、はたまた近在の武士だった和田靭負(ゆきえ)の娘、於戸姫(おとひめ)が数々の悲劇を嘆き、身を投げる時に詠んだ和歌から等、諸説有。
橋のたもとには太田道灌所縁の「山吹の里の碑」が建てられてるそう。(右岸側に在るそうだけど、私は未だ見ていないのだった;汗)

 


↑写真右側、「面影橋駅」に停車する荒川都電。
新目白通りを通行するのは人に車に荒川都電…早稲田駅~高戸橋が架かる付近まで、路面電車の呼び名の通り、都電が道路を走ります。


↑面影橋下流側の眺め。


↑面影橋上流側の眺め。

●下流から数えて35番目の橋…曙橋 
右岸側の遊歩道は、この先行き止まりで上流には行けません。
36番目に架かる高戸橋へは、左岸側の遊歩道より向かいます。




↑曙橋下流側の眺め、前方の水色の管はガス管だそう。




↑曙橋上流側の眺め。


↑曙橋より上流、都電鉄橋手前の川底には、魚道が設けられています。
以前は治水を目的に段差が造られていたのを、魚の遡上を妨げぬよう改修工事を行い、平成9年に右岸側の段差を解消したとの事。
左岸側に比べて段差が滑らかになっているのが解ります。
この魚道が完成した前後に、神田川で鮎が泳ぐ姿を確認するようになったとか。

 
↑曙橋から更に上流、桜並木続く右岸遊歩道終り手前に架かる都電鉄橋。


↑面影橋駅~学習院下駅間の急カーブ地点にて減速する都電荒川線、その瞬間を撮影しようと高戸橋付近には大勢の鉄道ファンが集まります。

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桜橋~神田川の源流を訪ねて~その7

2019年04月16日 00時37分54秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を訪ねて行きます。
高速道が覆ってる間はサクサク参ります。


●下流から数えて24番目の橋…古川橋 
橋のたもとに昭和の古い建物が建ってます。

 
石切橋から上流に江戸川橋まで、橋の色が白に統一されてます。
カラーリングが面倒臭くなったとか…?


↑古川橋下流側の眺め。


↑古川橋上流側の眺め。

●下流から数えて25番目の橋…掃部橋 
一発で「かもん」橋と読めた人は凄い。
何故この橋名になったのか、由来書きが側に無かったので不明。
昔は「加仁橋(かにばし)」と呼ばれたりしてたそうなので、それが次第に変化して行ったのかもしれません。
メトロ江戸川橋駅最寄りの橋。

 
心霊写真ではなく、個人情報保護を目的に、顔を隠してあります、念の為。(汗)


↑掃部橋下流側の眺め。


↑掃部橋上流側の眺め。

●下流から数えて26番目の橋…華水橋  
「はなみずばし」…訓読みだとイメージダウンに繋がると思うんですが。(汗)
「かすいばし」では駄目なんでしょうか?


ここら辺の橋は比較的最近付け替えたのか新しめです。


↑華水橋下流側の眺め。


↑華水橋上流側の眺め。

●下流から数えて27番目の橋…江戸川橋 
神田川の下流域を昔は「江戸川」と呼んでたそうで、それが橋名の由来になったのでしょう。


↑江戸川橋下流側の眺め。


↑橋の上は車も通る大通りになっていて、上流側へ行くには交差点を渡らなくてはいけません。
上流側は桜の名所「江戸川公園」に繋がっており、春は大勢の人で溢れ返ります。


↑その江戸川公園への(江戸川橋寄り)出入口、去年の春は工事中でした。

 
↑綺麗に整備された今年の(江戸川橋寄り)公園出入口。
ただ去年まで花見のテラス席だった位置にトイレが出来たのはガッカリ…他に設置可能な場所無かったのかな?

 
↑江戸川橋上流側の眺め、下流側の眺めとえらく違う。
デスクトップPC画面で観た場合、朝撮ったのが左で、夕方撮ったのが右の写真です。
下流から歩いて来た場合、江戸川公園より遊歩道がスタート。
ここから38番目の源水橋まで桜の花見を楽しめます。


↑江戸川橋の下、大きな口を開けてるのは、「江戸川橋分水路」呑口。(写ってないけど右側にもう1つ在ります)


↑江戸川公園側の岸は高速道の天井から解放されるも、対岸は次の一休橋まで覆われたままです。
しかし遊歩道は敷かれていて、こちらから対岸の桜並木を眺めるのも悪くない、花見の混雑を回避出来るメリットも有。

●下流から数えて28番目の橋…一休橋 
ここらの遊歩道に架かる橋の内、この一休橋と駒塚橋のみ親柱が無い。
橋名パネルを設置しただけじゃ可哀想なので、一休橋と駒塚橋にも立派な親柱を造ってあげて欲しい。

 
↑渡る為の橋ではなく、ギャラリーの為の撮影スペースって雰囲気。


↑一休橋下流側の眺め。
江戸川公園の対岸は、相変わらず首都高速道に覆われています。


↑一休橋上流側の眺め、上の首都高速道が逸れるまで後少しの辛抱。


↑ちなみに江戸川公園側の岸の方が高い為、こんな風に対岸を見下ろす形になります。
奥に写るのは早稲田鶴巻町交差点、付近には黎明期の漫画雑誌等を読める、明治大学「現代マンガ図書館」が在ります。
図書館の設立者である内記稔夫氏(元館長:故人)のコレクションを、明治大学漫画研究会が受け継いだ形になりますか。
このブログで古い漫画の記事を書く際に大変お世話になっております。

●下流から数えて29番目の橋…大滝橋 
赤煉瓦風の親柱がモダン。
江戸川公園内に設置された由来書きによると、昔はこの辺りに神田上水の堰が在ったそうです。
「大洗堰」と呼ばれ、風光明媚な江戸名所として知られていたとの事。
その堰から落ちる水を滝の流れに譬え、付近に架かる橋を「大滝橋」と呼んだらしい。
昭和12年の神田川改修工事で堰は失われ、碑文のみが現存するのみだそう…どんな景色か観たかったなあ。

 
江戸川橋~大滝橋までの(上流向いて)右岸が江戸川公園の敷地。
毎年桜が咲くと町内会が大滝橋のたもとで屋台を出し、周囲に焼きフランクや焼きそばの匂いが漂います。
桜の開花が近付くと、公園内にビニールシートを敷いての場所取りが始まる、その静かな戦いの様子を観察するのも面白い。


↑大滝橋下流側の眺め、漸く両岸とも首都高速道から解放された。


↑大滝橋上流側の眺め、右岸の方が高くなってるのが解る筈。

 
↑江戸川公園の対岸、一休橋~大滝橋間の桜トンネル。
背後に写るのはホテル椿山荘東京の建物。
付近には桜並木の遊歩道以外にも、観るべきスポットが多いです。

☆大滝橋~駒塚橋間の立ち寄りスポット…ホテル椿山荘東京
 
江戸時代に上総久留里藩主、黒田豊前守の下屋敷が在った敷地に、明治時代の軍人であり政治家だった山縣有朋が、「椿山」の地名に基づき、本邸「椿山荘」を建てたのだそう。
昭和に入り、椿山荘は結婚式場を経て、高級ホテルに生まれ変わりました。
山縣有朋が粋を凝らし造園した庭が美しいと評判で、桜や紅葉のシーズンには大勢の見物客が訪れます。
茶室に古井戸、稲荷神社に三重塔まで在る庭園は、インスタ映えする事確実、今回は時間の都合により立ち寄れず残念です。
昔の金持ちはやる事が大きいですね。
桜の並木道の背景に椿山荘の和の建物が映えます。

☆大滝橋~駒塚橋間の立ち寄りスポット…関口芭蕉庵

こちらも今回は門が閉まっていて、実際には立ち寄れなかったのですが(汗)…江戸時代の俳人である松尾芭蕉が、神田上水の改修工事の際に住んでいた住まいを、後世の芭蕉ファンが復元したとの事。
初代の建物は太平洋戦争で焼失したそうで、現在の物は2代目に当たるそう。
椿山荘の庭園ほど広くはないですが、こちらの庭も春には桜が咲いて美しいです。
庭園内の小山を登れば見晴し最高。


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ハウステンボスで秋を見つける旅10

2019年04月15日 00時08分26秒 | ハウステンボス秋の旅行記
ほぼ1週間振りに前回ハウステンボスレポの続きです…神田川に逃げてる訳じゃ有りません。(汗)

2018年9月11日(火)、ハウステンボスで過ごす3日目の朝。
昨日の朝は起きられず、日の出を観られなかったので、今朝は頑張って5時半起きしました。
友人は元より早起きする性質じゃないので、独りで支度を整え外へ出る…玄関近くのレストランも、既に朝食の準備に取り掛かってました。
天気は写真の通り曇りがちで、綺麗な日の出が望めそうにない…昨日の朝、寝坊せずに起きていれば、最高の朝日を拝めたろうに!!…と悔やむ。
海に突き出たデ・ラウター桟橋前には、シーズンを終えて空気を抜かれた海キングが片付けられていました。↑

 
↑ウォーターマークホテルの前方、大海原に突き出るデ・ラウター桟橋は、晴れていれば美しい朝日が拝めるスポット。

 
↑夜から朝へと刻々変わる空の表情の変化、眠る街が目を覚ますまでの経過を観察するのも楽しい。


↑夜明け前に灯台側から観たウォーターマークホテル。


↑6時14分頃、紺色だった空が次第に赤く染められて行きます。
この瞬間のグラデーションの移り変わりも美しい。


↑6時30分頃…雲が多くて日の出を拝むのは難しいか?


↑6時43分頃、雲の切れ目から何とか朝日を拝む事に成功!

 
↑6時44分頃、朝日を反射する観光船。
…以前から思ってたけど、もう少し可愛いデザインにして欲しかった。
普通に可愛いイルカやクジラでは駄目だったんでしょうか?
海に浮かんで移動する球体ホテル計画は進んでいるんでしょうか?
サニー号はどうなったんでしょうか?
観光丸はずっと長崎県に貸したままなんでしょうか?

観光丸に会いたい…そんな貴方にお勧めする、2019長崎帆船祭り
期間は2019年4月18日(木)~4月22日(月)、海上で最も優美な乗り物と称えられる帆船が、長崎港に続々集まって来るぞ!


↑6時45分頃、海上に伸びる黄金色の光の道。


↑6時46分頃…残念ながら、これ以降は分厚い雲の後ろに隠れてしまいました。


↑夜明け後のウォーターマークホテル、湾の反対側は雲が段々と晴れて来ました、今日の天気も良さそうです。

海上に昇る朝日を観る事が出来るテーマパークは、国内でハウステンボスだけではないでしょうか?
インスタ全盛の時代、この魅力は公式から大いに発信すべきに思う。
その為に散策チケットは残しといて欲しかった…ハウステンボスに行きたくても、高い入場料が理由で断念するお客が多いので。
園内に本物の海を有してる事が、ハウステンボスの個性で魅力になってる。
海はハウステンボスの財産、切り離してはいけない。
カジノ誘致に成功したら、長崎県に海側の土地を売却する約束結んだそうだけど、そうなったら自分はもうハウステンボスに行かなくなるかも…。
まぁカジノ誘致に成功する確率は低そうだけどね。
次回でこのハウステンボスレポは終了予定です。

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桜橋~神田川の源流を訪ねて~その6

2019年04月14日 00時19分41秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を訪ねて行きます。
小石川橋が架かる地点より暗雲の如く天を覆った首都高速5号池袋線は、下流から数えて27番目の江戸川橋までピッタリ付いて剥がれる事は有りません。
景観の悪さを嘆きつつ川沿いに歩いて行くと、飯田橋駅前で更なる苦難に襲われる。


↑飯田橋名物「ペデストリアンデッキ」、巨大歩道橋。(この写真は隆慶橋方面から撮った物)

 
ペデストリアンデッキとは、広場と横断歩道橋の両機能を併せ持ち、建物と接続して建設された、歩行者の通行専用の高架建築物である。(ウィキより引用)
これが出来たお陰で駅から信号待たずに各道へ渡れるのは良いけど、その代わり下の道はほぼ車優先で歩行者はちんたら歩いて居られなくなった。
外堀通りと目白通りと大久保通り、3本の大通りが交わる飯田橋交差点は、上に下に車が走る3層構造になっており、外から来る人間を戸惑わせます。
つうかエスカレーター設置しないと、お年寄りや体の弱い人には辛いよね…。


↑満開の桜が歩道橋上まで枝を伸ばしており綺麗でした。

●下流から数えて15番目の橋…船河原橋 
写真後方に写っているのはJR飯田橋駅のホーム。
昔は水道橋から船河原橋の在る辺りまで河岸だったそう。
岩瀬市兵衛の屋敷が建ってた事から、「市兵衛河岸」との地名が付けられたとの由来書き看板が、小石川橋~船河原橋間に立ってました。
船便の荷物を揚げる船着場が在ったりしたそうで、「船河原橋」と言う名前は恐らくそこから由来している。

 
神田川と外濠が分岐・合流する地点に架かる橋。
外濠に架かる方が、駅名にもなってる「飯田橋」…非常に紛らわしい。
どっちが飯田橋で、どっちが船河原橋なのか、地図で確認しないと判らないよ…。


↑船河原橋下流側の眺め、上流側には巨大歩道橋を渡らないと行けません。

⭐船河原橋付近の立ち寄りスポット…ベッカーズ飯田橋東口店

脳が酸素不足になりそうで、ちと休憩を取る事に致しました。
飯田橋東口に在るハンバーガーショップ、営業するのはJR東日本グループです。
ベッカーズバーガーが結構美味しい…オーロラソースを使用してた以前は、もっと美味しかったけど。
トイレとか大分痛んでるんで、リニューアルして欲しい。


↑船河原橋上流側の眺め。
橋名看板かかる目白通りへ向かう橋のみ「船河原橋」と認識してたのですが、ネットで調べたたところ、飯田橋を挟みⅤ字に分かれた橋とセットで「船河原橋」だそうです。(→http://www.mport.info/kandagawa/bridges/k/funagawarabashi.html)
1セットの橋が在るなんて…魔女っ娘チックルのエンディングが脳内に流れる中年アニオタであった。(チックル知らない人はネットで検索してください)
神田川は船河原橋が架かる地点で殆ど直角に流れを変えます。
上を走る首都高速道も、神田川に影の如く張り付いて方向を変えます。

●下流から数えて16番目の橋…隆慶橋 
橋名は徳川秀忠&家光の秘書役だった、大橋隆慶に由来するそう。
彼の「大橋」と言う名字は、橋に名前が付けられた事で、以後そう呼ばれる様になったのだろうか?
それとも元より「大橋」姓だったのか?

 
嘗ての偉い人から名前を貰った橋なのに、見ての通り痛みが激しく綺麗じゃない。
首都高速道に覆われ、晴れていても薄暗い…神田川に架かる橋中、最も悲惨な境遇に在る気が致します。
天国の隆慶殿もお嘆きであろう。


↑隆慶橋下流側の眺め、以前は船河原橋~隆慶橋との間に、橋が架かってた様なのですが…。


↑隆慶橋上流側の眺め。
…どっちを向いても景色が悪い。(汗)
ぶっちゃけ下流から数えて27番目の江戸川橋までは、首都高速のせいで景色が悪いので、覆いが取れるとこまでサクサク参ります。(でなきゃ夏になっちゃうし…)

●下流から数えて17番目の橋…新隆慶橋 

 
6車線も有る大きな橋、都道に繋がる為、車の往来が非常に激しい。




↑新隆慶橋下流側の眺め、側には可哀想な隆慶橋。


↑新隆慶橋上流側の眺め。

●下流から数えて18番目の橋…白鳥橋 
昔はここらに池が在ったそうで、橋名はそこから付けられたもよう。


神田川がこの地点で大きく曲がる事から、「大曲」との地名が付いたそうな。
上を覆う首都高速も向きを変えて、ストーカーの様に追って来る。
前の東京五輪開催を契機に、首都高速道の建設が促進され、都心部は余ってる土地が少ない事を理由に、河川上空に建造してったそうな。
前回東京五輪の負の遺産と呼ばれるのも解る。


↑白鳥橋下流側の眺め。


↑白鳥橋上流側の眺め。

●下流から数えて19番目の橋…新白鳥橋 

 
写真では解りませんが、グルッとUターンする様に渡る。
歩道は下流側のみ、車の交通優先な為、橋を渡った後は急いで歩道に上がらないと危ない。
現在、新白鳥橋~26番目の華水橋まで、周辺の工事のせいで川沿いに歩けない。
去年までは川沿いの遊歩道を辛うじて歩けたんですが…今回の写真は主に去年撮影した物です。


↑チラッと写ってるのは、後ろに架かる白鳥橋下の「水道橋分水路」呑口。


↑新白鳥橋下流側の眺め、川の流れに従い大きく曲がる高速道が見て解るかと。


↑新白鳥橋上流側の眺め、色違いで同じデザインの橋が、並列して架かって見えます。

●下流から数えて20番目の橋…中之橋 
江戸時代に隆慶橋と石切橋の間に架かる橋と言う意味で付けられた橋名との事。(側に立ってた由来書きより)
…という事は、白鳥橋はそれより後に架けられたのでしょうか?

 
橋のカラーはグリーンです。


↑中之橋下流側の眺め、首都高速の天井を避けての撮影。


↑中之橋上流側の眺め。


↑中之橋~小桜橋間の柵の一部が、泳ぐ魚の図柄にデザインされてました。
鮎…でしょうか?以前は汚れていた神田川も、近年は鮎が泳げるまで、水質が改善したそうです。

●下流から数えて21番目の橋…小桜橋 

 
橋は名前に合わせて桜色。
現代でも橋名の通り、川岸に桜が数本立っています。


↑小桜橋下流側の眺め。


↑小桜橋上流側の眺め。

●下流から数えて22番目の橋…西江戸川橋 
側に立ってた看板によると、「西江戸川町と牛込五軒町との間に架かっていた事が橋名の由来」だそう。
今は無き昔の町名を伝える橋なのですね。

 
↑橋の色は赤紫です。


↑西江戸川橋下流側の眺め。


↑西江戸川橋上流側の眺め。

●下流から数えて23番目の橋…石切橋 
江戸時代この橋の周辺には石工が住んでいた事から付いた橋名との事。
当時は付近で最も幅が広く大きい橋だった為、「江戸川大橋」と呼ばれていたそうです。(昭和40年位まで神田川の中流域は「江戸川」と呼ばれていた)

 
現在この橋の付近には、石工ではなく、印刷・出版関係の会社が多いです。
橋が白いのは紙の色を表現しての物?


↑石切橋下流側の眺め。


↑石切橋上流側の眺め。
首都高速道はまだまだ続く…。

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桜橋~神田川の源流を訪ねて~その5

2019年04月13日 00時45分06秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を数えて行きます。

お茶の水橋から水道橋までは、緩やかにカーブを描きながら、道を下って行きます。
上流へ歩いているのに下るのは不思議な感覚だけど、昔ここは渓谷と呼ばれる景色だったそうな。
歩道から見下ろす神田川は、さながら谷間を流れる様。
「御茶ノ水坂」と呼ばれる、お茶の水橋~水道橋間の坂は、春になると桜が続くお花見スポットです。

 

 


この御茶ノ水坂の途中に、神田川に関わる歴史を今に伝える、2ヶ所の碑が設けられています。

⭐お茶の水橋~水道橋間の立ち寄りスポット…神田上水懸樋(掛樋)跡の碑
 

⭐お茶の水橋~水道橋間の立ち寄りスポット…お茶の水分水路の碑
 


↑神田上水の説明書き。

碑の側に立てられた説明書きによると、この付近で神田上水の遺構が発掘されたとの事。
神田川の前身にあたる「平川」は、幾度も洪水を引き起こす上に海水が入り雑じる、人間側から見て使い勝手の悪い暴れ川だったそう。
そこで江戸市中の飲料水確保と洪水を防ぐ目的から、徳川家康の命により大規模な治水工事が為された訳です。
飲料水については、井の頭池から湧く真水を、江戸市中に引き入れた。
それだけでは足りず、善福寺池と妙正寺池の水も、川を整備し引き入れたとの事。
江戸時代、飲料水として用いられた神田川の上流を「神田上水」、下流を「江戸川」、更に開削した神田山から下流を「神田川」と呼んでいたのが、昭和の河川法改正により、全て神田川の呼称で統一されたのだそう。
ちなみに飲料水を引き入れる懸樋(送水管)は木製。(石製の物も有)
樋を木製にする所が、木の文化を持つ日本らしいと感じる。
「お茶の水」と言う地名も神田上水の水源が由来、詳しくは井の頭公園に到るまでお待ちください。
…すっかり話が長くなってしまった、神田川の橋巡りに戻ります。(汗)

●下流から数えて11番目の橋…水道橋 
橋名の由来は改めて説明するまでもないですね。
枯れた蔦の様な植物が絡まり古めかしい橋です。

 
(上流向いて)橋の左岸にはJR水道橋駅、右へ行くと都営三田線水道橋駅、2つの水道橋駅が橋をサンドイッチにしています。
東京ドームの側という事で、付近の売店では巨人戦チケットを販売。


↑水道橋下流側の眺め、(上流向いて)左の橋詰めには、安らぎの公園スポット。


↑水道橋上流側の眺め、近付く首都高速道路。

●下流から数えて12番目の橋…後楽園ブリッジ 
JR水道橋駅と東京ドームシティをダイレクトに結ぶ、歩行者専用の施設橋です。


直ぐ隣に後楽橋が架かっているけど、そちらは車も通る。
東京ドームシティを経由し、メトロ後楽園駅に行ける為、信号待ちする事無く行ける点が有難い。

⭐後楽園ブリッジから行けるエンタメスポット…東京ドームシティ

言わずと知れた読売ジャイアンツのホームグラウンド「東京ドーム」の他、遊園地、ショッピングビル、温泉施設ラクーア、プラネタリウム「TeNQ(テンキュー)」、ホテル、格闘技の聖地「後楽園ホール」等々、文京区が誇る娯楽の殿堂。
今度巨人戦を観戦しに行く予定。(巨人ファンじゃないけど)
写真は去年開幕した時に撮った物、未だ高橋監督の頃でした。

⭐後楽園ブリッジから行けるお花見スポット…礫川(れきせん)公園

…神田川付近に在るスポットではないですが(汗)、東京ドームシティをラクーアビル側に、どんどん奥へ進んで行くと、メトロ後楽園駅に出て、更に文京シビックセンターが建つ方面より外へ出ると、八重桜が綺麗な公園に出ます。
毎年今頃に開花し、1カ月近くお花見が楽しめる。
付近には東京都戦没者霊苑、中央大学が在ります。
脱線ついでにもう1カ所、後楽園駅から行けるお花見スポットを紹介。

⭐後楽園駅から行けない事も無いお花見スポット…播磨坂
 

 

 

 

 

 

後楽園駅から茗荷谷・小石川方面へ、春日通りをずぅっと上がってくと、左手に桜並木が3列続く「播磨坂」と言う所に出ます。
中央列下に人工の小川が流れる公園が造られており、花盛りの頃はビニールシートを敷いて宴を開く客が大勢出る。
播磨坂に対面する位置に在る、「東京大学附属植物園(小石川植物園)」の桜も綺麗、有料なので落ち着いて花見したい人向き。
…良く考えたら茗荷谷駅か白山駅から行く方が近かった。(汗)

 
後楽園ブリッジに戻って(汗)…写真の通りJR水道橋駅西口から後楽園ブリッジは目と鼻の先。
そして後楽橋と至近距離で隣り合ってる事が、写真から良く解るかと。


↑後楽園ブリッジ下流側の眺め、スタート地点に比べ、川幅が狭まって来たように感じます。


↑後楽園ブリッジ上流側の眺め、後楽橋を通る歩行者を見下ろす形になります。

●下流から数えて13番目の橋…後楽橋 
橋名の由来は元水戸徳川家の庭園、「小石川後楽園」です。
しかし多くの人は後楽園=遊園地、或いは東京ドームと認識してるに違いない、若い頃の自分がそうでした。(恥)
比較的近くに住んでいながら、本家後楽園を一度も訪ねた事が無い…。




↑後楽橋下流側の眺め、後楽園ブリッジが目の前を塞ぐ形になります。


↑後楽橋上流側の眺め、ここにはゴミ処理船の船着き場が設けられてるとの事、目の前の船がそうなんだろうなと。

●下流から数えて14番目の橋…小石川橋 
橋名の由来は、昔この付近を流れていた、「小石川」と言う川からだそう。
今はもう在りませんが、一帯の地名として名が残されています。

 


↑小石川橋下流側の眺め、奥に架かるのは後楽橋と後楽園ブリッジ。
写真を見て、右へ折れ曲がる流れに気が付かれましたでしょうか?
ここは日本橋川への分流ポイント。
神田川より分岐した日本橋川は、日本橋・江戸橋等を通過し、永代橋付近で隅田川と合流します。
江戸時代は船便ルートに用いられ、周辺賑わったそうです。

⭐後楽橋~小石川橋間の立ち寄りスポット…日本橋川に架かる三崎橋

↑(上流向かい)小石川橋の左隣に架かるのが三崎橋。
日本橋川最上流に架かる橋…ここから日本橋川の流れがスタートするけど、今回はスルーさせて頂き、神田川に戻ります。


↑小石川橋上流側の眺め、写真を見て川の右側には、水道橋分水路の吐口。
ここから上流、暫く首都高速道の天井が続きます。

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桜橋~神田川の源流を訪ねて~その4

2019年04月12日 03時25分46秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡りつつ、架かる橋を数えて行きます。

●下流から数えて9番目の橋…聖橋 
湯島聖堂から聖橋へは数分で到着します。
そもそも「聖橋」なる橋名は、湯島聖堂とニコライ堂を繋ぐ橋と言う意味で付けられたのだそう。

 
神田川と中央線と外堀通りを跨ぐ白いアーチ橋は、「聖(なる)橋」の名に相応しい優美なスタイル、しかし残念な事に周辺で工事をしていて、橋の全体像が見えませんでした。


↑聖橋下流側の眺め。
この写真には写ってませんが、左手に湯島聖堂、右手にJR御茶ノ水駅が見えます。
聖橋の上からだと、JR御茶ノ水駅ホームに、中央・総武線が出入りする様子が、大変良く見えます。
橋周辺の工事は、どうやらJR御茶ノ水駅のバリアフリー化の為らしい。

 
そして前回書いた通り、聖橋~昌平橋間は、鉄道3線が顔を合わせる地点。
特に地下鉄の丸ノ内線が地上に現れるポイントな為、聖橋の上からカメラ構えて待ってる鉄道写真愛好家が多いです。
タイミングが合えば、中央線と総武線と丸ノ内線を、1枚の写真に収められるかもしれない。


↑聖橋上流側の眺め。
バリバリ工事中で、前方に架かるお茶の水橋の全体像が見えない…。

湯島聖堂を背に聖橋を渡り、大通りを進んだ先に見えてくるのが、メトロ新御茶ノ水駅。


↑は地下鉄新御茶ノ水駅への地下通路出入口、聖橋に合わせてかステンドグラス仕様です。
聖橋から新御茶ノ水駅に行くまでの間に建ってるのが、「ニコライ堂」の名で知られる東京復活大聖堂教会。

⭐聖橋側の立ち寄りスポット…東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)
日本に正教会を伝導したロシア人修道司祭(永眠時は大主教の肩書き)、聖ニコライ(ニコライ・カサートキン)の指示で明治に建てられた、日本正教会の首座主教座大聖堂。
日本初にして最大のビザンティン様式教会…私はロシア正教会の聖堂だと勘違いしてたのですが、そうではないらしいです。
宗派の違いとか知らずに滅多な事は書けない、これ以上は触れずにおきます。
今週土曜にテレビ東京放送「新美の巨人たち」で、ニコライ堂が採り上げられるとの事、良い機会なので勉強させて頂こうかなと。

 

 

●下流から数えて10番目の橋…お茶の水橋    
道を戻り、聖橋の次に架かる、お茶の水橋へ。
(上流側へ向いた場合)右岸にメトロ御茶ノ水駅が接してる為、人通りが非常に多い。
更に地下鉄駅の背後には東京医科歯科大学、順天堂大学病院といった大病院が威容を誇り、明治大学や日本大学理工学部や駿台予備校と言った有名学校がひしめき合う、アカデミックな場所なのです。
 
 
現代でも湯島聖堂側には日本の頭脳が集合してるんですね。
ところで、お茶の水橋下に桜の木が一本咲いてるのを見付けました。
お茶の水橋が架かる場所は付近の最高地点な様で、橋下を覗くと結構な崖の上に居るのが解ります。


↑お茶の水橋下流側の眺め。
工事中で全体像は掴めませんが、聖橋が見えます。


↑お茶の水橋上流側の眺め。
ここから暫く、走る中央線を道連れに、神田川沿いを歩いて行きます。

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