どちらでもありどちらでもないという
両極に触れながら揺れるという
生存というすがたに秘める洞窟
彫刻というのは本当はあてはまらない
ある塊を削っていくのではない
内に空を秘めながら彫塑するのはやわらかさから発展する
ぐにゃぐにゃした土はからだをみずからつくろうとする
土を使って造られるものには霊を吹きこむことができるようだ
レイコ・イケムラ(「自己問答」より、部分)
▲リーフレットより引用(「頭から生えた木」)
去年、この人の存在を知った。年齢不詳ながら、ほぼ同世代の芸術家。1970年に大阪外語大入学(スペイン語)1973年スペイン・セビリア大学美術科に留学後、スイスへ。80年代からは、ドイツを拠点に活動している。西欧では高い評価を得るも、日本での知名度は低かったかと思う。今回の美術展は、これまでの40年にもわたる多様な作品(213点)を出展していて壮観であった。
国立新美術館のゆったりしたスペースを充分に生かした展示であるが、作品のタイトルがなくそのつど目録で確認しなければならない(そういう意図なのか、手抜きなのか・・)。
彼女の作品はいわゆるコンテンポラリー・アートに位置づけられるだろうが、始原的なる野蛮さと残酷なイメージを感じさせて、洗練された美意識と対極をなすものといっていい。最初、何を観たのか忘れたが、たぶんドローイングだったはずで、そのアール・ブリュットを彷彿とさせる粗削りかつ強度あるイメージ造形は、美しいものを超える根源的なスピリットを肌で感じた。彫刻、絵画、インスタレーションなどあらゆる作品のビジョンに強靭な思念、想念が内在していて、それは初期の作品から持続して感じとれるものだ。
▲ドローイング (リーフレットより引用:⦅受胎告知⦆の習作)
個人的には、「GIRL」というタイトルで括られる一連の絵画作品、そして「アマゾン」というシリーズの、大判の布に染色した(?)インディオらしき二人が並ぶ作品(何処からか空気が流れ、揺れ動いている)のシリーズになんとも身動きできない戦慄を覚えた。
特に、アマゾンのそれは、プリミティブ(原初)な野生に普遍性を見出すと同時に、やりきれない悲哀と底知れない諦めの美学を感じたのは、私だけであろうか。(追記1)
イケムラレイコという人は、四六時中休むことなくドローイングしているか、土塊をこねくり何かのビジョンを造っている、眠っていても夢の中で何かを描いている人だ、たぶん。
そのほか、太平洋戦争を想起させる絵画のシリーズも、同世代として「戦争」のおぞましい恐怖感が、親世代から移植されたイメージを表現したものだと直感できた。これからの非凡な活動を注視していきたい作家だ。
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