その前に、ばっきゃろー、コンチキショーと心のなかで思いの丈を吐き出し、どーしてぇ日本はこんなに自然災害が多いんだ、と呪詛を書きつつ半ば諦め、お天道様によろしくお頼みしますと、ただひたすら祈り願うのみ。こうするしきゃない俺たち日本人は立つ瀬がない。
それにしても、あっちこっちで台風やら地震が悪さして、大勢のひとが迷惑を被りました。その惨状をニュースでしか知らないアタシが、あーだこーだと書いてもどうにもなりませんが・・。
言いたいことはこうです。予想やら対策は無駄ではない。いつも被害をうけた後に、なんたらかんたらが多いです。科学がどんなに進歩したって、自然の脅威に私たちはいつも打ちのめされる。どだい、人間の力で制圧するなんて無理なんですね。
以前と同じ見慣れた風景にはやくもどってもらいたい。そのためにお天道様の力をいただき、夢を見させていただく。とにもかくにも、学習と反省、この繰り返しでしょう。知ったかぶり、奢りは禁物ですね。論旨はアニミズムです、あい済みません。
ここまで、おつきあい下さいまして恭悦至極で、痛み入ります。
そんなこんなで、7.8年ぐらい眠っていました『赤めだか』、まだまだ読むまいと辛抱しておりましたが、思うところありまして読みました。
立川談志の弟子のひとりで、私からすれば談春と志らくは表裏一体、ワンセットで談志の芸、いや人間性・カリスマ性をも継承しようとする、罰当たりな若者たちでありました。深ーい話はご勘弁ください。
『赤めだか』は一気読みでした。のっけからの驚きで座り小便はいたしませんでしたが、この男(談春)は、ちと半端ないセブンティーンでございましたね。この歳で、ふむふむと読ませるネタを散りばめる回想録、ドキュメント? その粋な書き方なんざ淀みなく面白い。芸人しか経験できない、いわゆる業界内の決意表明、覚悟・・。
そして、本人の器量そのもの。というか、持続可能かの「料簡」があるやなしの師匠の見きわめ。こりゃ、その人なりの、それぞれの経験の筋があるかどうかで、読み解き方が異なるでしょうね。
談春が高校中退の17歳頃に弟子入りしたことは伝え聞いていました。
でも・ですよ、あの立川談志に弟子入りする前にですよ、皆さん。競艇選手を諦めての落語家志願とは恐れ入谷の、その隣、鶯谷です。
それも、大外かまし一筋の加藤俊二に惚れての競艇ファンだったセブンティーン(談春)が、諦めた理由が身長172センチだった、とのことです。相撲の舞の海さん、頭にシリコン埋め込んで背丈伸ばしましたが、頭を2センチも削るなんて死んじゃいます。
『赤めだか』には、前座から二枚目、そして真打になるまでの、涙なしでは読めない談春の艱難辛苦がギュッとつまっています。もちろん、「談志外伝」としても面白く、師匠に正面から挑み、掴み近づく。そして、なんとか世間様に己を認めてもらう談春の才気、気骨、徹底した師匠へ忖度、そのほか落語界の極上のはなしが書かれています。
談春の師匠はもう、この世にいません。晩年は根津にすみ、正月の二日に神社にいけば、一門引き連れて願掛けにきた師匠を見かけました。もちろん談春はじめミッキーカーチスさんまで神妙な面持ちで、師匠の後ろを取り囲むように20人近い男衆がそろりそろりと歩いている。
談志師匠がなぜかイエス・キリストに見えました。お釈迦様さまとはいいませんが、それに近い求心力はあるし、言うことも神がかっていましたかね。こんなことを二十歳前の談春に言っています。
「前座の間はな、どうやったら俺が喜ぶか、それだけ考えていろ。患うほど、気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。本気で惚れてるなら、死ぬ気で尽くせ・・」
私なりの談志観っていうんですかいちおう・・。いけねえ、終いがねえ。あい済みません、次にいたしやす。
▲うちんとこの『赤めだか』です。ちと、増えすぎました。